[97記者メモ帳から]
選手よ、少年に良き思い出を


毎日新聞大阪本社発行 1997年12月25日 朝刊運動面より転載



 先日、あるプロ野球関係者に手紙を送った。「大変ごぶさたしております。覚えておられないかもしれませんが……」と。

 約20年前、私は小学6年生。7月初旬の平日が行事で臨時休校になった。その日に札幌で巨人―ヤクルト戦があった。Gファンだった私は「王選手が見たい」と母にねだり、住んでいた北海道北部の小さな町から片道5時間かけて球場に連れていってもらった。母、妹と右翼席に陣取り、YGマーク入りの小旗を持ち、試合前の練習を見た。

 右翼フェンスのネットに旗を引っかけていた時、急に風が吹いた。「あっ」と声を上げたが、旗はグラウンドへ。乗り越えるわけにもいかず、母に責任を転嫁し、「お母さんが見ててくれなかったからだよ!」と大声を上げた。私の声を聞いたのか、“敵”のユニホームを着た「おじさん」が近づき、ほほ笑んで旗を拾った。ウインドブレーカーのそでの番号「68」を覚え、選手名鑑を調べた。トレーニングコーチの赤坂宏三さんだった。

 帰宅後、赤坂コーチにお礼状を送った。すぐに返事が届いた。野球少年の心を察し、ヤクルトの主力選手のサインの寄せ書きも送ってくれた。その後2、3回、文通したが、次第に手紙を送らないようになり、お会いする機会もなかった。

 今秋、赴任直後の大阪・運動部で日本シリーズ・ヤクルト―西武戦をテレビで見た。たまたまヤクルトが報道向けに出した本を見つけ、パラパラめくると見覚えのある名前があった。「連絡しなければ」という衝動に駆られ、手紙を書いた。間もなく、赤坂さんからも返事が届いた。この春までスワローズ寮長をされていたという。懐かしかった。

 時々、「ヤクルトファン? 珍しいね」と言われる。得難い経験のお陰で、私は野球へのあこがれを抱いたまま大人になり、今もスポーツに携わることができている。

 心配なことが一つある。プロ野球選手が10人も脱税罪に問われ、裁判が始まった。夢を傷つけられ、野球嫌いになった子供はいないだろうか。 【山口一朗】



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