「…本当に――これで良いのか…?」



 俺はまだ迷っていた
 いや、いくら悩んでも答えなんか出て来そうに無い

「このまま旅を続けたら、またお前が…」

 もうすぐ出港時間が来る
 そうなってしまってはもう簡単には戻れない

 今ならまだ間に合う
 メルキゼと共に安全な森の中で暮らすのだ
 そうすれば彼が再び発作に倒れるのを見なくて済む



「――カーマイン、迷ってる?」

「そりゃ迷うに決まってるだろ!!
 俺はお前が傷付くのが一番嫌なんだ!!」

 でも、元の世界への未練を完全に捨て切れないのも確かだ

 この世界で生きて行ける自信が無い
 文明の発達していない国、命を脅かす凶暴なモンスター、そして頻発する戦争――…


 メルキゼと一緒にいればそんな中でも何とかなるかも知れない
 けれど彼に万が一の事があった場合、この世界で一人で生きていけるかどうか…
 答えは明確――否、だ

 そんな事になるくらいなら微温湯の様な日本の中で日々を退屈に過ごした方が賢明だと叫ぶ自分がいる
 メルキゼを犠牲にしてでも安全な世界で生き延びたいと――…心の何処かでそう感じているのだ


「…旅は、続けたい…俺は元の世界に帰りたい
 でもお前が発作を起こす度に、これで良いのかって迷うと思う
 前に進みたい気持ちと後戻りしたい気持ちが交互に襲って来て――…ずっと迷い続けてる」

「無理してどちらかを選ぶ必要は無いと思う
 何度も迷って立ち止まって、そして再び進み始める
 その繰り返しでも構わないと私は思うのだけれど…?」

 メルキゼは何でもない、とでもいうようにさらっと言ってのけた
 思考回路が単純な分考え方もストレートなのか、それとも――…


「そんな中途半端な気持ちで良いのか?
 旅が長引けばその分お前が苦しむんだぞ…?」

「今までだって随分とのんびり来たのだし、予定通りに進めた事の方が少ない
 寄り道をして回り道をして――行く先々で新しい出会いやハプニングを体験する
 これが私たちの最適ペースなのだと思っている…決して早くはないけれど構わない
 無理して急ぐと大切な事も楽しい事も見落としてしまうから――だから、迷いながらゆっくり行こう」


「…メルキゼ…でも、お前の身体は―――…」

 彼の発作は想像を絶する
 今は何でもない事の様に振舞っているが、いざ発作が再発するとそうも言っていられなくなる

「発作が起きて苦しい時は一緒に『もう嫌だ』って叫ぼう
 こんな痛い思いしてまで旅なんか続けても意味無いって
 そして一緒に悩めば良いと思う…旅を続けるかどうかを
 でもきっと、再び旅を続ける事になると思うのだけれど――…」

「そして再び振り出しに戻る、と
 ずっと同じことの繰り返しか…進歩無いな、俺もお前も」

「けれど、少しずつだけれど―――前に進めている
 毎日一歩ずつであろうと構わない…いつかは目的地に着けるから」


 つくづく、マイペースだ
 それに楽観的でどうしようもない

 ―――けれど、妙に的を得ていた



「…一緒に悩んでくれるか…?」

「当然、そのつもりでいるから大丈夫
 悩んで迷って立ち尽くして――それでも、二人でいたら何とかなるだろう?」

 根拠はまるで無い
 けれど今までは何とかなってきた
 きっとこれからも、何とかなる―――そう信じたい

 メルキゼが付き合ってくれると言っているんだ
 これから思う存分迷いまくってやろう
 最終的な答えはティルティロ王国に到着してから出せば良い
 それまでは、とことん悩んでしまえ―…じめじめとキノコが生えるまで


「カーマイン、元気出た?」

「…というよりは…開き直ったって感じかな」

 とりあえず、今は進んでみよう
 後ろを振り返る機会も沢山ある
 多少後戻りしたって構わない

 のんびり、じっくり進んでいこう
 時間はまだまだあることだし

 それに、これが俺たちの最適ペースなのだから


「ティルティロ王国は最果ての地…道のりはまだ遠い
 どれだけ掛かるかわからないけれど―――頑張ろう」

 俺は黙って頷いた
 思えば今までだって、メルキゼは俺のペースに合わせてくれていた

 初めて旅立ったあの日――すぐに足を痛めて動けなくなった俺をメルキゼは優しく癒してくれた
 気力も体力もまるで無かったあの頃は数時間歩いただけで完全にバテていた


 けれど、どんな時であろうとメルキゼは俺を急かす事など無い
 常に俺の傍らで見守ってくれていたのだ

 言葉数少なくも気遣ってくれる
 不器用な笑みで包んでくれる

 時には慈愛に満ちた母親のように暖かく
 時には心を許し会った親友のように大らかに

 そして今は、ようやく互いを受け入れ始めた恋人同士として――…



「カーマイン、汽笛が鳴った
 出港する―――今度の船旅はどんなものになるのだろう?」

「そうだな…とりあえず、一筋縄ではいかないだろうな」

 でも、それで良いんだろう
 俺とメルキゼなら多少ハプニングがあるくらいの方が丁度良い
 何事も起きずに過ぎ去る日々は退屈で味気無さ過ぎる


「…何が起こるか…楽しみだな…」

「カーマインもそう思う?
 私も楽しみで――今夜も興奮して眠れないかもしれない…!!」

 瞳を輝かせるメルキゼは、純粋な子供そのもので
 この調子では今夜も一緒に寝てやるしかないな―――…なんて、思ってみる
 メルキゼと寝る事が日常と化してきているような気がするけれど…恋人同士だし、まぁ良いか

 別に俺たちは、やましい事なんかしてないんだ
 他の爛れたカップルよりもずっと健全なんだぞ、って堂々としてやろう


「今時有り得ない程プラトニックな関係なんだよな…
 まぁ、身体の繋がりより心の繋がりの方が大切だし」

「…身体の繋がり…って、合体でもするの?」

「…………。
 まぁ…そうだな…」

「巨大化はする?
 敵と戦うと強い?」

 …何か、話の流れが特撮モノになってないか…?
 巨大化云々はとりあえず聞き流しておいて―――


「カーマイン、カーマイン」

「ん?」

 メルキゼの手が俺の手を包む
 相変わらず体温測定をしてやりたくなるような熱さだ

「ほら、繋がった」

 ――…手が、な…
 色々と突っ込み所はある
 でも嬉しそうなメルキゼを見ると、そんな事どうでも良くなる

 この無知なところがまた可愛いんだ
 馬鹿な子ほど可愛いって言うし…


「…メルキゼ、こっちも」

 身を屈ませる様に合図すると、メルキゼは素直に従う
 そのまま口付けてやると俺の手を握る彼の手が微かに力んだ

「メルキゼ、力抜いて…ほら、呼吸止めるな
 リラックスして―――…唇を開いて深呼吸してみろ」

 少しだけ離れると、リズム正しく深呼吸を始める律儀なメルキゼ
 上下する逞しい胸がいかにも体育会系だ


 呼吸が整ってきた頃を見計らって再び口付ける
 俺の口の中に、甘酸っぱい味が広がった




  




「―――ん゛!?」

 反射的に身を引いて逃れるメルキゼ
 その瞳には驚愕の色が浮かんでいる
 が、驚いたのは彼だけじゃない

「…お前…一体、何を食ってた…?」

「らっきょうの甘酢漬け」


 らっきょうかい!!


 剥いても剥いても皮ばかりのニクい奴
 独特の歯ざわりと清涼感がカレーのお供にも最適

「でも、キスの味としてはどうかと思うぞ…」

「だって…口の中にまで侵食して来るなんて思わなかったから――」

 侵食言うな

「あー…何か、トラウマがまたひとつ増えた気がする…」

 今後、彼とキスをする度に甘酢の風味が蘇りそうだ
 ついでに、らっきょうを食べる度にメルキゼとのキスを思い出すことにもなるだろう

 …あぁ…美しい思い出が欲しい――…


「…これ、新しいキス?」

「まぁ、な…予定ではもっと綺麗に決めるつもりだったんだけど
 毎回毎回の事ながら、どうしてこうも格好がつかないんだろうな
 一度くらい、まともに事が進んでも良いだろうに…宿命なんだろうか」

「いかにも私たちらしくて良いと思うけれど?
 思い通りに行かない方が意外性があって楽しいし」

 …楽しめるにも、限度があるぞ…?

「でも、確かに俺たちらしいかもな」

 そもそも俺の持つ常識が通用しない世界
 そして異世界人の俺と個性的なメルキゼが揃っているのだ
 ――普通の展開を望む方がおかしいのかも知れない

 考えて見れば、他人と同じようにしなければならない…なんて誰が決めた
 俺たちは俺たちのやり方で行けば良いじゃないか


 メルキゼの言う通り、思いがけない展開の方が意外性がある
 思い通りに進む人生なんて面白みが無い
 今は何もかもが驚きの連続…この日常が楽しくてしょうがない

 そう、今俺は楽しいのだ
 数ヶ月前までは忘れ去っていた感情



 全てはあの日に始まった

 引きこもっていた部屋からキャンプ道具を背負って飛び出したあの日
 その瞬間から俺の人生は大きく常識から逸れ始めたのだ

 有り得ない展開に振り回されて―――でも、あの時の俺は生き生きとしていた
 何とか生き延びようという事だけを考えている俺には悲しみと向き合う余裕なんて無かった


 そして目覚めればいきなり異世界
 何も持たない丸腰状態でのスタート
 そんな中で唯一手に入れたものが仲間≠セった
 それも絶対に一筋縄ではいかないような厄介過ぎる相手…

 今思い返せば、これも運命だったのかも知れない
 引きこもりだった俺と、対人恐怖症のメルキゼ
 互いに心に傷を持った者同士だからこそ上手くやってこれたのだろう


 どちらかが普通の人間だった場合、こうは行かない
 俺が普通に生きてきた人間だったならメルキゼを受け入れる事はなかっただろう
 事件続きで心細かった事と、異世界で頼る相手が欲しかった事
 そして何よりオタクでコスプレや女装に理解があった事が幸いしたのだ
 この偶然の一致のおかげで誕生した俺とメルキゼのコンビ

 この世界の事を何も知らない俺
 そして世間に疎いメルキゼ
 お互いに手探りで始めた旅は、実に手際も要領も悪い物だった

 けれど、その中で得た物は数え切れない
 空っぽの四つの手は、今では抱え切れない程の宝を抱えている
 それは人の目で見ることは出来ないけれど―――ずっしりとその存在を主張していた



「…もっと増えて行くんだろうな…」

「どうしたの、カーマイン?」

 不思議そうに顔を覗き込んでくるメルキゼに、俺は小さな口付けで答える
 ぽ、と顔を紅くして躊躇するメルキゼの手を引いて歩き始めた


 動き出した船は見知らぬ土地へと俺たちを運んで行く
 想像もつかないような展開が繰り広げられる事だろう
 良い事ばかりだとは限らない…でも、何があろうと二人で乗り越えていける自信がある

 けれど今は部屋で休もう
 これから始まる慌しい旅に備えて

 果てしなく続く冒険の旅空の下
 いつまでも二人で歩き続ける為に――…




 ― ティルティロ旅行記 END ―


小説メニューへ戻る 前ページへ あとがきへ