まず第一に、アマテラス(天照大御神)が太陽神であることです。・・・ 第二に、その天皇が太陽をまつる祭祀を毎日、早朝におこなっていたことがあげられます。・・・・実際、天皇の座所である清涼殿は東面していました。敏達天皇の宮殿跡は冬至に太陽が三輪山からのぼる位置に建てられています。また、敏達天皇はその統治の七年(五七七年)に日祀辺を設置しています。日祀辺とは太陽を観測し、日神を奉祀する部局です。・・・ 第三に、どのように太陽を観測していたかということについてです。天皇と日祀辺は、山の稜線にのぼる太陽を観測していたと考えられます。三輪山の麓にある檜原神社には図のような三つの鳥居があり、注連縄に吊り下げられる紙垂が太陽の昇る位置をはかる重要な指標となっていました。・・・・この方法が実際におこなわれていたとすると、まさにホライズン・カレンダーにほかなりません。 |
式年遷宮の歴史は、・・・持統天皇4年の第1回(西暦690年)以来現在まで1300余年の長い年月、ほぼ20年目毎といふ間隔を守って続いてゐる。斎行の年度の詳細な数字は正確に記録されてゐるが、・・・ ・・・昭和4年の御遷宮の頃から、・・・改めて「なぜ20年なのか」といふ問題に関心を向ける傾向も生じてきた。 ・・・ 結論を先に云ふと、それはこの地球上で日本列島が占めてゐる緯度的風土的位置に由来する。暦学上の20年周期存在説である。 ・・・ところで允恭天皇の御代、紀元5世紀の半ばと推定される頃に大陸から暦が移入されたと・・・この暦はもちろん月の朔望の規則性を基準とする太陰暦である。・・・ ・・・陰暦の導入・施行から飛鳥浄御原朝廷による式年の制定までの約200年間の経験により、古代人は陰暦の元旦と立春とが一致する年もあること、それが20年に一度の周期でめぐってくることに氣がついてゐたのではないかといふのがこの説の眼目である。現代の暦学の専門家の計算によると19年7箇月の周期でその一致が生ずるといふことであるが、まあ20年に一度と看做してよいだらう。 この推測説が正しいとすれば、日本人は1300年の昔に宇宙の時間的秩序には20年を周期とする規則正しい循環性が内在してゐるといふ事実を発見してゐたわけである。・・・ |