必殺お仕事列伝


ある中庭で松の手入れをしていた時、その庭は5坪ほどの広さ、周りを囲む壁瓦は今にも落ちそう、近くを通るたびに壁が揺れる、私は恐る恐る作業をする丁度背中が壁になる。背中と壁が10cmほど後ろが気になるが作業を続ける、やっぱり気になる猫も怖がり通らないような壁だ黙々と仕事を続ける。そして最悪な時が来た私の肘が瓦に少し触れたとたん、壁瓦全部が砂ホコリをあげ総崩れだ、本当にチヨット触れただけだ、俺は悪くない、俺の責任と違う、何もしてへん、ほんまや信じてくれ。
1990年
題名/壁瓦総崩れ事件




年末にもなると手入れの他に門松作りと忙しい、又厄介なのが暴力団関係の配達だ一筋縄ではいかない、他の社員では集金が出来ないので私が行く事になる、年もおしせまった12月の終わり頃、組事務所に配達、設置を終え後は集金だけ、チャイムを鳴らす監視カメラがこっちを見ている、もう一度鳴らす、すると「うるさいアホンダラー」と二階からチンピラ風の男がやって来た。私が「すいません門松の代金お願いします」と言うとその男は封筒を手渡す「ラッキー」と思い中を見ると1万円しか入ってない、「すいません2万8千円足りませんけど」と言うと、男は全身の力を後頭部に集め、頭を振りながら「ちゃんと3万8千円はいっているやろボケ」との返答、ここで引き下がったら材料費にもならない、私は覚悟をきめ江戸時代の大阪商人のごとく、もみ手をし腰をかがめながら「ヘイちゃんと3万8千円頂戴します」としつこく食い下がる結局3万円で手をうった、8千円はあの男の小遣いと消えるのだろう。
1985年末
題名/植木屋対暴力団




今度は組長宅に配達 あいにく留守みたいだ、仕方ないので設置だけでも済ませる事にする。しかしここで問題がある 門松を設置するには番犬のドーベルマンの前を通らなければならない仕方ないけど通る事にする。門松を楯にドーベルマンの目をにらみ「もし俺に噛んだら倍にして返したるからな」と自分にいい聞かせ恐る恐る前を通る、ドーベルマンは静かな状態で俺の目を見ている静かなだけに逆に恐い。「もう大丈夫や」と思った瞬間俺の足めがけて噛み付いて来た、その時俺は野生の血が騒ぎ噛み付いて来たと同時にドーベルマンの目を親指で潰してやった、するとキャンキャン言いながら後退りをして犬小屋に入っていった、犬は逃げてそれで終わりだが、俺のボルテージは上がったまま「それで親分のボディガードが務まるな」と心の中で叫び「やるんやったら、いつでもやったるぞ」と全身から気を発し勝利を確信したのである。設置を終え帰る時、犬小屋を見ると犬はおびえたまま出てこない、「完璧や」と思い清清しい気持ちで帰ろうとした時組長が帰宅、何もなかったような顔をして集金を済ませる、嬉しい事に寸志だといい3万円も頂くこの金はボディガードとのファイトマネーとして受け取っておこうと思うのであった。
1985年末
題名/植木屋対ボディガード




入社間もない頃マンションの消毒に出かけた、消毒をしょうとノズルの先を樹木に向けたがなかなか出てこない、ノズルの先を覗き込むように見ると急に消毒液が私の口めがけて入ってきた、一瞬だとはいえ機械なのでコップ一杯分は飲んだと思う。翌朝見てビックリ白いウンコが出てきた、消毒液の臭いはするが体に異常がないので安心した、つくづく自分は不死身だと思った。
1984年
題名/白いウンコが出た




あれはいつやったろうか?池のようなところの中心部にクスノキがたっている、約15メートル位の高さ、依頼主いわく「このままだと家が潰される」と言うので小さくしてくれとの事、周りがため池なのでハシゴも立てられなく登るしかない、てっぺんまで登り枝を落とす準備をする、枝といっても太さ30cm以上はある下手をすると枝が落ちる角度によっては屋根が潰れかねない、落とす枝先にロープを縛り、枝が落ちると同時に下の助手が屋根に落ちなようにロープを引っ張りため池の方に落ちるようにする。作業は順調近所の人も集まり注目の的、問題は垂直に伸びている枝、垂直だけにロープは縛れない登れば縛れるがクスノキは折れやすいので危険だ、仕方ないのでチェーンソーで切り終えた後自分の手でため池の方に落ちるようにしなければならない、それにはまずチェーンソーを放しても下に落ちないよう自分の体に縛る事にした、さていよいよ作業開始、自分で切り終えた後ため池の方に落とすイメージをする、今度の枝は垂直に伸びているだけに下に落ちる力は今までの枝とは比べ物にならない屋根に落ちると確実に潰れる、心臓はドキドキ近所の人達も生唾を飲んで私を見ている、頭の中で失敗した時の事を考えている、駄目だ成功した時の事を考えないと、この手の仕事は踏ん切りが大事「よおし行くぞ、だいたいこんな仕事頼んだ方が悪いんじゃ」と腹の中で思いつつチェーンソーが動き出す、なかなか行動に移せない数秒間精神を落ち着かせ一気に「うりぁーあ」と奇声を叫びながら切り始めた、もう後戻りは出来ない後は成功を祈るだけ、半分くらい切るとミシミシ言い出したので急いでチェーンソーを放し、体にある全てのパワーを落ち行く枝に注ぎため池の方にと落とした。「やった成功や」と近所の人達は手を叩いて喜んだ、幸い被害は隣のマキが少し折れた程度、仕事の上では大成功ところがそうでもなさそうだ、私の足に痛みを感じる、木の幹と落とした枝との間に私の左足が挟まって動かない、力任せでなんとか動かしたが足が痛くて降りれない、下で近所の人も見ているので痛い顔も出来ず「大丈夫ですわ」とニコニコ笑いながら降りるのであった。最近この手の仕事が増えている昔みたいにハッピにハチマキにキセルタバコをふかす、そうゆう植木屋のイメージは全くない、今はヘルメットにチェーンソーと言うのが現実か。
1992年
題名/のるか そるか




他社の植木屋さんの紹介で行ったお宅での事、さっそく仕事を始めると、そこの奥さんが心配そうにこっちを見ている、あまり長い間見ているので「どうかしましたか」と尋ねると奥さんは「あんたは植木屋と違う」と言いだした、「どうゆう意味ですか」と聞き返すと「植木屋はもっと年がいっている」と言い出す始末、何を言うとるねんこのオバハンと思いつつ「腕を見てから判断してもらえますか」と言うと返答なし仕方ないから帰る事にした、困った事に人を見た目で判断する、こうゆう風潮は年配の人に多い確かに私は頼りなく見える、表で仕事をしているわりに貧相だ、だからと言ってそんな言いぐさはないだろう。数日後紹介主の植木屋さんが来てもう一度やってもらえないかと頼んできた、事情を聞くとあの奥さんは自分で頼んだ植木屋の見積もりと私が出した見積もりの差が余りにもあるので謝るから来て欲しいとの事、何を今頃調子のええ事言うとるねん初めから俺に頼んだらええ仕事するのにと思い無論断った。だいたい我々の仕事はお金だけじゃない、自分の庭だと思い、なおかつ少しでも綺麗にしょうと努力をして気持ちで仕事をしている、それが道理に反する事を言えば気力を失い適当な仕事しか出来ない、私だけかもしれないが植木屋とはそうゆうものだと思う。
1993年
題名/哀れ老婆





入社間もない頃 先輩から「来月から組長とこの植物リースお前行ってくれ」と言われたので、まぁ断る理由もないから承知した。でもよく考えたら この頃は山○組と一○会の抗争時、そもそも組長さんのベランダに植木を置くのも、向かいに走っている南海電車からの狙撃を避ける為の目隠し、人の目を避ける為に植木を入れる話はよくあるけど、狙撃封じの目隠しとは さすが西成。現にこの組長さんのベランダに発砲事件が何回かあったみたいで、先輩はそれをびびっていたのだと思う、しかし西成育ちの俺は子供の頃から こうゆうのには慣れているので そんなには恐くなかった。
1986年
題名/植物リースも命がけ








こぼれ話し

余談になるが庭手入れの時きり株のゴミが出た、他の職人は椅子などを作ったが私はそれで観音様を彫る事にした、気分はすでに宮本武蔵だ、順調よく進んでいたが肩から首の辺りを彫っていると首を落としてしまった、彫っている物が物だけに何だか不気味だ、数年後会社は倒産した。


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