「レンさん、そういえばシェルはどうしたんですか?」


 ゴールドの話によると、確か一緒だった筈だ
 しかし彼は天井から独りで帰ってきた
 となるとシェルは…?

 俺の不安を晴らすように、レンは笑顔で答えてくれた
 頭と背中の羽を消した彼は身体の筋を伸ばすようにストレッチをしている

「あ〜重かった…久しぶりに飛んだら背中がバキバキだよ…
 えーっと、シェルちゃんなら宿のおばさんにお菓子焼いて貰ってたよ
 お腹がいっぱいになったら戻って来るって言ってたから心配ないと思うな」

「大人がついているのなら大丈夫なのです
 あの子は年齢のわりに、しっかりとしていますし」

 しっかりしているというか、ちゃっかりしているというか…

「シェルちゃんって、エルフなんだよね?
 何か恋人が恋しくなって来ちゃったなぁ…」

 レンはしみじみと宙を見つめる
 恋人を想っているのだろう

 しかし…

 レンの恋人って、何か色々と大変そうな気が…
 それよりもナルシストって恋人作るものなのか!?
 自分で自分が好きな人の事をナルシストって言うんじゃなかったっけ…?

 …その辺は深く突っ込んじゃいけないのだろうか…



「レンさんの恋人ってエルフなんですか?」

 とりあえず無難な質問をしてみる俺
 果たしてナルシストのお兄さんは一体どの位恋人を愛しているのだろう

「うん、レグルスっていってね、かなり血は薄くなってるんだけど一応エルフの血筋なんだよ
 でも純粋なエルフと比べるとちょっと耳が長いだけだから外見上からはちょっと判り辛いと思うな」

 純粋なエルフほど耳が長いのだろうか…
 でも恋人の事を話しているレンは幸せそうだ

「レンさんの恋人っていうからには綺麗な人なんでしょうね」

 男のレンがこれ程までに可愛いのだ
 相手の女性も、さぞかし美人なのだろう

 しかしレンは笑顔で、


「うーん…綺麗と言うよりはワイルドな男らしさっていうのかな…?
 まぁ所詮は近頃ようやく皮が剥け始めてきたガキなんだけどね」


 …………。

 …あの…皮って…皮って……

 レグルスさん…何か恋人に物凄くプライベートな事暴露されてますよ…
 俺は聞かなかった事にした方が良いんでしょうか…いつか出会った時の為に

 ところがレンはそんな事は露程にも気にしちゃあいなかった

「やっぱり純粋なエルフじゃないから成長も遅いみたいでね、
 20歳過ぎてからやっとだったんだよ…それでね、あんまり遅いからさぁ、
 もしかしたら皮の中で腐ってんじゃないかって心配してた所だったんだ」


「……そ、そうっすか……」

「うん、剥けかかってきた皮をびろーんって引っ張って遊ぶのは楽しかったなぁ…
 何でかは知らないけど、やたらと良く伸びるんだよね〜あれって何センチ伸びてたかな?
 でも、あまり引っ張り過ぎて全部剥け切らなくなったら困るから自粛してたんだけどさ」

 引っ張ったら成長妨害になるんですか…?
 いや、それよりも恋人は痛がりませんでしたか…?
 何かレグルスさんって恋人というよりはレンさんの玩具になってるような…


「えーっと、あれから数週間経ってるから…
 順調に行ってれば、もう全部剥けきってるかも知れないね
 一皮剥けて大きくなったレグルスを見るのが今から楽しみだよ」

「…は…はは…そーっすか…」

 笑顔のレンには悪いけど適切な返答が思い浮かばない
 仕方なく日本人特有の曖昧な笑顔で微笑んでみる俺
 その横ではメルキゼが石像のように固まっていた
 そりゃもう、瞬きすらせずに

「メルキゼ…大丈夫か?
 まさか呼吸まで止まってないよな?」

 不安になって脈を計ってみたり…うん、とりあえず生きてるな



「レン…駄目じゃないですか
 今のは多大な誤解を招くのです…

 ゴールドは指先で額を押さえた
 どうやら俺たちは何かを多大に誤解したらしい
 でも何をどう誤解しているのかが判らない…

「ええと、ボクの方から誤解の無いように説明します
 エルフというのは成長期に皮下組織の形成が一般的な生物と比較すると―――」

 …えーっと…
 何だか生物学の授業のようになってきたな…
 まだ朝だと言うのに、このままだと再び睡魔に襲われかねない

「あの、もう少し簡潔にお願い出来ますか…?」

「そうですね…要するにエルフは脱皮して成長するのですよ
 その下準備として全身の皮膚から皮下脂肪が…ええと、つまり皮が伸びるのです」

「あー…そ、そういう事だったんすか…」

 何か物凄く気恥ずかしいものを感じる
 俺とメルキゼは軽く咳払いをして気を取り直した


「…そう言えばシェルの手の皮が伸びてたような…」

「純粋なエルフは大抵10歳くらいで始めての脱皮をするそうですよ
 最初伸びて弛んだ皮が、次第に乾燥して剥がれ落ちてくるのですが…」


 エグい…


 ちなみに皮の中から出てくる生物は、ちゃんと人の形をしているんでしょうか…



「…学校では学べない知識が満載っすね…」

 というより、地球上では学べない知識と言った方が正しいだろうか…
 どちらにしろ今後生きて行く上で役に立つかどうかは謎である

「ねぇねぇ、カーマイン君って高校生?」

「…………大学生です」

 良く高校生に間違われるから今更気にはしてないさ
 でも、それが果たして小柄だからなのか童顔だからなのか…
 それとも精神年齢的なものからなのだろうか、と言う事に関しては気になる

「ええ〜っ!?
 じゃあ俺と同じくらいっ!?
 ねぇねぇ、歳はいくつなの!?」

 あの、レンさん…
 何でそこでショック受けたような表情するんですか…?
 何が不満なんでしょう!?

「一応21歳ですけど…」

「あ〜良かった…俺の方がひとつ上だった…」

 …レンさん…
 何でそこでホッとするかな!?

 ふん…俺よりちょっとだけ背が高いからって…
 プライドが傷付いて、いじけてみる俺

 そしてレンの横ではゴールドが、

「…うそ…ジュンより年上なのですか…!?」

 何故か、そっちはそっちで傷付いていた
 俺…別に悪い事はしてないよな…?



「えーっと…ジュンさんって、ゴールドさんの恋人ですか?」

 思いっ切り男の名前かも知れないけど…
 でも『順子』とかいう名前の愛称という可能性もある

「ええ、ジュンはボクの恋人で…
 とにかく物凄く可愛くてしょうがないのですよ」

 うっとりと頬を染めて此処では無い何処かを見つめるゴールド
 もしかして俺、惚気られたんでしょうか…

 この人の恋人をやってるのも大変なんじゃないだろうか
 でもレンの恋人より人道的な扱いを受けていそうな気がするのは何故だろう…


「ジュンをお姫様抱っこしながら庭を散歩するのが大好きなのです
 でも本人はさらしものにされてるようで恥かしいと言ってボクを焦らすのですが…
 頬を染めて涙ぐみつつお願い、おろして…≠ネんて可愛い事言われては手放せませんよね」

 それは可愛がってないで止めてやって下さい
 きっと本人は本気で嫌がってるんだと思います…

 でもお姫様抱っこで散歩って重くないんだろうか

「……きっと小柄な恋人なんですね」

「いえ身長はレンより1cm高いでのす
 確か丁度170cmだった筈ですが…」

 …………。
 それって俺より5cmくらい高いってことだよな…
 ちょっと女性にしては大柄なんじゃ…

 ああでも日本人の基準で考えちゃいけないのかも知れない
 どちらにしろ言えることは、

「ゴールドさんって…力持ちなんですね…」

「うーん…一応分類としては戦士だからねぇ…
 でも魔法も使えるし薬も作れるし、腕力だけじゃないんだよ
 まぁほら、俗に言う器用貧乏ってやつだと思ってくれれば良のかな〜?」

 レンさん…
 貧乏は余計です



「…えーっと…本当にゴールドさんの薬には助けられました」

 とりあえずフォロー
 事実彼の薬でメルキゼは救われたのだ

「いえ…ボクの薬が人助けになって嬉しいのです
 こんなに喜んで貰えて、ボクとしても励みになるのです」

 いい人だ…

 多少言動に腹黒いものを感じても、やっぱり根は優しい人なのだろう
 そうでなければ率先して人助けをしようなんて思わない
 人の為になる薬を作る才能も、彼の優しさならではのものだと改めて思う


「恋人にえっちな薬を飲ませたいっていう動機から始めた薬草学が、
 まさかこんな所で役に立つなんて…本当に世の中ってわかんないものだよねぇ…」

「ええ、ボクもそう思うのです
 本当に世の中、一体何が役立つかわかりませんね
 あんな不純な動機から学んだ知識が人命救助に役立つなんて…」


 ちょっと待て



 前言撤回しても良いですか
 貴方が本当にいい人なのか、ちょっと自信が無くなって来たんですけど…

「あの…エッチな薬って…」

「うん、あれは凄かったんだよ〜
 あんなに乱れたレグルス初めて見たなぁ…」

 …………。


「――…メルキゼ、シェルを迎えに行って来い」

「え…?」

「いいから早く行け!!」

 俺は半ば無理矢理にメルキゼを部屋から追い出した
 多少乱暴な手段だが、どうしても彼が意味を理解しないうちに避難させる必要があった
 メルキゼにその手の話題を聞かせるわけにはいかないのだ

 この部屋を血に染めないためにも


「…危ない危ない…」

 とりあえずセーフ
 また恥かしがって鼻血を噴出されたら大変だ

「…すみませんがメルキゼの前で下ネタは控えてくれませんか…?」

 出来の悪い子供の粗相を謝罪する親の気分だ
 俺は恥を忍びつつ、ふたりにメルキゼがいかに猥談に弱いかを語った


「そ、そうなのですか…話題だけでもタブーなのですね…
 視覚的、触覚的刺激が無ければ大丈夫だと思ったのですが…」

 ゴールドは今朝方の惨事を思い出したのだろう
 額に一筋の汗を流しつつ、虚ろな笑いを響かせた

「ふぅん…そんな事があったんだぁ…
 ごめんねぇ〜俺がメルさんに変な事言ったばっかりに…」


 夜明けのコーヒー云々の知識を吹き込んだのはレンだったらしい
 まぁ…何となく予測はついていたから今更って感じだけど…
 それよりもレンがメルキゼの事を『メルさん』と呼んでる事の方が驚きだ

 よくあのメルキゼにそんなにフレンドリーな呼び方出来るな
 確かにレンはあまり人見知りしそうに無いけれど…


「何かメルキゼって近寄り難いというか…少し距離を置きたくなる様な気がしませんか?
 ほら、図体が無駄に巨大で迫力あるし、喋り方も元気が無くて暗いし、目つきも鋭いし…」

 今でこそ旧知の仲のような俺たちだけれど、初対面から一週間くらいは酷いものだった
 互いに緊張して黙ったまま何時間も向かい合っていたり、よそよそしい会話で余計に気まずくなったり…

 まぁ、俺の場合オカマ姿に怯えていたって事もあるけどさ
 髪型も何かテレビの中から這い出てきた少女の霊っぽかったし…
 その点から言えば普通の服装をしている今のメルキゼの方が受け入れやすいだろう


「うーん…俺はあんまり外見で偏見を持たなくなったなぁ
 俺の恋人のレグルスも見た目とか口調とかは怖いけど中身は優しいから…
 意外とさ、外見が怖かったり言葉が乱暴な人に限って良い人だったりするものなんだよね」

「どちらかと言えばメルキゼデクさんの方がボク達を避けていたのです
 内気で人見知りが激しい上に警戒心も強い人みたいですから
 それでも震えながらお礼を言いに来てくれたりして…良い人だと思いましたよ」

 ほんの数日でメルキゼの人間性を見抜くとは―――恐るべし、ゴールド…
 どうやら彼には人を見る目があるらしい

 うーん、伊達に歳はとってないということなのか…

「それにね、もうメルさんと話する時のコツつかんだから大丈夫だよ〜
 メルさんって頭の中カーマイン君の事でいっぱいだから、その話題をふれば良いんだよね」

 ……はい?
 何で俺…?


「メルキゼデクさんに話をする時には、まず『カーマインさんの調子は如何ですか?』と、
 最初に一言、挨拶代わりに口にすると警戒心を解いてくれるみたいなのです
 貴方の事を話すメルキゼデクさんは本当に嬉しそうで幸せそうで…ボクも嬉しくなるのです」

 えーっと…どうコメントしたら良いんだ…?
 それより、嬉しそうなメルキゼってあまり想像できないんですけど…

「…愛されてるねぇ…カーマイン君」

 レンさん…目がカマボコ型になってます…
 何がそんなに嬉しいんですか…?

「愛って言うか…メルキゼにとって俺は手の掛かる弟みたいなものなんでしょうね」

「…えー…弟…?」

 何でそこで不満そうな顔するんですか、ふたりともっ!?
 一体どんなコメントを期待してたんですか

「俺、てっきり発展途上中のカップルだと思ってたよ
 むしろカーマイン君がそう思ってるだけで、メルさんは…」


「絶対そんな事ありませんから」


 頼むからそんな同人女的発言して嬉しそうにしないで下さい…
 俺は深々と溜息を吐いた
 せめてもの救いは、この場にメルキゼがいなかった事だろう

 …追い出しておいて良かった…

 こんな話、絶対に聞かせられない
 メルキゼは色恋沙汰にも免疫が無いのだ

 …それに―――…


「メルキゼにはもう、好きな人がいますから」

「えぇ〜っ!?
 うそ…カーマイン君よりも!?」

 目を見開いて驚くレン
 頼むから俺を天秤にかけないで…



「聞く所によると、片思いらしいですよ
 しかもライバルと奪い合っているとか…」

「うわぁ〜…愛の争奪戦っ!?
 メルさんって情熱的な人だったんだねぇ〜…」

 感嘆の息を吐きつつ、興奮を隠せないレン
 内気だと思っていたメルキゼの意外な一面を知った事に感動しているらしい

 まぁ、俺だって始めて聞いた時には驚いたけどね…

 だってあの内気で人見知りのメルキゼが争ってまで欲しいと思う程愛しているなんて
 彼にそこまで想われていると言う事を、その人は知っているのだろうか…

 メルキゼは抜けている所もあるけれど、基本的には優しくて面倒見の良い奴だ
 顔も整っているし身長も高くて力も強い…そして何より家事が得意で生活力もお墨付きである
 彼のような男に情熱的に想いを告げられたら8割方の女性が靡くのではないだろうか


「俺、メルキゼには幸せな家庭を築いて欲しいと思ってますし…」

 メルキゼは本当ならもう結婚して子供の一人くらいいても良い年頃だ
 寂しがり屋の彼には人一倍暖かい家庭を持って欲しいと願っている
 彼ならきっと良い夫として、良い父親として生きていけるだろうから

 …俺がいなくても、他の誰かが彼を支えてくれるから…

 俺を護ってくれたその手は、やがて俺の知らない女性を護る為に使われる
 不器用でぎこちない微笑を向ける相手も俺ではなくなる
 彼の澄んだ瞳に映る姿も、俺の知らない人―――…

 時と共にメルキゼ中から俺は消えてゆくのだろう…



「カーマイン君、無理しないで」

「……えっ……?」

 顔を上げるとレンが至近距離にいた
 いつの間に来たのだろう…全然気付かなかった

「泣きそうな顔してるよ
 ごめんね…嫌な話しちゃって」

 …泣きそうな顔…?

 そんな筈はない
 だって、俺は―――…

「…俺は……俺は………」

 …それ以上続ける言葉が見つからない
 俺は何て言いたいのだろう…それすらわからない
 形にならない何かが苦しみに姿を変えて、俺を攻め立てた

「…ごめんね、そんなに苦しまないで…」

 レンの手が胸に触れる
 メルキゼのとはまるで違う、少しひんやりした柔らかい手だ


「…別に…苦しんでませんって…
 嫌だなレンさん、何を変な想像してるんですか…?
 あいつの事は好きですけど、恋愛感情なんかじゃありませんって」

 恋愛感情じゃない―――自分で言った言葉に、自分で傷付く
 身体の中に大きな氷の塊が落とされたような気分だった

 冷たくて痛くて重くて…全身が冷え切っていくような錯覚に陥る
 この氷を溶かす事が出来るのは、彼の熱い程の温もりだけだろう

 けれど、俺はそれに気付かないふりをした
 それは求めてはいけない―――自分の為にも、彼の為にも…


「…それにしても、あいつ遅いですね
 まったく、長々と何をやってるんだか…」

 家の中で迷子になってたりして、と冗談めかして笑ってみせる
 想像以上に上手くに笑えた自分に驚きながら


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