携帯電話の着信音が鳴り響く


 ゲームのオープニング曲だ
 着信音で誰がかけてきたのか判別出来る

 この曲は――…美術部の後輩だ


 俺は寝ぼけ眼を手で擦りながら、
 散らかった部屋の中から携帯電話を探し当てる

 書きかけの原稿やトーンが散乱していても、
 どんなに部屋が汚れて荒れ果てていても、
 何が何処にあるのか察する事が出来る俺の勘は素晴らしい

 …決して褒められた事じゃないが



「……タケ、どうした?」


 タケ
 俺がそう呼ぶ彼の本名は武瀬 純

 美術部唯一の後輩
 とは言っても、この部は先輩と後輩の上下関係は皆無だが



『…ぁ…せ、先輩っ…!!』

「ん、どうした?」

『先輩…助けて下さいっ…!!』


 受話器の奥から聞こえてくる彼の声は、
 尋常じゃないほど切羽詰っている

 助けを求めるその声は、明らかに震えていた


「た…タケ!?
 一体どうした!?」

『た、助けて……寒い!!


 ………。

 ………………。


「………は?」

『部屋が寒いんです!!』


 だからどうした



「…そっか
 じゃあストーブ付けろ、以上」

『ま、待って下さいっ…!!
 ストーブが…ストーブがつかないんですよ〜っ!!』


 涙混じりの情けない声

 こんな内容で電話が来たのも、
 助けを求められたのも初めてだ


 そんな事で一々電話してくるなと叫びたい
 こっちは原稿で、ほぼ徹夜状態なのだ

 …しかし、自分を頼ってきた後輩を無碍にする事も出来ない



『ちゃんとコンセントは入っているし、
 電源スイッチも押しているのに…火がつかないんですよ〜っ!!』

「んー…故障か?
 まさかとは思うけど、ちゃんと灯油は入ってるよな?」


『……………灯油?』

「うん、灯油」

『だって…コンセント差し込んでるのに!!
 点火する為には更に灯油も要るんですか!?』


 知らなかったのか!?


「ちょっ…お、おい、タケ!?
 お前、何でストーブの使い方知らないんだよ!?」

『そもそもストーブなんて使った事、無いんです!!』

「なっ…だ、だってお前…
 ストーブ無しで今までどうやって生きてきたんだ!?」


『俺、生まれは関東ですけど、
 育ちは沖縄なんですよ〜っ!!』

「そ、それはまた一気に北上したもんだな…」

『うわああああああああん!!
 助けて先輩…部屋の中なのに、吐息が白いぃぃ――…っ!!』

「…わかった、わかったから
 今から灯油かってそっちに行くわ」



 俺は電話を切ると、
 軽く顔を洗って上着を羽織る

 何だか宇宙人の面倒を見ている気分だ


「タケの家…最寄の駅は、地下鉄東豊線…か」

 定期券をポケットにねじ込むと、
 俺は小走りで駅へと急いだ

 …とりあえず大通り駅まで行けば乗換えが出来る


 不意に、再び鳴り響く着信音


「……どうした?
 これから地下鉄乗るから、かけてくるなよ」

『せっ…先輩…助けてぇ…
 蛇口をひねっても、水が出てこない…っ…!!』


 何てお約束なんだ

「…タケ…それは水道管の中で水が凍ってるんだ
 寒い地域ではな、冷え込みそうな夜は、
 予め水道管の水を落としてから寝るんだよ…
 まぁ、この手のミスは道民でもたまにやるけどさ」


 彼に慰めの言葉をかけると、
 俺は急いで地下鉄に飛び乗る

 手間の掛かる弟を持った心境がよくわかる
 もしくは生活能力の無い夫を支える通い妻の心境か

 …洒落にならない

 俺は頭を掻きながら苦々しい笑みを浮かべると
 地下鉄内の広告を目で追いながら時間を潰した





「タケ、来てやったぞ」

 呼び鈴を鳴らすと、
 物凄い勢いで玄関のドアが開く


「せっ…先輩…っ…!!」

「………今度はどうした?」

卵が割れません!!

 何事だ


「卵が凍って…氷の塊に…っ…!!」

「…お前さ、その卵…
 ちゃんと冷蔵庫に入れていたか?」

「買った後、冷蔵庫に入れ忘れてました」


「……冷蔵庫に入れてない食材、
 見事に全部シャーベットと化してるぞ、それ
 北海道の冷蔵庫はな?
 食材を凍らせない為に存在すると言っても過言じゃないんだ」

「そう…みたいですね…
 卵、落としても割れませんでした
 きっとバナナでクギも打てるんでしょうね…」


 凍りついた食材を片手に、
 壁に向かって遠い視線を向けるジュン

 見てて凄く面白い



「…とりあえず、灯油買ってきたから」

「あ、あ、ありがとうございます…っ…!!」

「これで部屋も暖かくなるから、さ」

「は、はい…!!」


「だから…いい加減、その、
 頭から被った布団を外せよ
 俺、最初座敷わらしかと思って驚いたぞ」

「だ、だって寒いんですよ〜」

「だからって布団を着るな!!
 今ストーブつけてやるから待ってろ」


 慣れた手つきで灯油を注ぐと、
 スイッチ1つでストーブはすぐに点火する

 …やっぱり原因は灯油か





「…はぁぁ〜…生き返る……」


 ストーブの前で体育座り

 火に炙られながら恍惚の表情を浮かべるジュンを前に、
 カーマインは空笑いで場を取り繕う事しか出来なかった


「…鎌井先輩…」

「うん?」

「俺、先輩がいなければ生きて行けません…
 これ…大袈裟でも比喩でも無くて、本気でそう思うんです」

「ああ、俺も何となくそんな気がしてきたわ」


 恐らく彼を見捨てたら、
 近い内にこの場から凍死体が発見される事だろう


「…先輩…」

「んあ?」

「俺の事、見捨てないで下さいね…?」

「………………。」


 きっと、此処で首を横に振ったら
 こいつの死亡フラグが立つ


「あ、ああ…
 俺でよければ力になるよ
 困った時はいつでも連絡してくれ…」

「はい!!
 これからお世話かけます!!

 そんなに力いっぱい宣言するな



「ふふっ…先輩と知り合えて本当に良かった…」

「う、嬉しそうだな…随分…」

「ええ、何だか頼りになるが出来たみたいで嬉しいです」


 弟かよ
 というか、どちらかといえばそれは俺が言うべきセリフ…


「…せめて兄と言ってくれ、兄と…」

「あ、すいません…つい…」

 悪かったな、童顔で




「…それじゃ、俺はもう帰るわ
 原稿の続きやらなきゃいけないんだ
 次のコミケは落とせないし…スランプが来る前に片付けておかないと」

「あっ…先輩、ちょっと待って下さい
 お世話になりましたから、そのお礼を…」

「えっ…いいよ、礼なんて」

「まぁ、そう言わないで…大した事は出来ませんが、
 先輩へのお礼に1曲捧げます


 1曲!?


「こう見えて得意なんですよ、三線」

「えっ…ち、ちょっと…待っ…」

「では参りますっ!!」


 そう言うと何処からともなく三線を取り出す茶髪男
 沖縄民謡独特の、妙に明るい旋律がボロアパートに鳴り響く

 頭から布団をかぶった男が、ストーブの前で弾き語る沖縄民謡
 まだ暖まり切っていない部屋の中は、吐息を白く濁らせる

 ここまで寒い演出の沖縄民謡を聴いたのは初めてだ


 いや、それよりも

 こういう2人だけの演奏会は、恋人相手にやれ
 男2人で向かい合ってすることじゃないだろ


 客観的に見ると、実にシュールな光景である
 しかし、それを面と向かって言う事も出来ず

 ヒクヒクと引きつる唇を叱咤しながら、
 俺はひたすら場の空気と戦うのであった





「…ええと…髪にはこのトーンを貼って…」


 その後、何とか自分の家へと戻った俺は、
 早速原稿の続きに取り掛かった

 締め切りまであとわずか
 何としても早めに片付けてしまいたい

 ………が


「…だ、ダメだ…
 頭から沖縄民謡が離れない…っ…!!」

 雪国を舞台にした同人誌を描いている筈なのに、
 どうしても耳から沖縄民謡が離れない

 頭の中に浮かぶビジョンはエメラルドグリーンの海と真っ赤なハイビスカス


「…悔しいから、今回の主人公
 タケの奴をモデルにして描いちゃえ」

 生活能力皆無のドジっ子キャラにしてやる
 そこまで考えて、キャラのデッサンを始めようとした矢先――…



 たったかたったかた〜ん♪


 再び、軽やかなリズムが鳴り響く
 この曲を耳にするのは、今日で何度目だろう


「………はい」

『あっ、先輩!!
 助けて下さい〜っ!!
 水滴が部屋中でポタポタしてるんです――っ!!』


 今度は結露か


 そっと携帯の電源を切ると、
 俺は曇った空に向かって全てを諦めた視線を送る

 描きかけの原稿を机の引き出しに押し込むと、
 脱いだばかりの上着を再び肩にかけた


「……良いんだ、原稿2回連続で落とす事くらい…
 後輩の凍死体を出す事に比べたら可愛いもんさ…ははは…」


 自棄クソな笑い声が札幌に響く

 同人誌よりも先に、
 北国での生活マニュアルを書き上げる方が先決のようである



― END ―



 ジュン&カーマインで現代モノ…
 北海道での学生生活編にござります

 時期的にはまだ知り合ってそう経っていない頃なのじゃが、
 この件を切っ掛けにジュンはカーマインに懐いたのではないかと…
 現代モノではジュンはカーマインにべったりというイメージがござります

 カーマインは何処の世界に行っても、
 誰かの面倒を見なければならぬ運命のようじゃな