カモメの声で目が覚めた


 今日も良い天気だ
 俺は疲労を残した身体に鞭を打って船室から出る

 背後からはメルキゼがパタパタとついて来た
 本気で一晩眠ったら体調が治ったらしい
 けれど何事も無かったような涼しげな表情に俺は内心複雑だ



「はあぁ〜…」

 太陽が黄色く見える
 俺は目の前に広がる海の如く深い溜息を吐いた


「おお、兄さんがた…今朝も早いのー」

 昨夜の船員とすれ違った
 のんびりと、相変わらずパイプを銜えている

「…どーも…おはようございます」

「やっぱり今朝は眠そうさね
 昨晩はさぞ激しかったんだろうさ
 若いって良いさのー…燃えたかね?」


 ああ、燃えたとも


 燃やしたとも!!


「想像以上に激しく燃えて困った
 あのまま火が消えなかったらと思うと、ぞっとする」

「はっはっは!!
 若い身体は一度火がつくと止まらないものさの
 わしも兄さんがたくらいの年の頃はそうだったさ!!」


 船員は豪快に笑うと、俺たちの肩や背中を叩いて去って行く
 彼とメルキゼの会話が噛み合っていない事に気付いていたのは俺だけであろう


「あの船員もベッドを燃やした事があるのだろうか?
 ―――…ああ、成程…あのパイプが火災の原因になったのか…」


 納得するな



「まぁ、火遊びは程々に…って事だ
 お前にはまだ早い話題だから記憶から消しておけ」

「これも大人になったら理解できるようになる話題なのか」

 大人になったらって…まぁ、精神的にはそうかも知れないが…
 とりあえず、30歳になる前に理解できたらいいな
 愛する人…恋人とかに手取り足取り教えてもらえれば恥かしがり屋の彼も―――…


 ―――……。

 …ちょっと、待て
 この場合…もしかして―――…!!


 教えるの、俺の役目か!?



 恋人が出来たら、とか好きな人に、とか言って第三者に任せる気でいた
 やっぱりそういう事は本気で好きな人が出来たときに知れば良いと思っていた
 けれど、良く考えてみたらメルキゼが好きなのは実は俺なのだ

 となると俺に白羽の矢が当たる事になる

 …つまり…俺が、教えろと?
 子供が知っちゃいけないアレな話やコレな話を…?





  ぱにっく





「はわわわわ…っ☆」


 …無理だ
 俺に性教育なんか、絶対無理だ!!


 同人仲間との下ネタ満載トークとはわけが違う
 間違った知識を与えてしまったら取り返しがつかないのだ

 素直に伝えても何かが著しく異なってしまうメルキゼのことだ、
 絶対に想像を絶するような珍事件を起こすのは目に見えている

 珍事を防ぐには、本当に事細やかに教育しなければならない
 そりゃあもう…あんな事やこんな事をステップ1からじっくりと――…!!




「ぐわ―――っ!!
 そんなもん、できるか―――っ!!」


「かっ…カーマインっ!?」

 俺の突然の絶叫にメルキゼが飛び上がる
 その拍子に再び、何処かに身体をぶつけたような音が響いた

 振り返ると、メルキゼが爪先を押さえている
 どうやら足元に置いてある樽にぶつけたらしい
 片足立ちでぴょんぴょん跳ね回る姿は全世界共通だ


「いたた…カーマイン、どうした!?」

「え…ああ、ちょっと――…高い壁にぶち当たったんだ」

 乗り越えるのは超難関
 しかも、責任重大である


「はぁ…どうすればいいんだ…」

「悩み事が出来たの?
 私で良ければ相談に乗るけれど…」

 気持ちは嬉しい
 けれど―――俺はお前の事で悩んでるんだ!!



「な、なぁメルキゼ…
 別に無理して知識を増やす必要も無いとは思わないか?
 世の中には知らない方が幸せな事も多いし、下手に背伸びしても―――」

「それでも…私の知らない事を、カーマインは知っている
 その事を痛感する度に、君との間に広がる距離を感じて哀しくなる
 世界が違うのはわかっているけれど、少しでも君に近付きたいと願わずにはいられない
 せめて知識だけでも共有したい…そうする事で君との距離が縮められる気がするから…」

 切なさと哀しさが入り混じった潤んだ瞳
 不安に揺れながら――それでも俺から視線を逸らさない

 ああ、そうだ
 メルキゼはいつも…こんな目で、声で、俺に訴えていた


 メルキゼの気持ちを知ったのは、つい先日の事だ
 俺が気付かなかっただけで…本当はいつも、真っ直ぐな想いを与え続けてくれていたのに

 意識して聞くことで、初めてわかる―――…彼の純粋で健気な愛情
 何気ない会話の中にも、確かに彼からのメッセージはあったのに

 もっと、彼の気持ちを早くわかってやれたら、
 俺の方から気付いてやることが出来ていたならと、悔やまずにはいられない


「…カーマイン…」

「わかった…わかったから、そんな目で見るな」

 負い目を感じているせいだろう
 メルキゼのこの眼差しが俺の弱点となりつつあった


「色々と教えて欲しい…カーマインの知っている事の全てを」

 そう言われても…いや、教えてやりたい気持ちはあるんだけど―――
 下手に刺激を与えて卒倒されても困るんだよな…

 まずは簡単で基礎的な事から教えなければ
 あぁ…何か、学校の有難味が今更ながらに骨身に沁みる
 やっぱり義務教育って必要なんだな…

 まさか俺が良い年をした男相手に性教育をするハメになるとは…
 でもメルキゼの気持ちは精一杯汲み取ってやりたい
 責任は重大だし、気恥ずかしいけれど、ここは一肌脱ぐことにしよう

 これが俺のメルキゼに出来る恩返しでもあり、
 俺流の愛情表現でもある―――と、思う事にしよう


「―――よし、わかった!!
 まずはアブラナの雄しべと雌しべの説明から始めよう…!!」


 道のりは遠い


「…アブラナって何?
 それと雄しべと雌しべの説明もして欲しいのだけれど…」

「………………」


 そこから始めなきゃダメなのか…
 本気で道のりは―――果てしなく遠そうだった




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