「うわぁ――…へいたいさんの、おようふくだ…!!」


 シェルはゴールドと帰って来た
 ゴールドの買い物の方が長引きそうだったので、そっちに着いて行ったらしい
 現在は互いに情報交換をしながらランチタイムを堪能している

 シェルはレグルス本人よりも彼の服の方に興味心身だ
 好奇心旺盛な子供らしく、物珍しそうに摘んだり引っ張ったりして遊んでいる

「おいおい…一応これ借り物なんだからよ、破くんじゃねぇぞ?」

 レグルスは無邪気なシェルに手を焼きながらも、どこか嬉しそうだ
 相手が子供とはいえ、久しぶりに同族と一緒に行動できて嬉しいらしい
 彼の話によると元々エルフは群で行動する習性があるらしく、同族といると落ち着くそうだ

 シェルも例外になくエルフの本能があるらしい
 あれほど懐いていたレンよりも、レグルスの傍に居たがるのだ
 やっぱり仲間からはぐれて寂しかったのだろう
 シェルの身の上を聞かされたレグルスは労わる様に幼い背を抱いていた


「そういや、初めての脱皮時期なんだってな?
 初めてって事は…まだ分化してねぇってわけだよな」

「…分化…って、何?」

 聞きなれない言葉に俺たちは眉をひそめる
 今後またシェルに何らかの変化が訪れるというのだろうか

「おう、エルフってぇのは生まれた時には性別がねぇんだってよ
 オレは純粋なエルフじゃねぇから最初っから男だったけどよ…
 普通のエルフってぇのは最初の脱皮の時に初めて性別が決まるんだぜ」


 …………。

 レグルスの言葉に、その場は静まり返る
 平静を保っているのはエルフの二人だけだ

「しぇる、しってる…あのね、いままでのいきざまで、きまるんだよね」

 生き様とは…また渋い表現だ
 しかし、レグルスは笑顔で頷く

「おう、どんな生き方をして来たかによって脱皮後の姿が変わるんだ
 効率良く環境に順応する為の進化ってやつだな…上手く出来てやがるぜ
 だからよ、脱皮後の姿である程度どんな感じの環境で育って来たか判るんだ
 あんたの生まれ故郷を探す重大な手掛かりにもなるんだからな…頑張るんだぜ?」

 先輩としての激励も込めて、レグルスはシェルに話しかける
 その姿は教師と生徒の様でもあり、歳の離れた兄弟にも見えた


「ふぅん…そんな事、全然知らなかったなぁ…
 俺、シェルちゃんと一緒にお風呂とか入ったけど気付かなかったよ」

 そりゃまぁ、少女だと思っている相手の身体をじっくりと観察する事は普通しないだろう
 俺もメルキゼも気付かなかったのだから、レンの事をとやかくいう事は出来ない
 しかしシェルに性別が無いなんて、何とも不思議な気持ちだ

 今までの言動で、どうやら美形の男性を好む傾向があるらしいことは判っている
 という事は、シェルは女性として成長して行ってると考えて良いだろう

 むしろ、そうであってもらわなければ物凄く困る

 短い間とはいえ、一応シェルの面倒をみていた身である
 美形のお兄さん好きな息子が誕生してしまっては、シェルの両親にも申し訳ない




 うーん、と顔を見合わせる俺とメルキゼ
 その横ではレンとレグルスが渋い表情でヒソヒソと話していた


「…なぁ、レン…ひとつ聞くけどよ
 男同士でイチャついてる環境で育つ場合、子供はどうなるんだろうな…?」

「…俺に聞かないでよ…そんな恐ろしい事…
 それにエルフの事はレグルスの方が詳しいでしょ」

 レンは、そっとレグルスから視線を反らした
 しかしその視線は不安定に泳いでいる

 レグルスは引き攣った笑顔を浮かべた


「まぁ…そりゃあそうなんだけどよ…
 でもよ、食生活も成長に影響されるよな…?
 どうすんだよオイ…オレ、責任持てねぇぞ…?」

「…何を今更…そ、それに…だ、大丈夫だよ…たぶん
 ゲイの親に育てられたからって、子供がそうなるとは限らないし…」

 しかし、その親(義理だが)に育てられた子供(レン)にはレグルス(♂)という恋人がいる
 言っていて説得力の無さを最も痛感しているのは、他ならぬレン本人だった

「…聞きたくねぇが、やっぱりよ…セーロス義兄さんの飯、食うんだよな…?」

「う、うん…義兄ちゃんの事だから、張り切って作ると思う…」


 …………………。

 二人の間に、重い沈黙が流れた
 脳裏に浮かぶのは、町内会でも伝説となった、あの怪奇料理である
 意思を持ち、時に襲い掛かってくる事もあるセーロス料理の恐怖は未だに忘れられない

 あんな料理を毎日のように、日々の生活が成長に色濃く反映するエルフが食したらどうなるか――…
 つつー…と、二人の背に冷たい汗が流れた


「…おい…今からでも考え直さねぇか…?」

「…だ、大丈夫だって…た、たぶん…
 いくら謎のモンスター状地獄料理食べたからって、
 脱皮した皮からモンスター化したシェルちゃんが出てくるなんて事は―――…」

 …………………。

 二人の脳裏に、やたらとリアルな映像が浮かび上がった
 はっきりと否定出来ないのが現状である

 二人は顔を見合わせたまま、うつろな笑みを浮かべた
 顔がピキピキと引き攣る音が聞こえるような気がする









 ―――…黙っておこうか…

 ―――…今更言えるわけ、ねぇしな…


 無言の会話だった
 二人は頷き合うと、そっと立ち上がる


「……シェルちゃん、強く生きるんだよ」

 レンはシェルの肩を抱き寄せると、しっかりと抱き締めた
 今生の別れのような場面だが、あながち間違いとも言い切れない
 レンの傍らではレグルスが涙を流さずに泣いていた




 冬になると、急に海が荒れ始めるらしい
 出航は出来るだけ急いだ方が良いという

 三人の指示によって、手際良く荷物が船に積み込まれた
 手馴れたその様子から彼らが船旅に慣れていることがわかる


「…早いな…今夜、もう行っちゃうんだってな…」

 別れは辛いものだ
 たとえ一緒にいた期間は短かったとしても

 ゴールドは緊急の用事があるという事で、既にこの大陸を離れてしまった
 彼の荷物には大量の薬…そして、隠してはあったが確かに武具類が積み込まれていた
 決して小人数分ではないその量に不安感が募る

 レンとレグルスがゴールドを見送る際に交わしていた会話――…
 はっきりとは聞き取れなかったけれど、魔女や戦争がどうだとか…そんな内容だった


 しかし俺は、朧気ながらも確信していた
 ゴールドは戦争の為の物資を調達していたのだ
 そして、レンもその手伝いをしていることも判った

 レグルスは兵士だといっていたから、戦地で戦うのだろう
 ゴールドも戦士だから、物資の調達が終われば戦地に赴くに違いない

 しかし結局、彼本人には何も聞く事が出来なかった
 彼の穏やかな微笑が、何も聞かないでくれと言っている様だったから


 だから俺は何も聞かずに祈った
 いつか再び、生きて彼らに出会える事を―――…



 その後、俺たちは部屋に戻った
 シェルはこれから数日間過ごすことになるであろう、
 船の中を見るためにレンとレグルスと共に港へ出かけていった

 残された俺は、ぼんやりと外を眺めている
 気が抜けてしまって何もする気が起きなかった


「私たちも出来るだけ早く旅立とう
 あまり長期間、ここにいても辛いだろうから…」

「……そう…だな…」

 シェルとの思い出が詰まったこの町、この宿にいるのは正直辛い
 大陸から離れて心を入れかえなければこの先もたないだろう

「明日出る船で、一番早いのは何時?」

「…5時過ぎのものだけれど…これにするか?」

 夜明けと共に出航する船らしい
 俺は黙って頷いた

「…無理をしてでも、早く寝る必要がある」

 朝早いなら、そうだろう
 しかし、どうしてもそんな気になれない
 とてもではないが、心安らかに眠れる状況ではなかった

 何も喋る気になれない
 俺とメルキゼは黙ったまま、沈み行く夕日を見つめていた

 一刻一刻と時は無常にも流れてゆく
 ただでさえ、この時期は夜が早いのだ


 気がつくと、既に別れの時が訪れている
 引き止める事など出来る筈もない

 レンとレグルスも、シェルを送り届けた後は戦地に向かうのだろう
 本来ならば彼らも一刻を争う忙しい時期である
 それなのにシェルを安全な所まで連れて行ってくれるというのだ

 絶対に泣いてはいけない
 二人には感謝の気持ちで、そしてシェルには激励の気持ちで見送らなければ

 俺とメルキゼは途中の露店で貝殻細工のアクセサリーを買った
 この町で皆で過ごした思い出として、贈ろうと決めたのだ
 シェルが大人になっても、どっちの性別になっても使えるように素朴なデザインを選ぶ

 いつの日か、この貝殻飾りを身に着けたシェルと出会う事を夢見て―――…



「行く先、君の未来に幸多き事を願う」

 メルキゼはしっかりとシェルの手を握った
 片手で包み込める、紅葉の葉のような小さな手だ
 …しかし今度会うときには、きっともっと成長している事だろう

「レンさん、レグルスさん…シェルの事お願いします
 本当に皆さんにはお世話になりました…ゴールドさんにも、よろしくお伝え下さい」

「うん、オッケーだよ〜
 俺たちもたまに船であちこち行ってるからさ、
 もしかしたらまた、どこかで会うかも知れないね
 その時はよろしくね〜…他人のふりしちゃ駄目だよ?」

 レンは相変わらずの様子だ
 しかし、レグルスは湿っぽいのは苦手だからと早々に船内に入ってしまっている


「シェル…皆に迷惑かけないで、お利口にしてるんだぞ?」

 ああ、駄目だ…
 シェルの澄んだ目を見てたら、涙が出てきそうになる
 笑顔で見送ってやりたいのに俺が泣いててどうするんだ

「…うん…おにーちゃんたちも、げんきで――…もっと、じぶんにすなおになってね」

「……………。」

 どういう意味で言われてるんだろう…
 俺とメルキゼは物凄く曖昧な笑顔で誤魔化した


「それじゃあ…ふたりとも、元気でね
 そうだ、素直になれないカーマイン君に経験者として一言」

 何の経験者なんだろう…少し不安だ
 しかし俺の不安をよそに、レンは俺の耳に口を近づけると、こっそりと囁いた

「あのね…運命の人って実は自分のすぐ傍にいるものなんだよ
 ただ、あまりに近くにあり過ぎて気が付かないだけで…でも、少し離れたら気付くんだ」

 ――…少しだけ、離れてみるのも良いんじゃない…確信するよ?
 レンはそう言って笑うと、軽く俺の頭を小突いた


 そんなに俺とメルキゼをくっつけたいんですか、あなたは…
 俺たちの事情を知らない彼らから見れば、そう思うのかも知れない

 けれど生きる世界の違う俺たちは、一緒にはなることが出来ない
 …俺は、どうしても元の世界に戻らなくてはならないのだから

 想いを口にする事が禁句であると、俺たちの間で暗黙の了解になっている
 一度言葉にする事で、互いに深く傷付くのが判り切っているから…



「………そんな確信、いりません」

 溜息混じりにそう言うのが精一杯だった
 胸の中に硬くて重い何かが沈んでいるような感覚に、全身まで重くなる

 そんな俺をよそに、メルキゼは重い口を開いて会話に混じって来る
 どうやら耳の良い彼には俺たちの会話がしっかりと聞こえていたらしい


「……フライパンを手にした途端に姿を眩ませるハエのようなものか?」



 絶対違う


「…運命の人、って言ってるだろ…」

 そんな大切な相手をハエと一緒にするな
 しかもフライパンって…そんなもので叩いちゃ駄目だろう…

 それに、その例えではいずれ叩き潰されそうな予感さえする


「…まぁ確かに、少し離れると飛んでるハエにも気付くけどねぇ…」

 レンは意味の無いフォローを入れた
 この人にさえ気を遣わせるメルキゼって一体…


 天然ボケ恐るべし


 その威力は絶大だ
 何せ一瞬にしてその場の、しんみりした空気をぶち壊してくれたのだから

 …ついでに俺の身体も軽くなったりして…
 もしかして意図的にボケてくれたのだろうか…しかし彼にそこまで器用な真似が出来る筈もない


 大海原へ漕ぎ出した船を見送りながら、俺はしみじみと天然の威力を感じていた




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