エトスサロン「もう いくつ ねると…」
「エトス」1987年12月号(太平洋教育文化交流協会関西本部発行)より転載



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 中学二年の頃だ。NHKラジオの続基礎英語で、アメリカのクリスマスは日本のような ドンチャン騒ぎはしない、といっていた。キリストの誕生を祝って、祈るというのだ。
 ところが、高校二年で実際に行ってみると、聞いていた話と事実は違っていた。ホスト の家には、一週間も一〇日も前から二メートル余りもあるツリーが飾られ、その幹の下に は家族が互いに贈るプレゼントが用意されている。CATVからは、ひっきりなしにクリ スマスの歌が流れてくる。二日前から七面鳥やパイが用意され始める。
 むろん、NHKがウソをついたわけではない。それに、私の滞在した家庭が無宗教だっ たからといえばそれも正しい。ただ、よほど敬謙なクリスチャンでもなければ、祈るだけ のクリスマスなどないのではなかろうか。大なり小なりパーティーを開いたり、プレゼン トを交換して、楽しくクリスマスを迎えるだろうと思う。
 ここで日本の正月に目を向けよう。ある友人がこう語った。
 「あんなに商売根性マル出しの大神社になんかいい神様がいるわけないから、近所の小 さな所に初詣するの」。
 言われてみればそうかもしれない。もともとは、「神聖」な新年を迎える喜びと期待と を祈りに込めようとして初詣に行くはずなのに、なぜかわざわざ真冬のクソ寒い中、しか も真夜中にものすごい人でごった返す場所に行くのだ。それも、ただ行くのではなく、お みくじに一喜一憂するのである。してみると、かの地のクリスマスに似たり寄ったりだ。
こんなふうに年末年始に楽しむ人が洋の東西を問わずに多いのは、ふだんから張りつめ た緊張の糸を緩めようとするからかもしれない。抑圧されたものを、一気に燃焼しつくそ うとするからだろうか。
 ところで、まことに気ままな「学生」という立場にある私の場合はといえば、今年も昨 年に引き続いて、信州の山ン中で、静かに新しい日の出を待つつもりだ。となると、また 糸が緩んでしまうかもしれない。
太平洋教育文化交流協会(PEACE)
第九期留学生   山口 一朗


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