「あの、すみませんっ!!」


「おお、兄さんがた…こんな夜中にどうなすった?
 若いもんは本当に血の気が多くて元気で…良い事さの〜」

 俺はすっかり顔なじみになった(嫌でもそうなる)船員に駆け寄る
 のんびり屋の船員は、今宵ものんびりとパイプを銜えていた

「あの…いきなり突拍子も無い事言って申し訳ないんですけど、
 実は、とある事情により巨大なイソギンチャクを拉致ってきてしまって…」


「は?」

 本当に突拍子無い
 船員は思わず我が耳を疑った

「…何でまた、わざわざそんなもんを持ち帰るんかね…」

 船員は引き攣った表情で苦笑いを浮かべた
 まさか、愛の告白に使ったなどとは夢にも思わないだろう


「出身は磯なんですけど、このまま深海に沈めても良いんでしょうか…?」

「し、種類にもよるさねぇ…
 どれどれ…ちょいと見せてもらえんかの?」


「…これ…月夜の磯から贈り物…」


 言葉を飾るな


 所詮は、お前が岩から引き剥がして獲って来たイソギンチャクだ
 それ以上のものでも、それ以下のものでもない


「メルキゼ…ここは格好つける場面じゃないぞ」

「何か言わなければと思って…」

 手持ち無沙汰で、結局ついて来たメルキゼはイソギンチャクの頭(?)を撫ぜつつ差し出した
 どうでも良いけどお前…地味に可愛がってないか?



「――――…ほう、これは珍しい…」

 船員はしげしげとイソギンチャクを見つめる
 メルキゼは相変わらず頬を染めてイソギンチャクを撫ぜていた
 もしかして気に入ってしまったのだろうか…ちょっと心配になる

 まさか、飼いたいなんて言わないよな…!?


「…おい、メルキゼ…それ、そんなに触り心地良いか?
 そんなにうっとりと頬を赤らめながら撫ぜ回すようなモノか?」

「見た目は確かに少し怖いけれど…
 でも、触っていると身体が熱くなって…興奮してくる」

 彼の吐息は少し乱れていた
 …メルキゼ…お前…まさか…


 触手趣味があったのか!?


「うーん…若いのー…
 成程、今夜のプレイの為に獲って来たのさね?」


 滅相も無い



「ほら、お前もいい加減にしろ
 そろそろ本気で海に帰してやらないと…」

「んー…身体が、ジンジンする…」

 潤んだ瞳で宙を見つめるアホが一人
 なぁ、メルキゼ…頼むからさ、

 これ以上変態を極めないでくれ


「ああほら…手が粘液でズルズルになってる!!
 早く部屋に戻って洗わないと…かぶれたら後で泣きを見るぞ」

「それではイソギンチャクはもう用済みさね?
 わしらが責任持って近くの岩場に戻しておくから
 兄さんがたは早く部屋に戻るが良いさのー…うんうん」

 船員は何処からか、海水の入ったタライを引っ張り出してきた
 その中にイソギンチャクを入れると、再びパイプを銜え直す


「それじゃあ、ご迷惑をおかけしました…」

「いやいや…気にせんで良いさの
 それよりも向こうの兄さんは、かなり毒が回ってるようさね
 わしがしっかりと人払いしておくさの、しっかり看病してやりなされ」

「はい、どうも――――…」


 …………。

 ちょっと…待て


 今、毒って言わなかったか!?



「ど、ど、ど、毒って――…毒って!?」

 この、のんびり屋さんめぇ―――…っ!!
 毒があるの知ってたなら最初っからそう言えっ!!

「め、メルキゼ…大丈夫かっ!?」

 毒には嫌な思い出がある
 全身が一気に青ざめた

「うう〜…ん…
 身体が変な感じ…」

 目の焦点が合ってない
 顔どころか手まで真っ赤で、明らかに熱に浮かされている



「マジで毒まわってんじゃないか!!
 うわーうわー…どうしたら良いんだっ!?
 船員さん、何で毒があるって教えてくれなかったんですか!!」

「いや〜…てっきり知っているもんだと思っての
 すまんかった―――が、死ぬような毒じゃないから安心さね」


 そういう問題じゃねぇ!!


「いや、明らかに苦しんでますから!!
 解毒方法を知ってるんなら教えて下さい
 熱があるみたいだし―――…一体、どういった毒なんですか!?」

「心配なさるな…ただちょっとした催淫性のある毒があるだけさね
 ほれ、この触手から出ている粘液に毒が含まれとる
 魔女が使う媚薬として取引されておったが、最近ではめっきり少なく―――」


 …………。

 あの…何か、聞き捨てならない単語が…


「…さ…っ…さ、さ……」


 催淫!?



「よっ、よりによって、そんなマニアックな毒…っ!!」




  




「いや〜兄さんがたがデキてると船員の間で噂になってての
 だから、てっきり今夜の為にこのイソギンチャクを獲ったんだとばかり…」

 いや、確かに今夜の為だけど…
 でも動機はもっと純粋で――って、んな事言えないしなぁ…

 いや、それよりも…


「そっか…噂になってるのか…
 はははは…今となっては笑えない状況だな…」

「棚から牡丹餅だと思いなされ
 しかし綺麗な恋人さね…今夜はフィーバー?」

 フィーバーって…フィーバーって…あんた…

 何か物凄い想像してないか!?



「いや、その…俺とメルキゼは健全な付き合いで…」

「いやいや、そう恥かしがらんでも良いさね
 心配しなくても聞き耳立てたり覗いたりはせんから
 その辺はきちんと弁えておるさの―――安心しなされ」


 聞けよ、ジジイ!!


「あの…」

「はぁ…青春さの…若い頃を思い出すのー…
 それより、向こうの兄さんをそろそろ持ち帰ってやっておくれ」

 船員の目線は床に落ちている
 そこには息も絶え絶えになったメルキゼが転がっていた




  



「あ…忘れてた…」

「喋らんから、存在が薄いさねー…」

 散々な言われようである
 そこに果たして愛はあるのか―――…


「とりあえず、部屋に戻るぞ」

「うう…ふらふらする…」


「大丈夫、この毒じゃ死にようがないさね」


 お前は黙っとれ

 のんびりとパイプをふかす船員に一種の殺意が芽生える
 が、今はメルキゼの身体を洗うのが先だ

 いかに彼が間抜けだろうと、自業自得だろうと、一応は俺の為にやってくれた事なのだ
 ここで見捨てたら、あまりにも薄情過ぎる

 俺はメルキゼの背を押すようにして部屋へ戻った




「あぁ…身体が震える…寒気がする…」

 めそめそと頬を濡らすメルキゼ
 笑っちゃいけない…笑っちゃいけないんだけど―――やっぱりマヌケだ…

「その液体が毒なんだ
 とりあえずこの水とタオルで洗え」

「うぅ…もう、イソギンチャクは触らない…」

 ああ、もう触るな
 頼まれても触るな

 そして間違っても懐に入れるな


「知らなかった…イソギンチャクは触ると風邪を引くのか…」

「……は…?」

 風邪!?
 いくら何でも風邪のウィルスは持ってないと思うぞ!?

「発熱するし、動悸は起こるし、息も苦しい…
 全身がゾクゾクして震えて―――これは風邪だろう?」


 断じて違う


 そっか、お前…船員の話が聞こえてなかったんだな…
 いや、聞く余裕すらなかったといった方が正しいか


「大丈夫だ、これは風邪じゃない
 それに死ぬような病気でもないから安心しろ」

 ある意味、風邪より厄介かも知れないけど…

「毒はいつになれば消える?
 朝になれば治っているだろうか?」

 俺に聞かれても困る…というより、聞くな
 けれどここで『知らん』と言えばメルキゼにトドメを刺す事になるだろう


「そうだな…寝ていれば治るんじゃないか?
 何日か安静にしていれば大丈夫だと思うぞ」

 症状も風邪に似ている(らしい)事だし…
 暖かくして寝てれば自然に治るだろう



「わかった…今日はもう眠る
 カーマイン、私の傍にいて欲しい」

 まぁ、具合の悪い相手を放っておくわけにも行かない
 俺は二つ返事で頷いた

「じゃあ俺は、もっと水を貰ってくるから
 その間に服脱いで毒を全部綺麗にしておけな」

 懐にイソギンチャクを入れておいたのだ
 手だけではなく、身体も毒でベタベタに違いない

 俺は容器を持って水を貰いに急いだ


「…何でこう…あいつのやる事ってオチがあるかな…
 別に笑えるから良いんだけど…今回のは、ちょっと気の毒かもな…」

 色々な事が一気に起こって印象薄かったが、
 これでも一応メルキゼから愛の告白を受けた身なのだ

 メルキゼに恋愛感情を抱かれていると知った以上、彼を蔑ろには出来ない
 いくら当の本人が気にしないで欲しいと言っていても、気になってしまう
 それに自分にとってもメルキゼは色々な意味で特別な存在なのだ


「まぁ…何ていうか、普通に恋人とかっていう風にも思えないんだけどな…
 でも今までとは違う意味で微妙に意識し始めているような気もするし…参ったな…」

 自分の気持ちがわからない
 自信が持てない、と表現した方が正しいかも知れない

 こんな時、メルキゼの純粋で素直な所が羨ましくなる
 彼は他意も無く―――ただ好意を伝える為だけに、好き≠セと言ったのだ
 その単純さが物凄く羨ましいし、嫉ましくもある

「普通は多少なりとも計算があったりするもんだけど、
 あいつの場合は本当に下心とか全然無いんだろうな…」


 それは今のこのイソギンチャク騒動が全てを物語っている
 もし彼が意図的に計算してこのイソギンチャクを用意したというのなら―――…

「…わざわざ、自分の懐なんかに入れないよな…普通…」

 彼は毒の存在すら知らなかったのだし、毒におかされた時も風邪だと思い込んでいた
 そもそもメルキゼは他人に毒や薬を盛るような卑怯な真似など出来ない性格なのだ
 まして、それを自分に使用するなどとは想像だに出来ないだろう


「身体だけは必要以上に成長したけど…中身はまだ子供なんだよな…
 というより…単にアダルトな知識を知らないだけなのかも知れないけど…」

 彼は自分で自分を馬鹿だと言っている
 学校にも行ってなかったらしいし、勉強が出来ないというのもわかる

 けれど―――彼は知らないだけなのだ
 知識が少ない、勉強が出来ない…ただ、それだけだ
 だから決して頭が悪いわけではないと俺は思っている


「勉強が出来る事と、頭が良い事は別物だからな…
 メルキゼだって、これからもっと色々覚えていけば良いんだ
 お前が馬鹿じゃないってことを、俺がしっかり実感させてやるよ」

 彼は知らない分、呑み込みも早い
 料理のレシピもあれだけ覚えているのだから記憶力も良いのだろう

 そして何より、彼には向学心がある
 何かを知りたい、学びたいという意欲がある限り、彼は成長し続けるだろう



 俺は水を貰うと部屋へ急いで部屋に戻った
 メルキゼはもう、眠りについてしまっただろうか

「おい、メルキゼ――…?」

 メルキゼは寝てはいなかった
 彼はシーツを両手で持ち、必死に床へ叩きつけている
 ゴキブリでもいたのかと、そっと彼の背後に近付くと―――…



 そこは真っ赤な炎に包まれていた


 黒い煙がもこもこ立ち上っている
 オレンジ色の火の粉がパチパチと音を立てて踊っていた


「ぎゃ―――っ!!」


 叫ぶしかない俺
 こんな時、人間は無力だ



「あ、カーマイン」

 悲鳴で俺の存在に気付いたらしい
 振り向いた彼は持っていたシーツごと手を振った

 いや、手振らなくていいから!!
 コミュニケーションよりも先に炎消せ!!





  今夜はフィーバ?




「な、な、何で出火!?
 どうしていきなり火事にっ!?」

 とりあえず持っていた水を炎があると思われる場所にかける
 じゅ―――…と、シュールな音と共に水蒸気が部屋に満ちた


「はぁはぁ…よ、良かった…消えてくれたな…
 しかし、何でまたいきなりこんな所から出火したんだ…?」

 不幸中の幸いで、燃えたのは干し草の一部だけだった
 小火騒ぎで助かった―――船が全焼して沈没したら、それこそ致命的だ


「汗をかいた方が早く治ると思って…
 それで…ベッドの上で腹筋をしていたのだけれど、
 勢い余ってランプを倒してしまって―――こんな事に…」



 お前が原因か


 がっくしと膝をついて落ち込むメルキゼに激しい脱力感を覚える

 何でこう…お前は、いつも…
 悪気が無いのはわかってるけど、俺の身がもたない…



「ったく…まぁ、大した事にならなくて良かったよ
 ところでお前の方は、火傷とかしてないのか?」

「火傷はしていないけれど―――…」

「ん…どこか怪我でもしたのか?」

 メルキゼなら簡単な怪我ならすぐに治せるだろう
 けれど、いくら治せるとはいっても心配なものは心配なのだ


「…激しい運動をしたせいで、毒が更に回ってしまった…
 やはり毒と風邪のウイルスとは違うのだな…うう…眩暈が…」

 ぐすぐすと鼻をすすりながらも立ち上がるメルキゼ
 しかしその途端にバランスを崩し、頭を壁に強打させた


「…あう…っ…」

 泣きっ面に蜂とはこの事か
 みしっ…と哀しい音が香ばしい部屋に響いた

 果たして軋んだのは部屋の壁か、それとも彼の頭の方なのか…
 どちらにしろ、今の衝撃で眩暈に拍車がかかったのは間違いないだろう




「…もう、良いから…何もするな…」

 俺は彼を無言でベッドに押し込んだ
 あまりの不甲斐無さに目頭が熱くなる

「…カーマイン…すまない、私が馬鹿なせいで…」

 俺は首を横に振った

 メルキゼ…お前は決して馬鹿じゃないんだ
 そう、馬鹿じゃないんだけど――――…


「…ドジ…なんだろうな…」

 そんな一言じゃ片付かないような気もするが…
 けれど踏んだり蹴ったりなメルキゼを少しでも励ましてやりたい
 俺は必死に彼にかける言葉をさがした


「大丈夫、お前は馬鹿じゃないから自身を持て
 ただ、ドジボケズレ抜けてる所があるだけだ」

 必死に探したフォローの言葉は、彼の耳にどう響いたのだろう
 果たしてこの言葉に励まされるかどうかは激しく謎だ

 案の定メルキゼは唇の端を引き攣らせた
 慌てて再びフォローの言葉をさがす


「こ、これもお前の個性だから深刻にならなくて良いと思うよ!?
 お前の器量なら、このくらいアホな性格の方がバランスとれてるって!!」

「……そう……」

 メルキゼは思った
 一思いに馬鹿だと言われた方が、まだマシだったと…


 優しい彼の慰めの言葉が、鋭く胸に突き刺さった夜だった




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