「こんにちはー」

「いらっしゃいませ、ジュンさん」



 綺麗な物を見るとインスピレーションが沸く
 新たな刺激が欲しくなった時、ふらりとラナンキュラスの店へ立ち寄る

 それがジュンの良い気分転換になっていた


「お仕事の方は順調ですか?」

「あ…はい、おかげ様で何とか
 ここで綺麗な人形やアクセサリーを眺めていると、良い刺激になって…」


 口下手なジュンを気遣ってか、
 ローゼルはいつも、ジュンが話しやすい様に話題を振ってくれる

 物静かで控えめに見えて、さり気無く気を回してくれる
 この辺りの芸当は流石、大人の男性…という所だろうか

 ゴールドを除けば、ジュンが日頃親しくしている相手は20代ばかり
 ローゼルが見せてくれる大人の余裕と包容力はジュンにとって一種の憧れだった



「ジュンさん、今日はお1人ですか?」

「いえ…ゴールドは遅れて来ます
 いつも手ぶらで悪いので…今日はお茶菓子を買ってから来ると言ってました」

「私どもに気を使うことはありません
 ジュンさんにもゴールド様にも日頃、お世話になっている身ですから」

「いや…どちらかと言うと俺は邪魔ばっかりしているような…」


 ジュンの来店は正直、邪魔以外の何者でもない
 特に何かを買うわけでもなく、ただ商品を眺めているだけの冷やかしだ

 それでも毎回、嫌な顔1つせず持て成してくれるのは――…



「俺、ゴールドの恋人で良かった…」

「はい…?」

「ゴールドと付き合いがなかったら、俺…
 ローゼルさんやラナンキュラスさんと知り合うことも無かっただろうな、って…」

「私もジュンさんと知り合えて嬉しく思います
 出会いの切っ掛けを下さったゴールド様に感謝、ですね」


 ゴールドのように人懐っこい満面の笑みではないが、
 温かみのある微笑を返すローゼル

 普段から笑顔を安売りするタイプではない分、
 不意に笑顔を見せられるとドキッとする

 お茶の用意をして来ると、その場を後にしたローゼルの背中を見送りながら、
 ジュンは、しみじみと呟く



「…何で、こんなに真面目そうなローゼルさんが、
 あんなバカ丸出し男の部下でいられるのか…不思議だ…」

「―――…バカ丸出し男は酷いですよ…」

 タイミング良く背後からバカ丸出し男こと、ゴールドが現れる


「ジュン…貴方はここへ、ボクの悪口を言いに来ているのですか…?」

「いや、そういうわけじゃないが…
 お前って、よく今まで愛想を尽かされずにいたよな」

「うーん…俺の方から言わせて貰えば、
 こんなに素直で可愛いジュンさんがゴールド様と長く続いていられる事の方が驚きです」

「うわっ!?」


 振り返ると、そこには店の主の姿
 一体、いつからそこにいたのか――…まるで気配を感じなかった

 目が合うと『やあ』と手を振られた



「……ラナンキュラス…素人相手に気配を消して近付くのは止めて下さい
 ジュンが驚いているじゃないですか、可哀想に」

「すみません、もう…これはスパイとしての性分ですねぇ…
 無意識に気配を殺して、人の会話を盗み聞きしちゃうんですよ
 気が付けば天井裏や床下に忍び込んでいた、なんて事もあるから困ったもんです」

「スパイって言うか…忍者みたいですね、ラナンキュラスさん…」

「似たようなものですね、実際
 情報の収集や操作だけでなく暗殺なんかも必要に応じて行いますし
 欲しい情報を握っていそうな連中を拉致監禁して、拷問に掛けて吐かせるなんて日常茶万事ですよ
 ティルティロ国にいた頃は捕虜の尋問や拷問も手伝っていましたから、腕には自信がありますよ」

「……………。」


 なんか、今、ちょっと
 サラリと恐い事を聞いてしまったような気がする






「3人いたから役割分担をしていてね
 それぞれの特色を生かした絶妙な連携なんですよ
 ジュンさんにも1度、お見せしたいなぁ…」

「3人の連携はティルティロ国でも、ちょっとした評判でした…悪い意味でですが
 ボクたちの元へ送り込まれる位なら死んだ方がマシだと恐れられていたのです」

「何せ、俺達の拷問は死刑より更に重い刑として扱われてましたからね」

「上部の連中に『可哀想だから、そろそろ殺してやってくれ』と泣き付かれた事もあったのです
 勿論、そう簡単に殺して楽にしてやるなんて優しい事はしませんでしたが――…」

「死よりも恐れられる残虐スパイ3人衆として活躍していたんですよ、俺たち」

「……そ…そーです、か……」


 お願いだからディサ国では活躍しないで下さい
 そして、間違っても見せようとはしないで下さい

 そう心で念じつつ、額に浮いた冷や汗を拭うジュン



「お待たせ致しました、お茶が――…
 ……ジュンさん、どうかしましたか?」

「ジュン、顔色が悪いウリよ
 お腹でも痛くなったウリか?」

「いえ、何でもないです…」


 お茶を淹れて戻って来たローゼルとウリ坊に心配されるも、
 まさか『貴方達の過去を聞いて血の気が引きました』とは言えない

 引き攣った笑顔を浮かべつつ、ティーカップを受け取るので精一杯だ


「ローゼル、お土産を持って来ました
 フルーツゼリーの詰め合わせです、お好きな物をどうぞ」

「わざわざすみません…
 先輩、どれが良いですか?」

「そんなに甘くない奴――…あ、このレモン味のを貰おうかな」


 和気藹々
 実に楽しそうに、ゼリーをお供にお茶を楽しむ男たち

 ほのぼのとした空気が流れる

 しかし―――…忘れちゃならねぇ
 こいつらは全員、死よりも恐れられる残虐スパイだ



「ゴールドとローゼルさんと、ラナンキュラスさん…
 3人が協力したら、恐い物なんて何も無さそうですね」

「まあ…弱点を互いに補えますからねぇ…
 肉弾戦専門の俺が突っ込んで行って、ロゼが背後から魔法で援護射撃
 ゴールド様はケアやサポートを担ってくれるのでバランス的には完璧ですよ
 長年パーティーを組んでいるおかげで息もピッタリ、戦闘では負け無しです」

「まぁ…個人的に苦手な物はあるのですが
 少なくとも戦闘面では死角は無いのです」

「ゴールド様は歌が苦手ですよねぇ…
 綺麗な声なのに、何であんなに音痴なんです?」

「…っ…し、知りませんよっ!!」


 ゴールドの音痴っぷりは部下達の間でも有名らしい
 本人も気にしているのか、軽く眉間を引き攣らせる

 恋人であるジュンが歌好きなだけに音痴な自分に軽くコンプレックスを抱いているらしい


「ラナンキュラス、貴方だってカエルが苦手でしょう!?
 誰にだって苦手な物の1つや2つ、あるものなのです!!」

「魔女や魔法使いの国であるティルティロ人で、
 カエルが苦手なのはラナンキュラス先輩くらいのものです」

「あー…魔法の実験とかでお約束みたいなものですよね、カエルって…」

 一見、魔法戦士風のラナンキュラス
 そんな彼が、まさかカエル嫌いとは――…人は見掛けに寄らないものだ




「ところでローゼルさんは何が苦手なんですか?」


 苦手物暴露大会の流れになって来た
 そんな中で、軽い気持ちで口にした好奇心

 しかし―――…


「……………。」

 しーん、と場が静まり返る
 スパイ3人の視線が、気まずそうに明後日方向へと逸らされた


「えっ…あ、あの…
 俺、聞いちゃいけないような地雷を踏みましたか?」

「あー…お茶、おかわりが欲しいですね
 ボク、ちょっとお湯を沸かしに行って来るのです」

「ちょっ…ゴールド様、それは部下の仕事ですよッ!?
 そんな雑用、俺がやって来ますから――…」

「いえ、貴方はジュンの質問に答えなきゃらならないでしょう?
 なので手が空いているボクがお湯を沸かしに行くのです――…頼みましたよ」


 明らかに不自然
 見るからに場から逃げている
 そんなゴールドの背を見送りながら、頭を抱えて呻くラナンキュラス

 ……間違いない、この質問は地雷だ

 盛大な地雷を踏んでしまった事を悟ったジュン
 しかし――…この真面目男の弱点が何なのか、好奇心の方が勝る



「ラナンキュラスさん、ローゼルさんは何が苦手なんですか?」

「――――……し、かな…?」

「は…?」

 良く聞き取れない
 ジュンが眉をひそめると、隣りで俯いていたローゼルが口を開く


「コケシです」

「…………こけし?
 あの木で出来た人形のコケシですか?」

「はい、あのコケシです」

「……………。」


 ローゼルが人形に対し苦手意識を抱くのは理解出来る

 しかし――…何故、コケシに限定するのか
 その理由がわからない

 首を傾げると、今度はラナンキュラスが遠慮がちに口を開いた



「……えーっと…まぁ、プレイの一環として…ね……」

「プ―――……あ、ああ、そ――…ういうこと、ですか、あー…はい、はい…」

 コケシ、プレイ、元恋人同士
 この三つのキーワードがあれば、過去に何があったのかジュンにだって想像出来る

 要するに―――…


「コケシを使用した行為が気に入らなかった…と」

 ジュンなりに言葉を選んだ
 選んだつもりだった――…のだが


「昔、ロゼの尻穴拡張調教に励んでいた時期があったんですよ
 それで、それなりに広がってきたんでコケシをちょっと挿入してみようかなーって
 ちょっとした思い付きと悪戯心だったんですけどねぇ…大惨事だったんですよ、これが」

「……………。」

 ジュンがいくら言葉を選ぼうとも、
 包み隠さず直球ストレートで説明を返されては立場が無い


「気に入るとか気に入らないとかの次元じゃないウリよ
 目も当てられない大惨劇で、ご主人はすっかりコケシ恐怖症になってしまったウリ」

 ふっ…と遠い視線を向けるウリ坊
 一体、どんな惨事があったというのだろう

 悪いと思いながらも好奇心が勝る



「え――…痛かった、とかです…か…?」

「ジュンさん…貴方はゴールド様とお付き合いをされてから長く経ちます
 貴方となら私が受けた苦痛と恥辱と屈辱を分かち合える気がします――…聞いて頂けますか?」

「えっ…え、あ、ああ…はい……」

 正直、ジュンは拡張された事もなければコケシを使われた事も無い
 それでもサディストの恋人を持つ苦悩は共感出来る気がする

 察するにローゼルもかなり、恋人から無体な扱いを受けていたようだ



「あのコケシ事件は――…本当に酷い物でした
 今でもコケシを目にする度に全身が竦み上がります」

「そ、そんなにトラウマに成る程ですか…?」


 つんつん

 不意に小さな蹄がジュンの腕を突付く
 振り返るとそこには神妙な表情のウリ坊


「ジュン、ジュン
 ちょっとジャンケンのグーを作るウリよ」

「へっ…?
 こ、こう…?」

 軽く拳を握ると、ウリ坊は静かに頷く


「コケシの頭は、その拳より一回り近くも大きいサイズだったウリよ
 それが強引にお尻に捩じ込まれる辛さを想像してみるウリ」

「――――……。」


 無意識に腰が浮く

 ……駄目だ
 想像するだけで、痛い

 というか、物理的に無理な気がする



「……普通に考えて、そんなサイズの物が入るとは思えないんですけど…」

「先にラナンキュラスが述べましたが、私は拡張の調教を受けています
 それなりに大きな物も受け入れられる様に肉体を作り上げられていました
 ですから、普通なら挿入不可能で断念しているであろう所を不幸にも受け入れてしまいまして…」

「はぁ……」

「あの時ばかりは、調教を受けていた我が身を呪いました
 大抵の場合…コケシの頭は完全な球体をしています
 しかも私に使用されたものは横に長い楕円形の頭をしていました」


 良く考えたら凄くヤバい話題な気がする
 拡張とか調教なんて言葉は普通、平然と口にするようなものじゃない

 しかしローゼルの淡々とした話し方のせいで、
 マニアックな淫語がまるで健全な医学用語のように感じ取れてしまう

 この時点で、かなり感覚が麻痺しているのかも知れない


「球体を挿入する場合、かなりの圧迫感と苦痛を伴います
 男性器の先端に確度が付いている構造は、
 挿入をスムーズにする意味もあるのだと――…身を持って知りました
 人の肉体の構造とは実に精巧に計算されて出来ている物です、感心します」

 この人、凄く真面目に真顔で話してはいるけれど
 その話の内容は『ちんこの形は挿入し易い』に尽きる

 しかし…露骨な表現をされるよりも、逆にドキドキしてしまうのは何故だろう




「つ、つまり…相当辛かったわけですね…ご愁傷様です」

「そうですね…
 時期尚早な上に調教が完全でなかったという事もあり、
 私はコケシを受け入れるだけで精一杯でしたが――…本当の悲劇はその後に起こりました」

「はあ……?」

 コケシを突っ込まれて痛かった
 そういう話だと思っていたが

 まだ何か続きがあるのだろうか


「私の肉体は既に限界でした
 いえ、限界を超えていたとも言えます
 それ故に引き起こされた悲劇――…」

「ひ、悲劇…?」


 ふっ…と、一瞬
 ローゼルの視線が遠くなる

 そして一言


抜けなくなりました

 わー…


「コケシの頭が引っ掛かってしまって、どうしても出て来ません
 出産時、逆子は難産になると言いますが…まさに、その状態です
 頭は体内に残され、尻からコケシの胴体を尻尾の如く生やした状態になりました」

「そ…それは…なんと言うか…その……」

 マヌケですね
 喉元まで出掛かったその一言を何とか呑み込むジュン

 実に滑稽な姿だが、ローゼルにとっては悲惨な状態だったに違いない



「あの時は本当に大変だったんですよ…
 力任せに抜こうとすると脱肛しそうになるし、
 かといって角度を変えてみようとするとロゼが断末魔を上げるし…
 下手に動かして首が折れでもしたら、もう手が付けられなくなるでしょ?
 もう、泣きたくなりましたよ本当に…」

「ちなみに私はその時、既に号泣していました」

「ウリ坊も涙が止まらなかったウリよ」

 聞いてるこっちも泣けてきた


「もう…ロゼはいっそ殺してくれと泣き叫ぶ始末で…
 でも流石に尻にコケシ突っ込んだ状態で死なせるのもちょっと…ねぇ?
 こんなアホな理由で死んだところで未練を残すだろうし、
 下手したら尻にコケシ生やしたまま幽霊になって彷徨う羽目になるでしょ?」

「…………。」


 ちょっと想像してみる

 夜になると何処からともなく聞える、
 『コケシが…コケシが抜けない…』と悲しそうな声

 振り返ると、そこには尻にコケシを突っ込んだ幽霊が――…!!

 あぁ…酷い
 何て嫌な幽霊なんだ

 あまりにも下品過ぎて怪談にすらならない




「そんなわけで何とかロゼを宥めて…
 とりあえず1日、様子を見る事にしたんですよ
 ウンコと一緒に排泄される可能性に掛けたんです」

「そ…それで…出たんですか?」

出ませんでした

 わー


「いやぁ…コケシが見事なまでに栓の役割を果たしてましてねぇ…
 どんなに踏ん張っても屁すら出ないという有様だったんですよ」

「もっと大量のウンコの圧力があれば出るかも知れないと、
 ご主人は通常の倍以上の食事を取って見たりもしたウリ
 それでも出ないと知ると、今度は大量の下剤を飲んだウリ」

「そ、そう…」

「まぁ…出なかったんですけどね

 お願い、サラリと言わないで
 悲し過ぎるから



「1時間後には、お腹をパンパンにさせて苦しむご主人の姿があったウリ
 自滅というか…手の込んだMプレイのような光景だったウリよ」

「詰められるだけ詰め込んで、溜められるだけ溜め込んで…
 挙句の果てに自ら薬で腹を下した状態にして――…
 でも、出す部分が塞がっている状態だからねぇ…そりゃ苦しいさ
 せめてウンコだけでも口から出せれば良かったんだろうけど」


 口からの脱糞はご遠慮下さい

 ローゼルが下痢を吐き出す姿を想像して、
 思わず自己嫌悪に陥るジュン

 無駄な所で想像力が逞しいから困る


「あの時は仕事にも行けず困りました
 椅子にも座れませんし、ベッドに仰向けになる事も出来ません」

「尻にコケシが刺さってる状態じゃパンツも穿けないウリよ
 上半身はビシッとスーツとタイで決めているのに、
 下半身はスッポンポンな状態ウリ…しかもコケシの尻尾付きウリよ…
 誰がどう見ても変態以外の何者でもないウリよ…」

「白手袋と靴下が更にマニアックなエロさを出していたねぇ…
 あれはあれでグッと来るものがあったんだけど、尻穴が塞がっていたのが惜しい」

 少しは心配してあげて下さい



「で、でも下半身露出は…大変でしたね」

「はい、しかもコケシの頭が前立腺を圧迫しまして…
 その刺激で常に股間が半勃ち状態で困りました」

「……………。」

「唯一の利点と言えば毎日しつこかった新聞の勧誘が、
 私の姿を見て以来、ぱったりと来なくなった事くらいでしょうか…」

 その姿で出たんですか


「そういう時は…居留守を使うべきかと…」

「ええ、私もうっかりしていました
 ウリ坊が慌てて私の股間に貼り付いてくれたので、事無きを得ましたが」

 事無きを得てません
 何もかもが手遅れです



「尻にコケシが詰まって3日目――…
 一向にコケシが抜ける兆しも見えず、
 風邪だと偽って仕事を休み続けるにも限界を感じた頃…
 私どもは恥を忍んでゴールド様に全てを打ち明け、助言を求めました」

 3日も経ったんですか
 というかゴールドもさぞ困った事だろう


「そ、それで…ゴールドは何て?」

「コケシは木だからいつか腐るだろうと…」

 長い目で見過ぎだ


「当然、コケシが腐るまで待ってなどいられません
 その前に私が糞詰まりで死にます

 何て嫌な死因



「そう訴えると、ゴールド様は…
 コケシは木だから火を放てば燃えるに違いない、と――…」

 いや…

 確かに燃える
 燃えはするが――…

 尻も燃えるよね、それ


「試しにコケシに点火してみましたが、
 あまりの熱さに耐え切れず断念しました」

 試したんかい

 藁にも縋りたい心境だったのかも知れないが、
 はっきり言って無謀過ぎる




「そ、それで結局――…
 どうやってコケシを抜いたんですか?」

医者を呼びました

 最大の恥辱プレイ


「ゴールド様が知り合いだという医者を呼んで下さって…
 私にとって、あの姿を第三者の前にさらす事は死にも等しい屈辱でした
 ですが―――…背に腹は変えられません、あのまま死を迎える事だけは避けたかった…」

 確かに

「ゴールド様が何と説明をして医者を呼んで下さったのかは知りません
 ですが…私の姿を見た瞬間、医者と看護師が見せた、
 哀れみと驚愕が混在した表情は未だに忘れられません」

「あの目は可哀想な人を見る目だったウリよ」

「ちなみに医者の第一声は、『何て馬鹿な事を…』でした」


 うん
 普通はそう思うよね

 ……というかゴールド……
 お前、少しは説明してやれよ





「看護師に『どうしてこの様な事を?』と聞かれましたが、
 私は嗚咽を堪えるのが精一杯で、何も話せる状態ではありませんでした」

 ローゼルには同情するが…

 しかし、本当に泣きたかったのは、
 こんなアホな患者を診察しなければならない医者の方だろう


「ウリ坊は無事にコケシが産み落とされるように、
 安産祈願のお守りを握ってお祈りしていたウリよ」

「ウリ坊…ローゼルさんは、決してコケシを身篭っていた訳じゃ…」

「でも、結構な難産だったんですよ
 なかなかコケシが出なくて苦労していました
 医者も『こんな物が、よくぞ挿入出来たもんだ』と唸っていましたからねぇ…」


 医者という職業は患者を選べないのだろうか
 忙しい中、尻からコケシを引き抜く為だけに呼び出された医者を思うと涙腺が熱くなる



「処置の様子は私からは見えなかったのですが、
 流石は医療の技術です――…コケシは無事に排泄されました」

 排泄言うな


「しかし…それが更なる悲劇を生みました」

 まだ何かあるんかい



「尻から出たのはコケシだけじゃなかったウリよ」

「……と…言うと…?」

「コケシが抜けたのと同時に、
 何日もの間、ずっと行き場を失っていた内なる存在が解き放たれました

 ………。
 嫌な予感


「ぶっちゃけると、尻からウンコ大放出
 世にもマニアックな脱糞ショーが開催されたんですよ」

「一抹の望みを掛けて飲み続けていた下剤が仇となりました
 たっぷり溜まった3日分の下痢は暴走し――…全てを染め上げました


 辺り一面、黄金の世界ですか

 さぞ、かぐわしい世界だったに違いない
 絶対にお目に掛かりたく無い世界である


「自らの肉体ながら制御不可能でした
 もう、自分の意思ではどうしようもなくて…
 私はただ、泣きながら全てを放出するしかありませんでした」

「勢い良く噴出したあの姿は、まるで噴水のようだったウリよ
 頭からご主人の下痢便を被った看護師と医者が気の毒だったウリ」

「シーツも壁紙も絨毯も…全部、取り替える羽目になったんですよ
 結構な飛距離があるものなんですね、下痢って…
 浣腸による強制排泄とはリアリティが違う、大迫力でしたよ」

 何のリアリティですか


「後に残ったのは、シーツの上にこんもりと積もった大量のウンコと、
 下痢飛沫で汚れた部屋、そして抜け殻のようになったロゼの姿でした…」

「あのコケシ事件はご主人に一生消えないトラウマを作ったウリよ
 今じゃすっかりコケシ恐怖症になってしまったウリ…」


 彼がコケシを怖がる気持ちは何となく理解出来る

 しかし――…どちらかと言えばコケシよりも、
 元凶となったラナンキュラスを警戒するべきではないだろうか



「せめてもう少し、尻穴拡張調教を進めていれば…
 そうしたら、ここまで酷い事態にはならなかったんですよ
 あれは俺の判断ミスです――…ロゼには悪い事をしました」

 その謝り方で彼は貴方を許してくれますか?


「どうにも抜けない焦燥感と迫り来る死の恐怖は筆舌に尽くし難いものがあります
 調教と称してディルドを何日間も挿入されたままにされた事は何度もありますが…
 あれは、いつかは抜いて貰える事がわかっているので、心理的にはまだ楽なものです」

「…………。」


 だから、何でこの人は
 ハードな内容を真顔でサラッと言っちゃうかな…

 薄々感付いていたが彼らは猥談に関する感覚が麻痺している
 ローゼルに関しては、あまりにも激しい恥辱を受け続けたせいなのかも知れないが――…

 彼らの前で言葉を選んだり遠慮をしても無駄のようだ

 ジュンは半ば開き直って、
 軽く疑問に思っていた事をぶつけてみる




「ちょっと気になってたんですけど、拡張…って、具体的に何をするんですか?」

「―――…えっ……」

 何故か目を見開くスパイたち
 彼らを驚かせるような事を聞いただろうか

 コケシの惨劇に比べると、まだ平和な話題だと思うのだが――…


「ジュンさん、貴方…ゴールド様の恋人ですよね?」

「…は、はい…」

「それなのに、どうして拡張調教の事を知らないんです?
 実地で嫌って程、カラダに教え込まれてるんじゃないんですか?」

「ふ…普通はそんな知識、知りませんよっ!!
 そんな事、されている筈が無いじゃないですかっ!!」


 顔から火が出そうだ
 彼らは一体、自分をどんな目で見ていたのか

 そんなに色々とマニアックな事をされてるように見えていたのか――…



「し…信じられない…
 あのゴールド様が、恋人に何もしていないだなんて…!!」

「い、いや…全く何もされていないわけじゃ…」


 ――…って、何を言ってるんだろう…

 ふと自分が悲しくなる
 しかし彼らの前で取り繕っても無駄だ

 こもそも奴らは感覚が常人から逸脱している



「そ…そうですよねぇ
 たまたま拡張調教を受けていないだけで、
 吸引や電流や圧縮なんかの扱きは受けてますよね」

「………………。」

「吸引機に掛けられた後、押し潰された上に電流を流されると痛みが倍増します
 クリップで挟まれたり針で串刺しにされたり火で炙られたりすると更に痛く苦しい
 痛みに耐える訓練を受けている私でも辛く感じます…ジュンさんには酷でしょう」

 それは一体、何の罰ですか




「あの鬼畜を極めた残虐非道さで有名なゴールド様の恋人…
 私が受けた調教よりも、ずっと過酷な目に遭っている事と察します」

「い、いえ、そこまで酷い事はされてませんけど…」

「またまたご謙遜を」

 どんな謙遜ですか


「ちなみに拡張ですけど、まぁ方法は色々とありまして
 ディルドを挿入して少しずつサイズを大きいのに変えて慣れさせて行くとか…
 小さめのローターを毎日1つずつ増やして挿入して行くとか…まぁ、好みの問題ですね」

「そ、そうですか…
 ちなみにローゼルさんは、どっちの方法で?」

両方です

 ラナンキュラスさん…
 実に良いご趣味をお持ちのようで


「…まぁ…私にしてみれば、
 コケシの恐怖に比べれば拡張調教など造作もありません」

 ローゼルさん…
 そこまでコケシが恐いですか…




「でも、そんな調教をして意味があるんですか?」

「うーん…俺達スパイっていうのは警戒されちゃダメなんですよ
 極力目立たず、騒ぎを起こさず、スマートに仕事をこなすのがスパイの美学…
 だから見るからに『これは武器だぞ』ってわかる物を持ち歩くのはタブーなんです」

「はぁ…?」

 何故、そこで武器の話が出るのだろう
 不思議そうに首を傾げていると、ローゼルが言葉を続ける


「かと言って丸腰で仕事に挑む事は自殺行為…
 それ故にスパイとは見えぬ場所に、常に武器を隠し持っているものです
 ですが、どんなに巧みに武器を仕込んだ所でボディチェックをされてしまえば終わりです」

「でも…外から触っても、服を脱いでもわからない場所に武器を隠しておけば安心ですよね?」

「………………。」


 まさか


「ちょっ…あ、貴方達…まさか全員、
 尻に武器挿入中ですか!?

 にこやかにお茶をながら尻に武器!?
 こんな涼しい顔をしていながら尻に武器!?
 今、こうして話している最中でも尻に武器ッ!?


「あ、あの…ジュンさん?
 俺達は既に、誰も武器だとは思わないような武器を持っているんですよ」

 そう言うとラナンキュラスは店の人形を指差し、
 ローゼルはウリ坊を抱き上げて見せた

 小さな手を振ってアピールするウリ坊が実に可愛らしい



「えっ…あ、あー…そ、そうです…ね……」

「人形を武器に出来る俺や、魔法で剣を生み出せるゴールド様には、
 わざわざ苦労してそんな所に武器を仕込む必要なんて無いんです
 だから…お願いですから、そんな顔で見ないで下さい

 ちょっと傷付いた表情のラナンキュラスに、
 慌てて場を取り繕うジュン

 つい、危ない人を見る視線を向けてしまった


「す、すみません…ちょっと動揺してしまって…
 そ…そうですよね―――……って、じゃあローゼルさんは?」

 ローゼルにはウリ坊がいる

 傍から見ている分には…というか、例え説明をされたとしても、
 この動物を武器だと認識するのは難しい物がある

 目立つかどうかは別として、
 とりあえず武器に見えない点では人形以上に優秀だと思うが――…

 ローゼルに視線を向けると、ウリ坊は悲しげに呟いた



「……ペット不可の建物を前に…ウリ坊はあまりにも無力だったウリよ…」

 そんな理由で!?


「侵入先がペット不可の物件だった場合、
 入り口で速攻、摘み出されます

 正面玄関から堂々と行くな


「スパイって…裏口や窓から侵入するんじゃないんですか…?」

「時と場合によりますが…
 基本的に来客を装ったり、もしくは変装をして侵入します」

「そ、そうなんですか…」


 ローゼルの外見ならセールスマンとして家宅に侵入出来そうだ

 スーツをナチュラルに着こなすその姿は、
 スパイというよりもビジネスマンと言われた方がしっくり来る

 ウリ坊の存在が全てをぶち壊しているが




「そうですか…
 じゃあ、尻にウリ坊を隠す為に拡張をしていたんですね」

 がふっ

 ローゼルが盛大に茶を噴き出した
 その隣りではバランスを崩したラナンキュラスが顔面から倒れ込む

 そして――…


「う…うりぃぃぃぃ―――…ッ!!!!!」

「う、うわっ…どうしたウリ坊!?
 痛い痛い、そんなに叩くなって…!!」


 泣きながらポカポカとジュンを殴るウリ坊

 ローゼルを媒介にしなければ力が発揮出来ないのか、
 あまり攻撃力は無いが…連続して叩かれると痛い



「…じ、ジュンさん…その発想は酷過ぎます!!
 貴方はロゼのケツ穴にウリ坊を突っ込めと!?」

「えっ…ち、違うんですか?」

違うに決まっているでしょうがッ!!!


 血を吐くかのような勢いで叫ぶラナンキュラス

 ちなみに盛大に茶を吹いたローゼルは、
 ゴホゴホと苦しそうに咳込んでいる



「ジュンさん、勘弁して下さいよ…
 ロゼの尻から顔を出すウリ坊を想像しちゃったじゃないですか…」

「す、すみません…
 俺…てっきりローゼルさんが肛門を広げて、
 『さあウリ坊、お入りなさい』ってやるのかと――…」

 どこまで想像力逞しいんですか


「…っ…わ、私の尻は、
 カンガルーの袋じゃありません…っ…!!」

「嫌ウリよ…絶対に嫌ウリよ…
 いくらご主人が好きでも、尻の穴には入りたくないウリよ…」

「ジュンさん…流石はゴールド様の恋人ですね
 発想が常人から逸脱して…俺達の理解の範疇を超えてますよ…
 いやぁ…平凡そうに見えて実に末恐ろしい人だったんだねぇ…」


 一種の恐怖が混じった視線を向けられる
 彼らから恐れられるジュンって一体…





「えー…じゃあ、何を挿入するつもりだったんですか?」

「そうですねぇ…普通、武器を仕込むとしたら折り畳み式のナイフとか…
 もしくは、毒物を入れた瓶等が一般的だと思いますよ
 間違っても生物は挿入しちゃダメだと思います」

 尻に突っ込まれるウリ坊の幻影が脳裏から離れないのか、
 ラナンキュラスは唇の端をヒクヒクと震わせている


「へぇ…うっかり瓶が割れたりしたら大変ですね」

「その辺は恐らく…厳重に梱包するなどの対処がされているのだと思います
 私自身、実際に体内へ武器を仕込んだ事は未だ無いので何とも言えませんが…」

「そうなんですか?」

「はい…基本的に私、
 魔法と体術で戦うので武器は使用しません

 じゃあ何の為の調教ですか


「…まぁ…正直に言っちゃえば、
 単に俺が拡張調教を施してみたかっただけなんですよね
 武器の仕込み云々は、あくまでも口実なんですよ」

「冷静に考えると実用性にも乏しいと言えます
 潜入先で敵と遭遇した際――…現実的に考えて、武器を取り出せると思いますか?
 ズボンを下ろしてパンツを下ろして武器を排泄する…私にはそんな時間も度胸もありません」


 確かに

 敵も侵入者が突然排泄スタイルを取ったら、さぞかし驚く事だろう
 しかも尻から出た武器で倒されたとなれば死んでも死に切れない






「それにしても…あのゴールド様の恋人が、
 何の調教も受けていないだなんて信じられませんよ」

「いや…だから…全く何もされていないわけじゃ…
 ええと、縛られたりとか…媚薬飲まされたりとかもしていますし…」


 自分で言っていながら頬が熱くなって来る

 あまりこう言う事は口にする機会が無い
 恐らく彼らの前だからこそ口に出せる話題だろう


「鞭みたいな物で叩かれたり、蝋燭の蝋を垂らされたりもしましたし…
 ――…そうだ、いきなりピアスを開けられた事があるんです…酷いですよね!?」

 どこに…とはとても言えない
 ただ、凄く痛かったとだけアピールしておく

 恐らくローゼルならジュンの辛さを理解してくれる――…と、思ったのだが


「ピアスならまだ可愛い方です」

「ピアスを開ける行為なんて調教の内にも入らない、単なる戯れですよ
 いやぁ…驚いた、流石のゴールド様もジュンさんには甘いってわけですか」

「―――……へっ?」

 予想外の言葉に、思わず目が点になる
 同意も得ずに穴を開けられたのだ、残虐非道な行為だと思うのだが――…

 淫語だけでなく痛覚に関しても彼らの感覚は麻痺しているのだろうか



「確かにピアスも開ける瞬間は痛みがありますが…でも、すぐに慣れるでしょう?
 時間が経てば慣れてしまうような痛みなんて与えても調教にはまりませんよ」

「えっ…じ、じゃあ…どんな行為なら調教になるんですか?」

「そうですねぇ…貫通の痛みを与えるのなら針責めの方が効果的ですかね
 火に入れて熱したり硫酸等に浸した針なら更に強い効果が期待出来ますよ
 刺しては引き抜いて、そしてまた刺して――…という行為を繰り返すよりは、
 大量の針を用意して剣山の如く大量の針を刺した方が視覚的にも効果がありますよ
 最後に針を通じて電流を流してやったり、針を熱して傷口をジリジリと焼いてやっても良いですね」

「………………。」


「調教として使うのならピアスよりクリップやイヤリングの方が宜しいかと
 ピアスと違い、永続的に圧迫される痛みを与え続ける事が可能です
 紐などで縛ったり接着剤などで固定しておけば外れる心配もありません」

「重石をぶら下げて揺すったり、鎖を付けて散歩させたり…
 この調教は色々と応用が利いて楽しめますよ、だからオススメなんです」

「私は挟んだクリップに空のバケツをぶら下げて…
 そこに少しずつ水を注いで行くという方法で捕虜の尋問を成功させた事があります
 その捕虜には情報提供のお礼にバケツの中をたっぷりと水で満たした後、
 中身が零れて空になるまで踊らせてあげました――…ティルティロ時代の良い思い出です」

 懐かしそうに目を細めて、しみじみと語るローゼル


「あー…あの捕虜ね
 結局あの人、どうなったんだっけ?」

「確か…私と先輩とゴールド様が思案した拷問術の内、
 どれが最も効果的かデータを取る為の人体実験用被写体になって貰いました
 その後も私達が次々に新しい案を生み出すので、なかなか楽にしてやれず――…
 結局、上層部の方々に『可哀想だから早く処刑してやって欲しい』と泣き付かれました」

「ああ、そうだった、そうだった
 でもその捕虜ってのは情報収集の為に拉致って来た単なる町人だったから――…
 流石に命まで奪うのは人道的に反する、って事で解放してあげたんですよ…確か」

「……結果として解放までに8ヶ月を要する事になってしまいましたが」

「あ、あの…ご主人…」


 つんつん
 ウリ坊の蹄が主の背を突付く


「………どうしました?」

「ご主人…ジュンが怯えているウリよ」


 振り返るとそこには
 頭から座布団を被り、テーブルの下で震えている青年の姿

 日に焼けた浅黒い肌は見事なまでに青ざめている




「……先輩、ジュンさんは私達が思うより遥かに純朴で繊細です」

「そうみたいだね…俺達も言動には気を付けよう
 些細な刺激にも過敏に反応してしまう感受性の持ち主みたいだ」

「ゴールド様がジュンさんに手を出せなかった理由がわかりました」

「ああ…この繊細なガラス細工の神経では流石のゴールド様も、
 壊れ物を扱うように、そっと接するしかなかったんだろうねぇ…」


 互いに顔を見合わせて頷き合うスパイ2人
 しかし声を大にして主張したい

 お前らの神経が異常なんだと



「俺は普通です…
 それよりローゼルさんの方こそ、どうやったらそこまで神経図太くなれるんですか?」

「ゴールド様の元で10年近く修行を積み続けた結果です」

 大変良くわかりました


「ゴールド様はスパルタを絵に描いたような上司でしたからねぇ…
 だからこそ、ゴールド様がジュンさんに何もしていない事に対して俺達は驚いたんですよ」

「す…スパルタ上司…ですか…」

「ええ、ゴールド様から定期的に課題を与えられるのですが…
 その課題に失敗する事は即、死に繋がりました
 ミスを犯した者から消えて行く――…私どもは、そんな容赦の無い境遇で鍛えられました」


「何せ…炎に包まれた屋敷の中へ指定されたブツを取りに行く課題なんてのもありましたからねぇ
 ゴールド様が指定した物と違った場合、どんなに屋敷が焼け落ちていようと再度中へ送り込まれましたし
 しかもそのブツは暗号文で指定されてるんで…解読が誤っていた場合、その時点で死亡したようなものです」

「猛毒を投与された状態で、解毒薬を調合するという課題もありました
 与えられる材料は一回分で――…調合に失敗すれば解毒出来ず、その日の内に死に至ります
 そんな常に死と隣り合わせの緊迫した状況の中で訓練を受けてきました、自然と神経も図太くなります」

「…………。」


 ジュンは思った
 俺、よく今まで無事でいられたな、と

 確かに部下達が受けてきた課題に比べれば、
 自分が置かれている境遇は甘い――…甘過ぎるくらいだ

 勿論自分は部下ではなく恋人なのだから待遇が違って当然ではある
 しかし、ゴールドのスパルタっぷりが身に沁みているローゼルたちとっては意外な光景なのだろう


 彼らの感覚で見ると、自分は『何もされていない』と捉えられても仕方が無いのかも知れない

 ただ…それでも全力で主張したい
 お前らの物差しで全てを計測するな、と





「……あれっ?
 そう言えばゴールドは?」


 お湯を沸かしに行くと出て行ってから、姿を見ていない
 一体、どこで何をしているのか

 不審に思い、キッチンへ様子を見に行くジュンとローゼル


「ゴール…ド―――……」

 微かな熱気に満ちたキッチン
 そこで2人が見たものは、純白のフリフリエプロン姿で鍋を掻き回す金髪男の姿だった

 その姿
 例えるならば少々ショッキングな新妻とでも言うべきだろうか――…



「おや、どうしました?」

「いや…お前こそ何をやってるんだ

 ご尤もなジュンの問いに、ゴールドは笑みを返す
 そして鍋を指し示しながら一言、

「夕食の準備をしていました」


 キッチンにある窓の外の景色に視線を向けると、
 既に日は傾き、茜色の陽光が差しているのが見えた

 確かに、そろそろ夕食の支度を初めても良い頃だ

 それはわかる
 わかるが――…何故、コイツが?



「キッチンに立っていると、ローゼルたちが初々しい訓練生だった頃…
 スパイ養成学校の施設で皆で食事をした事を思い出したのです
 昔はよく、訓練に疲れた部下達に炊き出しをして励ましたものです
 ちょっと懐かしくなってしまって…気が付けば、鍋を取り出していたのですよ」

「そ、そうでしたか…
 ですが仰って下されば食事の支度くらい、私どもが――…」

「ボクが貴方達に夕食を振舞いたかったのです…昔のように」


 どうやらゴールドは単にスパルタだっただけではなく
 時にはこうして部下達を激励していたらしい

 昔から飴と鞭の使い分けが巧みだったようだ


「…それよりも、お前…
 その超絶に似合わないエプロンは、どっから出した?」

「お人形用のエプロンドレスを拝借しました」

 んなもん拝借するな


 その場にいたジュンとローゼルが心でそう叫ぶ中、
 当のゴールドは満面の笑みで鍋を差し出す



「さあ、出来ました…
 ボク特製のゴールデンカレーです」


 ゴールド…
 今、カレーはちょっと…



「心配しなくても大丈夫なのです
 ちゃんとウリ坊を考慮して、豚肉ではなく鶏肉を使いました」

 いや、そうじゃなく
 もっと別の心理的部分を考慮して欲しかった

 そう…例えばコケシ排泄後の黄金シャワー的な部分とか



「ボクって基本的にアウトドア料理しか作れないのです
 カレー、シチュー、豚汁に焼きそば…それ以外は協力者か料理の本が必要なのです」

「ゴールド様の料理は簡単な物が多いですが、
 その分、味は安定しているので心配は要りません」

「いや…別に俺は味の心配をしているわけじゃないんですけど…」


 コケシとか拡張調教とか
 そんな話ばかり聞いていたせいで、カレーが似て非なるものに見えてしまう

 でも、それを言ってしまったらゴールドに悪いし…



「みんな、どうしたんです?
 何だか良い匂いが――…あ、カレーですか?」

 ジュンが戸惑っていると、
 なかなか戻って来ないゴールドたちを心配したのか、家の主が顔を覗かせる

「懐かしいですねぇ、ゴールド様のカレー…
 どんなに疲れていたり食欲の無い時でも、このガツンと来る激辛カレーを食べると元気が出るんですよ」

「ゴールド様お手製の、フルーツとハチミツたっぷりの優しい甘さのカレー…
 店頭ではなかなかお目に掛かれない味です…本当に懐かしい」

 何で味の感想が正反対なんですか


「この2人は正反対の味覚を持っているのです
 ローゼルは甘党で肉と果物が好き、
 ラナンキュラスは辛党で魚と野菜が好きなのです
 この2人を同時に満足させる為、ボクがどれ程苦労した事か…」

 そう言うとゴールドは2つの鍋をテーブルに置く


「こっちの鍋はリンゴとハチミツ入りの甘口チキンカレーです
 そして、こっちは季節の野菜を入れた、スパイシーな辛口ベジタブルカレーなのです」

 わざわざ二通りの味で作ったらしい
 二度手間だが…当のゴールドは楽しそうだ



「それぞれローゼルさんとラナンキュラスさんの好みだって事はわかるんだが…
 俺はどっちの鍋のカレーを食えばいいんだ?
 辛いのが苦手だから…ローゼルさんのと同じで大丈夫か?」

「2つをブレンドして初めて常人の味覚に合うカレーになるのです」

 あの2人、どれだけ味覚が偏ってるんですか


「うりー♪」

「ん…ウリ坊、妙に上機嫌だな
 もしかしてカレーが好きなのか?」

「今日の夕飯、作る手間が省けたウリ
 久しぶりに楽が出来て嬉しいウリよ♪」

「……………。」


 飯まで作れるんかい

 この獣、どれだけ有能なんですか
 既にウリ坊としての力量を超越している気が…



「ウリ坊…ず、随分と働き者なんだな…」

「ご主人のお役に立つことがウリ坊の生きる道だウリ」

「随分、ローゼルさんを慕ってるんだな」

「だって…お役に立てなきゃ、ウリ坊は食べられちゃうウリよ
 元々、ウリ坊はご主人に食用として飼われていたウリ
 でも家事や武器としての能力があったから今まで食べられずに済んでいるウリよ」

「……………。」


 生きる道…というよりも
 生きる為の手段

 なかなかシビアだ



「ジュン、ご飯が冷めるのです
 もう用意は出来ていますから、早く席について下さい」

 いつの間にかテーブルに人数分の皿が並んでいる
 店を閉めてきたらしいラナンキュラスが指先で鍵を弄んでいた

 ローゼルが水差しを手に取る
 グラスに水を注ぐ音が涼しげに響く


「普通に飯モードに入ってますけど…
 ローゼルさん達は食欲あるんですか?」

「ありますよ」

「俺、カレー大好物なんです
 辛い物は基本的に別腹ですね」

「……………。」


 さっきまでウンコ絡みの話をしていながら、
 普通にカレーが食える神経…逞し過ぎる

 彼らならきっと、ゲロ吐いた直後にもんじゃ焼きだって食えるだろう



「さあどうぞ、召し上がれ?」

「……ええと……い、いただきます……」


 この状況で自分だけ食事を拒否するわけにも行かない

 ジュンは自らに必死に言い聞かせる
 …これはカレー、これはカレー…コケシは忘れろコケシは忘れろ――…

 ―――…よし、これで大丈夫!!
 目を閉じてカレーの香りを嗅ぐと、失せていた食欲も湧いて来る


 ぱく

 まずは、ひと口
 スパイスの辛さとフルーツの甘さが絶妙だ
 野菜の歯ごたえも、肉のジューシーさも、ご飯の硬さも文句無し

 大丈夫、これなら食べられる――…





「そう言えばさっき、コケシの話をしてましたね」

 ぶっ

 盛大に米を吹き出すジュン
 同じく動揺したのか激しく咳き込むローゼルと、苦笑を浮かべるラナンキュラス

 ……ウリ坊はバランスを崩して、頭からカレーに突っ込んだ


「先日、看護師や医者達とプライベートで話す機会があったのですが
 あの事件以来、ずっと音沙汰が無くて心配しているそうです
 自己管理は出来ていると思いますが、定期的に健康診断は受けて下さい」

「…いえ…お気遣いは嬉しいのですが…
 あの件以来、もう私はディサ国の病院へは足を向けられぬと…」

 確かに

 あれだけの痴態をさらした後だ
 彼らとは顔を合わせ難いに違いない

 ―――……。



「……って、ディサ国の病院ッ!?」

「ジュン、どうしたのです?」

「いや…今、ディサ国の病院って…
 って事はー…じゃあ…何か?
 あのコケシの事件って…ディサ国で起きた事なのか!?」


 大学を卒業した後、スパイ養成学校へ通い始めて
 ゴールドの元で長年スパルタ訓練を受けた後、才能を認められてディサ国へ潜入

 彼ら3人が何年、ディサ国でスパイとして潜入していたのかはわからない
 ジュンが聞かされているのは、ほんの一部の事だけだ

 しかし――…わからないなりにも、ある程度察する事は出来る


「………実は、結構最近の話なんですか……?」

「そうですねぇ…俺達がディサへ来て5年になりますが…
 あのコケシ事件が起きたのは、ロゼが丁度30歳の時――…」


 三十路であんな事やらかしたんですか

 いや…若ければいい、ってわけでもないけど
 でも良い年をした男がコケシが抜けずに医者を呼ばれるって――…



「まぁ、ここ数年の話ですね」

「おかげで風邪を引いても病院へ行けません
 ある程度、記憶が風化されるまでは無理です」

 ふっ…と遠い視線で宙を眺めるローゼル
 コケシ事件を思い出として扱うには記憶が新し過ぎるのだろう


「ローゼルは考え過ぎなのです
 医者なんて患者の尻もウンコも数え切れない程に見ているのです
 産婦人科でも出産時に浣腸を打つのはお約束の話ですよ?」

「いや、流石に妊婦とコケシ詰まり男を一緒にするのは…」

「似たような物なのです
 産む際の出口がちょっと違っただけなのです」

 全国の母親に謝れ



「ボクなんてディサ城勤め初日に、
 花壇で野糞している所をリノライ様に見られましたが…
 全く気にせず、今まで生きているのです」

 初っ端から何してるんだお前は
 むしろ少しは気にして生きろ

 くらくら
 軽く眩暈がして来た


「うりー…」

「ん、どうしたウリ坊?」

「カレー食べてる時にウンコの話は勘弁して欲しいウリよ」


 全くだ

 この中で最もまともな神経をしているのは、もしかするとウリ坊なのかも知れない
 主も少しは見習って欲しいものだが――…

 恐らくダメだろう
 上司同様、この男もかなりズレている



 ひょい

 空になった皿を器用に持ち上げるウリ坊
 そのまま、トテトテとローゼルの元へ向かうと――…


「ご主人、おかわりー」

 よく食えるなウリ坊…
 この状況で、カレーをおかわり出来る神経


「……俺も…見習った方が良いのかも知れない……」


 山盛りのカレーを前に実にご満悦のウリ坊
 そして下劣極まりない話題に花を咲かせる三十路野郎3人

 すっかり暗くなった窓の外へ視線を向けながら、
 ジュンはフッ、と諦め混じりの笑みを浮かべた






思いのほか、続いておるスパイたちの話――…
本編では語られない裏話を、こうして描いて行くのも楽しいものにござります

結局、似た者同士(感覚的な部分で)なスパイ3人組
恐らく最も常識人なのはウリ坊(人じゃないけど)だと思われまする

……頑張れ、ジュン
ゴールドとの縁が切れぬ限り、
彼らとも長い付き合いになる可能性が高いじゃろうて…