「ただいま…!!」


 シェルとメルキゼは一緒に戻ってきた
 どうやら無事に会う事が出来たようだ


「シェルちゃん、随分遅かったねぇ?
 お菓子いっぱい食べてきたのかなぁ?」

「うん、それで…めるきぜでくのおにーちゃんがね、
 おいしいから、かーまいんのおにーちゃんにも…って」

 シェルは嬉しそうにメルキゼの手を指す
 見ると、彼は両手に包みを抱えていた


「…ああ、レシピを教わって自分でも焼いてみたのだけれど、
 初めてにしては美味しく出来たと思って…味見してくれないか?」

「……メルキゼ……」

 わざわざ朝早くから、俺の為に…?
 じわ、と暖かいものが湧き出てくるのを感じた

 メルキゼはいつも優しい
 そして俺を気遣ってくれる

 けれど今は素直に喜べなかった
 優しくされればされるほど、それが失われる事に恐怖する

 大切にしてくれるのも今のうちだけ
 やがて離れ離れになって、もう逢えなくなる運命なのだ
 俺たちは違う世界の住人なのだから

 ……あ…駄目だ、また泣きそうになってきた……

 俺はメルキゼの事を直視出来なくなる
 たまらずに視線を逸らすと、レンがフォローに入ってくれた



「えーっと…シェルちゃん、俺とお風呂にでも行って来よっか?
 この宿って海底温泉がひいてあることでも有名なんだってさ〜
 俺、温泉は体質的に駄目なんだけど海水なら大丈夫みたいなんだよ」

 どうやらレンは気まずい空気からシェルを連れ出そうとしてくれているらしい
 シェルも子供なりに俺の様子が変であることに気付いているようだ
 そわそわと、どこか落ち着かない様子を見せている

 しかしレンの誘いに一変、急に瞳を輝かせた
 どうやらシェルはお風呂が大好きらしい
 とても嬉しそうに、わくわくとした表情をしている









「今なら空いていて気持ち良いよ
 だから一緒にお風呂に行こうね?」

「…うん……みる!!



 何を!?


 何処をっ!?


 俺たちの心の突っ込みが見事にハモった
 レンはバスタオルを取り出す姿勢のまま固まっている

「…あ…ごめん…、はいる…だった…」

「そ、そう…だよね…あははは…」

 レンは引き攣った笑顔を浮かべる
 その笑い声は見事に乾いていた…

 ―――頑張れ、レン
 しっかり見られて来い

 俺たちは笑顔で二人を見送った


「…ええと、今日は天気も良いのです
 折角ですから外で食べて来てはどうです?」

 さり気に宿から避難させてくれるゴールド
 俺とメルキゼは言葉に甘えて外に出る事にした




 外は本気で良い天気だった
 何かもう…さっきまでのシリアスな雰囲気は空の遥か彼方へ吹っ飛んで行ったらしい

「あー…力抜けた…
 というか、もう疲れた…」

「カーマイン…まだ朝なのだけれど…」

 そう言うメルキゼも何処か疲れているように見える
 朝起きるのが早かったせいか、それとも大量に出血したせいだろうか
 後者だったら、ちょっと悲しい…

「疲れている時は甘いものが良い」

 メルキゼは抱えていた包みを開け始める
 …折角だし、食べてみるかな…朝食もまだだし
 俺たちは花壇の前に座る事にした

「食べてみてくれ」

 差し出された包みには、焼き菓子が沢山詰まっていた
 ふわりと甘い香りが花の香りと混ざって宙に漂う

「へぇ…豪華だね」

 チョコレートのかかったビスケットにクリームやフルーツがサンドされて彩りも綺麗だ
 カラフルで可愛くて、いかにも女の子が喜びそうな感じのお菓子
 甘党のメルキゼのお気に入りと言うのも納得できる

「これがカスタードクリームで、こっちはマロングラッセ
 リンゴとラフランスのコンポートが入っているのはこれで…」

 全部味が違うらしい
 凄い凝り様だと感心してしまう
 メルキゼは俺が食べるのを、じっと見つめていた

「…どう?」

「うん、美味しい」

 サクサクのビスケットとコクのあるクリーム、甘さを抑えたフルーツのバランスが絶妙
 メルキゼの料理の腕は天才的だと思っていたけど、まさかお菓子まで得意だとは…

 緊張した面持ちで俺の反応を窺っていたメルキゼ
 しかし俺の言葉に嬉しそうに顔を綻ばせた

 …そこまで露骨に喜ばれると恥かしい
 でもちょっと優越感を感じたり

 いずれは他人の物になる彼の優しさ、微笑み
 けれど今だけは自分が独占できる
 この旅の間だけ限定でも構わない
 俺の事だけを見つめていて欲しかった


「…メルキゼ」

「ん?」

 …しまった…

 とりあえず呼んでみたけれど特に用は無いのだ
 ただ、俺の方に視線を向けて欲しかっただけだった

 けれど呼んだからには何か言わなければならないだろう
 でも、とてもじゃないが『ちょっと呼んだだけ♪』なんて言えない…恥かしくて
 何でも良いから恥かしくなくい言い訳を考えなければ―――…!!

「えーっと…その―――…ああ、ほら花が……綺麗だよな」

 何言ってんだ、俺…
 自分でもわざとらしいと思う
 それでも花壇の花を指差して気まずさを誤魔化した

 メルキゼはそんな俺の内心を知ってか知らずか…花壇に一歩踏み入れる
 カサブランカに似た大輪の花が咲き乱れる花壇
 花の中に立つメルキゼは何処か儚気で脆そうに見えて不安になる
 けれども彼は静かに微笑んで俺の心の曇りを一掃した

「本当に、綺麗――…」

 うっとりと花を眺める、彼自身の方が綺麗だと思う
 花弁に指先を滑らせる仕草、香りを楽しむ姿勢…全てに釘付けになった









 ……って、何か変だな俺…

 今までこんな風にメルキゼを見つめた事なんてなかったのに
 レンにあんな事言われたから必要以上にメルキゼを意識しているのだろうか…

 …うん、きっとそうだ
 もう少し経って冷静さを取り戻せば、いつもの状態に戻るだろう
 責任転嫁する事でようやく落ち着く心の弱い俺
 いいさ、人間は誰だって弱い生き物なんだ…たまには目を瞑ってくれ
 俺は心の中で言い訳とレンに対する謝罪を同時に呟いた


「レンさん…か…」

「…レンがどうかしたのか?」

 恩人の仲間を呼び捨てかい…
 まぁ、メルキゼの方が年上だし良いのかもな
 レン自身あまりそういう事にこだわらなさそうだし

 でも可愛い顔して結構キツい性格だった
 もしかして、恋人に対してもあんな感じだったりして…
 まぁ、きっと恋人のレグルスも負けず劣らずの性格の持ち主なのだろう

「…レンさんの恋人って、どんな人なのかな…って思って」

「聞く所によると全身がツンツンとした、トゲだらけの男だそうだ」


 本気でどんな人なんだ!?


 トゲだらけの男の姿を想像してみる
 しかし脳裏に浮かぶのはハリネズミやサボテン、ハリセンボン…
 だめだ、人の姿で想像できない…

「しかも恋人、本気で男だし…
 いや、良いんだけどね…慣れてるし」

「な、慣れてる…のか!?」

 ぎょっとした顔で固まるメルキゼ
 もしかして、ひかれたのかも知れない
 ドレス着た男にそんな態度を取られるのはちょっと心外なのだけれど…

「俺の恋人が、そういう趣味だったんだよ
 おかげで俺までそっちの道に引きずり込まれて…
 出来れば一生使い道の来ないで欲しい知識が豊富になったんだ」

「私の知らない知識を随分知っているのだな
 使い道があるのかどうかは別として

 そうだな…使い道なさそうだな…
 でも仮に使うとしたら相手は9割方お前だ
 警戒心持たれても困るから言わないけれど


「しかし…そうか、君の恋人も男だったのか…」

断じて違う


 俺は思わずメルキゼに裏拳をかました
 奴の場合、ちょっとした誤解が予想だにしない方向へ吹っ飛ぶ可能性がある
 面倒だけれどこの際はっきりと説明してやった方がいいだろう

「とりあえず断言しておく―――俺の恋人は女だから安心しろ
 まぁ同人女…えーっと、要するに野郎同士の関係に興味あったんだ
 だからそういう話題なんかは耳にタコ出来るくらい聞かされてきたんだよ」

「成程…他人の恋路は楽しいものだからな」

 そこで納得して頷かないでくれ…
 これから俺の苦労話云々を語りたいと思ってたのに続かないじゃないか
 まぁ、あまり刺激的な話は避るべきだから結果的には良かったのかも知れないが…


「えーっと、とりあえず写真見せるな?
 この娘なんだけど…いつもポケットに入れてるんだ」

 俺は胸ポケットに入れている要の写真をメルキゼに手渡した
 暗くて出不精な俺とは対照的な明るくて活発な彼女
 自分には無い物を持つ彼女に、いつも憧れていた

 そう、恋心と言うよりは憧れだった
 止まりがちな足元を照らしてくれる太陽のような存在
 全てを委ねられる、自分をいつも導いてくれる存在―――…

 たとえ、導かれる先がめるくめくホモワールドだったとしても…


「彼女と過ごした日々は楽しかったな…
 強引に引き摺られて振り回されながらも充実してた
 自分の中だけの狭い世界から連れ出してくれた唯一の人だった」

 彼女に教えられた世界もまた健全なものではなかったけれど
 むしろ以前にも増して偏った世界へ連れて行かれたような気がしなくも無い
 それでも楽しかったのだと思うあたり、もう戻れない所まで来てるのかも知れない

「名前は要≠チて言って、俺の幼馴染だったんだ」

「…カナメ…そうか、彼女は君の人生の要≠ニなる人物だったのだな
 古来より名は体を表すと言われているものだが、まさにその通りの名前だな
 彼女は恐らく、君の人生の中で重要な存在と成るべくして生まれてきたのだろう」

 …メルキゼ、お前…

 何か言ってる事がジジ臭い
 いや、良い事は言ってるんだけどさ

 ちょっとウンチク&説教好きな迷惑老人と重なるものが…
 思わず苦笑を浮かべる俺の隣で、しかしメルキゼは神妙な表情をしていた


「…そうか…この娘が…」

「おいおい、そんなに見つめるなよ」

 ちょっと…いや、かなり恥かしい
 親友に恋人を紹介する時は、こんな気分なのだろうか
 優越感と誇らしさ、そして羞恥心が入り混じった不思議な感情だ

「お世辞にも美人って訳じゃないけどさ」

「実に力強い瞳をした娘だ…
 己の進むべき道を真正面から見つめているのだろうな」

 それはまっとうな道なんでしょうか
 いや、本人が幸せなら良いんだけどさ…

「この娘は君に愛されているのだな…羨ましい」

「いや〜確かに大切な人だったけど、
 面と向かってそう言われると照れるなぁ」

 じんわりと頬が熱を持つ
 今まで彼女の話を他の奴とした事なんて無かった
 彼女以外にあまり親しい人がいなかったのが主な理由なのだが…

 しかし今までに一度も出た事の無い話題だったと言う事に今更ながらに驚く
 折角の機会だからと俺はメルキゼに要の事を話すことにした
 彼女との初めての出会い、付き合うまでの経緯…
 思い出の蓋を少しずつ緩めながら、ぽつりぽつりと話してゆく

 彼女との楽しい日々を思い起こしながら、いつしか俺は話に夢中になっていた
 没頭した状態の俺は、周囲の事に気を配るだけの余裕が失せていた


 だから次第に光を失って行く彼の瞳に、俺は最後まで気付く事は無かった


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