「…カーマイン、眠れないのか…?」


 照明は消され部屋を照らすものは暖炉の微かな明かりのみ
 そんな薄暗い中では、視界に映るものは限られている

 窓から外を覗き込んでも、ここからでは漆黒の闇以外は何も見えない
 もし日中であれば小さいながらも活気付いた港を見ることが出来ただろう

 俺は呆然と外を眺めていた
 放心した頭の中は真っ白で何も浮かんでいない

 ただ、心が喪失感を感じているのだけは判る
 狭い筈の宿の一室が、やたらと広く感じた
 ゴールドの笑みも、レンの話し声も、そしてシェルの無邪気な姿もそこには無い

 寂しさに俺は、彼らが旅立って行った海を見つめる事しか出来なかった
 そんな姿にメルキゼは呆れたのだろうか
 ベッドから起き上がると、そっと窓枠に手を掛けた


「…せめて、窓を閉めてくれ
 風邪を引いては元も子もない」

 閉めてくれ、と頼みつつも自分で窓を閉めるメルキゼ
 今の状態の俺には何を言っても無駄だと理解しているのだろう

 それでも年上として、パートナーとして、俺の面倒をみる義務に駆られているらしい
 俺の肩に毛布をかけると隣の椅子に腰掛ける
 どうやら俺に睡魔が訪れるまで付き合うつもりのようだ


「…本当は明日に備えて早く寝るのが良いのだけれど…」

 溜息交じりの言葉
 しかしその中には俺を責めたり咎める様な空気は無い
 仕方が無いな、というニュアンスを漂わせながらも俺を気遣う優しさが込められていた

 孤独の辛さを一番理解しているのはメルキゼ自身だ
 だから彼は親身になって真正面から俺に向かい合ってくれる
 何よりも、俺の寂しさを癒そうとしてくれているのが嬉しかった


「…ごめんな…お前だって寂しいのは同じなのに…」

 申し訳ない気持ちでいっぱいだ
 いつもメルキゼに甘えてばかりいる自分が恥かしい
 しかし俺の気持ちを他所にメルキゼは淡々と言葉を連ねた

「寂しくないと言えば嘘になる
 けれど私にはカーマインがいるから大丈夫
 私には君が一番大切だから…君さえいれば満たされる」

「…メルキゼ…お前…」

 今、自分が物凄い事を言った事に気付いてるか?
 いや…気付いてないだろうな…絶対…


「お前が天然なのは判ってるけどさ、もう少し言葉は選んだほうがいいぞ」

「これでも選んでいるのだけれど…
 私の気持ちが一番伝わるように努力している」

「…努力は認めるけど、お前の言い方は誤解を招くぞ…」

 頭が痛くなってくる
 好意を持つ相手皆にこういう発言をするのは問題がある
 俺が男だから良いものの…女だったら下手したら三角関係に縺れ込みそうだ

「そういう事は、本気で好きな人にだけ言え
 お前の場合は…ほら、名前は知らないけど…いるだろ?
 リャンと争奪戦繰り広げてるっていう、片思いの相手がさ」

 そいつに言ってやれ
 メルキゼをそう嗜めると、何か逆鱗に触れてしまったのだろう
 彼にしては珍しく眉を吊り上げた


「…君は、何も知らないから…!!
 世の中には、どうしようもない事もある…
 どんなに努力しても、求めても…この願いは叶わない…!!」

 ショックだった

 メルキゼが怒ったと言う現実よりも、
 彼に何も知らないと言われた事の方が衝撃的だった

 そうだ、確かに俺はメルキゼの事は殆ど何も知らない
 けれど心のどこかで彼を理解していた気になっていた
 本当は何も判っていない筈なのに…
 その現実を突きつけられた俺は思いのほか衝撃を受けていた

「…そう…だな…
 確かに俺はお前の事を判っていない…」

 そしてメルキゼも俺の事を何も知らないでいる

 そう、俺の本当の名前すらも
 当然だ…俺自身が教えていないのだから判る筈が無い
 名前すらも伝えないまま、ここまで来てしまった


「…カーマイン、すまない…
 怒鳴って悪かった…許してくれ」

 メルキゼは頭を垂れる
 しかし、本当に謝らなければならないのは俺の方だ
 俺の心無い一言でメルキゼは傷付いたのだから

「いや、俺も悪かったからさ
 傷つける事言っちゃったな…ごめん」

 もしかすると、本当に叶わない恋なのかも知れない
 それでも…成就する事は無いと理解しながらも胸に大切に留めている想いなのかも知れない
 そうだとすると、俺は何て無神経な事を言ったのだろう


「…気にしなくて良い、ただの八つ当たりだから…」

「八つ当たり…そうだな、辛い事なら何かに当たりたくもなるよな
 でも、俺でよかったら…愚痴くらいなら聞くからさ、何でも話せよな」

 本気で、ただ聞く事しかできないけど…
 でも胸に押し込めておくよりは健康的だろう

 そう言うとメルキゼは辛そうに、でもはっきりと胸中を語りだした



「…実のところ、私もリャンティーアも勝ち目が無い
 私たちの想い人には既に愛する人がいるから
 彼女の場合はそれでも構わずにものにするつもりらしいけれど
 けれども私は、どうしてもそんな気になれない
 愛する人から恋人を奪ってまで自分が幸福になろうとは思わない
 そんな事で手に入れても本当に幸せになれるとは思っていないから…けれど…葛藤がある」

 愛する人の幸せを壊したくないという気持ち
 メルキゼの優しさが生み出す葛藤なのだろう
 本気でその人の事を想っているからこその苦しみだ

 ずっとこんな想いを胸に抱えていたら、ストレスも溜まる
 何かに八つ当たりしたくなる衝動に駆られることも少なからずあるだろう

「…そっか…深刻なんだな
 でも、好きなんだろう…?」

「ああ、その気持ちに偽りは無い」

 真っ直ぐな瞳は疑いの余地すらない
 彼が本気である事は俺にもわかった


「…あ―――…辛い」

 ぐて

 机に突っ伏するメルキゼ
 ストレートな彼の本音を聞いた気がする

「色恋沙汰は多少の障害があったほうが燃えるっていうけど、
 いくら何でも限度ってものがあるよな…見込みがゼロじゃなぁ…」

「…別に構わない、恋をしていると言う事実だけで嬉いものだ
 そう自分に言い聞かせる事で納得できているのだから…な」

 けれど、その横顔は寂しそうだ
 こんな彼に俺は何と声をかければいいのだろう

「まぁ…人生色恋が全てじゃないからさ
 もっと、のめり込める様な楽しい事も沢山あるって
 だからあんまり思い詰めたりしない方が良いと思うな」

「ああ…確かに、そうだ…
 これから楽しい事も見つけられる事だろう」

 果たしてそれが何なのかはわからないけど…
 でもメルキゼならきっと幸せになれるだろう


「でも、お前がそこまで惚れ込むくらいだから
 きっと物凄い美人なんだろうな…どんな人なんだ?」

「……美人と言うよりは、可愛い…と言った方が良いかも知れない
 小さくて細くて一見か弱そうに見えるけれど、中身は意外と屈強で豪快で…
 護ってやりたいと思うのだけれど、実際には護られているような気にさせられる」

「ふぅん…」

 要するに、見た目は可愛いけど性格は結構アレな感じの娘が好みらしい
 外見と中身のギャップに萌えるタイプなのだろうか…

「何て言うか…良い趣味してるな、お前…
 でも可愛い系が好みか…っていうと年下なのか?」

「ああ、結構年下だ…
 小柄な上に童顔だから、実年齢よりも幼く見える
 それがまた保護欲をそそって愛おしく思うのだけれど…」

 幸せそうに目を細めるメルキゼ
 その頬が微かに朱に染まって見えるのは気のせいではないだろう

「…メルキゼ…お前…」


 ロリコン趣味があったのか…?


 俺は何とかその言葉を飲み込んだ
 本当は声に出して聞きたかったが理性が止めておけと警告していた

 だって、肯定の言葉が返ってきたら怖いじゃないか…!!

 いや、ロリ好きの同人仲間もいたから耐性はある
 人の趣味は人それぞれだから差別もしていない

 ただ、メルキゼにそういう趣味があったという事実がショックだった…

 でも彼自身ファンシー寄りな趣向があることだし、
 可愛いものに惹かれるのも当然の心理なのかも知れない


「そ、そうか…まぁ年下の女の子も悪くないよな、うん
 妹みたいなもので…いや、むしろ妹萌え路線なのか?」

 俺は一人っ子だから良く判らないけれど…
 でも妹萌えとか言っている輩はパンピーにも多々いる
 まぁ、実際に妹がいる奴は、そんなに妹萌えしないらしいけど…

「いや…妹ではないな…」

 そっか…
 じゃあ、やっぱり純粋(?)ロリコン路線か…


「…男だから、と表現するべきだと思う」


 ……。

 …………。


 ショタ!?



 ちなみに

 少女趣味の輩の事をロリコンといい、
 少年趣味の輩の事をショタコン(略してショタ)という…

 と、い・う・こ・と・は?


「ちょ…え、えぇえ!?
 じゃあ、お前…ロリコンじゃなくてショタコンなのか!?
 美少年の白ソックスとか半ズボン萌えとか言ってるのか!?」

言ってない!!
 …カーマイン、少し落ち着いてくれ」

 落ち着けと言われてもショックで錯乱している
 流石に暴れたりはしないが、頭の中は怒涛の如く渦巻く

 コスプレしたオカマの相棒がショタコンだったという新事実
 ハマっているじゃないかと言われれば、確かにハマっているが…

 …俺、ずっとホモとオカマは別物だと思ってたけど…
 でもメルキゼを見ている限り結構一緒にしてしまっても良いのかも知れない
 彼を基準として考える事自体に問題があるのかもしれないが…


「…ゴールドやレンの時よりもショックを受けていないか?」

「そりゃ受けるって…身内ネタは辛いぞ…」

 彼らの場合はまだ俺と直接関係は無かった
 恋人が誰であろうと『はい、そうですか』で済んだのだ

 しかしメルキゼの場合そうはいかない
 何せこれからも彼とは行動をともにしなければならないのだから
 別に偏見とか差別意識は無いが、彼を見る目が多少変わったのは事実だろう

「うーん…まぁ、恋愛は自由だしな
 俺は今までと変わらず応援するよ」

 彼が愛する者が誰であろうと
 むしろ何であろうともどんな生物であろうとも

 それでも一度応援すると決めたからには最後まで責任を持とう…逃げ出さずに


「でも男か…それは盲点だったな
 何で最初に言ってくれなかったんだ?」

「それはまぁ…普通に考えれば言い辛いだろう…?
 君も同性だし嫌悪感を抱かれ兼ねないと思ったから
 けれど、ゴールドやレン、レグルスを見ていて大丈夫だと思った」

 あの人たちはオープン過ぎるような気がしなくも無い…
 でもまぁ…確かに彼らの様子にメルキゼの気も軽くなったのだろう


「でも、童顔か…
 じゃあレンさんみたいな感じか?」

 レンも見た目は可愛いが中身は物凄い
 これでもっと華奢だったらメルキゼの好み…という事になるのだろうか

「…レンは少し…違うような気がする…」

「ははは…やっぱり?
 濃いからなぁ、あの人も…」

 レグルスの懐の広さに脱帽だ
 一体レンの何処に惚れたのか…謎である
 人の好みは実に多種多様だ


「まぁ…何をしでかすか判らないという緊張感があるという事では…」

「ふぅん…放っておけないって感じ?
 でもそれを言うならお前だってそうだぞ?」

 メルキゼの場合は物事を知らないだけなのだろうが…
 それでも俺から見たら一体何をする気なのだろうかと冷や冷やする事も少なくない

「それは…確かに否定は出来ないけれど…しかし君にだって同じ事が言える
 君自身は実感が無いのかも知れないけれど、私だって君の行動に寿命を縮めている」

 ……俺、そんなに何かやっただろうか…?

 メルキゼを狼狽させたような記憶も無い
 でも実感が無いだけで、本当は気付かない所で彼の肝を冷やさせていたのだろうか…
 しかし哀しいほどに本気で身に覚えが無い

 首を捻っていると、メルキゼに『判らなくて良い』と言われてしまった
 匙を投げられたような気がして憮然としないけれど、本人が言っているのだから仕方が無い


「そこがまた、カーマインの魅力でもある
 いつも私を驚かせて、楽しませてくれる
 君と出会えて本当に良かった…いつも、そう思う」

「何かあまり褒められてるような気がしないな
 まぁ、お前がそれで良いんなら―――…って、いつの間にか俺の話になってるな」

 メルキゼの好きな人の話をしていたはずなのに
 でも彼の意外過ぎる一面を知る事が出来て得した気分だ

 ある意味、知らないままの方が幸せだったのかも知れないけれど…


「………そう…だったな…
 あまり話し過ぎるとボロが出る
 私はそれ程、器用では無いから…」

「………は…?
 まぁ、いいや…あまり思い詰めるなよ」

 ちょっと彼が心配だった
 メルキゼは俺と似ている部分がある
 それは、一度思い詰めると何処までも深く沈んで行ってしまう事だ


 基本的にマイナス思考な上に、困った事があっても内に留めてしまうのだ
 引っ込み思案で自己表現が苦手で、自分の苦しみを外に伝える事も出来ない
 やがて行き場の無いストレスが積み重なって溜まってくのだけれど、それを発散する術がない

 そこが俺と同じ体質なのだ
 俺もそれで随分と傷付いたから、何となくだが彼の苦しみもわかる
 そして、溜まったものが堪え切れずに爆発した瞬間の恐ろしさもわかっていた

 一番恐ろしいのは、爆発の衝撃が周囲にではなく、己自身に向かうことだ
 臆病な心は限界まで苦しんでも、最後まで他のものに訴える事が出来ない

 それでも誰か気付いて欲しい、助けて欲しいという想いはあるのだ
 けれどそのメッセージは決して己の口からは出て来てくれない…言葉にする勇気も無い


 しかし注意深く見ると、確かにそのサインは現れている
 本当に目を凝らして細心の注意を以ってしなければ判らないような小さなものなのだけれど
 普段とは違う僅かな動作に、不自然に付いた小さな傷に――…助けを請う暗号が隠されているのだ

 家族も友人も…誰も俺のメッセージには気付いてくれなかった
 そして限界の来た俺は自分の心に殻を作り、閉じこもる事で最後の砦を築いた
 世間はそんな俺を引き篭もりだと笑ったが、その切欠が恋人の死だと判ると途端に口を噤んだ

 そして何もかも判り切ったような月並みな言葉をかけて、腫れ物のように扱って――…去っていった
 上辺だけの慰め、好奇に満ちた視線…その全てが俺を傷つける鋭利な刃物となっていた

 あの頃は全てが嫌だった
 目に映るもの全て、耳に聞こえてくるもの全てを憎んでいた
 生きる事すら苦痛で…もう何もする気が起きなかった



 メルキゼには、そんな俺と近いものを感じるのだ
 彼には俺のように苦しんで欲しくない
 その為には―――彼の小さなサインを見逃さないようにしなければ

 彼の友を名乗るのなら、そのくらいはしてやりたい

 戦闘などの体力面や力仕事は到底無理だ
 しかし精神的に彼を支える事なら俺にも可能かもしれない


「…何だ、カーマイン
 急にニヤニヤして…」

「ははは…何でもないって
 さ、さ、そうと決まれば早く寝よう
 明日は朝一番だから早いもんなー…」

 そもそも自分が眠れないから始まった話だ
 そんな事も忘れて俺はメルキゼの背を押してベッドに連れて行く

「な、何が決まったのだ…!?」

 急に元気になった俺の様子に目を白黒させて驚くメルキゼ
 しかし俺がようやく寝る気になったのだとわかると、彼は安堵の息を吐く

 大人しくベッドに潜り込むと、ずっと忘れていた睡魔がすぐに訪れた
 急に頭に霞がかかり、欠伸が止まらなくなる


「…ぐあー…すっごい眠い…
 メルキゼ、時間になったら起こしてくれな」

「あまり、ゆっくりと寝ている時間は無いのだけれど…
 しかし…まぁ船に乗れば後は暇だから、その時に眠れば良い事か…」

 メルキゼは寝坊をしない為にも、今夜は徹夜を決めたのだった

 そしてそのまま寝息を立て始めたカーマインを幸せそうに眺める
 まるで母親の傍らで安心しきって眠る仔犬のような姿だ
 成人した大人には到底見えない寝顔にメルキゼは微妙な笑顔を浮かべた

「…やはり…私にとっては、まだまだ子供だ…」

 その子供≠フ寝顔を眺めながら、メルキゼは小声で旋律を奏でる
 母親が歌う子守唄のように、穏やかなメロディは部屋を満たしてゆく
 ゆっくりと時間が流れてゆく幸せな一時をメルキゼは噛み締める


 やがて白み始めてきた夜明けの空に、彼の歌声は闇とともに溶けて行った―――…




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