「…カーマイン…泣いているの?」


 メルキゼの白い手が俺の頬に触れた
 べとつく湿った感触に初めて涙が伝っている事に気付く

「…すまない…私が君を泣かせてしまったのか…
 君を護ると誓った筈なのに私が君を悲しませてしまうなんて…
 カーマイン、教えて欲しい…私はどうしたら良い?
 私は馬鹿だからわからない…どうしたら君は泣き止んでくれる?」

 俺にもわからない
 泣いていた事にすら気付かなかったのだから
 けれど涙の理由には心当たりがある


「…痛いんだ…心が剣で刺されているみたいに…痛いんだ…」

 そんなことを言われても困るだろう
 心は目で見ることなんて出来ない
 手や足の怪我ではないのだ

 俺は何を馬鹿げた事を言っているんだ
 自分で言っておきながら恥かしい

 けれどメルキゼは優しかった


「心が痛い…壊れているの?
 それなら心を治せば痛くなくなる
 一緒に治そう―――カーマイン、君の心が何処にあるか教えてくれ」

「……え…?」

「答えて、カーマイン
 君の心は何処にあるのか」

 そんな答えが返ってくるなんて思ってもみなかった
 何て言葉を返せばいいかわからない
 唇を開いても何を言葉にすれば良いのかわからない
 けれど、言葉の変わりに涙が頬を伝って乾いた唇を潤した

 優しくされているのに心が痛む
 どうしてこんなに痛いのかわからない


「カーマイン、君が泣いていると私も泣きたくなる
 君が痛いと私も痛い…それはきっと、私の心が君の傍にあるから」

 メルキゼの手が優しく触れてくる
 頬に、目蓋に、髪に―――微かな温もりを残して

「…じゃあ…俺の心も、きっとお前の近くにある
 お前の近く―――いや…メルキゼ、お前の中に…きっと…!!」

 衝動的に俺は彼に縋りついていた
 熱い程の温もりを持つ彼の胸に頬を預ける
 メルキゼも恐る恐る俺の背に手を伸ばした
 躊躇いがちなその仕草がいかにも彼らしい


「…もっと強く抱き締めて良いから
 俺の身体、そんなに簡単に折れたりしないから大丈夫」

 ああ、でも彼の馬鹿力なら骨折ぐらいするかも…
 でも別にその時はその時だし構わないか
 もし本当に折れても彼が責任持って治してくれるだろう

「…ん…」

 メルキゼの腕に力が入る
 予想外の強さに一瞬息が詰まったけれど、暖かくて気持ちが良い

「…細いな…壊してしまいそう…」

「壊れても、お前なら治せるだろ?」

 悪戯っぽくそう囁くと、メルキゼも微かに微笑んだ


「そう…私の手は君の痛みを癒す為にある
 私の瞳は愛しい君の姿を見つめる為にある
 私の二本の足は君と共に未来を歩む為にある
 それでは私の心は何の為に存在しているのだろう…わかるか?」

「わかる…今、わかったんだ
 俺たちの痛みを…いや、痛みだけじゃない
 喜びも悲しみも…これから感じるもの全てを一緒に分かち合う為にあるんだ」

「そう…ついでに、幸せも…」

 唇が触れる
 相変わらずの触れるだけの口付け
 それしか知らない――けれど、それだけで充分だ


「涙は止まったみたいだけれど…痛みは?」

「うん…治まったみたいだ」

 いつの間にか、あれ程痛かった心が癒えていた
 なぜ治ったのか―――うまく言葉では説明できない
 けれど心≠ヘ確かに何かを感じ取っていた



「…そういえば…お前、いつから俺の事…?」

 初めて会った時にはお互いに意識はしていなかったと思う
 もし初対面の時メルキゼが自分に恋愛感情を持って近付いてきたら…俺は迷わず逃げただろう

「いつから―――かは、わからない…気が付いたら好きになっていた
 毎日少しずつ私の中で君の存在が大きくなってきて…
 そして、いつの間にか私の中は君の事だけで一杯になってしまっていた」


「そっか…まぁ、俺も似たようなものかも知れないな…」

 第一印象強烈だったし…当時はの俺は、まさか彼とここまで深い仲になるとは思っていなかった
 けれど行動を共にするようになって―――彼に対する印象が変わって来たのだ

 しっかりしているようで実は頼りないし、物知りなようで実は少し足りない
 小心者のくせに突然大胆な行動に出たりするし、恥かしがり屋のくせに物凄い口説き文句を言ったりもする
 そんな彼に俺は成す術も無く振り回されたり、ガラにも無く心配したり、時には同情してみたり…

 まぁ…そんな事の繰り返しの中で少しずつ彼への想いが芽生えたのだろう
 そして俺自身も気付かない間に、密やかに育っていったのだ


「まいったな…ノーマルだと思ってたのに…
 俺はずっと熟女派のつもりだったのに…ははは…」

 もう、笑うしかない


 だって…よりによってメルキゼだぞ?
 エルフの美少女(?)や魔女っ娘とも少なからず縁があったのに
 それなのに俺が選んだのは―――あの、メルキゼだ

 猫耳生えてるし、髪は三つ編み(ピンクのリボンつき)だし、ドレスも着てる――三十路間近の大男なのだ
 俺はよりによって…こんなコスプレしたオカマに惚れたってか!?

 …凄い…我ながら物凄い趣味だ…!!
 これはもう、コメディとして笑ってもらうしかない
 両親には泣かれるだろうが、恋人の要ならきっと喜んで―――…いや、素直に喜ばれても微妙だが



「…カーマイン…泣いていたかと思えば今度は笑い出して…大丈夫?」

「ははは…ああ、大丈夫だ
 色々とあり過ぎて混乱してるけどな」

「私もさっきから頭の中がぐらぐらしている
 緊張して曖昧な告白の仕方をしてしまった
 カーマイン、もし良ければ…改めて愛を告白しても良いだろうか?」

 良いだろうか…って、ここで断ったらやっぱりマズいよな…
 まぁ、二度目なら心の準備も出来てるし驚かずに聞けるだろう

「ああ何度でも言って良いぞ」

「嬉しい…ありがとう」

 メルキゼは微かに口元を緩めると、再び頬を朱に染める
 何でこう…初々しい反応が出来るかな…ある意味才能だろう
 きっといつまで経っても彼は変わらない――いや、変わらないでいて欲しい
 何気なくそう思ってしまうのは、こんな所も彼の魅力なのだと感じてしまうから


 優しい笑顔を向けてくれるわけでもない
 気の利いた話題で楽しませてくれるわけでもない
 彼の顔を覗き込んでも、視界に移るのは仏頂面ばかり
 それでいて何かに困ったような、今にも泣き出しそうな瞳で俺を見上げてくる

 そんな彼を慰めようと手を差し出しても、彼の口から出て来るのはネガティブな言葉ばかり
 珍しく行動的になったかと思えば、理解不能なほど吹っ飛んだ事ばかりされて振り回される
 放っておけば勝手に何かを誤解して覚えて、次から次へと珍事件を引き起こす

 けれど、決してそれが彼の短所だとは思わない
 彼は彼なりに一生懸命に生きているのだから
 そんな直向さに俺は惹かれたのだから―――…



 メルキゼは真っ直ぐに俺を見つめた
 彼の身体が緊張して強張ってるのがわかる
 激しく脈打つ彼の心音が今にも聞こえてきそうだ

 彼は吐息が掛かりそうなほど近付いて、そして耳元で囁く


「…カーマイン…私は、君を―――…愛している」


 彼は自分の胸元に手を滑り込ませる
 そして、不器用に微笑んだ

「一番大きく咲いていたのを…摘んで来た…」

 そう言って彼は胸元からそっと何かを取り出した
 そして自分の両手に乗せると、真っ直ぐに俺に差し出す


 波に揺れる船の上
 月の光に照らされたそれは―――





 巨大なイソギンチャクだった




「でかっ!!」

 思わず飛び上がる俺
 本当に巨大なイソギンチャクだった

 巨大なイソギンチャクはエイリアンの如く、メルキゼの手の上でうねうね動いている
 月光に照らされて青白く光るそれは物凄くグロテスクで不気味だ
 あまりの禍々しさに、このまま取って喰われそうな気さえしてくる

 でも―――…何で、イソギンチャクがここに!?



 新手の攻撃か?



「なぁ…俺は今、愛の告白をされていたんじゃなかったっけ?」

 なのに、何でイソギンチャクを差し出されているんだろう
 こんな所でうねうねした生物を出されても困る
 毎度の事ながら、行動の意味が全くわからない

 それより―――イソギンチャクって咲いているのか!?
 摘むという表現は適切なのか!?

 とりあえず妥当な表現は―――…



「……どっから獲って来た…?」






 そっか…そうだよな、ここは海だもんな…
 ―――…じゃなくって!!


「このイソギンチャクは何!?
 これは何を意図しての行動なんだ!?」

 そう問い詰めると、メルキゼは恥かしそうに頬を染める
 その様子は惚れた弱みで多少は可愛らしく見えるような気もする

 けれど、一言だけ言わせてくれ―――――…そこは恥らう場面と違うっ!!





   フトコロにイソギンチャクを仕込む男





「…本当は綺麗な花束を用意したかったのだけれど…
 でも、ここは海の上だし花なんて咲いていなかったから―――
 だから少しの間だけ船を停泊して貰って、岩場で代わりになるものを探そうと思って」

「…で―――イソギンチャク?」

 メルキゼは大きく頷いた
 きっと、本人に悪気は無い


「昆布にするかイソギンチャクにするかで迷ったのだけれど…
 でも、昆布は少し長過ぎたしイソギンチャクの方が花に似ていたから…」

 それで、岩場から引き剥がして獲って来たというわけらしい
 わけもわからず連れて来られ、所在なさ気に佇むイソギンチャクが哀愁を誘う
 イソギンチャク自身も、まさか己がこんな用途に使われるだなんて想像もしていなかったに違いない

 とんだ災難だな―――俺も、イソギンチャクも


「…驚いた?」


 そりゃ驚くさ


 普通の神経の持ち主なら驚くだろうさ!!
 お前に普通のシチュエーションを求める事自体が間違いなのは解かってるけど!!

 でもな…?

 世界広しと言えども愛の告白の際に



 イソギンチャクを贈られたのは俺くらいのものだろう



「…まぁ、これもまた…お前らしいって事なんだろうな…」

 とりあえず―――
 懐にイソギンチャクを仕込むのはもう止めろ


 夜空には煌く満天の星
 船に揺られて耳を澄ませば静かな波の音

 これだけロマンチックなシチュエーションの中で
 ここまで磯臭いホラー的ラブシーンを演出できる奴も珍しい



「……はぁ…」

 思わず溜息が漏れる
 笑うべきなのか呆れるべきなのか――…

 俺の溜息をメルキゼは違う意味にとったらしい
 彼は慌てて俺に向き合った

「気持ちを伝えたかっただけだから、深く考えないで欲しい!!
 他意は無いから―――…単なる自己満足だから、忘れてくれて構わない!!」

「いや、忘れろって言われても…」


 イソギンチャクのインパクトは強大だ

 これだけは何があっても忘れられそうにもない
 きっと一生のトラウマになるであろう

「…カーマインの負担にだけはなりたくない
 せっかく仲良くなれたのに…この関係が崩れるのは嫌だ
 後悔はしていないけれど、君に嫌われるのは耐えられない」

「別に嫌ってはいないけど…驚いた…かな」

 ―――イソギンチャクに


「別に恋人になって欲しいとか、好きになって欲しいだなんて大それた事は思っていない
 ただ私の気持ちを知っていて欲しかっただけだから…君は気にせずに今まで通りに接してくれ」

 あー…そういえば
 俺、告白されてたんだっけ…

「まぁ…別に俺もお前の事は嫌いじゃないしな
 お前の気持ちは、しっかりと受け取ったよ―――イソギンチャクと共に」


 でも、このイソギンチャク…どうすれば良いんだろう…
 何だか奴から目を逸らした途端に襲い掛かってきそうで、目が離せない

 けれど凝視し続けるには見た目が大変よろしくなく…精神的にくるものがある
 うねってるし…海水に浸けなくて大丈夫かな…


「あの…これ、どうしろと?」

「陸にあげていても可哀想だ…海へ帰そうか」

 けれど船は今も我が道をさすらっている
 住んでいた磯からは遠く離れてしまっていた
 ここでこのまま海中に沈めてしまっても良いものだろうか


「……ちょっと、船員に相談してくるよ」

「迷惑ばかりかけて、申し訳ない…」


 まったくだ

 特にイソギンチャクには何と言って謝ったらいいのか
 ごめんな、俺の相棒がアホなばかりにこんな事になって…

 でも悪気は無いんだ…許してやってくれ

 俺はイソギンチャクを小脇に抱えると船室に向かって駆け出す
 メルキゼの懐でイソギンチャクは、ほんのりと温まっていた

「こんなモノ、よく懐に入れる気になったよな…」


 色々な意味で、メルキゼの懐の深さを感じた星降る夜の出来事だった―――…




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