「そういえば…ちょっと気になったんですけど…」


 食事を終え、昔話に花が咲くスパイ3人
 気分はすっかり訓練生時代に戻っているらしい

 話の腰を折るのは悪いと思いながらも、ジュンはふと湧いた疑問を口に出す



「ゴールドって、昔は何て呼ばれていたんですか?」


 2人とも、ごく自然に『ゴールド様』と呼ぶので、
 昔からこの名で通っていたかのような錯覚を覚えるが…

 しかし、彼に『ゴールド』と名を付けたのはジュンだ
 それまで彼には名前が無かった

 それでは昔の彼は、部下や仲間達から何と呼ばれていたのだろう



「ゴールドって…昔は名前、ありませんでしたよね?」

「はい、ゴールド様は使い魔でしたから…
 ゴールド様に名付ける事が許されるのは、忠誠を誓い生涯仕える事を胸に決めた主のみです」

 使い魔独自の、ある種の契約のようなものだ

 しかし――…当のジュンは、その辺の事情を全く知らず
 本当に軽い気持ちで彼に名付けてしまった


「ゴールドも軽率な奴だな
 会って間もない、素性もわからない奴が付けた名前を使うんだから…」

「軽率じゃありませんよ
 ボクは貴方が授けてくれた名前だから喜んで受け入れたのです
 他の相手から命名されたとしても、きっぱりと拒絶していました」

「忠誠はともかく、ゴールド様にとってジュンさんは生涯を共にする伴侶ですからねぇ
 ゴールド様に名前を授ける権利は充分にあると思いますよ?」


 ゴールドとラナンキュラス
 2人掛かりで諭され、頬が赤くなるジュン
 面と向かってそう言われると…やっぱり恥かしい

 空気を読んだのか、ローゼルがさり気無く助け舟を出してくれる




「……呼び名の話でしたね
 ゴールド様がジュンさんと出会う以前は…
 私どもはゴールド様を『マスター』とお呼びしていました」

「ま、マスター?
 それが呼び名で良いんですか?
 何かと不便なんじゃ…」

「まぁ…俺達スパイなんて、名前なんて有って無きが如し…
 馬鹿正直に本名で堂々と活動するスパイなんていませんからね
 全員、コードネームで呼び合ってるんで、ゴールド様の呼び名が何だろうと構わなかったんですよ」


 飄々と笑うラナンキュラス

 確かに、考えてみると一理ある
 国の機密情報を操るスパイが本名で活動するのは危険だろう


「じゃあ…ローゼルさんとラナンキュラスさんも、コードネームなんですか?」

「ええ、本名は別にあります」

 あっさりと認められる
 彼らの正体を考えれば当然と言えるだろう



「でも…大変ですね
 急に本名からコードネームを名乗る事になって…
 最初の内は慣れなくて大変だったんじゃないですか?」

「―――…いえ、そうでもないですよ……」

 ふっ、と一瞬
 ローゼルとラナンキュラスの表情が曇った気がした


「俺、生まれてすぐに捨てられて…施設で育ったんです
 親から授かった名前もありませんし、施設では番号で呼ばれていました
 だからコードネームを名乗るようになって、ようやく人として認められたような気がしたんです」

 彼が施設育ちである事は、以前にゴールドから聞いていた
 確か施設内で酷い虐めに遭い――…そこから他人との触れ合いを拒絶する性格になった筈だ

 明るく気さくな性格で、あまり虐めに遭いそうなタイプには見えないが…



「ティルティロ国では子供が生まれると能力毎に階級分けされるんです
 高い能力があると見なされれば貧乏人でも貴族階級に、
 逆に貴族の生まれでも能力が低ければ容赦無く庶民の身分まで落とされる
 魔力を持たずに生まれた子は家柄なんて関係無しに、奴隷扱いの人生ですよ」

 弱肉強食といわれる魔族の世界
 魔女の国、ティルティロでは強い魔力を持つ事が全てなのだろう

 その点で言えばディサ国は随分と生き易い場所だ


「俺の母親は奴隷の身分だったと聞いています
 貴族の屋敷で働いていたそうですが――…そこで家主の手が付いて俺を孕んだらしいです
 でも家主は子供を認知せず、身篭った母を屋敷から追い出した……
 仕事を失った母親には、とても子供を育てられるような余裕は無く――…俺は施設の前に捨てられました
 奴隷から生まれた俺に魔力が宿っているのは、良い家柄の血が半分、入っているからなんですねぇ」

 まるで他人事のように話すラナンキュラス

 施設に入れられる子供と言えば、やはり奴隷階級の身分が多いのだろう
 奴隷となる運命が既に決まっている、魔力を持たない捨て子たち

 その中に1人、放り込まれた高い魔力を持つラナンキュラスの存在――…
 羨望の視線はやがて妬みとなり、嫉妬心から虐めへと繋がったのだろう


「ボクは貴族の生まれなのですが…ラナンキュラスとは逆のパターンなのです
 奴隷として屋敷に仕えていた父の子を、貴族令嬢の母が身篭ったのです
 ですが、まともな教育を受けていなかった父は金銭感覚も無く、あっという間に家の財産を食い潰し…
 結果的に多額の借金とボクを残し、皆で夜逃げをしてしまいました」

「ゴールド様の話を聞いて、母を追い出した俺の父親の判断も一理あると思いました
 迂闊に奴隷を家族に迎え入れるのは危険極まりない行為です
 結婚をするとしても、その前に学校に入れて一般常識程度は身に付けさせるべきですね
 俺の父親も、避妊についての授業をもう一度、受け直すべきだったと思いますが」

 ゴールドがラナンキュラスを可愛がるのは、
 彼が生まれ育った環境に一種のシンパシーを感じているからでもあるのだろう



「身寄りの無い俺にとっては、ゴールド様やロゼが家族みたいなものなんですよ
 ティルティロにいた頃はロゼの家にも、よく遊びに行ったものです」

 懐かしそうに目を細めるラナンキュラス
 やはり、元恋人と言う事もあって家族ぐるみで親交が厚かったらしい

「ローゼルのご両親は、本当に良い方たちなのです
 優しくて暖かくて…ああいう家庭の雰囲気は憧れですね」

「ロゼは生粋のお坊ちゃんで…両親共に貴族の生まれなんですよ
 でも、家族揃って全く気取った感じが無いんで付き合いやすいですよ」


 ローゼルが貴族の生まれだというのは何となく想像出来る

 落ち着いた物腰に、ピンと伸びた背筋、上質のスーツを自然に着こなす姿
 ウリ坊を抱いていても、どこか気品が漂うのは育ちが良いせいなのだろうか


「両親から溺愛されて育った箱入りお坊ちゃんでエリート街道まっしぐらだったのです
 それが何故、スパイ養成学校へ来てしまったのか…
 本来なら家柄や才能を考えても表舞台で活躍すべき人材の筈だったのです
 そもそも貴族という生き物は、庶民のように労働を意味する仕事には就かないものなのです
 就職と言うよりは、どちらかと言えば王宮に仕える事の方が多いのですが――…」

「私は出世には興味がありませんでしたし、王宮仕えにも魅力を感じませんでした
 私が抱いていた夢――…それは戦争の無い世界で生きる事です
 戦争を起こすのはいつでも王族や貴族などの身分のある人物ばかりです
 そして、その犠牲になるのは庶民や貧しい身分の者ばかり…それが私には解せませんでした
 私の身分なら他の貴族達と親交を持てる分、有益な情報も手に入れ易い
 逸早く情報を手に入れて、その内容を画策すれば戦争を未然に防げるのではないかと…そう考えた結果です」

「最初は温室育ちのお坊ちゃんが考えそうな夢物語だと思ってたんですけど…
 それを本気で実行しようと、スパイ学校にまで入っちゃうんですから驚きですよ
 しかも主席で卒業、今では特殊工作部隊に任命される超エリートですからねぇ…」


 単なる動物好きのお坊ちゃんではない…という事なのだろうが
 しかし三十路のローゼルに対して『お坊ちゃん』という表現を使う事に対して違和感を感じるジュン

 ゴールドやラナンキュラスにとっては年下でも、ジュンにとっては一回りも年上の相手なのだ

 もう良い歳をした成人男性だ
 当のローゼルは不快に感じたりしないのだろうか



「ローゼルさん…その、お坊ちゃん扱いされて嫌じゃありません…?」

「……まぁ…実際、ゴールド様達から見ると年下ですし…
 それに、弟からもそう呼ばれていたので慣れています」

「へぇ…ローゼルさん、弟さんがいるんですか」

 年上のゴールドやラナンキュラスから可愛がられているし、
 彼は甘え上手な弟タイプのキャラだと思っていたのだが――…

 むしろ、世渡り上手な兄タイプのキャラだったらしい


「ボクは会った事が無いのですが、ローゼルには双子の弟さんがいるのです」

「へぇ…双子ですか
 やっぱり似ているんですか?」

「一卵性双生児ではないので瓜二つと言うほどではありません
 髪の色も瞳の色も違いますし、弟の方が華奢でスリムな体型をしています」

 ガチムチマッチョな兄貴と華奢な弟
 体格だけでなく性格も違うのだろうか…


「俺、一人っ子なんですよ
 兄弟の話って聞いているだけで羨ましいです」

 歳の近い友人は増えたが、兄弟とは違う
 一人っ子のジュンにとって兄弟とは一種の憧れだ

 兄弟と過ごす生活は想像も付かない未知の世界である

 好奇心旺盛なジュンにとっては興味の尽きない話題だ
 ゴールドも弟がいたが、兄弟仲が最悪だった為に話題に上がる事は少ない

 そもそもゴールドの前で彼の弟の話題はタブーと言うのが暗黙の了解となっている





「弟がいるって、どんな気分ですか?」

「そうですね…私の弟は生まれつき体が弱く、ティルティロの都会で生きて行くのは難しく…
 自然豊かな場所で療養させようと、牧場を経営している親戚の養子となりました
 ですから、弟と暮らしたのは幼い頃の僅かな間だけで――…」

「そうだったんですか…」

「ですが、慕われると可愛いものです
 直接顔を合わせる事は難しい状況ですが、学生時代は文通で遣り取りをしていました
 私は学校へ通えない弟へ勉強を教え、弟は私に動物への接し方や植物の育て方を教えてくれました」


 釣り目がちの瞳が、優しい笑みを浮かべて細められる

 その表情からも兄弟仲が良い事が察せられる
 弟にとっては、さぞかし優しい兄なのだろう

 ……本業はスパイだが


「弟さんはローゼルさんがスパイだって知っているんですか?」

「ええ、知っています」

「……怖がられたりしません?
 というよりご家族の方に反対とかされませんでしたか?」


 スパイ業というのは危険が付き物だ

 身内なら心配して当然だろう
 スパイの道を反対される事だって容易に想像出来る



「反対はされません
 自由に生きて良いと…我が家の家訓にありますから」

「家訓…ですか?」

「はい、アクティブ・フリーダムと」

 どんな家訓だ


「私の母は研究所に属する魔女で、父は城仕えの魔法使い、息子の私はスパイ業
 親戚の叔父は先に話しましたが牧場を経営しており、
 私の弟は現在、牧場を出て海賊をしています」


 フリーダム過ぎるだろ


「体の弱かった弟が、今では海の荒くれ者…
 こんなにアクティブな子に育ってくれて、兄としては嬉しい限りです」

 アクティブさを犯罪に向けるのは勘弁して下さい


「海賊の弟は私がスパイになっても恐がる事無く、慕ってくれます」

 だろうね
 と言うか、兄弟揃って危険過ぎる


「何となく黒魔術を教えてあげたところ、
 すっかり気に入ってしまったようで…無邪気で可愛いものです」

 邪気が漂いまくってますが

 というか、お兄ちゃん
 何となく…で、そんな恐ろしい事を教え込まないで下さい



「…というわけで、家族仲も兄弟仲も良好です」

「そ…そーですか……
 ローゼルさんって、家庭に不満や悩みは無さそうですね…」

「いえ、そうでもありません」


 キッパリと言い切るローゼル
 仲は良さそうだし仕事も順調だ

 一体、何の不満があるというのだろう


「実は私…今の職業に就く前は、自分の事が大嫌いでした
 スパイになって『ローゼル』として生きる事によって、初めて自分を好きになれました」

「あー……」

 ぼそっ、とラナンキュラスが呟く
 振り返るとゴールドも神妙な表情で頷いている

「………?」


 彼らの話に寄ると、ローゼルは両親から溺愛されて育ったらしい

 『お坊ちゃん』として不自由なく生きて来た筈だ
 夢に向かって真っ直ぐ進んで、今を生きている

 ――…一体、彼の人生に何の不満があったのだろう



「私は…自分の名前が嫌いでした
 憎んで、呪ってさえいました
 自分の名を口にする事が辛くて苦しかった…
 名を呼ばれる度に、それは自分ではないと心で叫び、耳を塞いで涙を流したものです」

「そ、そんなに…?
 一体…どんな名前だったんですか?」

 そこまで嫌っている名前なら教えてくれないかも知れない…
 そんな心配をよそに、ローゼルはゆっくりと口を開く


「父は社交的かつ縁起の良い名前と言う事で…
 私をボンジュール門松と名付けました」

 何て酷い



「まるで売れない漫才師です
 名を聞かれたり呼ばれたりする行為が既に羞恥プレイと言えます」

「ロゼの父親は優しくて良い人だったんですが…
 ネーミングセンスが劣悪だったんですよ」

「真面目そうな容姿と性格がまた…名前と合わないのです
 お母さんが名付けたという弟さんは普通の名前なのですが…
 ローゼルはもう、運が無かったと言いますか…ご愁傷様なのです」

ボンジュール時代の私は、それは酷いものでした
 門松の呪縛から救ってくれたコードネームは私の人生を明るくしてくれました」


 ここまで絶望的な門松の響きを俺は知らない



「周囲が私の事を『坊ちゃん』と呼んでくれたのは、
 恐らく優しさと気遣いからだったのではないかと」

 確かに…

「ボンジュール→ボン→坊→坊ちゃん
 …という風に考えれば、あだ名のようなものウリよ」

 実に達観したウリ坊だ


「…そういえばウリ坊には名前って無いのか?」

「私はウリ坊に名付けました
 ですが…彼が気に入ってくれないので、仕方がありません」

 ふぅ、と溜息のローゼル
 名前で上手く行かないのは彼の運命なのだろうか


「ちなみに…何て名を付けたんですか?」

ぼたんです」

「…………。」


 イノシシの肉
 その別名をぼたん肉と呼ぶのをご存知だろうか


「その名は嫌ウリよッ!!
 食肉フラグが立つウリよおおおおッ!!!!」

「すみません…元々、食用として飼うつもりだったものですから…」

 確信犯ですか




「弟がお世話になっていた牧場では、
 牛やニワトリの他にイノシシも飼っていました
 以前、弟から送られてきたイノシシ肉が凄く美味で――…」

「聞きたくないウリよ―――……!!!」

「元々、私は豚肉が大好きでして
 とんこつチャーシュー麺は学校の帰りに良く食べました」

「ブタさんも食べちゃ嫌ウリぃぃぃぃ―――…ッ!!!!」


 ぺしぺしぺしぺし
 小さなヒヅメでローゼルを叩くウリ坊が可愛い

 ……当のウリ坊は命の危険を感じているのかも知れないが


「はは…は…はははは……」

 言えない

 自分が思春期を過ごした沖縄では、
 ブタの顔面の皮、チラガーが珍味として扱われていただなんて…
 そして自分はカリカリのブタバラ肉が乗った、お好み焼きが大好物だなんて…

 あぁ、そんな事…絶対に言えない……!!



「とにかく、名前は大切です」

「そ…そうですね…」

 ボンジュール門松…もとい、ローゼルが言うと凄く説得力がある
 さぞかし、この本名のせいで苦労した事だろう


「私はクールな男にずっと憧れていました
 実際、理想とする姿に近付くべく日夜努力をしていましたが…
 どのようにクールに振舞ってみた所で、本名を名乗れば全てがぶち壊しです」

「まるで芸名みたいな本名だからねぇ…
 ロゼが本来、目的とする姿と正反対の方向へ突っ走っているよね」

「ジュンさん…今回、私の本名を教えましたが…
 後生ですから、くれぐれもその名では呼ばないで下さい
 もし本名で呼んだ時は――…ウリ坊キックが炸裂します」

「心配しなくても呼べませんよ…恥かしくて



 入学、就職…
 その他、様々な状況で自己紹介をする機会は多い

 その度にローゼルは恥辱を味わったに違いない
 名前を聞かされている方も恐らく、笑うべきか流すべきか反応に困るだろうが…

 とりあえず1度聞いたら忘れられないインパクトである事だけは確かだ
 恐らくローゼルにとっては、一刻も忘れて欲しいであろう名前なのだろうが


 理想郷を求めスパイの道を選んだ1人の青年

 青年は本名を捨て、コードネーム『ローゼル』として生きて行く
 彼の真の名を知る事があっても、決してその名を口にする事は許されない

 忌むべき存在として封じられた、彼の真実の名―――…
 その名はボンジュール門松



「―――…あぁ…ダメだ―――……」

 頭から離れねぇ


 いつでも元気にボンジュール
 心に花を、名前には門松を

 ……そんな、心底どうでもいいフレーズと共に、
 ボンジュール門松の名が頭から離れず、1人苦悶するジュンだった





社交性&縁起の良さ120%
今回は、そんなローゼルの本名のお話にござります

……あれ?
このSS…書き始めた当初はシリアスだったのに、何でコメディで終わっておるのじゃろう?

ちなみにアクティブ・フリーダムとは大学時代、拙者が所属していたサークル名にござります
どこまでもアクティブかつフリーダムに活動しまくっておりました……

ローゼルも、無法地帯アクティブでフリーダムに生きて欲しいなぁ、と(・∀・)
拙者の持ちキャラは各々、自由奔放過ぎるような気がしなくも無いのじゃがな