「…メルキゼ…」


 誰もいない部屋は寂しさを募らせるだけだった
 暖炉には火が灯っているのに、何故か肌寒い
 昼の日差しも何処か翳っているように感じる

「なあ、要…俺はどうしたら良い?」

 物言わぬ写真の恋人は明るい笑顔のまま俺を見つめているだけだった
 それでも彼女にしかこの胸中を明かす事が出来ない

「…メルキゼと一緒にいたいんだ
 これが友情なのか愛情なのかはわからないけど…
 それでも、離れたくない…離れちゃいけないって思う
 だって、あいつから離れたら―――他の誰かがその隣に来ちゃうだろ?」

 自分の特等席の如く、彼の隣にいた自分
 そこにやがて他の者が立つ事になる


 …耐えられない


 メルキゼには今まで通り自分だけを見ていて欲しい
 ぎこちない笑顔も、恥かしがる仕草も―――全部、俺のもの

 我侭な子供の独占欲

 自分に懐いていた野良猫が他人の家で飼われてしまうような、そんな気持ち
 決して自分が連れ帰って飼ってやれるわけでもないのに…

 それでも、自分にだけ懐いて欲しいと思う傲慢さ
 気まぐれに可愛がって、気が向いたら餌をやって…でも、飼う気は毛頭無い

 自分に都合の良い相手だ
 利用する時は利用して、最後には見捨てて自分だけ家に帰る

 俺とメルキゼは、そんな野良猫と傲慢な人間の関係だ
 自分の振る舞いに後ろめたさが無いわけではない
 それでも―――つい、彼の優しさに甘えてしまうのだ

 そう、自分は彼の優しさを利用しているだけ…


「このままなら、あいつの方から見切りつけられるかもな…」

 そう思いながらも、もう一方で絶対そんな筈は無いと思う自分がいる
 骨の髄から彼に甘え切っている証だろう

 自分の狡さを、生きる為の手段だと正当化して開き直る
 そんな醜い心に嫌気が差す


「与えられるだけじゃ、俺だって不満なんだ
 やっぱり俺も何かしてやりたいって思う
 でも俺が出来る事なんて何も無いんだ…」

 メルキゼが望む事なら何でも叶えてやりたい
 彼が喜ぶ事、全てをやってやりたかった

 しかし―――…彼の望みが何なのか判らない
 頼りない一面を見せながらも、結局は彼一人で何でも出来てしまうのだ

 こんな小さな自分など、付け入る隙も無い程に…

「今までずっと独りっきりで生きてきたんだしな…
 本当は、今更人の手なんか必要としてないのかも
 寂しがって見せるのも俺に対する気遣いだっていう可能性もあるし」

 一応、好きな人はいるらしいけれど…
 もしかすると彼が必要としているのはその人、だた一人だけなのかも知れない


「まぁ、俺がお荷物なのは判り切ってる事だけどさ
 それでも…あいつの特別≠ネ存在になりたかったな」

 …特別…
 そう言葉に出した瞬間、ふと今朝の事が脳裏に浮かぶ

 …そう言えば、メルキゼのファーストキスの相手なんだよな、俺
 朝焼けのベッドの上で交わした、微かに触れるだけの口付け…

 驚きのあまり、あの時は何も感じなかった
 けれど、今改めて思い出すと―――…

「…ちょっと、どきどき…したりして…
 ったく、メルキゼのくせにあんな事しやがって…」

 大体、好きな人がいると言うのに俺にキスするとは何事だ
 もしかするとメルキゼは誰とでもそういう事が出来る奴なんじゃないだろうか
 それこそ年齢も性別も関係無しに

「だとすると、ムカつくな…」

 ふつふつと湧き上がる、嫌な感情
 冷静になれば、そんな筈無いだろうと気付くのだろうが…
 しかし思考が悪い方へと流れて行っている今の状況では困難だった



 控えめなノックの音が部屋に響く

 おずおずと部屋に入ってきたメルキゼは俺の顔を見ると微かに頬を緩めた
 一体何が嬉しいのやら…理解に苦しむ

「メルキゼ、お前好きな奴がいるんだろ?
 俺に向ける熱意を少しは意中の相手に向けろよ
 そうじゃなきゃ、いつまで経っても恋人同士になれないぞ」

 そんな日など、一生来なくても良い
 そう思う気持ちとは裏腹に出る言葉

 メルキゼは瞳を曇らせると、俯いて座り込んだ


「……私の想い人には、既に恋人がいる
 どんなに足掻こうと私が付け入る隙は無い
 恋敵との争いも無駄なだけだ…何もかもが虚しい…」

 切なげに瞳を閉じるメルキゼ
 本来ならば、友人として彼に慰めの言葉でも掛けるべきなのだろう

 しかし俺の口からは偽りの言葉など出てこなかった
 それどころか俺の心は、彼の恋が実らないという現実に喜びの感情を見出している

 友人のくせに、命の恩人に対して何て酷いものだろう
 彼の幸せよりも、自分の我侭を優先してしまうのだから


「また…恋人を見ていたのか…」

 再び空けられた彼の瞳は、写真を持った俺の手を見つめていた
 やましいような気まずいような感情が湧き出る
 別に、悪い事をしていたわけではないのに…

「な、何だよ…羨ましいのか?
 悔しかったら無理矢理モノにでもしたらどうだ?」

 言った後で後悔した
 今の言葉はメルキゼを深く傷つけた事が判ったから

 彼が気が弱くて奥手である事は俺も熟知している
 そんな事が出来るだけの勇気と行動力があれば、そもそも悩んでなどいない


「…ご、ごめん…今のは、失言だった」

 また傷つけてしまった
 本当は友人として、彼の傷を癒してやるべき立場なのに…

 泣いてしまうだろうか
 恐る恐るメルキゼの顔を覗き込む
 しかし俺の予想に反して、彼は微かな笑みを浮かべたのだった

「いや、私自身そう思っていた頃だ」

「…え…?」

 全身から血の気が引いてゆく
 そこまで彼は、その人のことを想っているのか
 無理矢理奪ってまで手に入れたい程に…

「……ただ、致命的な問題点がある
 奪い方が判らない…どうすれば自分のものに出来るのかが判らない」

「…その辺は、いかにもお前らしいと言うか…何と言うか…」

 所詮はメルキゼだ
 必ず何かオチが存在する

 思わず苦笑
 それと同時に、ほっと一安心


「カーマインなら良い手段を知らないか?
 ゴールドに聞いてみたのだが、部屋から摘み出されてしまった

「お前なぁ…それはゴールドさんも困っただろうに…
 これ以上迷惑かけたら駄目じゃないか、宿代まで出して貰ってるんだから」

 成り行き上、ゴールドは俺たちの部屋まで一緒に取ってくれたのだ
 しかも先払いで…俺とメルキゼがその事を知ったのは翌日の事だった

「金持ちは本当に凄いものだな
 他人にここまで施す事が出来るのだから」

「本当に…住んでる世界が違うよな…」

 しみじみと格の違いを感じる
 その辺にあるものを採って喰ってる俺たちの生活とは比べ物にならない


「きっとゴールドさんは、部屋がひとつしかない宿に泊まった事なんて無いだろうな…」

「…別にあれは、私たちのせいではないのだけれど…」

 まぁ、それはそうなんだけど
 でも俺たちが立ち寄る場所は、どれもこれも寂れた所ばかりだ

 …ふっ…所詮は田舎大陸さ…
 メルキゼも見た目だけならゴールドと良い勝負だけど、山奥育ちだし…

 まぁ、俺はその位の方が肩に力入らなくて良いけどさ
 見た目に反して飾らない性格なのも彼の長所―――なのだろう、きっと

 俺はそう結論付けて、インスタントコーヒーを淹れた
 濃い目のコーヒーにミルクをたっぷり入れて飲むのが俺の好み

 ついでにメルキゼの分も淹れてやる
 彼の好みは薄めのコーヒーに大量のミルクと砂糖を投入したやつだ
 …要するに、コーヒーの味があまりしなくて甘い味のするものである

 ココア並みの甘さがあるコーヒーを、さも美味しそうに飲み干すメルキゼ
 そういえばワサビやカラシも苦手みたいだし、まだまだお子様味覚ということだ
 ちょっと可愛いかもな…



「そうだ…カーマイン、君は子供がどうすれば生まれるか知っているか?」

「………は?」

 何この飲み会のセクハラオヤジ的な発言は…
 まさかこいつ、コーヒーで酔っ払った?

「私は結婚をすると何処からか子供がやって来ると思っていたのだけれど…
 それでは知識不足だとゴールドに言われて…もっと詳しく知りたいと思って」

「何処からか…って、お前…」

 コウノトリやキャベツ畑で生まれると信じている幼児レベルだ
 味覚だけじゃなく、中身までお子様だったとは…

「カーマイン、教えてくれ」

「…えーっと…」

 別に教えても良いけどさ…
 お前、絶対に卒倒するぞ


「…メルキゼがもう少し大人になったら…な」

 年上の…しかも27歳の男に向かって言うセリフではない
 でもメルキゼだから許される(←偏見)

「もう少し大人…とは、あとどの位?」

「……んー…キスして鼻血が出なくなったら」

 何か、言ってて切ない…
 言われたメルキゼも切ないだろう

「…言い訳じみた事を言うが…
 あれは初めてだったから、あのような失態になった
 二度目になればもう少し余裕も出てくる筈だ―――と思う」

 最後の一言が、何ともいえない不安感を駆り立てる
 頼むから断言してくれ…


「…じゃあ、せいぜい経験を積んでくれ」

「――――…相手は?」

 ……そうだった…相手が必要だ
 鏡に向かってやれ…とかいうのは流石に哀しい
 イメージトレーニングというのもメルキゼには無理だ

「経験豊富そうな奴に教わったらどうだ?」

「というと―――…レン、か?」


「止めておけ」

 レンは色々な意味でヤバい
 彼の性格には計り知れないものがある
 それ以前に恋人がいるのだから頼むわけにはいかないだろう

「他に経験豊富そうなのは…カーマイン?」


「俺かよ!?」

「ゴールドは38歳まで恋人すら作った事が無かったそうだから」

 厳密に言うと、今も38歳なんだけど…
 まぁ来月が誕生日だからなぁ…そして、もうすぐ40歳か…

「ゴールドさん、もてそうなのに…」

 優しくて顔も良いのに何故だろう
 あ、でもメルキゼみたいな場合もあるし…
 メルキゼは優しくて顔も良いのに恋人いない暦は歳の数だ
 育った環境や生い立ちなどが影響する事もあるのだろう…

「人はそれぞれ事情があるものだ
 あまり深く追求しないでやろう…」

「そ、そうだな」

「ちなみにレンはハーレム人生を堪能したらしい
 大学ではとして崇められていたそうだけれど…
 しかし彼の場合は何処までが現実なのか判りかねるからな」

 確かに…


「という消去法でカーマインに決定だ…頼む」

 消去法かよ!?
 ちょっとショック…

「俺、また障害犯扱いされるのは嫌なんだけど」

 この部屋を再び血に染めるのも御免だ
 そんな事をしたら今度こそ宿から摘み出される

「それでは外に出て…
 人気の無さそうな所でなら」

「何か朝っぱらから飢えてるカップルみたいで嫌だ…」

 たまに電車の中でも見かける、
 あの人目もはばからずイチャつくカップルたち…
 奴らを思わず蹴倒したくなるのは俺だけではないだろう


 ぼへ〜っとそんな事を考えている内にシェルとレンが俺たちを呼びに来た
 どうやらランチの誘いらしい

 このまま話を続ける勇気は無かった

「と、とにかくその話は一旦打ち切ろう
 昼真っからするような話でもないしな?」

 これ以上問題事は御免だ
 日の高いうちくらい平穏に過ごしたい

「そうなのか?
 …わかった、続きは今夜だな」

 素直に頷くメルキゼ
 ここまで正直な反応されたら逃げられないじゃないか

 …タチが悪いな…



「ねぇねぇ、なんのはなし?」

「ああ、カーマインに子供の作り方を教えてもらおうと思ってな
 それ以前の段階として、ひとまずキスをする事になったのだ
 しかしまだ日も高いから…続きは今夜にしようと―――…んむっ!?」

 俺は両手でメルキゼの口を塞いだ
 しかし既に遅かった…遅過ぎた


「ふぅ〜ん…子供の作り方…ねぇ?」

 レンさん…そんな目で俺を見ないで下さい
 そしてシェルも何だか目つきが怖いよ…







「シェルちゃん、今夜は邪魔しないように俺と一緒に寝ようね?」

「え〜…みたいのに…」

「ドアにコップを押し付ければ音は聞こえるから…それで我慢しようね?」

「うん」


 こら、お前ら…


「別に愛ある行為ではないですからっ!!
 単なる成り行きと言うか…とにかく色っぽい事情は無いんですっ!!」

「嫌だなぁ、そんなにムキにならないでよ〜
 うんうん…わかってるって、練習相手でしょ?
 俺も若い頃は良くクラスメイトと色々やったなぁ…男女問わず

 最後の一言が気になるんですけど
 それに若い頃って…確か俺と一歳しか違わないんじゃ…?

「練習と言うよりは経験を積みたいのだ
 もっと色々な事をカーマインから学びたいと思う」

 メルキゼ…
 これ以上俺を巻き込むな

「そっか、色々…ね」

 そこで意味深な笑みを浮かべないで下さい
 隣には子供もいるんですから…っ!!

「最終目標は、子供の作り方を学ぶ事だ
 しかし今はまだ無理らしい…私がもっと大人になるまで、
 カーマインは待ってくれると言った…本当に優しい子だと思う」

 コラコラコラコラ――――っ!!

 子作りの意味も判ってないくせに、物凄い発言するんじゃないっ!!
 いや、意味が判ってないからこそ出来る発言なのか…

「そっか…我慢してるんだね
 優しいなぁ、カーマイン君は…」

 そこで穏やかな目をして見つめないで下さい
 何で『もしかしてイイ人?』っぽい視線を向けられなきゃならないんだ


「…と、とにかく…もう行きましょうか
 ほらメルキゼも早く来いよ…ったく…」

 俺は興味津々といったレンとシェルの視線を痛い程に感じつつ、
 物凄く居心地の悪い部屋を後にしたのだった



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