「…あー…のどかだな…」


 夕食が済んだ後、俺は再び看板に出て寛いでいた
 窓すら無いような暗い客室にいるよりも外にいるほうがずっと気分も良い

 空を見上げると満天の星
 耳を澄ませば静かな波の音

 何だか夏の夜の思い出―――って感じだ
 …確か今は冬だったような気がしなくもないけど


「日本ではもうクリスマスは終わったのかな
 それとも既に年が明けていたりしてな…」

 学校でも殆ど友達すらいなかった
 影の薄かった俺の存在なんか、もう誰も覚えていないだろう

 けれど両親の事が気にかかる
 ずっと塞ぎ込んでいて引き篭もりがちだった息子が、
 いきなり荷物を背負って家を出たまま数ヶ月も音信不通になっているのだ

 嫌でも最悪の想像をしてしまうだろう
 きっと警察にも捜索願を出しているに違いない


「心配かけてごめんな…父さん、母さん…ついでにミヤ(猫)とグレ(犬)とポト子(観葉植物)」

 夜空の星を眺めて家族を思い出す
 そんなガラにもない事をしてみたり…
 しかし、そんな場の雰囲気は次の瞬間見事に打ち砕かれた



「カーマイン!!」

 相変わらずテンション高めなメルキゼが俺を見つけて駆け寄ってくる
 年季の入った革靴が軽やかな音を立てた

「どうした?」

 そういえば夕食後から姿が見えなかった
 所詮は船上だし特に心配はしていなかったのだけれど

「うん…その、カーマインに言いたい事があって…良いだろうか?」

「何だよ改まって…言いたい事があるなら遠慮するな
 別に、今更気を遣い合うような間柄でもないだろう?」


 まぁ座れよと、床を数回叩く
 メルキゼは大人しくその上に正座した

 心なしかその表情が硬い
 けれど微かに頬が染まって見えるような気がする



「…どうしたんだ?」

 暗くて良く見えないけれど、メルキゼが緊張しているのがわかる
 どうも今日は彼の様子がいつもと違うのだ
 そんな彼に俺は少なからず不安感を抱いた

「…ええと、その…いきなり私がこの様な事を言うのは変かも知れない
 けれど…私の正直な気持ちだから…あまり驚かないで聞いて欲しい…」

 戸惑いがちに紡ぐ言葉
 もじもじと落ち着かない仕草
 桜色に染まった頬と潤んだ瞳…

 俺の心臓が鼓動を強める

 今まで実に色々な映画や本を見てきた
 その知識が俺に訴えている


 この状況は―――まさか…っ!!


 いや、でも相手はメルキゼだ
 いつも何かズレた行動をする奴なんだ!!

 だから――…そんな筈はない
 きっと何か、とてつもないオチがあるんだっ!!
 今までだって何度もそうやって脱力させられている…だから―――…!!

 そう思いつつも、ずっと胸がドキドキいっている
 赤面しているメルキゼにつられて俺まで赤くなった



「…その…カーマインは、私の事―――…」

「え、あ―――…う、うん…」

 駄目だ…俺まで言葉があやしくなってきた
 動悸も激しくなっているし、身体も緊張して汗ばんでいる
 メルキゼの恥らう乙女っぷりが俺にまで伝染しているらしい

 ヤバい…ヤバいぞ、この展開は―――…!!

 何がヤバいって、何を隠そう今この展開にトキメキを感じてしまっている自分自身!!
 こんな満天の星空の下で船に揺られながら愛の告白を受ける(ような気がする)状況に酔ってるなんて!!
 俺にそんな乙女チックな心があったなんて…ちょっとショックだ


 いや、それ以前に…そもそも俺ってメルキゼの事が好きだったっけ?
 今更ながらに、ちょっと自問自答してみる

 …えーと…まぁ、嫌いじゃないよな
 多少頼りない所もあるけど、優しいし面倒見も良いし―――…むしろ、好きと言った方が正しい

 けれど、果たしてそれは恋愛感情なのだろうか?
 今までに何度か自分自身に問いかけては見たけれど、答えは見つからない

 しかし彼に対して一種の独占欲のような感情が芽生えているのは確かだ
 それは子供がお気に入りの玩具を他人に貸したくないのと同じなのかも知れない
 でも、今まで誰かに対してそんな気持ちになった事がないのもまた事実なのだ

 …ちょっと、これは…雲行きがアヤシイかも知れない…
 もしかして―――いや、もしかしなくても…俺ってメルキゼが―――…!?



「おいおい…ちょっと待ってくれよ…ヤバいって…!!」

「な、何がっ!?」

 ぎょっとした風にメルキゼが飛び上がる
 …どうやら心の声が口をついて出てしまったらしい


「あー…何でもない、個人的なことだから」

 慌てて取り繕う

 けれど、その時偶然に見た彼の瞳が不安気に揺れている事に気が付いた
 置き去りにされた仔猫のように心細そうで、今にも泣き出しそうな瞳
 月明かりに照らされた彼の姿は儚くて消え入りそうだった


 彼にこんな顔をさせているのは自分だ
 俺の態度がメルキゼを不安にさせている

 人一倍気が弱くて恥かしがり屋の彼なのだ
 想像を絶するほどの勇気を振り絞ってここに来たのだろう…俺に想いを伝える為に

 そう思うと彼を邪険に扱う事なんて出来なかった
 適当な事を言えば彼は素直に誤魔化されてくれるだろう
 けれど、もう彼を誤魔化す事なんて出来そうにもない

 それに…自分自身の気持ちにも朧気ながら気付いてしまったのだ


 しかし、そこではたと気付く
 メルキゼには好きな人がいる筈だ
 …そう、確か弟のような青年に片思いをしていると―――…

 まさか…叶わぬ恋に疲れ果て、自棄になったのだろうか
 それで身近にいる俺を本命の代わりにするつもりなのでは…!?

 いや、でも彼は恋をしている事実だけで充分だと言っていた筈だ
 それにメルキゼはそんな風なことが出来るような人間じゃない
 けれど…だとすると、どうして―――…!?


「…………」

 思い当たるのは、ただひとつ

 要するに、俺の勘違いだというオチだ
 別にメルキゼは俺に愛の告白をする気では無かったと
 それなのに俺は、その場の雰囲気で何となくそんな勘違いをしてしまったのだ

 うん、きっとそうだ
 相手はあのメルキゼだし…そう考える方が自然だな



「…カーマイン…さっきから様子が変だけれど…」

「あはは…いやいや、何でもないんだ
 それで、確か俺に言いたい事があったんだよな?」

 あー…恥かしい
 さっきから一人で勝手に妄想膨らませて…馬鹿みたいだ
 先程までとは違った意味の羞恥心に再び身体が熱くなる

 俺は気恥ずかしい思いを誤魔化すように笑顔を作った
 そんな俺の様子にメルキゼは緊張を解いたらしい
 微かに頬を綻ばせると、彼は消え入りそうな声で告げた

「ああ、その、こんな事を言うのは恥かしいのだけれど…
 その…カーマイン、どうやら私は―――…君の事が好きらしい」

「ん、そっか…―――――」


 …………。

 ………………。


 え゛!?



 あの…八割方さらっと聞き流しちゃったんだけど
 もしかして今、告白されていなかったか俺!?


「ち、ちょっと待て!!
 好きって―――…あ、でもそういう意味じゃないよな!?
 お前にはちゃんと片思いの相手がいるし…ああ成程、友達として好きだって意味か!!」

「勝手に決めて、勝手に納得しないでくれないか」

 …ごもっともでございます
 でも混乱する俺の気持ちもわかってくれ


「……えっと…じゃあ、どういう意味で言ってるんだ…?」

「恋愛感情を込めた意味合いで言っている
 君にも恋人がいたのだから…私の気持ちはわかるだろう」

 わかるだろう…って言われても…
 俺はお前そのものがわからないんだけど


「だって、お前…片思いの相手は?
 全部嘘の―――作り話だったのか?」

「私は作り話が出来るほど器用ではない
 私がずっと片思いをしていた相手は――…君だ
 カーマイン…君だけを、ずっと想い続けてきた…」

「め、メルキゼ…?」

「本当は君の事を想っていたのだと…そう伝えたかった
 けれど本当の事は言えなくて…その、恥かしかったから…
 だから片思いの相手がいると偽って空想の君を愛し続けていた」

 その辺がいかにもメルキゼらしい
 健気に頑張っているわりに、やってることが地味で…でもどこか微笑ましい


 そんな彼の性格を知っているからだろうか
 驚きはしたけれど、嫌な感じはしない
 その代わりに俺の胸の中に小さな痛みが走った

 恋人の事を語っている時の切なそうな表情が脳裏に蘇る
 絶対に叶わない恋だからと―――そう言っていたメルキゼ
 彼の口からはっきりと辛い≠ニいう言葉も聞いている

 そうだ
 今思えば、彼は異常とも言えるような熱っぽいセリフを吐いていた
 もしかするとあれは、抑えきれない想いが言葉になって出たものなのかも知れない


 忘れもしない、シェルと別れた日の夜…

 確かに彼は『君が一番大切』と口にしていた
 今だからわかる…あれは彼の偽りの無い本心だったのだと
 けれど、そんな彼の言葉を俺は残酷にも拒絶した

 そういう言葉は、本当に好きな相手に言ってやれと―――…
 メルキゼはどう思っただろう

 心情は知る由も無いが彼が珍しくも声を荒げていたのは記憶に新しい
 彼は言っていた――君は何も知らないから――と

 そうだ、確かに俺は何も知らなかった
 無知な俺は何度彼を傷付けたのだろう
 決して悲しませてはいけない人なのに…



「…でも…何で今になって言うんだ?
 ずっと胸に秘めておくみたいな事を言ってただろ」

「君が…私を励ましてくれたから
 後悔だけはしないように、精一杯の事をしようと思った」

 あの時の他愛も無い言葉で…?
 特に深い意味で言ったわけではなかった
 ドラマや小説にも出てくるような月並みなセリフ

 それでもメルキゼは、真摯にその言葉を胸に刻んでいた
 俺に励まされたと思い込んで―――…


「…お前…馬鹿だよ…つくづく大馬鹿者だよ…
 俺の言う事なんか、そんな真剣に聞かなくたって良いのに…」

「私が馬鹿なのは…もう、わかりきっているだろう?」

 開き直りやがったな…
 でも、何かが吹っ切れた彼の顔は綺麗だった

 ずっと溜め込んできた想いを吐き出してしまった
 けれど彼からは後悔の色が微塵も見えない
 それは今の状況が精一杯の勇気を振り絞った結果だからだろう


 メルキゼは言いたい事を言えて満足しているようだった
 それ以上特に何かを言うわけでもなく…黙って俺の隣に座っている

 俺も何も言わなかった
 いや、何も言えなかったのだ
 かける言葉が見つからない

 いつでも真っ直ぐな彼の前では、どんな言葉を吐いても醜く濁ってしまう
 何を喋っても自分が惨めになるだけだ

 そう思うと俺は何も言えなくなっていた
 どこまでも綺麗な人の隣で俺は唇を噛む


 胸を刺す痛みは降り注ぐ月光のように、絶えず俺を苛み続けていた




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