「カーマイン、向こうに行こう!!」

「そっ…そうか…?」


 カーマインは困惑していた
 先程まで怒りを露にしていたメルキゼが、部屋に戻るなり満面の笑顔なのだ
 しかも、テンション高く俺を誘っているのだから…もう、わけがわからない

 それでもやっと怒りが治まっているのだ
 再び機嫌を損ねないように、黙って彼に付き合うしかない


「それで向こうって…具体的に何処に何をしに行くんだ?」

「……ええと…適当に…散歩をしたいのだけれど…良いだろうか?」

 何でまた、光も差し込まないような薄暗い船内を散歩…?
 いや…でも長い船旅で身体も鈍りがちになってきている
 もしかしたら身体を動かしたくなってきたのかも知れない

 …何故、俺を一緒に誘うのかわからないが…

「よし、じゃあ行こうか
 こんな所で運動不足になってられないもんな」

 と、メルキゼの行動を運動不足解消だと思い込んだカーマイン
 その一方のメルキゼの方は――…掴み取った船内デート権に、こっそりガッツポーズを取っていたのであった



「…ひぃえぇっ!?
 め、メルキゼデクさんっ!?」

「うをっ!?」

 部屋を出るなり、例の変体船員とご対面
 思わず硬直する俺と船員…気まず過ぎる

「え…えーと…お二人さん、こんな所でデートっすか…?」

 船員は場の緊張を和ませるために言ったのだろう
 しかし――…再びメルキゼの怒りに油を注いだのではないかと、カーマインは生きた心地がしない
 微かに日に焼けたカーマインの肌は、急激な速度で青ざめてゆく
 そんなカーマインの横ではメルキゼが、実に幸せそうに頬を赤く染めていた


 ――何なんっすか、このカップルは…









 見事に対照的な反応を示す二人の姿に、思わず躊躇する船員
 とりあえず深く関わらない方が賢明だろうという事だけは本能的に察する

「そう、デートをしている…私たちは恋人同士だから♪」

「…は…ははは…そ、そーっすか…
 お邪魔しても悪いんで、失礼するっすね…」

 よろめきながら立ち去っていった船員を満面の笑みで見送るメルキゼ
 そして、そんなメルキゼを唖然と見つめるカーマイン

「…メルキゼ、お前一体何があった…?」

「ふふふっ…恋人同士として振舞った方がいいだろう?
 あぁ、他の船員たちにも見せ付けて来ようか
 再び私やカーマインに恋愛感情を抱く輩が現れないとも言えないから
 今のうちに牽制しておくのも身を護るために必要な手段と思うのだけれど?」

 …メルキゼ…言いたいことはわかるが…
 俺に恋愛感情を抱く奴はいないと思うぞ!?

「…まぁ、お前の身を護るには良いかもな
 よし、じゃあ少しだけ並んで歩くことにするかな…」

 しかし…本気でメルキゼはどうしたんだろう…
 弱気で奥ゆかしい普段の彼とはまるで別人だ

 まさかメルキゼが今の状況を楽しんでいるなどとは夢にも思っていないカーマインである
 だから豹変した彼の態度が不思議で仕方が無い

 しかし心優しい彼のことだ、きっと何か意図するものがあるに違いない…
 そこで、ふとひとつの考えが脳裏に浮かぶ
 メルキゼの今までの性格や言動を考えると―――


「……もしかして…メルキゼ、お前…俺の事を―――…!!」

「え゛っ!?」

 思わず身体を強張らせるメルキゼ
 カーマインへの想いを隠すつもりは無いが、本人に知られるのはやっぱり恥かしい
 何より彼からの好意に対し、不純な心で答えてしまったという真実がバレてしまったとなると…!!

 ―――どうしよう…軽蔑されてしまうっ…!!

「ち、違っ…あ、いや…別に私は…その、でも…っ」

 血の気が一気に引いて行く
 何とか弁解できないものかと慌てふためくその様子に、カーマインは己の憶測が的を得ていたと確信した


「…やっぱり…そうじゃないかとは思っていたんだ
 そう、お前は優しいから―――俺の事を気遣ってくれていたんだな!?」

「…………え?」

「そっか…お前って優しいからなー…
 俺が嘘吐いたってバレないように、演技に付き合ってくれる事にしたんだろ?
 あんなに怒っていたのに俺のことをちゃんとフォローしてくれるなんて…やっぱり優しいな、お前は」


「……………そ、そう…?」

 顔が引き攣る
 カーマインは自分の行為を良いように誤解してくれたらしい
 九死に一生を得た思いのメルキゼだったが、それと同時に申し訳ない気持ちも湧いてくる

 ―――私は優しくなどない…全ては己の為の行為なのだから―――…!!

 カーマインを助けたのも、行動を共にするのも、己が孤独から逃れたいが為だ
 そんな自己中心的な行為がカーマインにはお人好し≠ニして映って見えるらしい

 ―――良心が痛む…純粋な子供心を良いように利用して……!!

 あくまでもメルキゼから見ればカーマインが子供に見えるというだけの話である
 彼自身は世の中の裏も表も知っているし、人生綺麗事では片付かないという事も理解している
 要するにメルキゼは、惚れた弱みだろうが…カーマインの事を美化し過ぎている節があるのだ
 よもやカーマインが自宅で婦女子の裸体満載の同人誌を作って儲けていたなどとは思いもしないだろう

 互いが互いを純粋で善人だと思い込んでいるわけなのだが――…さて、どちらが先に現実に気付く事やら…



「メルキゼ、そろそろ一周したけど―――…って、聞いてる?」

「―――……え?
 あ、ああ、そうだな」

「なんかさっきから上の空だな…
 やっぱり演技とはいえ恋人を意識してると緊張するか?」

 じつはこっそりと、メルキゼの様子を横目で見ていたのだ
 彼は赤くなったり青くなったりを繰り返し、時には苦痛の表情すら浮かべていた
 …やっぱり精神的な負担があるらしい…彼の性格なら当然だろう

「メルキゼ、無理しない方が良いぞ?」

「無理などしていないっ!!」

 メルキゼが声を荒げるなんて珍しい…
 ムキになっているのだろうか…しかし下手をすれば噛み付いてきそうな勢いだ
 この時点で既に彼が無理をしてるように見える

「とりあえず…部屋に戻ろうな?
 お前も興奮しているみたいだし」

 メルキゼの背を押して、入室を促す
 不満そうに頬を膨らませながらも、一応彼は素直に従った



「…まず落ち着けな
 話し合うのはそれからだ」

 メルキゼに湯気の立つマグカップを握らせると、彼はしぶしぶ床に座り込む
 彼は森暮らしの割には育ちが良いらしく、飲食をする際は必ず座るという習慣がある
 コンビニで買ったパンを食べながら帰宅するような生活をしていた俺とは大違いだ

 大人しくカップに口をつける様子に一先ず安心する
 このままいけば、次第に落ち着きを取り戻してくれるだろう

 自分も寛ごうと、靴を脱いでベッドに横になる
 いくら粗末な寝所であろうと、リラックスさえ出来れば文句は無い
 のんびりと白湯をすすりながら俺は密かに胸を撫で下ろした


「…カーマイン…」

「ん?」

「―――私には魅力を感じないだろうか」



 ぶほっ



 俺は口に含んでいた白湯を盛大に噴き出した

「またお前はいきなり何を言い出すんだ…まぁ、いつもの事だけどさ」

「突拍子の無い事を言って悪いとは思う
 けれど一度疑問に思うと聞かずにはいられなくて…」

 素直に謝られると俺としても困るんだけど
 だって適当に聞き流す事が出来なくなるじゃないか…

 やれやれ、と内心溜息を吐く
 けれどここで何か説得力のある事を言わなければ彼も納得しないだろう
 既に気分は『青少年・悩み相談室』のカウンセラーだ


「そうだな…人の好みは多種多様だから一概に言うのは難しいな
 でも周囲の評判からしてみてもお前の外見(だけ)は高い評価を受けている
 他人に良い意味での関心を持たれるという事は、それだけ魅力が高いという見方が出来ると思うな」

「…他の人にいくら評価されても、あまり嬉しくない…
 私は好きな人ただ一人にそう思って欲しいだけなのに、
 どうして本当に愛する人にはそう思って貰えないのだろう…?」

 お前…今、さらりと言ったけどさ…
 何か物凄い発言してないか?


「ま、まぁ…世の中そんなもんだって
 本当に欲しいものほど手に入らないんだ
 どうでもいいものは意外と簡単に得られるんだけどな」

「…世の中って、哀しいな…どうしても諦めるしかない?」

「まぁ、どうにもならない事の方が多いっていうのが現実だからな
 けれど最初っから無理なんだって思い込んで、何もしないで簡単に諦めたら悔しいだろ?
 だから自分に出来る事を精一杯して、頑張って努力した結果を自分の目で確かめるんだ
 望む結果が得られなくても、全力を尽くしっていう実感があれば意外と清々しく諦められると思うぞ」

 哀しそうな目で見つめてくるメルキゼには悪いが、世の中そう甘くは無い
 下手な慰めを言うより、現実の辛さを教えてやった方が彼の為になるだろう

 全ての事が頑張った分だけの結果が返ってくるわけではない
 習い事やテスト勉強とはわけが違う
 人の心は努力だけでは動かせないのだ


「…努力…そうだな、私は望むだけで何もしてこなかった
 ただ待っているだけではいけない…今、行動しなければ後に後悔する
 どうせ駄目でも、精一杯の努力をして悔いだけは残さないようにしなければ」

 頑張って意気込んでいるが内容は物凄くネガティブだ
 まぁ、そうさせたのは俺なんだけど…

 でも俺が適当に言ったその場凌ぎの言葉を彼は真摯に受け止めている
 そんな彼の姿は何とも健気で、思わず無条件で応援してやりたくなった

 世の中は思うように上手くいくものではない…それは痛い程わかっている
 けれど自分が少しでも彼の為に協力出来る事があるなら努力は惜しまない
 実際に俺が彼の為に出来る事なんてたかが知れているだろう
 それでも彼が幸せになれるなら、何だってしてやりたい気持ちだ

 だって俺自身も―――…後悔はだけはしたくなかったから




 




「…カーマイン」

「ん?」

「……………」

「……………」


 メルキゼは何も喋らなかった
 けれど、その瞳には今までに無かった意思の光が瞬いてる
 彼の中で何かが変わったのは間違いないだろう
 そう、彼は微かながらも、またひとつ成長したのだ

 俺もまた無言で彼を見つめ返した―――教え子を見守る教師のように
 少しでも彼の為になることをしてやれたという実感があった
 それは何とも充実して、満ち足りた気分だった



 だから俺は気付かなかった
 この瞬間から、彼の俺を見る目が変わったことに




小説メニューへ戻る 前ページへ 次ページへ