「…今日も疲れました…」



 薬草畑の手入れを終え、シャワーを浴びて泥と汗を洗い流し
 ローゼルは、ゆったりと流れる穏やかな食後の一時を楽しんでいた

 ディサ国での生活を再開して、既に3ヶ月が経過した


 ジュンやレグルスと言った、新たな知り合いも増えた
 仕事は順調、生活も安定していて申し分ない

 懸念されていたラナンキュラスとの関係も、誤魔化しつつ何とかやっている



「ウリ坊、今日は何か変わった事はありませんでしたか?」

 何の気なしに訊ねた一言
 しかし当のウリ坊はギクリと肩を窄めて見せた


「……?
 ウリ坊、どうかしました?」

「う…うりー……」

 ふいっ

 気まずそうに、ウリ坊が顔を背ける
 ゴマ粒のような目は明らかに泳いでいた


「……何かありましたか?」

「うりぃー……」


 まるで親に隠し事をする幼い子供のようだ

 ウリ坊にしては珍しい
 普段から歯に衣を着せない性格の持ち主の筈だったが…

 今日はどうも、歯切れが悪い



「先輩と喧嘩でもしましたか?
 それとも、うっかり人形でも壊してしまったとか――…」

「ち…違うウリ…
 ウリ坊は今日、外でお散歩していたウリよ
 だから喧嘩も悪戯もしていないウリ…」

 それでもウリ坊の様子から、何かをしでかした事は一目瞭然だ

 下手に問い詰めても逆効果だろう
 ローゼルは黙って、ウリ坊の言葉を待つ


「ウリ坊がお散歩していたら、道にダンボールの箱が捨てられていたウリ
 不審に思って近付いたら…中から動物の鳴き声がしたウリよ」

「…………。」

 何となく
 展開が見えてきた気がする

 つまりウリ坊は散歩の途中で捨てられていたペットを見つけ、そして――…


「…拾って来たのですか」

「だ…だって、まだ子供だったウリよ
 箱の中で、たった一匹で寂しそうに震えていたウリ…」

「………ウリ坊だって、まだ子供でしょう……」


 子供が動物を拾ってきて、一家大騒動
 良く聞く話だが、まさか自分の身に降りかかるとは思ってもみなかった

 そもそも動物が動物を拾って来るだなんて誰が想像出来るだろう



「……ご主人…飼っちゃ駄目…ウリ?」

「…………家の中に連れて来ているのですか?」

「家の裏にいるウリよ
 クロ、って呼べば来るウリ…」

「も…もう名前まで付けているのですか」


 ウルウル
 小さな目が潤んでいる

 あまりウリ坊を甘やかすのは良くない
 ここで甘い顔をすれば、際限なく拾って来る可能性もある

 しかし…ローゼルが働きに出ている今、ウリ坊は留守番ばかりだ
 ウリ坊にだって、動物の友達が欲しいのかも知れない――…


「……そう…ですね
 一匹だけなら構いませんが…
 しかし私達は今、先輩の家に部屋を借りて住んでいる身です
 私ではなく家主である先輩の承諾を得て下さい」

「わかったウリ!!
 ラナンキュラスの部屋に行って来るウリよ!!」

「あっ…待って下さい、私も行きます」


 流石はウリ坊、子供でもイノシシだ
 猪突猛進に階段を駆け下りて行く

 そのスピードに圧倒されながらも、ローゼルは慌ててその後を追ったのだった





「―――…というわけなのですが」


 事の次第をラナンキュラスに説明し終えたローゼル
 不安そうな表情で固唾を呑むウリ坊

 そして――…何とも言えない顔のまま唸る家主ことラナンキュラス


「先輩、この家はペット可でしょうか」

「いや…ペット可って…
 そんな事、改めて聞かれても…既にウリ坊を飼っているじゃないか」

「ウリ坊はペットじゃありません」

「うりー!!」

「…………。」


 軽く眩暈を覚えるラナンキュラス

 百歩譲って、ウリ坊はペットじゃないとしても…だ
 この男はイノシシの子供にペットを飼わせようと言うのか

 ウリ坊に飼われる身になるペットの心中やいかに――…
 まぁ、ラナンキュラスにとっては関係の無い事だが



「………いや、もう既に一匹飼っている状態だからね
 今更もう一匹増えた所で、俺としてはどうでも良いんだけど…」

「ほ、本当ウリか!?」

「だって…もう、名前まで付けちゃってるんだろ?
 ロゼだって了承してるのに、ここで俺が首を横に振ったら…俺、まるで悪者じゃないか」


 ふぅ…と、わざとらしく息を吐くラナンキュラス

 基本的に動物は嫌いじゃない
 ウリ坊が面倒を見るというのなら、それなりに躾もするだろう

 ラナンキュラスとしても、一切面倒を見ず、ただ可愛がっていられる立場は魅力的だ


「仕事の邪魔はしない事、それから店内や俺の部屋へは立ち入り禁止
 ちゃんと躾けて世話もして――……風呂にも入れる事が条件だよ
 動物の匂いが移った人形なんて、誰も買いやしないからね」

「わかっているウリ!!
 ウリ坊が飼い主になったからには、厳しく躾けるウリよ!!」

「……そうか
 それじゃあ、そのクロとやらを紹介してくれるかな
 我が家の一員となるからには、ちゃんと顔合わせしておきたいからね」

「わかったウリ!!
 今、呼んで来るウリよ!!」


 たったったったった……

 突風のような勢いで外へ飛び出して行くウリ坊
 その後姿を見送りながら、ラナンキュラスは長い髪を掻きあげた




「やれやれ…」

「すみません、先輩…」

「いや、いいさ
 ……ところで、ロゼ
 そのクロってのは…何の動物なんだい?」

「犬か猫…だと思います
 鳴き声を上げていたと言うのでウサギではないと思いますが……
 どちらにしろ、恐らく黒い色をしている事が察せられます」

「ダンボールに詰められて捨てられていたらしいね
 同じ捨て子の立場としては、クロに同情するよ
 ウリ坊は自分が面倒を見ると張り切っていたようだけど……お前もちゃんとフォローしてやるんだよ」

「はい」


 他者との触れ合いは嫌いだが、交流は決して嫌いじゃない
 日頃から家に閉じ篭ってばかりいるラナンキュラスにとっても、家族が増えると言う事は良い刺激になる

 ウリ坊にとっても、一匹で寂しく散歩に行くより仲間がいた方が良いだろう




「ご主人ー!!
 クロを連れてきたウリよ〜!!」

 てってってって
 足取りも軽く駆け込んでくるウリ坊


 そして―――…


 ずしん…
 ずしん…ずしん…

 静かに鳴り響く地響きのような音
 微かに揺れる家の壁

 やがてウリ坊の背後に、一匹の動物が現れた
 短い足に小さくつぶらな瞳、細めの尻尾が揺れている

 やや緊張した面持ちの動物―――…



 それは純白のだった



「――――………。」

 時が止まる

 何が起きたのか理解出来ない2人
 いや、理解は出来ている筈なのだが脳がそれを受け入れようとしない

 突如現れた謎の象を前にローゼルとラナンキュラスは絶句するしかなかった



「さ、クロ
 ご主人達に挨拶するウリよ」

「パァオオォォォォォ――――ン!!!!!!」

「ご主人、クロは『よろしくお願いします』と言っているウリ」


 いや
 よろしくと言われても


「う…ウリ坊…」

 口の中がカラカラに乾いている
 顔の筋肉が引き攣って、上手く喋れない

 ローゼルは絞り出すような声で、やっとの思いで一言



「く…黒くないじゃないですか…っ!!!」

「お、落ち着けロゼ!!
 色がどうのとかいう次元じゃない!!」

「正しくはクロティルドっていうウリよ
 親しみを込めて『クロ』って呼んでいるウリ」

「初対面の時は愛称より先にフルネームを教えて下さい…っ!!」

「ロゼ…だから落ち着けって!!
 名前がどうのとかいう次元じゃないだろ!?」


 間違いない
 この男…一種の現実逃避を始めている

 目の前の象から逃避したいのはわかる
 それはわかるが――…

 頼む、現実を見てくれ




「う…ウリ坊…
 この象は確か、ダンボールに…」

「そうウリよ
 可哀想に…ダンボールに詰められて捨てられていたウリ」

 どんなギネス級ビッグサイズのダンボールだ


「な…何メートルあったのですか、そのダンボール箱は」

「だから不審に思って近付いたウリよ
 普通の段ボール箱だったらスルーしていたウリ」

「っ…ど、どこのどいつだ…
 ダンボールに象を詰めて捨てるだなんて、
 そんな手の込んだ珍しい事をした輩は…ッ!!」


 象を捨てる奴も珍しいが、
 それを拾って来るウリ坊も相当なものだ

 象を連れ帰るウリ坊の姿は、
 さぞ目立ったに違いない




「あ…あの、ウリ坊…」

「どうしたウリ?」

「この象は…どう考えても、2階に上がるのは無理ではないかと…」


 階段が抜け落ちる光景が目に浮かぶ

 いや、そもそも
 象なんて部屋に入れたら、それだけで部屋が埋まる


「ちょっ…ロゼ!?
 お前、象を飼うつもりか!?
 いくら掛かると思ってるんだッ!?」

「だ、だって…もう了承してしまいました
 象の目の前で今更、追い出すわけにも行きません
 それに―――…」

「それに?」

「象を連れ帰るウリ坊の姿…
 かなりの高確率で、近所の方々に見られていると思います
 ここで象を追い出した場合、確実に私達が象を捨てた犯人だと思われます」

 それは嫌だ



「わ…わかった、確かにここで象を見捨てるのは体裁が悪いね
 仕方が無い…じゃあ少し様子を見てみようか…」

「ただ、問題は…
 象をどこに住まわせるか…です」

「……庭の物置に入っている物を地下室に移動させれば、
 何とかギリギリで象が寝られるスペースにはなるんじゃないかな…」

 あくまでも現段階では、の話である
 この象が成長した場合の事を考えると眩暈がする

 住居もさることながら、
 エンゲル係数が壮絶だ



「今はまだ子供だから辛うじて何となかなりそうだけど…
 これ、成長したら大変な事になると思うよ…」

「そ…そうですね…」

 額を拭うと、手袋に汗のシミが広がった
 嫌な汗をぐっしょりとかいている

 とんでもない事になった
 ある意味、最大のピンチとも言える


「…まさか自分が…
 象を飼う羽目になるとは思いもしませんでした」

「俺…象は飼うものじゃなくて、
 お金を払って見に行くものだと思っていたよ」

「……普通は…そうですよね」

「ははは…どうしようね…」

「ふふふ…ふ…ふふ…ふ……明日が…見えません…」

「ははは…ははは…は…俺もさ…先行きが全く見えないよ…ははは…」


 もう笑うしかない2人だった






 物置を片付け、中に布団を敷き
 庭にエサ箱と水の容器を置いた頃には夜が明け始めていた


「……庭は象に占領される事になるねぇ」

「ご迷惑をお掛けします」

「迷惑って言うよりは厄介事というか災難と言うか…」


 ヨロヨロと庭を後にするローゼルとラナンキュラス
 たった一晩で、随分と老け込んだ気がする


「明日…いえ、もう今日ですが
 お城の残飯を貰える様に交渉してみます」

「ああ…そうだね
 俺も八百屋やパン屋に頼んでみるよ」

「象の糞は肥料になるでしょうか…」

「…薬草畑に使えたら助かるね
 じゃないと庭が象の糞で埋まる事になるからね」



 今日はバタバタと走り回る事になりそうだ
 ウリ坊も、とんでもない事をしてくれたものだ

 しかし――…

 象の鼻を滑り台にして遊んでいるウリ坊を見ると、
 文句を言う気も失せてしまう

 見ている分には実に微笑ましい光景だ
 …今の2人には和む余裕すら無いが


「ウリ坊…踏み潰されないように気をつけて遊んで下さい…」

「象…いや、クロ
 遊ぶのは良いけど家を破壊しないように注意してね…」


 疲れた
 色々な意味で、疲労困憊だ

 しかし
 本当に大変なのはこれからである

 2人は鋭気を養うべく
 束の間を求めて部屋へと戻ったのだった――…








 親しいパン屋と八百屋の主人に、
 売れ残りの品を分けて貰う約束を取り付けて

 ラナンキュラスは一足先に、我が家へと戻って来た


「……そういえば象とウリ坊はどうしたかな」

 まだ庭で遊んでいるのだろうか
 もしくは二匹で仲良く昼寝でもしているかも知れない

 ちょっと気になったラナンキュラスは、こっそりと庭を覗いて見た



「うり〜♪」

「パオ〜ン♪」

 元気の良い動物たちの声が聞こえる
 夜通し遊んでいたのに、まだ遊び足りないらしい

 ……子供は元気だ


「クロ、良く聞くウリよ?」

「パオ?」

 どうやら二匹は会話に花を咲かせているようだ
 盗み聞きは悪いと思いながらも、何となくその場に留まってしまうラナンキュラス



「正直…ご主人に象を養う甲斐性を求めても無駄ウリよ」

 言われてるぞ、ロゼ…


「ウリ坊もクロにタダ飯を食わせるつもりは無いウリ
 食い扶持の足しになるように、しっかり働いて貰うウリよ」

「パオン」

「ここでは働かざる者食うべからず…ではないウリ
 働かざる者は食われる、が掟ウリよ」

「ぱ…パオ!?」

「ご主人に食われるウリよ……!!」


 ウリ坊…
 流石のロゼも象は食わないと思うよ…

 それにしても、随分とシビアな教育
 とても子供同士の会話とは思えない殺伐さが漂っている



「クロは象だから力持ちウリよ
 だから荷物を運んだり畑を耕したり…
 探そうと思えば仕事は沢山見付かると思うウリ」

「パオン♪」

「明るい内はしっかり働きに出て、夜になったら帰宅したご主人にお仕えするウリよ
 それがこの家で唯一の生き延びる手段だウリ…!!」


 ウリ坊…
 お前の目に、この家はどんな風に見えているんだ


「パオパオ?」

「えっ…ラナンキュラス?」

「パオ」

「あの男は1度捨てられたくせに、
 未練がましくご主人を付け狙う危険人物ウリよ」


 悪かったな

 というか
 そんな目で見ていたのか



「あの男に仕える必要なんて全く無いウリ
 もしラナンキュラスがご主人に何かしようとしたら…
 その時は遠慮要らないウリ、全力でラナンキュラスを倒してご主人を助けるウリよ」

「パ……パオパオ?」

「戦えなくても大丈夫ウリよ
 両足を高く上げてラナンキュラスを踏み潰すだけでOKウリ」

 死ぬって!!



「でもラナンキュラスはああ見えて動物が嫌いじゃないウリ
 ウリ坊たちの前では流石に体裁を取り繕っているウリが…クロのこと、可愛がる気満々ウリよ
 だからクロはラナンキュラスと遊びながら監視して欲しいウリ」

「パオ?」

「ラナンキュラスの魔の手からご主人を救うウリよ!!
 不穏な動きを感じたら、即座にウリ坊に報告するウリ!!」


 救う、ってウリ坊……
 そこまで信用無いか?

 そーっと、その場を後にするラナンキュラス

 あの象に一体、自分がどんな認識をされてしまったのか…
 しかし紛れも無い事実なので反論出来ない自分が悲しい



「…もしかして…家族が増えたというよりも、
 ロゼとの間に新たなる弊害が発生しただけなのかな…」

 このままでは象がローゼルのボディガードになってしまう

 それは由々しき事態だ
 ウリ坊一匹ならまだしも、象に立ち塞がれてしまったら面倒な事になる

 ローゼルと寄りを戻すどころか、どんどん距離が離れて行ってしまう――……


「……な、何か対策を練らなきゃね……」

 自室に戻るなり、象対策に首を捻るラナンキュラス
 まさかこんな事で思い悩む日が来るとは夢にも思わなかった


 一方、城へと向かったローゼルは―――…







「………は?」

 見事な黄金色の髪が風に揺れる
 混乱と動揺が入り交ざった脳内を落ち着かせるべく、ゴールドは手元のグラスに口を付けた


 ローゼルはディサ城へ辿り着くなり、上司の部屋のドアを叩いた
 彼が城で頼れると言えば、ゴールドしかいない

 事の経緯を話し、城内で顔が利く彼の協力を仰ごうとしたのだが―――……



「…す、すみません…
 あまりにも突拍子の無い報告に脳が思考停止してしまいました…」

 流石のゴールドも現実離れし過ぎた話の内容に、脳味噌が拒絶反応を起こしているらしい

 気持ちはわかる
 ローゼル自身も未だに混乱しているのだ

 しかし―――…家に帰れば象がいる
 それは紛れも無い現実なのだ


「……ですから、ウリ坊が象を拾って来たので飼う事になりました」

「象を飼う事に――…って…そんな簡単に言いますけど…
 貴方は一体、何を目指して何処へ向かおうとしているのです?」

「わかりません
 ただ、このまま行けば私は世間から象使いとして見られる可能性があります
 ……それはそれで構いません、元々ウリ坊使いとして見られていましたから」

「……………。」


 果たしてそういう問題なのか
 もっと他に気にするべき事があるだろう

 そんな突っ込みを口に出し掛けて――…思い留まるゴールド

 恐らく彼にそれを説いた所で理解しては貰えないだろう
 ローゼルはお坊ちゃん育ちのせいか思考がズレている


 単なる口先だけの世間知らずなお坊ちゃんの奇行ならまだ手の施し様がある
 しかし、目の前のお坊ちゃんは無駄に行動力があるから始末に終えない

 彼は常に有言実行なのだ
 冗談のような『象を飼う』発言も恐らく――…本気なのだろう

 ……彼の本気が窺い知れるからこそ、ゴールドとしては途方に暮れるしかない



「是非、ジュンさんと遊びに来て下さい
 間近で象が見られる珍しい機会です」

「ま…まぁ、普通はあまり無い事ですよね…」


 使用武器:ウリ坊
 これだけでも耳を疑うというのに、ここに更に『象飼い』という一文まで加わるのか

 彼の本職を綺麗に脳内から吹っ飛ばせる程のインパクトだ
 もはや彼がスパイだと言っても誰も信じないだろう

 特殊工作員としてディサ国へ潜入する際、
 供としてローゼルとラナンキュラスを抜擢したのは他でも無いゴールド自身だ

 勿論、彼の能力を買っての事だが…彼の抜きん出た行動力が、まさかこの様な事態を引き起こすとは


「貴方のおかげで…ボクは退屈しませんよ
 本当に、いつもいつも珍しいネタを仕入れて来てくれる…」

「そんなに頻繁に珍事を持ち込んでいましたか?」

「……コケシ――…」

「ゴールド様、それは言わない約束です」


 上司の言葉を遮ると、
 ローゼルは気を取り直すように眼鏡を掛け直す

 ゴールドもまた、気持ちを切り替えるためにグラスを手に取った

 …お互い、あまり思い出したくない事を思い出してしまった
 完璧な地雷である



「……そ、それでは料理長にはボクの方から話をしておきます
 一応、象も猛獣に分類される事もありますから、
 万が一の時の為に、騎士団の方にも連絡して置いた方が良いですね」

「はい…助かります」

「貴方も疲れているでしょうから、今はとにかく帰って休みなさい
 落ち着いた頃にジュンと一緒に遊びに行かせて貰います」

「はい、ゴールド様
 ありがとうございました」


 礼儀正しく頭を下げる部下を見送ると、
 ゴールドは静かに部屋のドアを閉める

 そして―――……


「…さて、どうやって料理長や騎士達に信じて貰いましょうか……」

 あまりにも信憑性に欠ける珍事である
 恐らく普通に話しただけでは信じて貰えないだろう

 どう説明したものかと、頭を悩ませるゴールドだった







「先輩、ただ今戻りました」

「ああ…お帰り、ロゼ」


 家に戻るとラナンキュラスは1人で店番をしていた
 そう言えば今日は店の手伝いをする日だった

 ……象事件で、すっかり失念していた


「すみません、店番代わります」

「いや……いいさ
 それより、そろそろウリ坊たちが昼寝から起きる頃だから様子を見に行ってやるといい」

「…ウリ坊たちはお利巧にしていましたか?」

「ああ、騒いだり悪戯もしてないよ」


 ――――……陰口は叩かれていたけど

 その一言を飲み込むラナンキュラス
 こんな事を口にしても、ローゼルに笑われるのが目に見えている

 たかが陰口
 されど陰口だ

 ……反論の余地が無いほどにウリ坊はラナンキュラスを理解している


 子供という生き物は純粋な分、真髄を的確に見透かす能力がある
 更にそこに動物ならではの鋭さや勘が備わったウリ坊やクロの前では下手な小細工など通用しない

 まだ、ローゼルの方が口先や演技で騙し易いと言えるだろう


「家に象がいるなんて…
 動物園で暮らしているみたいで楽しいです」

「お前って…実はプラス思考な男だったんだねぇ……」

 嬉しそうに庭へと向かうローゼルの後姿を見送りながら、
 ラナンキュラスはしみじみとそう思ったのだった




「ご主人、お帰りなさいだウリ」

「パオーン」

「ただいま
 家族が増えると賑やかでいいですね」

 駆け寄ってくる二頭を撫でるローゼル

 基本的に動物は大好きだ
 動物への接し方を細やかに教えてくれた弟に改めて感謝の意を感じる


「クロの食事は何とかなりそうです
 棲家は一先ずは物置で大丈夫そうですが……
 ですが、近い内に庭に象小屋を建てなければなりませんね
 子供の成長は思った以上に早いものですから、あっという間に物置も窮屈になるでしょう」

「ご主人……迷惑を掛けてごめんなさいだウリ
 でもクロと一緒に暮らせるようになって凄く嬉しいウリよ」

「私もウリ坊が喜んでくれるのなら本望です
 今まで寂しい思いもさせてきましたから……」

「うりー」

「パォーン」


 もう一度、彼らを抱きしめると、
 庭を後にし、店へと向かうローゼル

 もっとクロ達と遊びたい気もしたが、ラナンキュラスに店番を押し付けたままでいるわけには行かない





「―――……先輩、お待たせしました」

「もういいのかい?」

 店ではラナンキュラスがアクセサリーのパーツを手に構想を練っていた
 ジュンが持って来た魔石との組み合わせを色々と試しているらしい


「店番、代わります」

「お前も色々と疲れているだろう?
 今日は、ゆっくりとしようじゃないか」

「ですが……」

「俺もお前も寝不足だろう?
 目は充血しているし、クマも出来てるんだ
 こんな疲れた人相じゃ客が驚くじゃないか」

「えっ……そんなに酷い顔ですか?」


 まだ鏡を見ていないので何とも言えないが
 自分はそこまで酷い形相をしているだろうか

 ―――……。

 そう言えば
 ゴールドからも『疲れているようだから休め』と言われてきたばかりだ



「疲れ……顔に出ていますか?」

「そろそろ徹夜の影響が如実に現れる年齢なんだろうね」

「そのわりに、先輩の顔色は特に悪くはありませんが――……」

「ああ、俺はファンデーションとコンシーラで誤魔化しているからね」

「…………。
 先輩、涼しい表情で座っていますけれど……
 実は結構、疲労困憊だったりしていますか?」

「四十路近くなると……そろそろ貫徹もキツいね……ははは……」


 ラナンキュラスの乾いた笑いに反応するかのように、
 どこからか吹き込んできた少し冷たい風が吹き渡る

 ちょっと、場の空気が寂しい


「わ、わかりました
 それでは今日は少し、ゆっくりしましょう」

「ああ……そうしてくれ」


 ローゼルはラナンキュラスの隣りに腰を下ろす

 手足が重い
 目を閉じれば、すぐに睡魔が襲って来そうだ

 この疲労感は恐らく、肉体的なものだけでなく精神的なものも絡んでいるに違いない




「……それでは、今日はメリアに手紙でも書きましょうか……」

「メリア――…っていうと、確か弟のアストロメリア君の事だね」

「はい、弟は牧場で育っただけあって動物の扱いに関しては天才的な才能と知識を持ちます
 私がウリ坊と親しくなれたのも、弟の的確な助言があったからです」


 元々、ローゼルとウリ坊は大して親しくも無かった
 ローゼルはウリ坊を食料として見ていたのだから当然と言えば当然だが

 そこに友情と信頼関係を築く事が出来たのは、弟からの助言による功績が大きい



「動物の事は弟に聞くようにしています
 基本的にクロの事はウリ坊に任せるつもりでいますが、
 私も象に関する知識は身につけておいた方が良いでしょう」

「………。」

 ちょっと、待て


「ろ、ロゼ……
 お前、まさか弟に象の飼い方を聞くつもりかい?」

「はい」

 言い切りやがった



「ひ……一つ聞くけど、アストロメリア君の実家……
 牧場では、牛や羊の他に象も育てていたのかな?」

「いいえ
 それは既に牧場としての範疇を超えています」

「そ……そう、だよ……ね……」

 頼む
 そこまで冷静なコメントが出来るのなら思い留まってくれ


「 ね、ねえロゼ?
 飼った事も無い動物の飼育方法を聞かれても困るんじゃない?」

「……彼の事ですから、恐らく何とかするでしょう

 お兄さん、無茶振りは勘弁してあげて



「餅は餅屋、と言います
 動物の飼育方法は牧場育ちの弟に聞くのが最適でしょう」

 断言しよう
 そんなの聞かれても困る


 というか
 もしラナンキュラスが彼の立場なら、間違いなくこう言うだろう


動物園に聞こうよ

「素人が象を飼い始めたと言っても普通は信じません
 せいぜい、悪戯だと思われるのが関の山でしょう……」

「弟だって信じないんじゃないかな?」

「証拠としてクロのを添付しておきましょうか」


 嫌がらせ以外の何者でもないよ、それ


「信じては貰えるかも知れないけど、
 信頼は失うかも知れないね、糞の添付は……」

弟の反応が楽しみです


 ………。
 …………ロゼ……。



「単に弟の反応を楽しみたいだけ、というのが正直な所です」

「うん……何となく、そんな気はしていたよ」

「まぁ、糞の添付という本気の冗談はさておき――……」


 本気なの?
 それとも冗談なの?

 ねぇ……どっち!?




「生活も一先ず安定しましたから、近況を弟に伝えようと思っていた所でした
 弟の方も私の事を何かと心配してくれていましたから」

「ああ、確かに心配するだろうね……
 俺達もゴールド様と色々とあったし、生活もバタバタしていたからね」

「土や人形や薔薇と戯れ象を飼って暮らしている、と伝えれば弟も安心するでしょう」

 いや、逆に不安になる
 想像すればする程に、どんどん不安になって来る


「も、もう少し具体的な事も書いてあげようよ」

「それでは『最近は化粧も覚えた』、とも書いておきましょう」

 弟が想像しちゃうから止めてあげて



 魘される
 夜、夢に出てきて魘される

 自分と似た顔のマッチョな兄貴の化粧なんて、
 想像するだけで軽くトラウマになれる気がする


「ロゼ……近況を伝える手紙で悪夢を見せる必要は無いと思うよ」

「手紙を握り締め無表情で途方に暮れる弟の姿が愛しくて」

 兄の無茶振りは毎度の事ですかい

 生活する上で微妙にトラウマがチラつくレベルの悪戯は止めようよ
 嘘は書いていないっていう部分が逆に悩ましいよ、ロゼ……




「折角ですからウリ坊とクロにもメリア宛にメッセージを貰って来ます」

「……そ、そう……」

 便箋とペンを手に部屋を後にするローゼル
 そんな彼を見送りながら、ラナンキュラスはポツリと呟いた

「……いきなり象からメッセージ貰っても……弟、反応に困るんじゃないかな……」



 それから数日後
 兄からの手紙を読んだアストロメリアは何も語らず寝込む事になるが――……

 それはまた別の話である





そんなわけで
今回はローゼルのゾウさんがパォーン☆な話にござります

ファミリーに新たな一員が増えたと申しまするか、
ローゼルの設定が一段と香ばしくなったと申しまするか……

とりあえず
弟はお兄ちゃん大好きっ子にござりまするよ、たぶん