「ご主人、ご主人!!」



 ぺしぺしぺしぺしぺしぺし

 連続して頬に衝撃が走る
 微かな痛みによってローゼルは、強引に眠りの淵から浮上させられるのを感じていた



「…ん……うう…ん……?」

「ご主人、起きるウリよ
 このままじゃ完璧な寝坊ウリよ!!」

 焦り気味の声
 特徴的な口調で相手が誰だかわかる

 ……相棒のウリ坊だ

 ローゼルは手探りで眼鏡を探し当てると、
 眠たい瞳を擦りながら、ゆっくりとベッドから起き上がった


「……ウリ坊、おはようございます……」

 まだ眠い
 眼鏡を掛けても、まだ視界がぼやけている気がする

 長旅の疲れが抜け切っていない…というより、時差ボケなのかも知れない



「ご主人、のんびりしてる暇は無いウリ!!
 このままじゃ仕事初日から寝坊で遅刻ウリよ!!」

「……寝坊………?」


 ちらり
 時計に視線を向ける

 午前8時45分
 その時刻を確認した瞬間、ローゼルの意識は瞬時に覚醒した

 ……危機的状況だ
 仕事は9時から開始である


「……っ…!?
 ウリ坊、どうして起こしてくれなかったんです!!」

「目覚まし時計をセットし忘れていたみたいウリ」

 寝汗をかいていたが、シャワーを浴びる時間も無い
 ボサボサの髪を強引にリボンで纏め上げ、洗面所へ駆け込む



「ご主人、接客業は身嗜みが大切ウリよ」

「わかっています、だからこうして髭を剃っているんです
 ウリ坊、すみませんが着替えを用意して下さい…鞄に入っています」

「あぁぁ…ご主人、脱いだ靴下と新しいシャツを同じ鞄に詰め込んじゃ駄目ウリよ!!
 どうして何度注意しても毎回毎回、洗濯物を溜め込むウリか……
 スーツだって鞄に入れっぱなしだから皺になってるウリ!!
 ちゃんとハンガーに掛けて吊るしておかないと駄目だって以前から――…」


 クールな外見のせいで、しっかり者に見えるローゼルだが

 こう見えて意外とズボラな男である
 ウリ坊の方がずっとしっかりしている

 これでは、どっちが飼い主かわからない


「ご主人、早くこれに着替えるウリ!!」

「ありがとうございます、助かります…!!」



 ここはラナンキュラスの家

 長旅を終え、ディサ国へと戻ったローゼルは、
 ラナンキュラス宅の空き部屋を借りて、ここで暮らす事になった
 ちなみに3階がローゼルの部屋で、2階はラナンキュラスの部屋である

 1階は店舗兼アトリエとなっており、
 家賃代わりにローゼルは店の手伝いをする約束になっている

 今日は店の説明や仕事のノウハウを教えて貰う筈だったのだが
 そんな勤務初日から、見事なまでに寝坊

 ……先が思い遣られる



 ―――…コン、コン、コン


 ドアをノックする音が響く
 この時間に尋ねてくる相手など限られている


「ロゼ、支度は出来てるか〜?」

「は…はい…!!」


 ドアを開けると、そこにはニヤニヤと笑う先輩…ラナンキュラスの姿


「朝から随分、バタバタしてたな
 俺の部屋まで聞えてたぞ?」

「……すみません…寝坊しました」

「ま、お前も戻ってきたばかりで疲れているだろうから…
 体が慣れるまでは、ゆっくりとやれば良いさ」


 1階へと降りると店のシャッターを開ける

 人形を日に焼けさせない為だろうか、
 朝だというのに店内は薄暗く、時計を見なければ時刻もわからない



「人形の値段は、それぞれの靴の裏に値札が付いているから
 レジはここで…暗証番号を入力しないと開かないようになってる
 暗証番号は俺の誕生日だから忘れるなよ?」

「は、はい…」

「俺は基本的にアトリエで人形を作ってるからさ
 何か困った事やわからない事があった時と…
 あと、オーダーメイドの注文が入った時は呼びに来てくれな」


 店の中では邪魔になるからだろう

 マントとショルダーガードを外したその姿からは既に傭兵の面影は消え、
 完全なアーティスト――…人形師としての姿へと彼を変貌させていた



「…先輩、そういう服装が本当に似合いますね…」

 普段から女性用の服を愛用しているラナンキュラス
 流石に声や骨格で性別は判別出来るが、遠目からなら『大柄な女性』と認識される事だろう

 中性的な容姿と女性の服という組み合わせから、まるで彼がこの世の存在では無いかのような…
 両性具有の天使や、それこそ性別を持たぬ人形なのではないかと思わせる

 この不思議な魅力に自分は惹かれたのだ
 それも、もう…昔の話だが――……


「創作っていうのは気持ちも大切なんだよ
 俺自身も人形のように着飾る事によって、より人形作りに気持ちが込められるってワケ」

「まるで先輩もここにある人形たちの一員になったように見えます」

「……そう…かもね
 ここにいる人形達は全員、俺が生み出した子供だから…
 ある意味、俺の家族…そういう意味では俺も彼らの一員だよ」


 人形に囲まれた中でニッコリと微笑むラナンキュラス

 優しく穏やかで、どこか愛嬌がある
 しかし…その笑顔さえも作り物に見えてしまうのは気のせいだろうか

 あんなに愛しかった筈の彼の笑顔が、今は胸を痛めつける



「…………。」


 彼から逃げ出したのは紛れも無い自分の意志

 彼との関係に終止符を打ったのも
 そして、再び彼の元へと戻ったのも…

 辛く感じる事は予想していたし覚悟もしていた
 それでも割り切れると――…未練を断ち切れると思っていたのに

 こうして隣に並ばれると、嫌でも意識してしまう


 …ラナンキュラスは、今日も綺麗だ
 薄く浮かべた笑顔が妖艶で惹き込まれる

 ………もう、終わった筈の恋なのに



「今週は店の雰囲気に慣れる為にも、2人で店番しよう」

「………はい」

 今はただの先輩と後輩
 そして店主とアルバイトの関係だ

 ……気持ちを切り替えなければ


「人形って言ってもピンからキリまであってね
 インテリアとして飾るものから、子供の玩具として扱う物まで様々なんだ
 子供服の店がマネキンの代わりとして買って行く事もある…人形も使い方次第だね」

 カタン
 ラナンキュラスが奥から椅子とテーブルを引っ張り出す


「ずっと立っていても疲れるからさ
 普段は、ここに座って店番してるの
 お客さんが来たら立つけどね…ほら、座って」

「は、はい」

「人形の他にも着せ替え用のドレスとか、あとはアクセサリーの類も置いてある
 全部俺の手作りでデザインなんかも凝って作ってるんだ、器用だろ?」

「先輩にこんな才能があったんですね…」


 そう言われてみれば
 ラナンキュラスもハンドメイドと思われるアクセサリーを数多く身に付けている

 大抵はリボンやバラの花をモチーフにしたもので、
 ラナンキュラスの雰囲気と良く合った繊細で華やかなデザインが多い





「……あれ…先輩、そう言えば……」

「何かな?」

「先輩が金のアクセサリーを付ける事…珍しくありませんか?
 ついでに言えば、白いバラの花も…どちらかと言えば先輩は黒バラのイメージですし」


 記憶の中に出てくるラナンキュラスは、いつも銀色のアクセサリーを好んでいた

 身につけるバラの花の色は黒や紫ばかり
 黒真珠やアメジストも好んでいたが…

 どんなに記憶を遡って見ても、今日のように、
 白いバラが付いた金のアクセサリーを身に付けている事は無かった筈だ


「ああ…俺、金色は似合わないから
 というよりお前やゴールド様の方が似合うからさ、銀ばかり身に付けるようになったんだ」

 ローゼルやゴールドは暖色系が似合い、
 ラナンキュラスは寒色系が良く似合う

 それでも今日の彼の髪や胸元を飾っているのは白バラと金のアクセサリーだ



「……白いバラなんて俺のキャラじゃないだろ?」

「ええ、確かに…」

「これはお前なんだ」

「…………はい?」


 ラナンキュラスは胸元を飾っていたブローチを外す

 どこまでも澄んだ純白のバラ
 金のチェーンから下がった白い真珠が静かに揺れている


「これは…お前のイメージで作ったんだ
 俺が漆黒のバラならゴールド様は深紅のバラ
 そしてお前は――…純白のバラだ」

 キラリ
 照明を反射させて、金の装飾が煌めく


「お前がディサ国を去って…俺は寂しかったんだろうな
 気が付いたら、お前を題材にしたアクセサリーを作っていた
 お前の髪の色に良く合う金と、純潔を意味する白いバラ
 そして…同じく純潔という石言葉を持つ真珠を組み合わせたんだ」

 純潔

 一度も抱く事の無かった、触れる事さえしなかった恋人
 ラナンキュラスの中でローゼルは汚れない純潔の象徴なのだろう

 その事実が、どれ程ローゼルを傷付けているのか…彼は理解しているのだろうか



「……俺は寂しかった
 だから、お前のイメージで作ったアクセサリーを作って身に付けた
 そうする事で隣にお前がいない寂しさを埋めようとしたんだ…我ながら女々しいよ」

「…先輩……」

「俺には似合わないよな、金色も白いバラの花も
 自分でも理解はしてるんだ…でも、これがお前だと思うとさ……」


 勝手だ
 あまりにも勝手過ぎる

 誰よりも近くにいた時には手さえ触れなかったくせに
 別れた後で、そんな事を言うなんて

 今更、そんな事を言われても困る――…本当に、身勝手な男だ




「ゴメンな、今更こんな事…言えた義理じゃないのに
 お前を悲しませたり困らせたいわけじゃないんだ
 ただ、久しぶりにお前が隣りにいるから…つい、昔を思い出して…」

「………気にしていません」

「…そう…か……そうだよな
 未練がましい事を言って不快にさせたら悪いと思ったんだけど」

「もう…過去の事ですから
 全てを忘れたわけではありませんが、私の中では思い出として区切りが付いています」


 辛い思いをしたし、憎んだ事もあった
 衝突して傷つけ合い…そして、関係に疲れ果ててしまった

 それでも自分は――…彼を全力で愛していた

 過去を否定したくない
 彼と付き合えて良かった…彼との恋に後悔はしていない



「もう…全てが終わりました
 今は過去よりも未来を見つめて生きたい
 振り返らず、真っ直ぐ前を向いて進みたい…その為に、私は戻って来ました」

「俺も、お前の足枷にはなりたくないんだ
 ロゼ…お前は自分が目指す未来に向かって進めば良い
 俺は先輩として…仲間として、お前の幸福を応援しているよ」


 ラナンキュラスの優しい『先輩』の眼差し
 ローゼルも『後輩』として目礼を返す

 それが、ローゼルが選択した道だ


「……今日は…なかなかお客さんが来ないみたいだ
 お前、寝坊したから朝ご飯も食べてないでしょ?
 時間あげるから、何か食べてくるといい…そうじゃないと力も出ないからさ」

「は、はい…それでは、お言葉に甘えて失礼します」


 軽く会釈をすると、早足でその場を後にする

 3階へと続く階段を上る頃には小走りになっている事に気付いたが、
 それでもローゼルは速度を緩める事はしなかった




「ご主人、もう戻って来たウリか?
 今、お腹が空いてると思ってご飯の支度をしていたところウリ――…」

「……………。」

 パタン


 ドアを閉めて、ほっと息を吐く

 椅子に座ろうとすると、間接が軽く軋む
 ローゼルは自分の身体が強張っている事に気が付いた


「ご主人、お茶…」


 ことり

 テーブルの上に置かれたカップ
 ゆっくりとそれに口付ける


 ……温かい

 立ち上る湯気に緊張が解れた
 全身から、スッと力が抜けて行く



「ご…ご主人!?
 どうしたウリ…何があったウリ!?」

「…っ…な、何でも…ぁ…ありません……っ…」


 思う様に喋れない
 視界が滲んでぼやける

 堪えていた涙が堰を切ったように流れ出ていた


「ご主人、やっぱりラナンキュラスと一緒にいるのは辛いウリ?」

「彼の事が嫌いで別れた訳ではありませんから…
 ですが気持ちの整理は付いているつもりです、未練は無いと思っています」

「…………うり……」

「そんな目で見ないで下さい…嘘は言っていません
 私は本当に、彼とよりを戻す気はありません
 恋人としてではなく、先輩と後輩として付き合った方が上手く行くんです
 先輩と過ごす時間が好きで、ずっと隣りにいたい…その為には昔の関係に戻るのが一番です」


 ふわり

 甘い香りが部屋に漂う
 湯気が立つ皿をウリ坊が運んで来た

 食器とスプーンが触れ合ってカチャカチャと小さな音を立てている




「ポリッジですか、懐かしいですね」

「これを食べて元気出すウリ
 ご主人が好きな果物とミルクをたっぷり入れたウリ」

 ミルクで甘く、柔らかく煮たリンゴとバナナ
 隠し味のシナモンとメープルシロップの香りに癒される

 ローゼルの食欲が無い時に食卓に並ぶ事が多い、ウリ坊の得意料理だ


「ご主人は、どんな時でも甘い物だけは残さず食べるウリ」

「デザートは別腹なんです…3食フルーツでも私は構いません
 甘いポリッジは二日酔いの朝でも受け付けます…先輩には不評でしたが」

「ラナンキュラスには『甘い粥なんて邪道だ』って言われたウリ」

「ふふ…先輩は辛い物が好きですから…
 私の方も先輩の料理は受け付けません
 以前、先輩が作ったゲーンキャオワーンを食べて泣きを見た事がありました」


 笑ってしまう
 自分と彼とは性格や価値観だけでなく、味覚までもが正反対なのだ

 そもそも相容れようと思う事そのものが無謀だったのかも知れない



「……それでも…私は、先輩と一緒にいたい……」

「ご主人…」

「恋人として愛されるよりも、
 後輩として可愛がられている方が私には性に合っているようです
 私と先輩とゴールド様…昔のように3人でまた過ごせると思うだけで毎日が楽しい」


 関係をリセットして
 恋人として付き合う前の関係に戻る

 その選択は間違っていないと信じている
 未練も無いし、後悔も無い…それも本当の事だ

 もう大丈夫
 泣かずに彼と接する事が出来る筈――…



「ウリ坊、ご馳走様でした
 そろそろ仕事に戻ります」

「……うりー…」


 ぽふ
 ウリ坊の頭を撫でると、手袋越しに高めの体温と柔らかな毛の感触が伝わって来る

 少しだけウリ坊から勇気を分けて貰えた気がして、
 ローゼルはしっかりとした足取りで店へと続く階段を下りて行った







「先輩、休憩終わりました――…」


 店舗を覗くと、そこには複数の人影

 来客があったらしい
 ローゼルは反射的にネクタイを締め直す
 接客業は初めてだ――…自然と肩に力が入る


「い、いらっしゃいませ…」

「あっ…こんにちは、ローゼルさん」

 栗色の髪をした青年が、はにかんだ笑みを浮かべている
 赤いジャケットが似合うこの青年は、確か――…


「ジュン様…いえ、ジュンさん」

「こんにちは、ローゼル
 ジュンが人形を見たいというので、ちょっとお邪魔させて貰いました」

 ニッコリと微笑む上司

 初めての来客が知った顔で、ある意味助かった
 とりあえず緊張は解れた気がする



「ローゼル、貴方はいつ見てもスーツ姿なのですね」

「…無難ですから
 それに接客業と言う事もあります
 スーツ姿で失礼に当たる事は少ないと思いまして」

 しかし、白手袋を身に付けているとは言え、
 カッチリとネクタイを締めた姿は、どちらかと言えばビジネスマン

 アンティークな雰囲気を漂わせている店内では、少々浮いた存在に見える


「人形店に何故、SPがいるのかと思いました」

「あー…ゴールド様もそう思います?
 俺もちょっとロゼのスーツ姿は堅苦しいなって思ってたんですよねー」

「人形もラナンキュラスも、リボンやレースや花で可愛らしく飾られてますからね
 飾りっ気の無い堅そうな大男が立っていては妙な威圧感があるのです」


 流石は先輩と上司、遠慮が無い
 言いたい事をズバズバと言ってくれる
 しかし自分でも多少、そう思っていたので言い返せない

 ラナンキュラスみたく人形のような華のある存在でなければ、
 この店の雰囲気に溶け込む事は不可能だろう

 ローゼルはゴールドのような艶やかな美貌も無ければ、
 ラナンキュラスのように美しく着飾った姿が似合うわけでもない




「じゃあ、ローゼルさんもフリルやレースの付いたワンピースを――…」

「ジュンさん…それは勘弁して下さい
 自分の女装姿なんて想像するだけで泣けてきます」


 ローゼルは190センチ近い大男
 しかも筋肉質で、丸太のような手足をしている
 決して女顔というわけでもなく、しかも声は野太く野郎そのもの

 そんな奴が女装なんてした日には
 人形店がホラーハウスと化してしまう

 ある意味、話題にはなりそうだが…肝試しスポット扱いされても悲しい


「別にさ、無理して似合わない服を着る事も無いと思うんだ
 スーツやタキシード姿の人形もいるし、方向性としてはアリなのよ
 ただ…もうちょっと華が欲しいな、っていうオーナー心ってやつ?」

「そう仰られましても…」

 華が無い
 そう文句を言われても、何をどうしろと……


「そうだ、お前…アクセサリー付けろ」

「えっ!?」

「そこのアクセサリースペースに置いてある奴
 適当に見繕って身に付ければ、それなりに見えるんじゃないか?

「ですが、これは売り物……」

「イケメンが付けてれば、それだけで宣伝にもなるだろ?
 商品を身に付けてマネキン役も兼ねるなんて、良くある事だぞ」


 ラナンキュラスのアクセサリーは繊細で綺麗だ
 どう見ても女性が喜びそうなデザインで――…ローゼルの趣味ではない

 しかし、それを口に出せば後が恐ろしい



「…………そうですね……それでは、ちょっと見てみます」

 アクセサリーが並んでいるテーブルの前に移動すると、
 とりあえず自分が身に付けても大丈夫そうな物を物色する


 深紅の薔薇にクリスタルのビーズが付いたブローチ
 鮮やかなスカイブルーの薔薇に漆黒の翼が付いたヘアバンド
 淡いピンクの薔薇にピンクパールが可愛らしいブレスレットに、
 妖艶な紫の薔薇と黒いレースがセクシーなチョーカー……

 ラナンキュラスの趣味で作られたアクセサリーは、
 どれもが彼が愛する薔薇の花で美しく飾られている

 プリンセス系、もしくはロリータ系のファッション
 パンク系やゴシック系でも似合うかも知れないデザインのアクセサリーだ

 とりあえず断言できる事、それは――…スーツ姿のマッチョ男には絶対似合わないと言う事だろう





「………あ……」

 テーブルの端
 人形の影になって目立たない所に、1つ置かれたブローチがある

 作りかけのアクセサリーを、うっかり置いたまま忘れてしまった――…
 そんな状況を思わせるような無造作っぷりだ


 手に取って見ると、何故か初めて見た気がしない

 銀の装飾に大きな漆黒の薔薇
 チェーンから下がった黒真珠が静かに揺れている


 微妙にデザインは違うが、間違いない
 これはラナンキュラスが身に付けているブローチの色違い

 彼の白薔薇のアクセサリーがローゼルをモチーフにしているのなら、
 この黒薔薇のブローチはラナンキュラスをモチーフに作られている



「……これにします」

「っ…ち、ち、ちょっと待て!!
 これは…その…まだ、作り掛け――…」

「構いません」


 ネクタイの上にブローチを留めてみる

 黒いタイと黒真珠、そして黒い薔薇
 全体的に黒で纏められて、そう浮いた印象も無い




「あっ…良いじゃないですか
 ローゼルさん、お似合いですよ」

「…ありがとうございます、私も気に入りました」

 ちらり

 ラナンキュラスに視線を向けると、明らかに目が泳いでいる
 見るからに動揺しているが、その理由を知るのはローゼルかいないだろう


「……先輩…私、如何ですか…?」

「…っ…え、え…ええと……そ、そうだな
 ま、まだちょっと地味なんじゃないか…ッ!?
 あ―――…そうだ、これなんか良い、これも付けろ」


 正面に座っている人形を指し示すラナンキュラス

 青い瞳に銀の巻き髪
 蝶ネクタイにシルクハットがオシャレな人形だ

 そのシルクハットを手に取るとローゼルの頭に乗せる



「人形のシルクハットって、人が付けるとミニハットになってオシャレですね」

「ちょっと斜めに被るのが粋ですよ、ローゼル
 ほら、結んであげます――…動かないで下さい」

「なぁゴールド、これ見てくれよ
 このチェーンとパールをベルトから下げたら格好良いんじゃないか?」

「そうですね、下半身も華やかになって良いと思うのです」

「あの…その位で結構ですから…」


 ひくっ…
 ローゼルの表情が次第に引き攣り始める

 着せ替え人形状態
 自分までもが人形になった心境だ


「あっ、この箱は何ですか?」

「それは化粧箱です
 ちょっとチークやルージュを引いてやると人形も見栄えが良くなるんですよ」

「そうですか…それではローゼル、ちょっと顔を貸して下さい
 貴方は色白ですから化粧栄えすると思うのです」

「そっ…それだけはお許しを――…」


「ほら、口を閉じろ」

「せっ…先輩……!!
 人の唇を紫に塗らないで下さい……!!」

「目に粉が入ってしまうのです、さあ閉じて」

「ご…ゴールド様…私はパンダではありません…
 目の周囲を黒く塗っても可愛らしくなんてなりません……!!」


 本人の意思とは全く無関係に、どんどん派手になって行くローゼル
 とりあえず、店の雰囲気には合うようになった

 ……少しやり過ぎた感は否めないが


「ローゼルさんって…意外と弄られキャラなんですね」

「そーなんですよ、昔っから俺達のサンドバッグで良い玩具なんです
 弄り甲斐のある可愛い後輩なんですよ、ロゼって奴は
 久々にロゼで遊べて懐かしいです、昔はいつも―――……」


 アクセサリー用の薔薇を手に取って、過去の記憶に思いを馳せるラナンキュラス

 薔薇のパーツを指先で弄びながら人形やアクセサリーのデザインを考える
 それが彼の習慣であり、最も心が落ち着く瞬間でもあった





「……あれっ…ラナンキュラスさん、その薔薇……」

「えっ?
 あ、ああ、これ?
 人形やアクセサリーに使うパーツですよ」


 ジュンがラナンキュラスの薔薇に興味を示す
 自分が好きな物に対して、他の人が感心を持ってくれると少し嬉しい気になる

 思考をローゼルから逸らすにも丁度良い

 ラナンキュラスはアクセサリーのパーツを収納している箱を取り出すと、
 それをジュンに向かって開いてみせる


「金や銀の金具、それからパール系は仕入れたものですけど、
 この薔薇たちは全部、俺の手作りなんですよ
 俺って昔から薔薇の花が好きで…だから、薔薇にはちょっと拘ってます」

「ええ、わかります
 この薔薇を見ていると…何て言えば良いか……その、惹かれる気がします」

 ジュンの言葉にラナンキュラスは唇の端を上げた
 実に満足そうな笑みである



「流石はジュンさん…見る目がある
 その通りなんです、この薔薇は細工がしてあるんですよ
 今まで色んなお客さんがいたけど、薔薇の秘密に気付いたのはジュンさんが初めてです」

「えっ……秘密!?」

「そう、この薔薇は花弁の1枚1枚に人を魅了する紋章…チャームの印が彫られている
 だから、この薔薇で飾られた人形やアクセサリーは人を惹き付けて、良く売れるんだ」

 意外とやり手だ
 本業は傭兵との事だが、商売人として充分素質がある


「でも、紋章――…印かぁ…
 俺のマジックストーン・アートと近い物なのかな…」

「マジックストーン…?
 ああ、魔石を細工して潜在能力を引き出したり、付加価値を付ける奴ですか?」

「はい」


 寝返ってもティルティロ国人
 その辺の知識は豊富らしい

 すんなりと話が通じる



「効果は似てますけど、どっちも人を選ぶんですよ
 紋章印は、ある程度の力がある魔法使いや魔女でなきゃ出来ません
 魔力を込めなきゃ印も単なる傷でしかありませんからね
 施す魔法使いの魔力が強ければ強い程に強力な印を刻む事が出来ます
 マジックストーン・アートは魔力を問いませんが、その代わりに才能が必要になって来ます
 手先の器用さに加えて美的センス、芸術的センス…その辺の天性の能力が必要不可欠なんですよ
 マジックストーン・アートは細工が美しければ美しい程に効果が出る代物ですからね」

 そう言うとラナンキュラスは何種類かの薔薇を取り出した
 魅了の印を施された花たちは、作り物にも拘らず艶やかだ


「俺は芸術なんて高尚な物には無縁ですけど…
 でも、それなりに魔法の腕に覚えがある
 そしてジュンさんは魔法は扱えないけれど、芸術的センスがある
 互いの特色に合った手段を見つけたみたいですね」

「うーん…2人には接点が無いと思っていたのですが…
 こういう面では意外と合うのかも知れません…以外です」

 自分の部下と恋人に意外な接点を見つけたゴールド
 どうやら彼もラナンキュラスの薔薇に関しては初耳だったらしい

 不思議そうに彼のアクセサリーを手に取っている


「…おや、この薔薇…光りますね
 これはどういった効果なのですか?」

「へっ…!?
 いや、そんなオプションは付けてない筈ですけど――…」

「でも薔薇、光ってますね…
 っていうかゴールド、お前の胸元も光ってないか?」


 ジュンがゴールドの胸倉を掴んで引き下げる

 そこには鈍く光る魔石が揺れていた
 ジュンがゴールドに贈ったペンダントだ



「……怪奇現象……?
 何か憑いていたりしません?」

「ちょっ…ローゼル、嫌なオチに持って行かないで下さいッ!!」

「反応しているのは俺の薔薇と…
 このペンダントはジュンさんのマジックストーン・アート?」

「は、はい…
 ゴールドを守護する効果があります」

「……成る程ね、わかった」

 ラナンキュラスは神妙な顔で頷くと、一言


「ゴールド様に悪い虫が付かない様に、ジュンさんが睨みを利かせている…と」

「ちょっ…な、何ですかそれッ!?」

「ははは…つまり、魔石の守護効果がチャームの印に反応したってワケです
 俺の薔薇に魅了されないように魔石がゴールド様に対してバリアを張ったんですよ」


 ゴールドが薔薇をテーブルに戻すと、魔石と薔薇の光は瞬時に消えて無くなる

 魔石を細工したジュン本人でさえ守護の効果を目の当たりにしたのは初めてだ
 珍しい物を見た…と驚くと同時に、魔石が役目を果たしている事に安心する



「……うーん…それにしても面白いな
 魔石の細工と紋章印が反応するとは知らなかった」

「先輩、これは実に興味深い現象です
 今回は守護効果がチャームの印を脅威として捉えたという事ですが…
 細工と印の効果を変える事によっては相乗効果が期待出来るかも知れません」

「ああ、それは俺も考えた
 組み合わせによっては何倍もの威力を得られる可能性がある
 研究するだけの価値は充分過ぎる程にある――…」


 既に人形屋の店主とバイトではなく
 魔法使いの表情へと様変わりしているローゼルとラナンキュラス

 これはもう魔法の国ティルティロの血を持つ者の性なのだろう




「……突然ですがジュンさん、俺と手を組みませんか?」

「え――…ええっ!?
 で、でもラナンキュラスさんてスキンシップ苦手なんじゃ…」

「ゴールド様…ジュンさんに俺の弱点、話しましたね…?
 ――…って、違う違う!!
 そう言う事じゃなくて…俺と協力してくれませんか?」


 ラナンキュラスの瞳がキラキラしている
 何とも言えないやる気と気合いに満ちた瞳だ

 スキンシップが苦手でなければ、手でも握って来そうな勢いである


「ええと…話の流れから察するに……
 つまり、俺の魔石とラナンキュラスさんの印を併せてみたいって話ですか?」

「そうっ!!
 お兄さん、頭の良い子は好きだよー!!
 ついでにノリが良ければ更に大好きなんだけどな?」

「…いや、この流れからは…そうとしか考えられないじゃないですか……」


 冷静に突っ込みを入れつつ、思考を巡らせてみる

 ローゼルはゴールドの薬草畑の手入れという形で協力している
 それなら自分だってラナンキュラスと組むんでも文句は無い筈だ

 それに、ジュン自身もラナンキュラスが人形師だと知った際、
 手製の魔石で人形を飾れないかと考えた事があった

 ……こういうコラボの形があっても良いかも知れない




「ジュンさん、どうかな?
 俺は更に強力な装飾を作って作品の魅力を高めたい
 ジュンさんの方も魔石をパワーアップ出来たら、その分だけ大切な人を護れるでしょ?
 互いの利害は一致してると思うんだけど……どうかな?」

「……そうですね、俺は構いませんよ
 城の騎士達だって怪我が絶えませんし…
 強力な魔石を装備して貰えたら、少しでも戦闘が楽になるかも知れない」


 ちらり、とゴールドに視線を向ける
 黄金色の視線と目が合った


「…お前もそれで構わないよな?」

「ええ、ボクとしても部下と貴方が仲良くしてくれるのなら願ったり叶ったりです
 ただし忘れないで下さい、今は違うとは言え元々は敵国のスパイだった身です
 貴方達が行動を共にする事に対して、悪い噂を立てたり陰口を叩く者もいるでしょう…」

「その辺は私にお任せ下さい
 情報の書き換えや画策は専門分野です
 悪い噂が立っても、即座に良い噂へと変えて差し上げます」

 キラリ
 銀縁の眼鏡が光る

 得意そうに胸を張るローゼル
 しかし―――…



「ああ…忘れていました
 そう言えば貴方の専売特許でしたね」

「ゴールド様…たった2人しかいない部下なんですから
 それぞれの能力くらい忘れず把握して下さい」

「ウリ坊のインパクトが強過ぎて…」

「………それ…良く言われます……」


 顔だけの上司
 ウリ坊に全て持って行かれる部下

 何とも言えない組み合わせである





「あっ…そう言えばウリ坊は?」

「部屋の片付けを頼みました
 昨日越して来たばかりですから、まだ荷物の整理も出来ていなくて」

「…………う、ウリ坊としての枠を飛び越えた器用さですね」


 ひくっ、とジュンの表情が引き攣る

 魔力があり高い知能を持つ獣やモンスターの類なら容易く言語能力も会得している
 妖精や妖魔、ドラゴン等もその部類だ

 ティルティロ国の魔法学校を出ているローゼルやラナンキュラスにとっては当然の常識なのだが、
 まだ故郷の常識に捕らわれているジュンにとっては驚愕の事態なのだろう


「……そ、それじゃあ、ええと……話を戻して……
 何種類か魔石を持ってきますから、ラナンキュラスさんの方で見て頂けますか?」

「そうして貰えるとありがたいです
 細工と印の相性も調べたいし…暫くは実験的な作業が続くと思います
 装飾品の量産は、それが済んで結果が出てからと言う事になりますね」


 一先ず、方向性が決まったようだ

 ゴールドとジュンは颯爽と魔石を用意しに城へと戻り、
 ラナンキュラスは研究の為に店を放り出し、部屋へと篭ってしまった




「…………で…私はどうしろと………」


 出勤1日目で店を任される羽目になってしまった

 まだ接客の仕方すら教わっていない
 客が来た所で、どうすれば良いかわからないローゼルである

 マイペース過ぎる上司と先輩
 何年経とうが、彼らに振り回される自分のポジションは永遠に変わらないのだろう


「……ふぅ……」


 溜息を吐くと、視線の先に鏡に映った自分の姿が見える

 白い肌に紫に塗られた唇は凄く目立つ
 黒く縁取りされて妙に強調された瞳も浮いて感じる

 化粧をした顔は違和感しか感じない
 しかし、いつかこの顔にも見慣れて馴染む日が来るのだろう


「……新生活……慣れない事ばかりですが、一生懸命に頑張りますか……」


 鏡に向かって微笑んでみる
 プラス思考に切り替えてから見る自分の顔は、思ったより悪くない

 サラリと前髪を掻きあげる

 ふわりと感じる微かな風
 鏡に映る照明を反射させて光る薄い色素の髪


 そして

 前髪に隠された額に書かれた、
 真っ赤なルージュ製の『肉』の文字


「……………。」


 誰が書きやがった



 ―――……カタン


 ローゼルは席を立つと、
 照明を消し、店のシャッターを閉めた



「……あまり一生懸命にならなくても……良い気がしてきました
 人生、適当に生きても…それなりに何とかなるものです……」


 むしろ『もう、どうでもいいや』的な心境のローゼル

 適当に店仕舞いをすると、
 とりあえず顔を洗うべく洗面所へと移動する
 一刻も早く血色の悪い顔を洗い流したい


 そして

 偶然そこに居合わせたウリ坊と鉢合わせし、
 『ご主人がゾンビ化したウリー!!』と驚かれるのはまた別の話である






新生活1日目のローゼルのお話にござります
初日は『肉』の文字にやる気を失って終了☆

シリアスを狙っていた筈が、最後の最後でコメディなオチが付いてしまう…
まぁ、いつもの事なのじゃがな

ローゼルはゴールドの部下なだけあって打たれ強いとは思うのじゃが、
それと同時に、少々やさぐれ気味な部分もござります

……ラナンキュラスとジュンは意外と相性が良さそうじゃな(・∀・)