「―――ようやく、目的地の岸が見えたらしいな」


 あれからどれだけ経ったのだろう
 もはや季節の感覚も狂いに狂って、今が何月なのかもわからない

 お茶目で愉快(?)な船員三人トリオとも順調に友情を育みつつ、
 この船が第二の我が家と化しつつあった矢先の吉報である


「この船と共に干からびる運命に無くて本当に良かった…
 これでやっと目的地の小島に着くことができるんだな
 船の生活はもうウンザリだ…ええと、確か小島に着いたら――」

「…次の目的地への船をさがすのだけれど…」

「…………」


 船上の生活、再び


「…ティルティロ王国に着くのは…いつ頃になるんだろうな…」

「わからない…地図で見れば近くに思えたのだけれど…
 縮尺がどのくらいの地図なのかすら私には見当も―――…」

 そういえば最初、ティルティロまで最短距離で一ヶ月とかほざいてたなコイツ…
 実際はもっと…いや、下手したら一年以上掛かるんじゃないだろうか

「…何か、既に三ヶ月四ヶ月は余裕で経ってるしな…」

 別に、これはこれで楽しいから良いんだけどな
 自然がいっぱいあるし、食べ物も美味しいし環境的にも良い
 テストとかレポートとか無いし就職活動も…あぁ、でもパソコンとコミケが――…

 健全かつ健康な人生を選ぶか、それともヲタク人生を選ぶか――それが問題だ
 俺にとって同人活動は生き甲斐だし、インターネットも生活の一部だし…

 早く帰りたいような、でも帰りたくないような…複雑な心境だ



「夜が明ければ、この船ともお別れか
 旅って本当に出会いと別れの繰り返しだな」

「明日踏み締める島では、どのような出会いがあるのだろう
 知らない人と会うのは少し緊張するけれど―――…楽しみだと思う」

 メルキゼは随分と前向きになった
 対人恐怖症の影は未だに残ってはいるけれど、それもかなり薄くなっている
 彼の絶望だらけの人生に朧気ながら光が差し込み始めたのが手に取るようにわかった

「お前…変わったな」

「ああ、自分でもそう思う
 君と出会えて私は変わることが出来た
 ずっと去って行った父親の幻影に囚われていた
 けれど、今の私には父親よりも愛する人がいるから…」

 不意に腕に圧迫感を感じる
 メルキゼの手が俺のマントをつかんでいた
 ―――行動も、随分と大胆になったものだ…


「…中身はガキのくせに…」

 俺の呟きに、メルキゼがむっとした表情を浮かべる
 彼に意外と負けず嫌いな所があるのも薄々気付いてはいた
 けれど、そんなに真っ赤な顔をされてたら揶揄ってやりたくもなる

「カーマイン、多少はプライドが傷付くのだけれど
 これでも一応私は良い歳をした男なのだから…
 それに君と出会って成長したと思う――その、色々あったし」

「…色々って?」

「――告白…とか、した
 それに―――…その、き、キス…も、したし」


 メルキゼ…言っちゃ悪いけどさ…
 そんなの、学生だって余裕で経験してるぞ…?
 最近だったら、小学生でさえ恋人がいたりする時代だし

「そうだ、私はもう…えっちな事も経験した
 キスだって何度も経験したのだから――…!!」

 あー…そういえば、キスってエッチなことだったっけ…?
 何かそういう感覚が薄れつつあるんだけどな

 というか、お前の言うキスってあれか?
 唇を一瞬だけくっつけるっていう…あれの事なのか!?
 それを一回、二回って…カウントしてるのかお前っ!?


「メルキゼ…キスにも種類が色々あるって知ってるか…?」

「えっ―――そ、そうなのかっ!?
 全然知らなかった…奥が深いものなのだな…」

 素で感心している
 凄いよお前、本当に…

「そ、それで…どのような種類がある!?
 想像もできない――カーマイン、教えてくれ!!」

「………え゛」

 素直な分、タチの悪い男――…それがメルキゼだった



「カーマイン」

「ん?」

「…大好き」

 ………お前…本当に変わったな……
 まぁ辛気臭い顔されているよりは、赤面してる方が良いんだろうけど
 でも何か調子狂うっていうか…困るな…

「カーマイン、私に教えて
 知らない事を…もっと、たくさん」

 触れ合う唇は、やっぱり一瞬で
 けれど俺としては…こんなのも良いんじゃないかと思う
 彼の純粋さに癒されてゆく
 心に柔らかいものが芽生えるのだ


「何か…真っ白なお前を俺が黒く染めていく感じがする
 後ろめたいって言うか――…罪悪感があるんだけど」

 綺麗なものは永遠に綺麗なままでいて欲しい
 まして、自分がその存在を汚してしまうなんて
 けれど―――綺麗だからこそ、汚してみたい悪戯心もある

「勿体無い…って気持ちの方が強いんだけどな」

「白い色ほど、黒く染まりやすいもの
 いずれ汚れる身なら…君に汚して欲しい」

 お前…自分が物凄いこと言ってるのに気付いてるか!?
 いや、気付いていないから言えてるんだろうな…

 というより…ここまで凄い誘いのセリフを言っておきながら、
 求めてるのは単なるキスひとつだっていう事実がいかにもメルキゼらしい


「お前って欲があるのか無いのか…わかんない奴だな」

「私は欲深い…いつでも多くのものを望んでいる
 この時は永遠ではないから…遠慮などしていられない」

 メルキゼの表情が曇る
 マントごと俺の腕を摑んでいた指に力がこもった

「…メルキゼ…?」

「カーマイン、私たちは…あとどれだけ一緒にいられるのだろう…
 目的地まではまだ遠いけれど、それでも別れの時は確実に近付いている
 君と別れる時に後悔しないように―――…最後まで笑顔でいられるようにありたい」

 そう…俺たちは別れが前提の関係だった
 住む世界が違う以上、永遠に一緒にはいられない
 その事実をメルキゼは―――笑顔で受け入れようとしているのだ
 いつか確実に来る、別れの時に備えながら


「メルキゼ、お前…」

「今の私なら…まだ君との別れを受け入れられない
 けれど君との思い出がこの心を満たしてくれたなら――…
 幸せな記憶と共に生きることが出来るのなら、この別れも甘んじて受け入れる」

 メルキゼはもう片方の手を俺の前に差し出した
 白い手が夕日に淡く照らされる

「私の知らない事…たくさん教えて欲しい
 別れの恐怖に萎むこの心を、君との思い出で満たして欲しい
 同情でも構わない、愛情なども望まないから―――私を、救って欲しい」

 気付いたときには差し出された手ごと、彼の身体を抱き締めていた
 鼻の奥がつんと痛んで目頭に熱が集まる


「何でお前は―――そんな悲しい事ばかり…っ!!」

 いつだってメルキゼは孤独だった
 愛した者は彼の元から去って行ってしまう

 彼の孤独を癒したかった
 けれど自分のしている事は彼を更に傷付けるだけだ
 束の間の優しさを与えられても、寂しさが募るだけにしかならない

 俺は臆病者だ
 彼への想いを認めながら、同情をしながらも結局は彼を捨てる道を選んだ
 世界が違うからと言い訳をしてメルキゼから逃げようとしている
 この世界に残って、彼と生きるという選択肢を選べないでいる


「メルキゼ――…ごめんな……」

 彼を哀しくさせているのは自分だ
 それはわかっているけれど――臆病な心は前にも後ろにも進めない
 このまま俺は彼を傷つけて、ぼろぼろに引き裂くのだろう

「お前、何でよりによって俺なんかに惚れたかな…
 自分の事を幸せにしてくれるような相手を探さなきゃ駄目だろ…?
 今まで苦しんだ分を清算する為にも、お前は誰よりも幸せにならなきゃいけないんだから」

「私は幸せだと思っている
 大好きなカーマインに、こんなに心配して貰えている
 父親でさえ私の事をここまで親身になって考えてはくれなかった
 君に、これ程までに思って貰えているのだから…私は幸せ者だと思う」

 メルキゼの父親の事は良く知らない
 けれど―――その男がメルキゼを傷付けたという事は確かだ
 俺も同じ事をしようとしているのだから、彼を責める権利は無いのだけれど


「カーマイン、私は永遠を望まない
 君が元の世界へ戻る旅の間だけでいい」

 哀しい―――何故、こうも彼の口から紡がれる言葉は哀しいものが多いのだろう
 切なさに胸が締め付けられて苦しくなる

「カーマイン、旅の間だけでいいから―――私の…ものになって欲しい」

「…………………は?」


 なぬ?


 ものって、まさか――…


 俺、モノにされるのか!?


「…やっぱり、駄目だろうか…」

「あ、いや、別にイヤってわけじゃないんだ
 ただちょっとだけ面食らったっていうか、はははっ」


 落ち着け、俺


 相手はあのメルキゼなんだ
 深い意味なんて、ある筈が無い

 キスの仕方すらろくに知らない奴なんだ
 間違っても、アレな事やコレな事には及ばないだろうさっ!!
 そもそも、コイツにはそんな知識など欠片もないのだから!!
 (彼の知識レベル:最近ようやく魚の繁殖方法を覚えました)


 所詮メルキゼはこの程度だ
 俺の身に危険が迫ることは無いだろう
 それなら彼に身を預けても大した事にはならないに違いない



「ああ、わかったよ
 じゃあ今から俺は、お前の恋人だなっ!!」

「えええっ!?」


 ……何故、そこで驚く……


「そんな、恋人だなんて恥かしい…けど、嬉しい…
 そ、それでは―――恋人同士なら…手とか繋いでも良いだろうか?」

「………別に良いけど……」

 頬を染めて、手を繋ぐ事を求めるメルキゼ

 実に初々しい
 初々しいんだけど―――

 俺たち、さっきまで抱き合ってたよな!?


「お前の基準が…わからない…」

 抱き締められるよりも、手を繋ぐ方が恥かしいのだろうか
 あ、それとも―――自分から求めたから恥かしいのかも知れないな…

 とりあえずこの瞬間、
 己の貞操の安全だけは確信した俺であった


「私、知ってる!!
 恋人同士は一緒に手を繋いでデートをするものだって
 公園を散歩したり、町に買い物に行ったり、レストランに食事に行ったり―――」

 うんうん、とりあえず基本的なデート内容はわかっているらしい
 変な方向ではないので、とりあえず一安心だ
 明日は村で、デートが出来るな―――…

「それから犬の肉球を大根で押したり、体育座りでマヨネーズを吸ったり、
 あとは…ラーメン屋さんに行ってコショウのフタを全部緩めてきたりするんだ!!」


 絶対に違う


 いや、それより最後のやつは迷惑だから止めなさい

「どっから来たんだ、その知識は…
 何かを誤解するにも程があるぞ…?」

 やっぱり安心出来ない…
 メルキゼは、一体誰に何を吹き込まれたというのだろう

「何か間違っていただろうか
 以前にレンから聞いたのだけれど―――」


 あいつか…

「ま、まぁ…愛の育み方は人それぞれだけどな…」

「レンとレグルスの個性が良く出ていると思う
 他には海で漂流したり、ジャングルで謎の原住民族に槍で脅されたり――…」

 どんな個性だよ、それ…
 というより既にデートの域を超えていると思うのは俺だけだろうか


「実に刺激的なデートだ…私たちも参考にしよう」

 絶対に嫌だ

「め、メルキゼ…その、俺たちは俺たちのデートをしよう…な?」

 出来れば、もっと平和な内容のやつを所望
 欲を言うなら普通に町をぶらついたりするようなのが良いけど…

「それなら――…一緒にジャガイモからデンプンでも取り出そうか
 多少手間が掛かるけれど、粉末状の物がいかにも炭水化物豊富という感じで―――」

「…………」

 メルキゼ――それは、ネタで言ってるんだよな?
 ウケを狙って、俺を笑わせようとして言ってるんだよな?
 決して素で言ってるわけじゃないと信じて良いんだよな!?
 いや、頼むからそう信じさせてくれ――…!!


「何で、わざわざデートで理科の授業・実習編のような事を…」

「…地味だろうか?」


 そういう問題じゃない


「…普通に、散歩でもしよう…な…?」

「それも良いかも知れない」

 嬉しそうに微笑むメルキゼに、俺は心底ホッとした
 危ない危ない…コイツに任せていたら本気で何をさせられるかわからない

「デートの内容は全部俺がチェックする事にしよう…」


 これから始まるラブ・ライフに恐怖にも似た不安を感じるカーマインであった




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