REPORTbyユゲラ − 2004年5月17日 −

2004年5月17日

●その壱
上洛初日からつきまとっていた雨もようやく小降りになり、朝食を食べよう、とチェックアウトを済ませ、金子さんと共に京都駅方面に向って歩き始める。
ところが、目につく看板は“松屋”“吉野家”といったものばかり。
「これじゃ、東京と変わらないね」
と苦笑しつつ、タクシーに乗り、
結局は初日に打ち合せを行った新阪急ホテルで朝食をとることに。
朝食を済ませ、初日にお会いした元『赤影』スタッフ・佐賀“ダンディ”彰氏に、金子さんが連絡をとる。
実は、初日にある約束があったのです。
佐賀氏が月曜日に東映京都撮影所にいるなら、佐賀氏自ら所内を案内していただける、という密約(?)が。
結果は、午後から撮影現場に行くが、それまでならいらっしゃる、とのこと。
早速、我々は山陰線に乗り、太秦へ出発。
発車ベルが鳴り、慌てて電車に乗り込み、フッと横を見ると、原田大二郎氏が乗っていた。
車中でも金子さんが思い出を語ってくれた。
「『赤影』を撮っている頃は、この路線は電化されていなくて、蒸汽機関車とディーゼル車が交互に走っていて、蒸気機関車が来ると、ものすごく嬉しかったんだ。
たった、三つくらいの駅だけど、わざわざ蒸気機関車に乗りたくて、弟と一緒によく乗ったよ」
とのこと。そして、電車は太秦駅へ。
閑静な住宅街、といった町の中を不思議な三人組(金子さん、ユゲラ、他称・母さん)がキョロキョロと、辺りを見回しながら歩く様はきっと太秦の町に相応しくなかったでしょう(笑)。
いよいよ東映京都撮影所の門をくぐる。
その時、金子さんが、
「ここ、見覚えあるでしょう? 『蒲田行進曲』のラストに出てきたでしょう」と教えてくれた。
『そうだ! 確かに松坂慶子が絶叫するあのシーンの門だ !!』
しかも、原田大二郎氏と共に門をくぐったのです!
(ここまでずっとご一緒だったんです。会話をした訳ではありませんが)
東京にあるほとんどの撮影所には仕事で行ったことのあるユゲラだが、京都の撮影所は初体験! もう物珍しくて大興奮 !!
撮影所正門横の守衛室前で佐賀氏と合流。
果たして、撮影所では何が待っているのか?
 
●その貳
賀氏と共に撮影所内へ進むと、目の前にはTVによく登場する俳優会館が。
「ちょっとお茶でも飲もう」
という佐賀氏のお誘いで、俳優会館前の食堂へと向う。
ちなみに、俳優会館というのは、東映京都撮影所で働く役者さん達の控え室が入っている建物です。
折しも昼食時と重なり、食堂の中はちょっと不思議な雰囲気。
江戸時代の浪人者もいれば、飛鳥時代のような扮装の人もいました。
その人達が列を作って食券を買い求め、ラーメンやカレーを食べている様は、何とも言えず、不思議な光景でした。
佐賀氏のご馳走で、コーヒーを頂きながら、金子さんは、
「懐かしいな、懐かしいな」
の連発でした。やがて、
「所内を少し回ってみる?」
という佐賀氏の言葉に、金子さんより先に大きく頷くユゲラだったのである。
撮影所内を進むとそこは全く東京の撮影所とは違いました。
まず匂いが違う。木の香がプ〜ンと漂っているのです。
さらに、ステージの周りに置かれているものが違う。
蕎麦の屋台に、お地蔵様……全て江戸時代からタイムスリップしてきたかのごとく、所狭しと置かれ、静かに出番を待っているのです。
その中を作業用の運搬車が走っていくのだから本当に不思議な光景です。
でも、ゴジラが撮影所を歩いているのは東京だけかも(笑)。
そんな中を歩いて行くと、前方から見なれた二人組が。
そうです! ご老公をお守りして諸国を旅しているあのお二人です。
もちろん、助さんとは土曜日にお会いしていますから、
こちらから声をかけると、すぐに気がついてくれました。
早速、ご隠居気分で二人の間におさまり、記念撮影をする金子さんでした。
二人と別れ、さらに撮影所の奥へと進むと、
「ああ、本当にないや」
と言う金子さんの声。金子さんが見つめる先を見ると、
恐竜の作り物が置かれたテーマパークの一角のような場所が。
「……昔はここにTVプロの建物があったんだよなぁ」
と寂し気に呟く金子さんとその呟きに頷く佐賀氏の横顔が印象的でした。
そうなのです。どこの撮影所も映画全盛期の頃と比べて、小さくなっているのが現状なのです。
東宝撮影所も自慢の大プールが往時の三分の一の大きさになってしまいました。
そういう姿を見るのが関係者にとっては一番寂しいものです。
それでも、まだまだ、東映京都撮影所は奥が深いのでした。
 
●その参
さらに、ステージを抜けて行くと、映画村に併設されているオープンセットに行き着きました。
オープンセットとは、戸外に常設で作られたセットのことです。
もちろん、京都では“江戸の街並”が再現してあります。
東京でもかつては“銀座の街並”といったオープンセットがあったそうですが、今では皆無に等しいですね。
オープンではちょうど『水戸黄門』の撮影が行われていました。
出番を待っている役者さんの中から、
「青影!」「金子君!」
といった声がかかり、金子さんも彼らに寄っていき、
「俺のこと、覚えてる?」
と久し振りのご対面を果たしていました。
オープンセットのすぐ後ろには山陰線の線路があり、監督さんが、
「ヨーイッ!」
と声をかけた瞬間「カンカン」と遮断機の音が鳴り始めたり、修学旅行生も多く、現場の間近で見学していたのです。
正直言って、ああいう状況の中で撮影が行われているとは思いませんでした。
次に、オープンの側にある資料館へ行くと、『赤影』関係の資料が展示されていました。
ここでも、金子さんは「懐かしい」の連発。
さらに、京都撮影所以外の資料もあり、黒澤明監督直筆の“明日の予定”や円谷英二監督が使用した『怪獣大戦争』や『緯度0大作戦』等の台本、そういった貴重な資料が多数展示されており、時間があればまだまだ観ていたかったくらい。
“新撰組”の立ち回りのお芝居を観たり、食事をしたり、駆け足で撮影所の中をまわり、再び、正門前へ。
途中、お娟さん(由美かおるさん)の後ろ姿を遠目で見ながら、
「由美さん、『大作』に出たの覚えているかなぁ」
と金子さんが呟いていました。また、佐賀氏に、
「京都の撮影所は活気がありますね。東京は閑古鳥が鳴いてますよ」
とユゲラが言うと、
「今はな。京都もいつもこうやないで。閑古鳥が鳴いていることもあるよ」
とおっしゃっていました。しかしながら、正門横の日程表を見ると、『水戸黄門』『銭形平次』『新・科捜研の女』、2時間もの等々、
ズラリと予定が並んでいるのです。おまけに、僕らが行った土曜日あたりから『デカレンジャー』のチームも京都編の撮影で来ていました。
『こんなにたくさん予定表が並んでいるのを見るのは初めてだなぁ』
と思っていると、金子さんが手招きで呼んでいるのです。一体、何が?

●その四
金子さんの元へ行くと、その傍らにはサングラスをかけた方が立っていたのです。
「僕のHPのスタッフです。こちらは宍戸大全先生」
と金子さんから紹介されました。一瞬、頭が白くなったが、すぐに、
『この方がかの有名な宍戸大全先生なんだ』
と大感激。
そうです。『水戸黄門』等のタイトルに必ずお名前が出ていらした方です。
お名前が珍しいので、幼少の頃より、深く印象に残っています。
オリンピック候補選手にも名が挙がり、その後は、京都で撮影される時代劇の“特技”(=殺陣)を一手に手掛けられてこられた、まさに、達人中の達人。
『ワタリ』の冒頭にも出演されています。
「お茶でも飲もか」
と宍戸先生に金子さんが誘われ、再び、食堂へ。
宍戸先生と談笑していると、スマートな紳士がやってきました。
「福ボンだ! 福ボン、誰だかわかる?」
「青影やろう?」
そう、あの福本清三さんです。金子さんが近況を尋ねると、
「相変わらずや。相変わらず切られてるでぇ」
とにこやかに答えられていました。
さらに、福本さんが近くを通りかかった方を引き止めると、
「おお! 懐かしいな。青影のこと金目像の中からいつも見てたでぇ」
とおっしゃった方は笹木俊志さんです。
『赤影』第一部では“金目像”を、
第三部では怪獣群を演じられていた役者さんです。
もちろん、素顔でも出演されています。
気がつくと、僕らのテーブルはすっかり“赤影同窓会”になっていました。
ところで、役者の皆さんが金子さんを見ての第一声が共通していて、
「変わらんなぁ。身長も伸びてへんし」
というのがちょっと面白かったです(笑)。
ところが、時は無常なもの。帰京の時間が来てしまいました。
佐賀氏も仕事へ向われ、
宍戸先生も夜は『新・科捜研の女』の現場があるそうです。
名残りは尽きませんが、皆さんとお別れの挨拶をして、一路、京都駅へ。
京都のお土産を購入し、新幹線へ乗り込みました。
そうそう、京都の駅でエスカレーターに乗った時、我々“妖しい三人組”だけが自然と左側に立っていたのです(笑)。
こうして三日間の予定を全て終え、
金子さんとユゲラは“いつもの店”へと向うのでした。
 
●追記
宍戸先生とお茶をしている時、食堂の外では『子連れ狼』の大五郎が走りまわり、
食堂内では『水戸黄門』のアキちゃんが食事をしていたのです。
それを見たユゲラが福本さんに、
「金子さんも昔はあんな感じだったんですか?」
と尋ねると、
「あんなカワイイもんとちゃう(笑)」
とおっしゃっていました。どういう子供だったのか、聞きそびれてしまった!
     ※     ※     ※
大阪のイベントでファンの方からいただいた『キングコング対ゴジラ』出演時の写真を“いつものお店”等で、皆に見せていた金子さん。ここでも返ってくるのは、
「へぇ〜、変わらないよね」
というものでした。そしてさらに、
「でも、かわいいよね」
と、皆さん、一様におっしゃっていました。それを横で聞きながら、
『49才になる人が今でもかわいかったら変だ』
と思うのはユゲラだけでしょうか?(笑)
     ※     ※     ※
49才と言えば、福本さんや笹木さんが、
「いくつになったんや?」
と金子さんに尋ねて、
「もう50近いですよ」
と答えると、
「うへぇ〜、俺も年をとる訳や」
と渋い顔をされていました。
でも、皆さん、まだまだパワーに満ちあふれた感じでした。
     ※     ※     ※
金子さんを始め、スタッフ、キャストが一丸となって『赤影』を作っていた年に生まれたユゲラとしては、あの場に同席していたのが不思議な感じでした。
(生まれたその日は水曜日で、丁度『赤影』の放映中に生まれたそうです。
出来過ぎてる? でもホントの話)
改めて、そんな機会を作ってくれた金子さん、佐賀さん、本当にありがとうございました。
いつかまた京都へ行きたいですね。