エトスサロン「キョウ都(ミヤコ)」
「エトス」1987年10月号(太平洋教育文化交流協会関西本部発行)より転載



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 今年の夏も、多くの人がわが故郷を訪問してくれた。近畿地方で生まれ、育った人にと って「憧(あこが)れ」の地である北海道へ、である。この北海道に来て、道都札幌を訪 れない人は、ほとんどいない。いわば札幌は「北海道の顔」だ。
 同じようなことが、古都京都にもいえる。北海道の人間は、概して京都に強い憧れを持 っている。その証拠に、道内の高校の大部分が、修学旅行先に京都・奈良を選んでいる。 まあ、旅の目的地に京都なんて言うと、海外 からの観光客みたいでおかしいと 思う方もおられるかもしれない。しかし、京都は「日本の顔」である。それに、北海道弁 では本州を「内地(ないち)」と呼ぶのだから、外務省から大使を派遣されるほどの「外 地」の者には、別におかしいとは思わない。
 さて、北海道民が京都に対して憧れを抱くのは、何も伝統の重みばかりではない。この 点が「自然に恵まれた、雄大な」という形容しかされない北海道とは違う。では、何が違 うのか。実は、札幌が京都の街に似せて造られたことだ。京都と同じく、札幌も「碁盤の 目」。「条」の広さは違うものの、縦横がしっかり整っているのは同じなのである。
 ここで、一つの事件 を紹介しよう。数年前、札幌の人口が京都を上回ったこ とだ。この時、札幌市民はもとより、道民みなが「あの 京都を超えた」と歓喜 した。国内では発行部数が五位の「北海道新聞」までも知事選並みの大ニュースとして取 り扱った。『五大都市・札幌』なる本すら出版された。
 だが、札幌が京都より優れているとは全く思わない。というのは、札幌は「リトル東京 」と呼ばれており、商品を東京で売る前の試し売りの街だからだ。これではただのモルモ ットではないか。また、冬期間の裏道や初春の雪どけ道の汚さは、とてもじゃないが、私 の持っている「美しい京都」の印象にはかなわない。一度見にきていただきたいほどだ。 ああ、どうやら、都として本当に京都を超えるには、まだまだ道程(みちのり)は続きそ うである。
関西大学二回生 山口 一朗


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