目覚めた時、まだ外は暗かった
 窓の外では三日月が波の上で瞬いている


 眠っていた時間は決して長いものではないだろう
 しかし何故か目はしっかりと冴えてしまっている
 再び瞳を閉じても安らかな眠りは訪れないだろう

 元々眠りは浅い体質だ
 睡眠不足にも慣れている

 メルキゼはこれ以上眠るのを諦めた
 どうも今夜はいつもに増して寝苦しい
 まるで胸に何かが乗っているような―――…


「………乗っている…」

 そこで始めてメルキゼは己の胸に人が頭を乗せているのに気付いた
 どうりで寝苦しい筈だと、妙に納得する
 小柄とはいえ成人男性の頭が乗っているのだから

「…カーマイン、私の胸は枕ではないのだけれど…」

 そう言いながらもメルキゼには彼の頭を押し退ける気など更々無い
 大好きなカーマインが自分の胸に頬を寄せてくれているのである
 息苦しさよりも嬉しさの方が勝っていた
 愛しいという感情が幸せな温もりと共に胸に染み渡る


 ――…子供がいると、こんな気分なのだろうか…

 ふと、そんなことが頭を過ぎる
 メルキゼもそろそろ家庭を持っても良い年頃だ
 今まで旅してきた村でも、自分と似たような歳であろう男が妻子と歩いているのを目撃した

 …幸せそうだった…

 家族など、とうの昔に失った
 母親に抱かれた記憶も父親と遊んだ記憶も無い
 寒くて暗い部屋に押し込まれたまま、食事も満足に得られなかった幼少期
 病気だからと住んでいた家から引きずり出され、山奥での生活を余儀なくされた少年期…

 記憶の糸を辿ってみても、両親の顔は思い出せなかった
 それでも、家族と言う言葉に心惹かれるのは何故なのだろう

 カーマインから時折聞かされる家族の思い出は、どれも皆美しいものばかりだった
 光が差し込む暖かな家庭の風景がメルキゼの心の中を彩った
 彼の話は荒れた心を幸せな気持ちで潤してくれるのだ


 カーマインの話によると、母親は生まれた子供を抱いて歌を聞かせるのだと言う
 母親の温もりと優しい歌声に見守られ、子供は幸せな眠りに包まれる…

 想像するだけで、心の中に暖かいものが流れる
 しかしメルキゼはその様な光景など生まれてこのかた見た事がない
 赤子の抱き方も、子守唄も―――そもそも、子供の作り方さえも知らないのである

 それでもメルキゼは幸せなその光景に憧れの念を抱いた
 愛情というものに飢えた心は常に乾いているのだ
 一滴でも良いから水が欲しい
 たとえその雫が涙だったとしても



「…カーマイン…」

 両手で彼の肩を抱く
 以前は羞恥心から出来なかった行為
 しかし今なら大した躊躇いも無く出来るのだから不思議だ
 日増しに余裕感が増して行く自分自身に正直驚きを隠せない

 メルキゼの手の平に収まる彼の肩は筋肉が殆ど無い
 それでも彼に言わせると、かなり筋肉質になったとのことだ
 一体、今までどの位細かったのだろう…そう考えるだけで眉間に力が入る

「…もう少し肉付きの良い方が私の好みではあるな…」

 別に痩せているからといって愛情が揺らぐ事はない
 しかし、些細な事で折れてしまいそうな彼の身体は見ていて不安になるのだ

「――…それに、子供はやはり…ふくよかな方が愛くるしい…」


 今更言うまでも無いが、カーマインは大学生である
 そして学生とは言え成人も迎えている立派な大人だ
 しかしどうしても彼を成人男性として見るのに抵抗があった

 東洋人の顔はメルキゼから見ると実年齢よりもずっと幼く見える
 その上、カーマインの顔は東洋人の中でも童顔に分類される方だった
 更に幼さに追い討ちをかけているのは小柄な体型である
 人並み外れた良い体格を持つメルキゼから見ると、その姿は小動物のようだ

 カーマインがいくら成人であると訴えても、メルキゼからして見れば説得力皆無なのである
 どうしても子供にしか見えないのだから仕方が無い
 ただ、知識が豊富なのは彼自身も認めざるを得なかった


 一応は大学生のカーマインと、学校に行った事のないメルキゼとでは知識に雲泥の差がある
 とりあえず字の読み書きと金銭などの計算は出来た
 顔も覚えていない父親が与えてくれた知識も多少はある
 しかし殆どの知識は偏った書籍や実生活のなかで習得せざるを得なかったのだ

 山奥での孤独な生活では不自由しない…その程度の知識
 生きる上での最低限の事しか彼は知らないのだ


 カーマインに言わせると『常識が無い』、『世間知らず』という奴らしい
 しかしそれも当たり前と言えば当たり前だろう
 何せ人の常識が通用しない山奥暮らしで、世間に出た事など無かったのだから

 けれど、これから世間を知って行けば良い
 判らない事は学んでいけば良いだけの事だ

 その当たり前のことに今まで気付かなかった
 考えつきもしなかったのだ
 けれど、今は知りたいと感じている自分がいる

 向学心などという高尚なものではない
 単なる好奇心といった程度のものだけれど、それでもメルキゼの中で何かが変わった
 それが他ならぬカーマインのおかげなのだとメルキゼは知っていた



「…この小さな身体に…どれ程の知識が詰まっているのだろうな…」

 メルキゼから見れば、まだまだ幼い子供なのに
 それなのに計り知れない何かを感じる不思議な存在だ

 種族が違うからなのか、それとも生きてきた世界が違うからなのか
 それとも彼自身が何か特別な存在なのだろうか…

 しかし、彼がどの様な者であってもメルキゼは構わない
 大切なのは今、彼が自分の腕の中にいるという現実だけだった

 初めて現れた、自分が護るべき存在
 愛しくて可愛くて仕方が無い
 宝物は何かと聞かれれば、迷わずカーマインだと答える

 それこそ、子供を愛でる母親のような気持ちだ
 メルキゼはカーマインの旅する上のパートナーである
 しかしそれと同時に父親、母親としての役割も担っていた


「……♪」

 メルキゼは旋律を口ずさむ

 眠れない夜、寂しさを紛らわす為に歌うのが彼の日課だった
 しかし最近は幸せを噛み締めているときに歌うことが多い
 そのせいだろう、哀しい歌は次第に明るいものへと姿を変えた

 人に聞かせるのは恥かしい
 だから深夜にこっそりと歌うようにしている

 歌う時、ひとりなのは以前と変わらない
 けれど歌うときの心がまるで違うのだ

 今まで、幸せな時に歌うなどとは考えもつかなかった
 メルキゼにとって歌とは寂しい心を慰める為のものだったから


「 It is wrapped in the wind which carries the sweet time.
 It sits on a floor and it is faced. Room which love has reached…♪」

 カーマインを起こさないように、そっと小声で囀るメロディ
 一言一言に幸せな気持ちを込めて、胸で寝息を立てる彼に捧げる

 感情を上手く表す事の出来ないメルキゼにとって、歌う事は一種の感情表現だ
 嬉しい、幸せなのだと、気持ちを素直にカーマインに伝えられる数少ない手段

 この歌をカーマインに聞かせようとは思っていない
 そんな事恥かしくて、とてもではないが出来ない
 寝ていると判っているからこそ出来る行為だ

 直接言えない気持ちを、彼の見る夢を通して伝える
 それだけで充分メルキゼは満足だった

「The overflowing thought always felt in the head wind
 Love to you who follow the reverse-side side in this world
 I want, as for the dream, to have given you a tight hug forever. As it is
 The night of only two new crescents which appeared on waves is hurried…♪」



「―――…それ、どういう意味なんだ?」


 ……………。

 しばらくお待ち下さい
 ただいま思考停止中――…


「……き、聞いていた…のか……?」

「聞いてちゃ駄目だったか?」

 駄目じゃない
 駄目じゃないけれど―――…恥かしい―――…!!


「あぁぁ…これで2度目だ…!!」

 以前聞かれたのは灼熱の宿屋でだった
 そして今回は海辺の宿屋――…どうも宿では隙が出来るらしい


 顔から火が吹き出そうだ
 メルキゼは思わず飛び起きた
 胸の上から毛布とカーマインが転がり落ちる

 そして次の瞬間、彼は本気で顔が燃え上がる錯覚に陥った



「ふっ、服が…!!
 服を着ていない…っ!?」

 今まで毛布とカーマインに隠されていて気付かなかった
 しかしそれがなくなった今、彼の身を包むものは下着一枚だった

「落ち着け、お前の身体は清らかな処女のままだ
 その証拠にパンツも穿いているし着衣に乱れもない」

「乱れるどころか、着衣そのものが無くなっているだろうっ!!
 それにパンツだけ穿いていれば良いというものでもないっ!!」


 ごもっとも

 でもそこまで的確な突っ込み入れられるだけの余裕があるなら大丈夫だろう

「…じゃあ今のはNGという事で、無かった事にしよう
 ほら、体勢も毛布も俺も元通り…忘れて忘れて…な?」

 カーマインはメルキゼの身体を再びベッドに沈めた
 そしてその上から毛布をかけると、自分も彼の胸の上に頭を乗せる

 …戻せば良いというものでもない
 しかし、ひとまず身体が隠れた事でメルキゼは落ち着きを取り戻した

 聞きたい事が山積みだ

 何で服を着ていないのか
 何故自分を枕の代わりにして眠るのか…
 とりあえず数々の疑問のうち、最も基本的なものを選ぶことにする



「…寝ていたのでは無かったのか…?」

「いや、トイレに行きたくて目が覚めたんだけどさ…」


 行けよ


 メルキゼはそう叫びたくなる声を何とか抑えた
 きっと彼なりに気を遣ってくれたのだろうから

「…聞き苦しい思いをさせて、すまない…」

 ついでに、見苦しいものも見せた
 出来る事なら自分の胸の傷は一生彼には見せたくなかった
 しかしカーマインは思いのほか、楽しそうな笑顔を浮かべている

「いやいや、ごちそうさま」

 …ちそう…?
 歌を喰ったのだろうか…?
 カーマインの表現法は難しい

「と、とにかく今の事は忘れよう…互いにな」

 自分の精神安定の為にもそうした方が良いと悟る
 しかしカーマインは不満そうに口を尖らせた


「…歌詞の意味が気になるんだけど…」

「――…出来れば、その事を一番忘れて欲しいと願う…」

 本気で今回の歌詞は恥かしい
 赤っ恥をかくのは目に見えている
 しかしカーマインはゴネた

「…気になる…気になってトイレにも行けない…
 このままトイレに行けなければ、この場が物凄い事に…」


 随分とレベルの低い脅しだ


 しかし無駄に迫力があるのもまた事実
 被害が自分に及ぶのもまた恐ろしい
 巻き込まれたら切なさ大爆発だろう

「良いから早くトイレに行ってくれ
 私の上で限界を迎えられても困る」

「…歌詞…」

「…………。」

 持久戦

 このまま長引くと自分もカーマインも大打撃を受ける
 ふたり仲良く自滅する勇気は無かった

「…ふぅ……」

 結局はカーマインに勝てないのだ
 しかし事実を告げるのは恥かし過ぎる
 メルキゼは適当な事を言って誤魔化す事にした



「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる…」

「それ、絶対嘘だろ」

 …あっさりとバレた
 何故嘘だと見破られたのだろう…
 カーマインは妙な所で鋭い


「ヨザックは木を切る ヘイヘイホー…♪」

ヨザックって誰さ!?
 いや、それよりもお前…何でサブちゃん…」

 渋い
 …というより古い


「お前、本当は歳いくつだ!?
 正直に言ってくれ…27歳って絶対嘘だろ…?」

 …年齢まで疑われた…心外だ
 いくら何でも歳を誤魔化すような真似はしないというのに

「私はまだサバを読みたくなる歳ではない
 年齢にコンプレックスを抱くゴールドとは違う」

「…それ、絶対に本人の前では言うなよ…?」

 思わず小声になるカーマイン
 どうやら彼はゴールドに対し一種の恐怖感を抱いているらしい
 …いつも笑っていて人当たりの良さそうな男なのに、何故だろう…

 彼のような男になりたいと思う
 大切な人には、いつも満面の笑顔をおくりたい
 それに愛想良く立ち回ることが出来れば、もう少し要領良く生きられるだろう


「ゴールドのような性格を目指してみるか…」

「絶対に止めろ」

 …即答された…
 ゴールドの何処が気に入らないのだろう

 首を捻って考えてみる


「…敬語が気に入らないのか?」

 がく、と再び毛布に沈み込むカーマイン
 私はまた何か的外れな事を言ってしまったのだろうか

「お前なぁ…もう少し、人の裏面を見る目を育てた方が良いぞ」

 人の裏…?
 ひっくり返して背中を見れば良いのだろうか
 しかし目を育てるとは一体どのような行為なのだろう…

 カーマインの言う事は本当に難しい
 きっと彼は物凄く頭が良いのだろう
 もしかすると彼の世界では学者か何かをしていたのかも知れない
 …どちらにしろ、自分とは能力に差があり過ぎるようだ



「私には難し過ぎると思うのだけれど…」

「そ、そうか…?
 …そう…かも知れないな…」

 神妙な表情で頷くカーマイン
 その後、彼は一言『すまん』と呟いた
 …謝られたら余計に哀しいのだけれど…


「…どうせ私は頭が悪い…」

「いや、バカな子ほど可愛いって言うじゃないか
 その抜けた所もまたお前の魅力だと思えば良いぞ」

「………」

 出来れば否定して欲しかった…
 それともフォローしてくれている…のだろうか

「…バカ…抜けた所…」

 とりあえず褒め言葉ではないだろう
 そこが魅力と言われても素直に喜べない


「…あ…また耳が寝てるな…
 しゅん、ってなった耳…可愛い」

 カーマインは喜んでいるようだ
 上機嫌で耳を突いて遊んでいる

 …ちょっと、気持ち良い…

 自分で触れるのとは大違いだ
 背筋を何かが駆け上がるような不思議な気分
 少しすぐったいけれど、嫌な感じはしない

 心地良い感触に身を任せ、うっとりと瞳を閉じる
 すると不意にカーマインの唇が頬を掠めた

 そう言えばキスをしてくれるという約束だった
 与えられた口付けは軽いものだったけれど、メルキゼはそれで充分満足だ
 …というより触れる以外の口付けがあるという事を知らないだけなのだが…


「…幸せな夢が見られそう…」

 うっとりと夢心地
 優しい快感に身体が溶けそうだった

「髪触られてると眠くなるタイプ?
 そういうのって女に多いと思ってたけど、お前もなんだな」

 メルキゼは心も身体も敏感だ
 …見た目からは想像もできないけれど…


「悪ぃ、ちょっと…もう限界」

 メルキゼを可愛がるのもそこそこに、カーマインはトイレに駆け込んだ
 ずっと忘れていたけれど、そういえば行きたかったのを思い出したのだ

 ちょっと…いや、かなり格好悪い姿だけれど、そこはメルキゼである
 特に何とも思わず、ごく普通に彼を見送った様子だった



「今、時計見たけどさ…まだ4時前なんだな
 ―――…って、おいメルキゼ…寝てるのか?」

 カーマインが戻ってきたとき、メルキゼは既に安らかな寝息を立てていた
 毛布に埋もれたその姿は眠る仔猫の様で、無意識に優しい笑みがもれる


 もう一度軽く頬に口付けるとカーマインも瞳を閉じた




小説メニューへ戻る 前ページへ 次ページへ