「ねぇねぇ、しぇる…れんのおにーちゃんの、おにーちゃんのところに、いってもいいっ!?」


 戻って来るなり、シェルは興奮気味に詰め寄ってきた
 俺たちはその言葉の意味を飲み込むのに数秒を費やす
 おにーちゃんの…おにーちゃん―――って…誰?

「えーっと、レンさんの…?」

「うん、シェルちゃんから事情を聞いたんだよ…旅が終わるまで何処かで世話になるって
 それで知らない人の所で世話になるよりは俺の身内の方が安全じゃないかなって
 本当は俺が住んでる所に連れて帰れるのが良いんだろうけど、物騒な事情があってね…
 だから俺の兄ちゃん―――義兄なんだけど、そこで面倒見たらどうかな〜って思ったんだ」

 シェルの中ではもう心が決まっているらしい
 レンの服に全身でしがみ付くと、俺とメルキゼに視線で訴えてくる
 いつの間に、ここまで懐いたのだろう…


「…確かに知らない者に預けるよりは安全かも知れないけれど、
 しかし向こうにも事情があるのだから私たちの一存で決定させるのは…」

 それにレン自身の素性も知れない
 恩人とは言え、数日行動を共にした相手にそこまで任せてしまって良いのだろうか

 ゴールドもレンも善い人≠セというのはわかっている
 彼が善意から…そして心からシェルを心配してくれているのもわかっていた
 けれど、だからといってその家族にまで頼ってしまうというのも流石に躊躇われる

「大丈夫だよ〜それに、俺とシェルちゃんって何か重なるんだ
 シェルちゃんは海で二人に助けられたんでしょ?
 実は俺も海で義兄ちゃん二人に拾われて、そのまま育ったんだよ
 何だか話を聞いてるうちに、どうしても他人事に思えなくなっちゃってさ…」



 シェルが以前にも増してレンに懐いたのは、二人の間に共感する部分があったかららしい
 同じ苦しみと悲しみ、そして寂しさを味わったもの同士、気が合うのだろう

「それにね、義兄ちゃんの一人は元戦士で…何かあった時にも護れるし、
 もう一人は白魔道士…まぁカウンセラーみたいなものなんだ
 一応医療知識もあるし精神面が不安定になった時に…頼りになると思うよ」

 レンの言葉には暗に、シェルがこれから精神面で病んで来ると言っていた
 この歳で親から離れ記憶さえも失っているのだ―――当然といえば当然だろう
 確かにそんな時、カウンセラーが家にいてくれれば心強い

「俺、親に会いたくなったり自分が何処の誰なのか知りたくなった時とかさ、
 不安感から泣いたり暴れたりしてたんだけど…いつも義兄ちゃんたちが慰めてくれた
 だから俺は心が何度ガタガタになっても立ち直って、ここまで生きて来れたんだと思う
 まぁ、多少ひねくれたけどさ〜…でも本当ならもっとグレててもおかしくない状況だったんだよ?」

「…レンさん…」


 自覚はあったんですね


 開き直るのもどうかとは思うけれど…
 それでもレンの言葉は重く心に残った
 最後は茶化していたけれど、やっぱりレンも辛い思いをしたのだ

 そして、その辛さは幼いシェルにも圧し掛かる
 その時、傍に的確な言葉をかけてやれる大人がいれば心強いのは確かだろう
 彼の義兄なら実際にレンを無事(?)に育て上げたのだし信用に値する…かも知れない


「しかし…申し出は嬉しいけれど…」

「あ、義兄ちゃんたちなら大丈夫だよ
 元々二人とも子供好きだからさ〜、シェルちゃんが来たら喜ぶよ
 メルさんたちの了承さえ得れば、すぐにでも手紙を出すつもりだけど…どう?」



「それは―――ありがたいけれど…しかし…」

「ああ、船なら大丈夫だよ〜費用も掛からないし
 それに丁度迎えの船を呼ぼうと思ってた頃なんだよね〜
 あの人たちなら事情を話せばもう一船くらい多く呼んでくれるだろうし
 俺はシェルちゃんと故郷に向かうから、ゴールドさんは先に戻っててね」

「ボクの方はそれで一向に構わないのです
 先に戻って準備を進めておくので心配要らないです」


 あー…何か向こうでは話がまとまっちゃってる
 シェルもレンの義兄とやらに世話になる気になってるし…

「メルキゼ…どうする?」

「そうだな…」

 俺もメルキゼも、返答に迷っていた
 本来ならシェルの立場になって考えてやるべきなのだろうけど…



「あー…レン、すみませんが…この子を連れて昼食の買出しに行って下さい」

「うん、そうだね
 後の説明はゴールドさんに任せたよ
 ―――…じゃあ、シェルちゃん行こっか?」

「あのね、しぇるねぇ〜おさかながいいな〜」

 レンはシェルの手を引いて部屋から出て行った
 その姿が少し急いでいるように見えたのは気のせいではないだろう
 意図的にシェルを連れ出したのだという事は何となく判った
 子供には聞かせたくない話題なのだろうか



「あの…何か深刻な問題でもあるんですか?」

 俺は二人が充分に部屋から離れた頃を見計らって口を開く
 俺の問いにゴールドは少し躊躇いがちに、言葉を選びながら説明を始めた

「ここは港町という事もあって人の出入りが激しいです
 中には魔女と通じている者も決して少なくは無いでしょう」

「えーっと…それが何か問題あるんですか?」

「魔女は日々、実験に明け暮れている事が多い生き物です
 そして実験に使用する素材として魔力を持つ人物が使われます
 エルフは魔法は得意ではありませんが体内に魔力を秘めています
 身寄りの無いエルフ子供は真っ先にターゲットとされることになるでしょう」

 ゴールドの言葉が信じられない
 俺は思わずメルキゼに意見を求めた
 そんな筈が無いと否定の言葉が欲しかった

 しかしメルキゼは瞳を閉じたまま、黙って俯いているだけだった
 その表情からは何も読み取る事ができない



「貴方たちもモンスターに会った事があると思います
 あのモンスターたちは魔女の実験によって姿を変えられた実験素材です
 魔力を持ったが故に、魔女たちにさらわれて行った被害者たちなのです…」

 脳裏に今まで会ったモンスターたちの姿が思い浮かぶ
 確かに奴らは恐ろしい姿をしていたけれど―――確かに人の面影を残していた

 倒したモンスターたち全てが元々は俺たちと同じ人だったのだ
 そして―――実験素材にされた被害者……


「それじゃあ…魔女に捕まればシェルもあんな化け物に…?」

「厳しい現実ですが…恐らくはそうなるでしょう
 魔女たちは強力なモンスターを生み出す事に躍起になっています
 外を徘徊しているのは、言わば投棄された失敗作が自然繁殖したものなのですが…
 実験に成功して生み出されたモンスターは、国ひとつ滅ぼす程の威力を持つと言われています」

 もう俺には、ゴールドの言葉の半分も耳に入ってこなかった
 ただ、今まで倒してきたモンスターが実は人だったと言う事実、
 そしてシェルが危険に晒されるかも知れないという恐怖に目の前が真っ暗になっていた


「そんな…それじゃあ俺たちと一緒に行かなくても結局シェルは危ないんじゃないか…!!」

「ええ、この町にいても貴方がたと同行しても…どの道危険なのです
 だからこそ―――ボクはあの子をレンの義兄に預けて欲しいと思います
 レンの故郷はお世辞にも栄えているとは言えない土地にあります
 そこなら魔女たちが狩りに来る危険も最小限に抑えられるでしょう
 それに一応戦士でもありますから…気休め程度ですが心強さも得られると思います」

 シェルの安全を最優先したい
 あの子を化け物なんかに変えさせたくない
 そう思うのは俺もメルキゼも同じだった


「…メルキゼ…」

「ああ」

 一言だけの短い会話
 しかしそれだけで俺たちは意思の疎通ができた

「シェルの身の安全が保障されるなら…」

 俺はそう言うと、軽く息を吐いた
 頭の中がごちゃごちゃで良くわからない
 とにかく、物凄く疲れていた



「あの子の事は、こちらに任せて欲しいのです
 住所も判っているので手紙の遣り取りも出来ますし…
 ボクの方からも出来る限り、あの子の援助をして行くつもりです」

「それは、正直ありがたいけれど…
 本当にそこまでして貰って悪いと思う」

「良いのです…ボクも子供の頃、実親と離れて暮らしていましたから
 やっぱり子供には惜しみない愛情を与えて育てるべきだと思ってます
 頼る事の出来る相手の大切さは、自分自身で痛感していますから…」

 ゴールドも苦労して育ったらしい
 何かこの世界の人って、親と離れて生きるケースが多いような気がする
 事情は人それぞれだけれど、犠牲となるのはいつも子供ばかりだ
 レンも、ゴールドも、そして――…メルキゼも


 居た堪れない
 この世界は俺が生まれ育った所とはまるで違う

 平和な世界で当たり前のように生きてきた俺
 当然の権利として受けてきた家族からの愛情
 流されるままに学校に通い何の疑問も無く過ぎて行く日常
 大した苦労も努力もせずに、要求ばかりして生きている自分…

 彼らと今ここで肩を並べることが許されるのだろうか
 背負ってきた物も見てきた物も、何もかもが俺とは比べ物にならない
 それなのに、彼らに混じって一緒に話をしている現状
 彼らと同等の扱いを受けている事に、不安感が募る


 …俺には、そんな権利無い――…

 取り残されたような孤立感
 自分と彼らの間にある深い溝、厚い壁が俺の存在を拒む
 いや、元々世界が違うのだから当然といえば当然なのかも知れない

 …それでも、それでも俺は彼らと…メルキゼと…同等でありたい
 これ以上メルキゼとの距離を感じるのは嫌だ
 今までの人生も背負ってきた痛みも、世界すらも超えて――…彼の隣に居たかった

「ま、無理なんだけどさ」

「―――何が?」

「…あ…っ☆」

 無意識に考えていた事が口に出ていたらしい
 何処まで喋ってしまっていたのか気になるところだ
 頭の中の言葉全部が声に出ていたら恥かしい事この上ない
 俺は何でもない、と手を振りながら愛想笑いを浮かべた

「疲れているのか…?
 昼まで休んでいた方が良い
 そろそろ部屋へ戻った方が―――」

「そっ…そうだな
 ゴールドさん、俺…失礼しますね」

 俺は逃げるように席を立つ
 疎外感から抜け出したかった
 それが俺の一方的な被害妄想だとしても


「わかりました、ごゆっくり
 ランチはご一緒して下さいね」

 朗らかに微笑むゴールド
 その笑顔が眩し過ぎて惨めな気分になる
 俺は曖昧に頷くと早足に部屋を後にした


「――あ…っ…カーマインっ!?」

 慌てて立ち上がるメルキゼ
 彼の後を追おうとして―――思い留まる

「もしかすると、一人になりたいのかも知れない…」

 彼なりに何かと思う所があるのだろう
 それに、考え事でもしたいのかも知れない
 だとすると自分が一緒に行っては邪魔になる

「…追わないのですか?」

「もう少し、時間を置いてから行こうかと」

 カーマインも幼い子供ではないから、大丈夫だろう
 自分から見ると、まだまだ手を掛けてやりたくなる歳だとしても

「そうですか…それでは座って下さい
 せっかくですから、お話しでもしましょう」

 ゴールドはメルキゼを座らせると、彼の前にカップを置いた
 湯気を立てた紅茶が甘い香りを立てる
 メルキゼは半ば義務的にそれに口をつけた




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