あれから1週間が過ぎた

 シェルはすっかりレンに懐き、今後の心配は無いようだ
 今日もレンとシェルは街へ遊びに行っている

 ゴールドは薬草を買ってきては、一心不乱に薬を作っていた
 今後の為の備えだと本人は笑っていたが、きっと何か深刻な事情があるのだろう

 俺とメルキゼは身体を鈍らせない為に、外に出ては頻繁に身体を動かしていた
 紅葉はその色彩を失い地に落ち始めている
 本格的な冬は、もう目の前にまで来ていた


「う〜…寒い寒い…」

 冷えた手を擦りながら暖かい部屋へ駆け込む
 寒さには慣れている筈の身体だけれど、何せ防寒具の質が違い過ぎる
 最近では暖炉の前の空間が俺の定位置となっていた

 体温の高いメルキゼは寒さをあまり感じないらしい
 椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと外を眺めたりコーヒーをすすったりしている
 たまに調理場でアルバイトのような事をしているようだったが、料理の苦手な俺は蚊帳の外だ


「ふぅ…ちょっとロビーで寛いでくるな」

 身体が温まったら、ロビーへ行くのもまた日課だ
 そこには少ないながらも雑誌類が置いてある(ちなみに持ち出しは厳禁)
 情報収集…などといった大層なものではないが雑学程度の知識なら手に入る
 人前に出るのが苦手なメルキゼに代わり、こうして話の種を仕入れるのも自分の役目だ

「お、新刊発見
 ふぅん…今年は昨年に増して異常気象
 どの世界でもあるんだなー…こういうのって…」

 はっきりとした時期は判らないが、どうやら30年ほど前から異常気象が続いているらしい
 世界崩壊の日が近い、とか精霊王の怒り…とか、宗教じみた記事が文面を埋め尽くしていた
 遠くの大陸では、土が腐ったり水が濁ったり流れなかったりと深刻な事も起きているらしい

 水が流れないって…ゲル状にでもなってるんだろうか…
 それとも何かが詰まって―――…って、駄目だ
 どうしても詰まったトイレしか想像できない



 やれやれ、と顔を上げると丁度宿に入ってきた人と目が合ってしまった
 宿泊客だろうか…しかし、その割には持っている荷物が少ない

「ど、どうも…」

 とりあえず挨拶は基本だ
 宿泊客ならこの先度々顔を合わせる事もあるかも知れない

「おう、ここに泊まってる客だよな?
 悪ぃがよ、ちょっと人を探してんだ
 見た目だけは可愛い太った男と、胡散臭ぇ万年笑顔のでっかい男って知らねぇ?」

 悪口ですか、それは
 というより仲悪いんですか、と聞きたくなるような説明だ


「えーっと…心当たりがあるような、ないような…」

 脳裏にレンとゴールドの姿が浮かぶ
 しかしこの説明の仕方で彼らを紹介するのは気が引ける

「どっちだよ…はっきりしねぇな…
 爆発したみてぇな黒髪の男と、派手な金髪の男なんだがよ
 あー…一緒にいると変な生物見たり、ヤバい薬飲まされそうになる事もある」

 そんな物騒な人たちを探してどうするんですか…
 それとも指名手配犯だったとかいうオチなんでしょうか…


「えっと…もしかしてその人って、レンさんとゴールドさんって名前ですか?」

「お…知ってるんじゃねぇかよ
 もしかしてあんた、カーマインっていう人間か?
 オレは奴らの仲間で、シェルとかいうガキを迎えに来たんだ」

 と言う事はレンが呼んだ船の乗組員なのだろう
 何か口の悪い人だけれど…でも嫌な感じはしない

 物騒な武器を持っているわけでもない
 船員の制服だろうか…揃いの帽子付きの服を着ている
 薄手のマントが風を切って、ちょっと格好良かった

「えーっと、この度はとんだご迷惑を…」

「ああ、良いって別によ…迷惑なんかじゃねぇからよ
 オレの住んでる国では困った奴を助けるのは当然の義務だ
 税金だってその為に使われてるしよ…だから、オレの懐は痛んでねぇから気にすんな」


 難民救済や疎開費用が税金の主な用途だ、とその男は語った
 その他にも身寄りの無い子供や貧しい人々の生活費としても使われているらしい
 種族も国境も関係無しに、誰もが援助を受けられるという

 良い国だ…俺の世界の奴らにも見習わせたい
 きっと国を治めている人は立派で心優しいのだろう


「あんたカーマインだよな?
 オレはレグルスってんだ…よろしくな
 これでも一応、王宮兵士なんかやってんだぜ」

 王宮兵士がどの位の身分なのかは判らない
 しかし彼が己の仕事に誇りを持っているのは感じ取れた









「そうですか…よろしくお願いします、レグルスさん―――…」

 …ん?
 レグルスって、どこかで聞いた覚えが…

「おい、どうしたってんだ」

「いえ…レグルスさんって何処かで聞いた事が…
 ええと確かあれはレンさんが―――――…あ、
 そうだ…最近になってやっと皮が剥けて来た人だっ!!」


 他に言い方無いんかい

 あまりの言い様に思わず自分で突っ込みを入れてしまった
 しかし恋人云々よりも、そっちのインパクトの方が強かったのだから仕方が無い
 脅威の脱皮男…無事に全て剥け切ったのだろうか

 その辺が、ちょっとだけ気になるところである


「……………」

 レグルスは遠い目をして、何処か遠くを見つめた
 しかし、微かに口の端が引き攣っている

「あの…レグルスさん?」

「…畜生…レンの野郎…
 人のことを爬虫類みてぇに言いやがって…」

 いや、爬虫類扱いならまだマシな方です

 落ち込む彼に、そう言ってやりたかった
 しかし世の中には知らない方が幸せな事もある
 俺はあえて口を噤むことにした


「…で、完全に脱皮は出来ましたか?」

「おう…B級ホラーな毎日からやっと脱出できたな
 でも一皮剥けてよ、顔も身体も大人っぽくなったって周囲からも言われんだ」

 …中身はどうなんですか…?

 いや、聞いちゃいけないんだろう
 あえて周囲の人も触れてない話題なのかも知れないし


「で、レンの野郎は?」

「街に行ってますけど…もうすぐ帰ってきますよ」

 時計を見ると、もう昼時であることが判る
 シェルとレンが街に出た帰りに昼食を買って来るのも日課になっていた

「じゃあ、ここで待ってっかなー…」

 レグルスは俺の隣に座ると、コキコキと肩を鳴らした
 恐らく船旅で疲れているのだろう

 しかし…この人がレンの恋人か…
 確かにシェル程ではないけれど耳が少し尖っている
 メルキゼの話によると、トゲがどうとか言ってたけれど…そんなものは生えていない
 またレンあたりに冗談を言われたのだろう

 …でも、多少口調が粗雑なだけで、他はごく一般的な姿だ
 こんな平凡な人にレンの恋人が務まっているなんて信じられない
 もっとこう…何らかの防御策が無いと身がもたなそうな気がする…

 失礼ながらも、そんな事を思ってしまう俺であった



 それから数分後―――…

「あれぇ…?
 カーマイン君、お友達出来たの?」

 帰ってきたレンは、すぐにロビーにいる俺たちに気付いた
 外の気温が低いせいだろう…頬や耳が赤くなっている

「あの、レグルスさんという方が尋ねて来たんですけど―――…」

 俺が言い切る前にレグルスは立ち上がった
 そしてレンの前に来ると、柔らかそうなその髪に触れる

「何だレン、髪切ったのか
 へぇ…短いのも悪くねぇな」

 レンに触れる仕草は驚くほど自然だ
 それに手馴れている―――…やっぱり、恋人同士だからだろう


「うそ…レグルス…っ!?」

「ん?」

「レグルスにトゲが生えてないっ!?
 どうしちゃったの…脱皮した時に、一緒に取れちゃったの!?」

「…ほ、本気でトゲ生えてたんですか…?」

「んなわけねぇだろうがっ!!
 ガキがいるってんで、気ぃ遣ったんだ!!
 …ったく―――…こら、レン!!
 初対面の奴に誤解を招くような事言うんじゃねぇ!!」

 …誤解、か…
 何か今更って気がしなくも無い


「でも、レグルスちょっと変わったねぇ?
 声も低くなってきたし、大人っぽくなったよ
 ちょっと落ち着きも出て来たって感じだね…外見だけは

 最後の一言がキツい


「んな、皮剥けたくらいで性格まで変わんねぇよ
 体質は微妙に変わったような気がするんだけどよ」

「そうだね…ほんのちょっとだけど、魔力を感じるよ
 それなりにエルフとしての特徴が出てきたみたいだねぇ」

 やったねぇ、とレグルスの頭をなぜるレン
 冷静に見ると微妙にレンの方が背が高いのがわかる
 童顔なレンの方が長身だなんて、ちょっと意外な感じだ

「…オレ、ちょっとは背ぇ伸びたのに、
 身長差あんまり感じねぇ気がする…」

「うん、俺もまだまだ成長期だからね
 これからもっと大きくなる予定だから、よろしく」

 この世界の人って、いつまで成長する気なんだろう
 ゴールドもメルキゼも長身だし、もしかして地球よりも成長期が長いのだろうか…
 どちらにしろ、既に成長が止まっている俺にしては羨ましい限りである



「あれ、レグルス…ここヒゲの剃り残しあるよ?」

「げっ…マジかよ!?
 最近になって急に生えて来たからな…まだ剃り慣れてねぇんだよ」

 大人の男の、ごっつい会話だ
 しかし剃り慣れていないという所に初々しさがある

「レグルスは剛毛なくせに薄かったもんねぇ(←…ドコが!?)
 ほら、俺のカミソリ貸してあげるからトイレにでも行って剃っておいで
 ちょっとアレなカミソリなんだけど、レグルスなら大丈夫だから」

 …ちょっとアレなカミソリって…一体…
 俺とレグルスに妙な緊張が走る


「おい…まさか、呪われてるとか言うんじゃねぇだろうな…?」

 レンの場合はシャレにならない
 それでもレグルスは差し出されたカミソリに、恐る恐る手を伸ばした

「あはは〜…そんな物騒な事じゃないよ
 ただね、このカミソリはビキニラインのお手入れ用として―――…」

「……………。」


 ある意味、呪いよりもタチが悪い

 レグルスは無言で伸ばした手を引っ込めた
 額に青筋が立っているように見えるのは気のせいではないだろう

「あれ…使わないの?」

野郎が股間剃ったカミソリで口元なんか剃れるか―――っ!!」


 魂の絶叫

 通りすがりの宿泊客が思わず振り返る
 ちなみに俺の場合は口元どころか、手に持つのさえ遠慮したい

 しかしレグルスの場合は口元でなければ良いらしい
 その辺が、一応は恋人としての妥協なのだろうか…

 でも何でこの季節に、しかも男のレンがビキニラインの手入れをしているのかが謎である


「大丈夫だよ、ちゃんと洗ってるし…
 それに臭わないから安心してよ」


 臭ってたまるか


「心配性だなぁ…安全カミソリだから心配ないって」

 そういう問題ではない

 怪我以前の心理的恐怖があるのだ
 むしろ普通のカミソリの方が、ある意味安全


「オレは多少顔が傷付いても良いからよ、普通のカミソリ使いてぇ…」

 切実な訴えである
 精神的ダメージよりも、肉体的ダメージを選んだらしい

「仕方ないなぁ…じゃあ、こっちの未使用のやつ使う?」

「未使用のやつがあるんなら、最初っからそれよこせぇ―――っ!!」


 魂の絶叫・その2


「あはは〜…レグルスって本当に面白いねぇ?」

 レグルスがヒゲを剃って帰ってくるまでの間、
 レンは実に満ち足りた表情で、ケタケタと笑っていたのであった


 …絶対、確信犯だ…

 恋人相手にも容赦しない男・レン
 彼の恐ろしさに乾いた笑みを浮かべる事しか出来ない俺であった…




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