「…お前、こんな時間から出掛けるのか?」



 既に日付も変わりそうな時刻

 普段ならベッドの中で手招きをして来る恋人が、
 今夜に限っては、何故か外出の支度をしている



「ええ…ちょっと、野暮用で
 夜明けまでには戻りますから、心配しないで下さい」

「…いや、そう言われても…」


 どこか無邪気ささえ感じさせる満面の笑み
 しかし、その笑顔を易々と信用してはならない
 天使の如く笑顔を振り撒くこの男は、泣く子も黙る鬼畜サディストの悪魔なのだ

 ジュンは思わず眉を顰める

 ……どうも、妖しい
 真っ先に思い浮かぶのは浮気だ


「……野暮用って…何処に行くんだ」

「ちょっと酒場で人と会う約束をしているのです
 特に危険な事はありませんから、心配しないで下さい」

「…酒場…」


 と言う事は、相手は酒場のママ?
 それともバニーガール?
 まさかホステスに入れ込んでるなんて事は……

 ゴールドの事は信用したい
 信用したいが、そもそもコイツの性格が信用ならないことは自分が最も知っている



「…俺も、一緒に行く」

「えっ!?」

「危険は無いんだろ?
 ちょっと寝付けなくて…酒場で軽く飲んで来ようと思うんだ」

「……あー……でも、今夜はちょっと……」

 どうも歯切れが悪い
 今夜会う相手というのは、それほど自分に会わせたくないのか

 こうなると、意地でも付いて行きたくなる


「邪魔はしないから
 長くなるようなら先に帰るし」

「………ふぅ…仕方がありませんね」


 上着を着込むジュンの姿に、何を言っても無駄だと悟ったらしい

 軽く溜息を吐くと、ゴールドは軽く苦笑を浮かべながらドアを開いた
 まるで反抗期の息子を相手にするかのような表情だ

 神経を逆撫でされる…が、まだキレるのは早い
 ジュンは極力、平常心を保ちながら酒場へと向かうゴールドの後を付いて行った





 目当ての酒場は路地裏の鄙びた場所に、
 ひっそりと隠れるようにして営業していた

 普通に生活していたのでは存在そのものにさえ気が付かないだろう

 隠れ家的…とでも言うのだろうか
 知る人ぞ知る店なのかも知れない


 こんな場所では仕方が無いのかも知れないが、
 想像した以上に店内の客は少ない

 城に雇われた傭兵だろうか、さも手慣れと言った魔法戦士風の男と、
 大荷物を持った旅人と思われる風貌の男の2人しかいない

 こんな状態で店の経営は傾いたりしないのだろうか…



「お待たせしました」

 ゴールドは先客の2人に声を掛ける
 彼らがゴールドの言っていた相手なのだろうか

 2人とも見た事の無い顔だ
 ゴールドとは一体、どんな関係なのか―――…


「ちょっ…勘弁して下さいよ
 ついに噂の彼、ご本人登場ですか!?」

 魔法戦士風の男が大袈裟に天を仰ぐと、
 ゴールドがすかさず口を開く


「仕方が無いでしょう、彼が来たいと言うのですから
 言っておきますが…ボクから誘ったわけではありませんからね」

「……どうだか…」


 どうやらジュンに付いて話しているようだ
 口振りから、それなりに親しい間柄だとも想像出来る

 ゴールドは度々、彼に惚気を聞かせているようだ
 何となく気恥ずかしいものを感じて、ジュンは思わず視線を逸らせた



「あの…話が見えないのですが
 彼をご存知なのでしたら、紹介して下さい」

 今度は旅人風の男が口を開く
 眼鏡が照明の光を反射して、彼の表情を消していた

 しかし静かな口調と物腰から、生真面目な性格が窺える


「ええ…こうなってしまったら、そうするつもりです
 ジュンにも貴方達の事を紹介します…ジュン、ちょっと来て下さい」

 手招きされるがままに、とりあえず大人しく従うジュン

 とりあえず彼らが何者なのか教えて貰わなければ、
 これから自分がどう振舞えば良いのかさえわからない



「…ゴールド、この人たちは?」

「ボクの部下です」

「ぶっ……!?」


 その言葉は想像の範疇を超えていた
 これならまだ愛人だと紹介された方が信憑性がある

 だって…あまりに不自然だ

 ゴールドと付き合い始めてかなり経つが、
 彼らの存在なんて一度も耳にした事がない


「しっ…知らないぞ!?
 俺、お前に部下がいるなんて全く聞いてなかったぞ!?」

「ええ…言ってませんでしたから」

「言えよ!!」

「今、言いました」

「遅いわッ!!」


 しぱーん!!
 ジュンの裏拳がゴールドの胸に炸裂した

「……ごふっ……」

 なかなか良い音が響く
 意外と強く決まったらしい




 咽るゴールドの姿に、部下2人がどよめく

「…凄い…あのゴールド様に裏拳を…」

「世界広しと言えども、彼しか許されないだろうな…
 俺達じゃ絶対真似出来ない、命が幾つあっても足りないだろうさ」

「……裏拳をかましても許される…というと、
 こちらの方はゴールド様の漫才相手…という認識で宜しいでしょうか?」

「宜しくないですッ!!
 その認識は改めて下さい!!」


 口を挟むのも悪いと思ったが、思わず突っ込んでしまうジュン

 魔法戦士風の男はジュンとゴールドの関係を知っているようだが、
 どうやら旅人風の男は全く知らないらしい



「…だって、大っぴらには言えないじゃないですか
 ボクが元々はティルティロ国のスパイだった事は知っているでしょう?」

「ああ、それは知ってる…っていうか自分から暴露しただろ、お前」

 ゴールドは敵国から送り込まれたスパイで、
 小間使いとして城で働きながら情報を収集していた

 途中、ジュンの世話係になった事が切っ掛けで大きく立場が変わったのだが…



「流石に単身で敵国に乗り込むような自殺行為はしません
 ボクがディサ国へ侵入した際、2人の部下も伴っていたのです」

「ふぅん…って事は、彼らがお前と一緒にディサ国に来た部下って事か」

「はい、こっちの魔法戦士風の男はラナンキュラスと言います
 彼は傭兵としてディサ国へ潜入したのですが…
 スパイを辞めた現在では本当に傭兵を本業としているのですよ」


 ミイラ取りがミイラ…というのとは違うのかも知れないが、
 確かにスパイと言うよりも傭兵と聞かされた方がしっくり来る

 造花の薔薇が良く似合う優男だ
 ちょっとナルシスト入ったキザ野郎っぽい…流石はゴールドの部下と言える


「そして、こちらはローゼル
 執事として貴族の家に出入りし情報収集するのが得意です
 彼はスパイを辞めた後、暫く旅に出ていたのですが…
 ディサ国に戻ったと聞いて、こうして会う事になったのです」

 軽く会釈をするローゼル
 魔法陣が彫り込まれた装飾付きのローブを身に纏っている
 外見から、何となくインテリ系なのだろうと察しが付く



「……2人とも、スパイを辞めたんだ…
 これは…ティルティロ国よりも、お前を選んで着いて来たって事か?」

「ええ、ボクは2人が歩む道は自分で選択するように言ったのですが…
 彼らがどうしても、今まで通りボクの元で働きたいと言うものですから」

「…それなりに部下に慕われていたんだな」

 ふとラナンキュラスと目が合う
 彼は目を細めて笑うと、静かに口を開いた


「…ティルティロ国を敵に回すよりも、
 ある意味…ゴールド様を敵に回す方が危険だと判断した為です
 ゴールド様だけは敵に回してはならないと肝に銘じてるんですよ」

「……あっ…納得」

「敵に回すと厄介なタイプですからね、ゴールド様は
 とりあえず部下としての鞘に納まっておけば命までは取られないと思ったんです」

 流石はゴールドの部下だ
 彼を良く熟知した上での選択である




「私も再びゴールド様に仕えさせて頂こうと思い、
 こうしてディサ国の地へと戻って参りました」

 戻って来たその足で酒場へ向かったのだろう
 足元の大きな荷物が長旅を物語っている

 それにしても真面目そうな男だ

 ラナンキュラスの方は敬語ながらも少し砕けた感がある
 しかしローゼルの方は口調が淡々としているせいだろうか、
 どうも取っ付き難い感じがして話し難い

 見た目同様、中身もクールな男なのだろう



「ゴールド様、こちらの方を紹介して下さい」

「ちなみにローゼル、お前は2人を見てどんな関係だと想像する?」

「先輩はご存知なんですよね…」

 俯いて少し考え込むローゼルの姿に、
 悪戯っぽくラナンキュラスが目を細める

 どうやら彼らの口調からして、
 彼らは主従と言うより先輩と後輩という間柄のようだ


「貴族…には見えませんね
 かと言って先程の遣り取りから奴隷や下僕とも思えません
 フレンドリーな口調と砕けた接し方から、ゴールド様と対等の関係が推測されますが…」

 そこでローゼルは口篭る
 対等の関係…その言葉から連想されるのは『友人関係』だ

 しかし
 それにしては年齢が離れている

 ゴールドの実年齢を知っている部下だからこそ躊躇う一言だ



「……20歳ほど…年齢が離れているように思えますが」

「失礼な、18歳差ですよ」

「ゴールド様…それ、大して変わりませんって…」


 すかさずツッコミを入れるラナンキュラス
 なかなか息が合っている

 ゴールドたちが何年、スパイ業をしていたのかはわからない

 しかし…恐らく、ジュンがゴールドと知り合い過ごした期間よりも、
 もっと長い年月を彼らは共有していたのだろう

 ローゼルもラナンキュラスも初めて見る顔なのに、
 ゴールドと並んだ姿が妙にしっくり来る

 恋人である自分よりもローゼルたちと並んだ姿の方が
 自然な光景のような気がして、何となく面白くない……

 嫉妬心を抱いた自分に驚きながらも、とりあえず平静を装うジュン



「ローゼル…と、ラナンキュラスにも紹介します
 彼はジュン…ボクの恋人であり、生涯の伴侶です
 ボクが命よりも大切に想っている人です、貴方達も仲良くしてあげて下さい」

「ちょっ―――…!!」

 惚気やがった
 初対面の…しかも部下の前で、惚気やがった!!

 先程までの嫉妬心は何処へやら
 恥かしさに固まってしまうジュン

 そして
 雷に打たれたかのように硬直する男がもう1人



「…お、おい…ロゼ、大丈夫か?」

「――――……。」

 目を大きく開いたまま絶句して固まるローゼル
 クールな男でも、意表を突かれた時のリアクションは同じらしい


「……ご冗談でしょう?
 ゴールド様…と、先輩も…また2人して私を揶揄って遊んでいますね」

「いやいや、これは嘘みたいなマジな話
 彼…ジュン様との出会いが切っ掛けで、ゴールド様はディサ国に付く事になったんだ」

「ローゼルはボクが寝返ったと知ってすぐにディサ国を出てしまいましたから
 だからジュンの事を説明する時間が無かったのです」

「ゴールド様だって、すぐにディサ国を出て行っちゃったじゃないですか
 俺、敵国地に1人でポツンですよ?
 どれだけ寂しくて心細かったと思ってるんですか…しかも連絡、説明も無しで」

「あれはジュンに危険が迫っていたから…
 ボクだって、本当はもっと余裕を持って、
 貴方達に理解して貰えるよう説明したかったのです
 でもジュンが想像以上に行動派だったもので…ボクも散々振り回されました」


 ……恐らく、ジュンとゴールドが出会って間もない頃の話だろう

 後先考えずに船に乗り、出先でいきなりモンスターに囲まれて死に掛けた
 ゴールドが助けに来てくれたおかげで間一髪、助かったのだが

 確かに1分1秒を争うあの状況で、悠長に部下達に説明している時間は無かっただろう
 あの時の、必死な形相のゴールドの姿は今でも忘れられない



「信頼していた上司から突然『寝返る』と告げられた挙句、
 その上司は忽然と姿を消して、音信不通
 裏切られた上に見捨てられ、敵地に取り残された部下がどれほど辛い思いをしたか…
 ロゼなんて失意のあまり、1人で放浪の旅に出ちゃうくらいだし…大変だったんですよ?」

「だ…だから、悪かったと何度も謝ったじゃないですか」

「しかも、ようやく戻って来たかと思いきや
 恋人と2人の世界に入って延々とイチャイチャと…
 ゴールド様を待つ間、こっちは生きた心地がしなかったってのに…酷いですよ」

「け、結構…根に持ちますね、ラナンキュラス…」

「当然でしょう?
 そもそもゴールド様はいつも―――…」


 酒の勢いもあるのだろうか
 上司のゴールドに延々と愚痴って絡むラナンキュラス

 ゴールドの方も、元々は自分の無責任さが引き起こしたものだと理解している
 だからこそ強く言えず、愚痴に対しても謝罪の言葉を繰り返すしかない





「………本当に、ゴールド様の恋人…ですか?」


 絡むラナンキュラスと絡まれるゴールド
 騒がしい2人にさっさと見切りをつけたのか、ローゼルはジュンの方に関心を向ける

 ……こういうのは苦手だ
 元々、人見知りな上に相手が相手なだけに緊張する

 ゴールドのフォローが欲しい所だが仕方が無い
 ジュンはしぶしぶ、頷いた


「貴方が…ゴールド様の恋人……」

「え、ええ…はい…」

「何と物好きな…」

「う」


 言われてしまった

 返す言葉が無い
 恐らく、ジュンがローゼルの立場でも彼と同じ事を言うだろう



「あの方と付き合うのは大変でしょう
 私どもは部下ですから、あくまでも仕事上の付き合いがメインです
 ですが恋人ともなるとプライベートでの付き合いが中心となる…」

「そ、そうですね…」

「さぞ気苦労もされる事でしょう…お察しします
 知れば知る程に理解不能になりますから、ゴールド様は
 私は上司と部下という距離を縮めようとも思いません
 こうして一緒に飲む事もありますが、プライベートの時間を共有しようだなんて露程にも思いません」

「…………。」


 淡々とした口調のせいで、必要以上に言葉が冷たく感じる

 裏切られ、見捨てられた
 それに失望し旅に出たというローゼル

 やはり、ゴールドに対して怒りや恨みといった感情を抱いているのだろうか



「彼は腹黒いですから…気が抜けません
 迂闊な事を言って恨みでも買った日には報復も怖い
 ゴールド様とは適度な距離で付き合うのが丁度良い
 それが周囲におけるゴールド様の評価でした
 ですから、まさか好き好んで彼と付き合う人物が現れるなんて思いも寄りませんでした」

「……でも…ゴールドはモテたんじゃないですか?
 ティルティロ国は魔女の国だと聞いています
 女性が多いならゴールドも放って置かれないような気が…」

「…ティルティロ国にいた頃のゴールド様が気になりますか?
 私で宜しければ、幾らでもお話します
 ですが、事実を告げる事で貴方の心が傷付く恐れもある…」


 不意に真っ直ぐな視線を向けるローゼル

 自分の知らないゴールドを知る男
 知らない内に、肩に腕に力が入る

 ジュンは少し躊躇った後、静かに頷いた



「…ゴールド様の恋人である貴方に、こんな事を告げるのは酷かも知れませんが…」

「聞かせて下さい
 俺…あいつの事、あまり知らないんです」

「……ゴールド様の美貌は確かに女性達を惹き付けます
 露骨にアプローチしてくる女性たちの姿も何度も見ています
 ですが、それも最初の内だけです…すぐに、彼女達の方から去って行く」


 皮肉混じりに鼻で笑うローゼル

 グラスの氷がカランと音を立てた
 ジュンの心の中でも、何かが微かな音を立てる


「…それは…内心の黒さを見抜いて?」

「いえ、内面云々以前の問題です
 下ネタが多いんです、あの方は」

「あ……今、凄く納得した

「どんなに顔が良くても下ネタでドン引きされて終わりです
 ハッキリ言ってしまえば顔だけの男でした」


 これ以上無いくらいハッキリ言いやがった



「ゴールド様の部下として、彼と行動を共にする事も多いんです
 ですが…並んで歩いているだけで私まで同類に思われます
 自分の評価を必要以上に落とさない為にも、仕事以外での付き合いは控えていました」

「あ…そういう理由で…」


 淡々と感情を出さずに語るローゼル
 しかし、彼の表情が物語っている

 間違いなく彼もゴールドの下ネタによる被害者の1人だ



「……大変でしょう、ゴールド様とお付き合いされるのは……」

「ローゼルさんも、あんなのが上司で大変じゃないですか?」

「私の場合は仕事ですから割り切っています
 ですが貴方の場合は好き好んでお付き合いされているわけですから
 あの、口を開けば下ネタか親父ギャグ
 露出狂SMマニア、超鬼畜ドスケベ腹黒サディストと好き好んで」


 どうしよう
 自分が末期の変態に思えて来た


「…本当に…物好きな方ですね…」

「いや…ええと…」

「ですが…私も貴方の事は言えません
 一度は離れた筈のゴールド様の元へ、
 再び戻って来たのは他ならぬ私自身の意思ですから」

「ローゼルさん…」

「まぁ、私は貴方ほどマゾではありませんが」

俺だってマゾじゃないです


 あのドS野郎と付き合っているせいで、自分までM男だと思われる

 確かにこれは心外だ
 何となくローゼルの苦悩が理解出来る気がした




「…そうだ、ジュン様…」

「すみません…その『ジュン様』っていうの、止めて下さい
 ゴールドにも最初、そうやって呼ばれていたんですけど、落ち着かなくて…」

「……そうですか、それではジュンさん」

「は、はい…」

「何か飲みませんか?」


 ローゼルはジュンに向かってメニューを差し出してくる

 そう言えば
 彼らと話す事に夢中になっていて、何もオーダーしていなかった

 酒場に来て何も飲まずにいるのも居心地が悪い


「そ、それじゃあ…コークハイ」

「わかりました
 マスター、コークハイとシシリアン・キッス
 それからカットフルーツをお願いします」

 慣れた感じで注文をするローゼル
 見るからに真面目そうな男だが、こういう店には良く飲みに来るのだろうか



「ここの店は少々、値は張りますが味は悪くありません
 メニューに無い物もオーダーすれば作って貰えます」

「ローゼルさん、あの…ここには昔から来ていたんですか?」

「ええ、とは言っても私は旅に出ていたので随分久しぶりですが…
 ここの店は人目に付き難いので人目を忍む立場の者に都合が良いんです
 深夜になれば3人でここに集まり、情報交換の場として利用していました」

「……スパイの密会場所ですか?」

「平たく言えばそう言う事になります」


 スパイご用達の酒場
 ワケ有りの者に好まれる店というのは昔から存在する

 それなら客入りが少なく、人目に付かない路地に店を構えているのも納得出来る



「今ではゴールド様もディサ国の協力者として受け入れられていますが…
 それでも元ティルティロ国スパイの3人が集まるとなると、良い顔はされません
 よからぬ噂を立てたり、疑いの眼差しを向ける者も出て来る可能性があります
 今がどうあれ、過去に敵として潜入したという事実は変えられないのですから」

「あー…それで、あいつ…ここに来る事隠してたのか…」

「ゴールド様は私どもの事も、この店の事も貴方に話しませんでした
 万が一の事が起きた際に貴方を巻き込まない為だと察せられます」

「……………。」


 自分が嫌になる

 ゴールドは自分を危険から遠ざける為に気を遣ってくれていたのに、
 そんな気も知らずに勝手に浮気を疑ったり、何も教えてくれなかったと拗ねてみたり…

 結局、強引に付いて来た事で彼が隠してきた店の事も部下の存在も知ってしまった
 きっとその事で、またゴールドに新たな不安要素が生まれた事だろう


「…あぁ…嫌になる…
 俺、結局あいつに迷惑掛けてるだけだ…」

「ゴールド様は迷惑と感じていない筈です
 本当に嫌ならあの方は実力行使に出ますから」

「でも……やっぱり落ち込む……」


 ちょっと隠し事をされたからといって、浮気を疑ってしまった
 そんな自分の心の狭さに嫌気がする

 彼がどれ程までに自分を想っているのか
 それは充分に理解していた筈なのに


「これじゃあ…あいつを裏切ったのは俺の方だな…」

「ジュン…さん、そんなに落ち込む必要はありません
 貴方は何も知らなかったのだし、聞かされてもいなかったですから」

「………でも……」

 俯いた顔を、なかなか上げる事が出来ない
 泣き上戸ではない筈だが、酒のせいにして泣きたい気分だ





「…そうだ、良いものがあります
 少しでも心が晴れるかも知れません」


 ぴとっ

 何かが額に押し当てられた
 ほんのり湿って、微かに生暖かい――…


「…………?」

 不審に思って、顔を上げてみる
 そこでジュンが見たものは、ふさふさの毛に包まれたブタの鼻だった


「うりー」

「……………。」

 何これ

 頭の中が真っ白になる



「元気、出ましたか?」

 元気が出たかどうかは別として
 少なくとも落ち込んでいた気分はブタ鼻のインパクトで吹っ飛んだ


「あ、あの…これは…?」

「ウリ坊です
 イノシシの子供で…可愛いでしょう?」

「うりー」


「……な、何で?

「動物には癒しの力があります
 落ち込んだ時にも動物と触れ合うと元気が出ます
 ジュンさんが少しでも慰められればと思ったのですが」

「い、いや…ウリ坊の効能を聞いているんじゃなくて…」


 この男が何故、ウリ坊を持ち歩いているのかが聞きたい

 というより、どこから取り出した?
 そして今まで一体、どこにいた?

 いや、そんな事よりも
 ウリ坊って『うりー』って鳴いたっけ!?



「…このウリ坊とローゼルさんの関係って…」

「ああ、ウリ坊は私の武器でもあります」

 振り回しでもするんですか


「うりー」

「うわっ…」

 ウリ坊がローゼルの腕の中から飛び出す
 テーブルの上をトテトテ歩いて、何故かジュンの膝の上に座るウリ坊

 …意外と、人懐っこい


「うりー♪」

「………ち、ちょっと…可愛いかも…な……」

 恐る恐る頭を撫でると、気持ち良さそうにゴマ粒のような目を細める
 伝わって来る高めの体温が心地良い



「…このウリ坊が、本当に武器になるんですか?」

「はい」

「ど…どうやって…?」

 まさか敵に向かって投げ付けるとか?
 でも、それならウリ坊を使う意味がわからない


「私はウリ坊力を破壊エネルギーに変えて戦う、
 ウリ坊拳の使い手でもあるんです」

 ウリ坊力って何!?


「実際にお見せしましょう…ウリ坊パンチ!!」

 しゅっ!!
 風を切る音が響く


「ウリ坊キック!!」

 しゅっ!!
 音だけは無駄にキレがある

 素人のジュンが見てもわかる
 彼はそれなりに手馴れの格闘家だ


 しかし…



「あ、あの…
 ウリ坊と全く絡みが無いんですけど」


 当のウリ坊といえば、ジュンの膝の上で
 運ばれて来たフルーツを貪り食らっている

 ハッキリ言って
 ウリ坊、全く関係無いような気がしてならない


「ウリ坊が近くにいてくれさえすれば、私はウリ坊力を得られます
 それで良いんです

 本当にそれで良いのか!?


 …………。
 いや、彼がそれで良いと言っているのなら問題無いのだろう

 ジュンは深く考える事を放棄した


 どんなに真面目そうな容姿でも
 淡々としたクールな口調でも

 やっぱり彼はゴールドの部下なのだ

 その時点で普通じゃないと悟るべきだった



「…どういうキャラなんですか、一体…」

「はい?」

「あっ…い、いや、ええと…
 どこに旅してたのかな、って…」

 思った事が無意識に口に出ていた
 慌てて誤魔化すジュン


「そうですね…不思議な場所でしたが、多くの経験を積む事が出来ました
 世界は広いです、今まで信じてきた筈の常識も価値観も呆気無く覆される
 行く先々で驚き、傷付き、理解し、学び、受け入れて…そして成長をする事が出来ました」

「場所が変われば習慣も常識も変わって来ますからね
 それが旅の醍醐味とも言えますけど…」

「ええ…そうですね
 バズーカで吹っ飛ばされ、白蛇のような鞭に打たれ、チェーンソーの破壊力を垣間見ました
 延々と暴飲と嘔吐を繰り返す男を相手に心が折れそうになった時もあれば、
 気の合う相手を見つけ、朝まで赤提灯揺れる屋台で愚痴り合った夜もありました
 朝、目覚めるとパンツが大漁旗になっていて我が目を疑った日もあった…」

「は!?」

 耳を疑うジュン
 それを知ってか知らずかローゼルは言葉を続ける



「玩具について語り合っていた筈が、いつの間にか戦車のような男に睨まれていたり
 ふと見上げた先に男がぶら下がっていて悲鳴を上げた事もあれば、
 ウリ坊が殺し屋と仲良くなってしまい本気で悩んだ日もありました
 ハチミツの甘さに胸焼けを起こし眠れない日もあれば、
 修理を終えて戻って来た懐中時計に何故か一週間前の天気を予報するという、
 本気で使えないオプションが付いていて、せめて未来の予報を聞きたかったと涙した時もありました」


 ローゼルさん…貴方、
 どこへ行って何をして来たんですか

 どんな無法地帯ですか



「一番困ったのは、パンツの鍵を盗まれてトイレに行けなくなった事ですが…
 それも今となっては良い思い出です」

「…そ…そう…ですか……」

 もう、どこから突っ込むべきか
 それともスルーするべきなのか


「色々と大変な思いもしましたが、
 それでも学ぶべき事も多かった…そう思います」

「ち…ちなみに、具体的にどんな事を学んだんですか?」

白桃の上手な剥き方を教わりました」

 それだけ!?



「もぎたてピーチはリンゴのようなサクサク感があるんですよ」

「そ…そうですか……へぇ……」

 どうしよう
 本気でこの男のキャラがわからない

 ゴールドにフォローを頼もうと、視線を向けるものの
 先程まで2人がいた場所には空になったグラスが2つ転がっているだけだった


「あ…あれっ?
 ローゼルさん、ゴールドたちは?」

「随分前に吐きそうになった先輩…ラナンキュラスを連れて、
 トイレに行ったまま戻って来ませんが」

「……そ、そう……」

 全く気が付かなかった
 何か静かだな、とは思っていたが…



「こうも遅いと流石に心配です
 ちょっと見てきます…ウリ坊をお願いします」

「あっ…は、はい」


 席を立つとトイレへと消えてしまうローゼル
 後に残ったのはジュンと、その膝に乗るウリ坊のみ


「……えーっと……」

「うりー」

「……………。」

 途端に手持ち無沙汰になる

 1人で飲むのも面白くない
 膝の上の動物に関心を向ける事にしたジュン


「えっと…こんばんは、ウリ坊」

「こんばんはだウリ」

「………………。」

「どうしたウリ?」

「……ごめん、俺…
 ここが異世界だって、忘れてた


 うん、そうだよな
 飼い主がアレだもんな

 ウリ坊だって普通なわけが無い






「―――…お待たせしました
 すみません、ラナンキュラスの体調が――…って、どうしたのですかジュン?」

「ん…ちょっとだけ、故郷に思いを馳せていた

「そ、そうですか…
 もう遅い時間ですし、ラナンキュラスが悪酔いしてしまったので…
 今日はそろそろお開きにしようと思うのですが、良いですか?」

「ああ…そうだな
 俺もちょっと疲れたし」

 ゴールドが浮気をしていない事がわかった
 彼の部下たちとも知り合えた

 …かなりの収穫だ


「それではお会計を済ませてきますので、先に出ていて下さい」

 腐っても上司
 部下達の飲み代を支払うゴールド

 恐らく今回、最も得をしたのはラナンキュラスだろう



「ローゼル、今夜の宿はもう取ってあるのですか?」

「いえ…船から下りて直接、ここへ来たものですから
 暫くの間、先輩の家でお世話になる事になっています」

「………大丈夫ですか?」

「はい…心配には及びません」

「困った事があったら、すぐに連絡を下さい
 上司というのは部下に使われてこその生き物なのですから」

 上司の鑑のような事を言うゴールド
 しかし…ゴールドを使うと逆に高く付きそうなのは気のせいだろうか


 ラナンキュラスはまだ酒が残っているらしい
 赤い顔で足取りも覚束無い

 それでもローゼルの荷物を半分持とうとしている
 意外と面倒見が良いタイプらしい




「……あっ…忘れていました
 先輩、その荷物の中にお土産が入っています」

「……土産?」

「はい」


 ごそごそ

 ラナンキュラスが手にした荷物を漁り始めるローゼル
 やがて彼が取り出した物は、美しい絵が描かれたカードゲームだった


「ジュンさんにはウノ、ゴールド様にはトランプを…
 お城の方々やお友達と遊んで下さい」

「すみません、俺までお土産を貰ってしまって…」



 手渡されたカードゲームを眺めてみる

 そこには見知った絵柄ではなく、人物の絵が描かれていた
 ゴールドが手にしたトランプにも美しい男女の姿が描かれている

 なかなか珍しい
 眺めているだけでも楽しそうだ


「それから先輩にはタロットカードを用意しました
 個性的な方々の絵が描かれていまして…
 先輩の人形作りに役立てて頂けるのではないかと」

「……うん、なかなか興味深いじゃないか…
 ここに描かれた人物をモデルに人形を作ってみるのも悪くない」

 目を細めて満足そうな笑みを浮かべると、
 ラナンキュラスは大切そうにタロットを懐に仕舞う



「…ラナンキュラスさんは人形作りが趣味なんですか?」

「ん…そうですね…
 俺は人形を操って戦うんですよ
 その為の人形は自分で作るんで…資料はいくらあっても困らない…」

 酔っているせいか、どうも口調が妖しい
 それでも、大体の事は理解出来る


「へぇ…人形遣いか…
 なかなかオシャレな戦い方ですね」

 ウリ坊を武器に使う後輩がいるくらいだ
 人形を武器にする先輩がいてもおかしくは無い

 …ある意味、良いコンビだ


「ありがと、ジュン様…
 人形作りも結構楽しいものでして…今度、見学に来て下さいよ」

「あ…はい」


 ジュンも魔石を彫ったアクセサリー作りをしている
 自作の装飾でラナンキュラスの人形を飾るのも楽しそうだ

 ジャンルは違えど創作好きの知り合いが増えたというのは嬉しい
 コラボが出来るのなら尚更だ


「……それでは私どもはそろそろ、失礼します」

「はい、今日はお疲れ様でした」

 ラナンキュラスの家は城とは反対方向らしい
 ふらつく彼は心配だったが、ローゼルが付いているので大丈夫だろう

 そう結論付けて、ジュンは彼らに別れを告げる




「……やっぱりお前の部下だな…個性的だ」

「面白い人たちでしょう?
 ボクの自慢の部下なんです」

 しんと静まり返った夜道
 街灯の明かりを頼りに城へと続く道を歩く


「ラナンキュラスさんて、弱いくせに随分飲むタイプなんだな」

「いえ…彼は普段はあまり飲まないのです
 今日はローゼルがいたので、つい飲み過ぎてしまったのでしょう
 むしろ、飲まずにはいられなかったと言った方が正しいのかも知れませんが」

「………?」


 後輩と久々に会えた事が嬉しかったのだろうか

 しかし
 それにしては、ゴールドの表情が苦々しい



「ラナンキュラスとローゼルは昔、付き合っていたのですよ」

「へぇ…そうなんだ
 でも昔って事は、今は別れたのか?」

「ええ…価値観の違いという奴でしょうか
 いえ、そんな有り触れた言葉で片付けるのは問題かも知れません
 ラナンキュラスは特殊な性癖を持っていまして…ローゼルはそれに疲れ切っていたのです」


 特殊な性癖…
 ゴールドもかなり危ない性癖の持ち主だと思うが


「お前が言うなよ、お前が…
 SM趣味のドS男のお前に言われたらラナンキュラスさんが可愛そうだろ」

「ラナンキュラスに比べたらボクなんてまだ可愛いものです」

 心外だ、というようにゴールドが眉を顰める


「彼は…他の相手にローゼルを襲わせて、
 それを眺めたり写真に撮って楽しむという残酷な男です
 嫌がるローゼルに無理矢理、その写真を見せたり…悪趣味です」

「うわ…」

「…他の相手と言っても、それは彼が操る人形ですが
 ローゼルはラナンキュラスと付き合っていながら、
 彼自身に抱かれた事は一度も無いそうです
 それどころかキスの経験も無い…抱き締められた事さえ無いそうです」


 記憶を遡って見る

 ジュンの記憶の中では、ラナンキュラスは砕けた態度で親しみ易かった
 むしろローゼルの方がクールなタイプだと感じていたが…




「ラナンキュラスは両親の愛情を知りません
 彼は施設育ちなのですが、その中でも酷い虐めを受けていたそうで…
 彼が知る人肌の温もりと言えば、殴られたり蹴られたりする時に触れる相手の感触だけ
 そのせいで、ラナンキュラスの中では人肌に触れる行為がそのまま暴力と結び付いているのです」

「…………。」

「ラナンキュラスはローゼルを大切に想っていました
 だからこそ、どうしても彼に触れる事が出来なかったのです
 彼はスキンシップを恐れていました
 人肌の温もりから痛みと恐怖しか感じ取れない程に…病んでいたのです」


 ふぅ…
 重く息を吐くゴールド


「……更に最悪な事に、ラナンキュラスは愛し方を知りませんでした
 ローゼルを愛していながら、どう愛情表現をすれば良いのかがわからなかったのです
 彼の病んだ心と長年の孤独と虐めによって歪んだ性格では、
 どんな手段を取っても結果としてローゼルを傷付ける事しか出来なかったのです」

「ラナンキュラスさんの境遇には同情するけど…
 でも、やっぱりローゼルさんが可哀想だな」


「そうですね…ローゼルは自分の愛情で彼を変えられると信じていました
 愛の力でラナンキュラスの心の傷を癒し、孤独を癒せると思っていたのです」

「……でも…駄目だったんだな……」

 ゴールドの瞳が曇る
 その瞳が全てを物語っていた



「はい、時には荒療治に出た時もあったようなのですが…
 お互いを想った上での行為だった筈なのに、全てが裏目に出てしまいました
 ラナンキュラスの方もローゼルに触れようと努力はしていたのです
 ですが…どうしてもそれが出来ませんでした
 努力と失敗を繰り返す度に、彼は自分に絶望し…自らの傷を深めてしまったのです」

「…そっか、ラナンキュラスさんも苦しんでいたんだな…」

「ローゼルの方も、彼なりにラナンキュラスの愛し方を受け入れようと努力はしていました
 ですが…それが無理なのはボクの目から見ても一目瞭然でした
 最終的にはノイローゼに陥ってしまって…
 日増しに彼が壊れて行くのを見ているのはボクも辛かったのです
 何か手助けが出来れば良かったのですが、ローゼルが嫌がるので無理でした


 救いの手を差し伸べたくても、
 当のローゼルに拒まれてしまっては手の施し様が無い

 ゴールドのもどかしい気持ちが伝わって来るようだ




「ボクの裏切りは…結果として、良い口実になったのです
 ローゼルは旅に出る事でラナンキュラスから逃げ出したかったのでしょう
 互いがそれ以上傷付かない為にも、距離を置く必要があったのですから…」

「……でも、戻って来たんだよな」

「そうですね……
 彼らの関係がこの先、どうなるのかはボクにもわかりません
 同じ悲劇を繰り返すのか、新たな道を切り開くのか
 どちらにしろ、ボクは見守る事しか出来ないのです」


 上司はあくまでも上司

 家族でもなければ友達でもない
 望まれない限り、プライベートに介入する事も出来ない



「ああ…それでお前……
 ローゼルさんがラナンキュラスさんの家に泊まるって聞いた時…心配したんだな」

「はい…
 ラナンキュラスがローゼルにした事を思えば、
 やっぱり嫌でも心配になります…杞憂だと良いのですが」

 狂気にも似た愛情を抱くラナンキュラス
 そして、そんな彼から逃げたローゼル

 彼らが今夜、同じ屋根の下でどう過ごすのか
 今日知り合ったばかりのジュンでさえ、心配せずにはいられない状況だ


「ローゼルは、いつもウリ坊を抱いているのです
 そうしていると温もりに癒されるからと…
 ですが、ローゼルが最も望む温もりは未だ得られていません
 ラナンキュラスの腕でなければ凍えるローゼルを暖めてあげられないのです」

「ローゼルさんてクールな人に見えたんだが…
 ああ見えて内心は傷付いていたんだな…
 今日も本当は辛かったのかも知れない」

「ローゼルがクールな男に見えるのは…彼がそう演じているからです
 彼は感情に左右されない、何事にも傷付かない…そんな男になりたかったのです
 そう言えば以前、人形になりたいと口にしていた事がありました
 ラナンキュラスの人形になれば彼に触れて貰えると…そう言っていた気がします
 彼は温もりを持たない肉体を持った存在…人形しか触れる事が出来ませんでしたから」

「……何だか悲しいな、それ……」


 ぎゅっ

 背中が暖かくなった
 心臓の鼓動が伝わって来る



「たった一度だけでも、こうして抱きしめて貰えたなら…
 それだけでローゼルは救われた事でしょう」

「…ローゼルさんは…未だに救われていないんだな…
 それからラナンキュラスさんも……」

「ジュン、ローゼルと…そしてラナンキュラスとも仲良くしてあげて下さい
 彼らには友達が必要なのです…辛い胸の内を打ち明けられる友達が
 ……ボクは上司ですから、彼らの友達にはなれないのです」

「ああ…俺で良ければ、いくらでも…」


 夜風が冷たい
 それでもゴールドが暖めてくれるから凍えずに済む

 今頃、あの2人はどうしているのだろう

 手を伸ばせば届く距離にいながら、
 決して抱き会う事の叶わない元・恋人同士

 この夜風で彼らは身も心も冷たく凍え切ってしまうかも知れない






「……今、ボクたちに出来る事はありません
 さあ…早く帰りましょう
 もう遅いのです、帰って眠らなければ…」

「ああ…そうだな」

 自分には帰るべき場所がある
 寒い夜には抱き締めてくれる恋人もいる


「俺って…本当に、小さい男だよな
 つまらない事で疑ったり、嫉妬したり…」

「…はい?」

「俺…今日、無理に付いて来たけど…
 本当はお前が浮気してるんじゃないかって、疑ってたんだ」

「はぁ!?」


 ぴたっ

 足が止まるゴールド
 驚愕の表情で目を見開いている



「………ジュン…酷いです…
 ボクはこんなに貴方を愛しているというのに、
 その想いは疑われる程度にしか伝わっていなかったのですね…」

「…い、いや、今はもう疑ってないから…」

「言い訳は結構です
 2度とそんな馬鹿な考えを抱かないように、
 今夜たっぷりとその身に教え込んであげます」


 ギロリ
 睨み付ける視線が鋭い

 怒ってる
 本気で怒ってる

 ゴールドの表情から笑顔が消えた


「お、教え込むって……何を?」

「ボクの愛に決まっているじゃないですか!!」

 がしっ

 ゴールドはジュンの腕を掴むと、そのままズルズルと引き摺って行く
 通い慣れた帰路の筈なのに、何故か監獄に連行される囚人の気分だ



「さあ、こっちに来なさい」

 部屋に戻って来るなり、ベッドの上で手招きするゴールド

 恐い
 凄く恐い

 しかし…ここで逃げ出せば、後で更に恐ろしい目に遭うことになる


「……………。」

 そーっ…

 何となく、物音を立てる事すら憚られて
 こそこそと静かにベッドに入るジュン

 黙っていても伝わって来るゴールドの怒り
 生きた心地が全くしない



「さあ、覚悟は良いですね…?」

「あ…あまり、良くないかも…」

「でも時間切れです」


 ぽふ

「………………何してるんだ、お前」

「膝枕ですが、何か?」

 ベッドに座るジュンの膝の上に
 ゴロンと頭を乗せて横になったゴールドは、至って涼しげな表情である


「甘えてくる恋人の姿にキュンってなりませんか?
 愛しくなってギュ〜ッてしたい衝動に駆られたりしませんか?」

「……そうだな……
 確かに、衝動的にお前の首をギュ〜ッてしたくなったかもな」

「首はダメです、首は」


 ゴールドの腕が腰に回される
 膝枕というよりは腰に縋りつくような体勢だ

 そのまま、子猫のように頬をすり寄せてくる




「……………だから……何してるんだ、お前は…」

「ごめんなさい」

「は?」

「本当は貴方を思う存分甘えさせて、
 大人の優しさと包容力をアピールしてみようと思っていたのですが…
 いざとなったら、ボクの方が貴方に甘えたくなってしまったのです」

「………………。」

「もう少しだけで良いですから、このままでいさせて下さい」


 想像以上に腕に力が込められている

 口調は穏やかだ
 しかし力の込められた腕からは必死なものが感じられる

 ……こんな姿を見せられてしまったら、引き剥がす事なんて出来ない



「ああ…そっか、そうだよな
 お前だって辛かったんだな…」

「………ええ、そうですよ
 部下に頼って貰えず、もどかしい思いをしている最中、
 今度は恋人に信頼されていないという現実を突き付けられたのです」

「……う」

「わかっています、ボクの自業自得です
 こんな性格ですから…部下にも恋人にも信じて貰えません
 全てはボクの日頃の行いのせいなのです…わかっているのですよ、ええ」


 完璧に拗ねている
 あと、やさぐれモードも入っている

 アルコールが入っている分、更にタチの悪い事になっている

 ここで『自覚があるなら性格改めろ』なんて本音を言った日には、
 余計にややこしい事態に見舞われるのが目に見えている

 こういうのは苦手だが仕方が無い
 ジュンは少ないボキャブラリーの中からゴールドを慰められそうな言葉を探す



「ボクなりに貴方達の事を愛しているのですよ…」

「…………ああ、それは伝わってる
 だから部下だってお前の元に戻って来たんだし、
 俺だってお前と別れないで一緒にいるだろ?」

「ジュン…」


「あの2人だって手馴れの戦士なんだから、
 本気でお前を嫌っているなら今頃、2人掛りでお前を殺って埋めてる筈だ」

「…………………。」

「俺だってカイザルさんとリノライさんっていう国の二大勢力がバックについてるからな
 その気になればお前を遠ざけて貰う事だって出来るんだ
 後が恐いから念を入れて、遠ざけたお前は刺客を送り込んで抹殺する
 お前さえいなくなったら俺も未練を残す事無く故郷に戻れるし――…」

「……………………………。」

「やろうと思えば出来るんだ
 でも、それをしない…つまり、それだけお前は愛されているんだ
 だから安心しろ」

「………ジュン……」

 ゆっくりと顔を上げるゴールド
 その瞳は赤く潤んでいる


「…安心、出来たか?」

「安心出来る筈が無いでしょうッ!?
 むしろ疑心暗鬼になりそうですよッ!!
 本気で背筋に冷たい物が走りましたよッ!!」

 ぐらっ

 世界が揺れた
 そして背中に当たる柔らかいベッドの感触…


「……へっ?」

「言葉は要りません…逆にヘコみますから
 甘くて優しいセリフはボクの専売特許だと言う事を忘れていました
 ここはカラダで語り合う事にします」

「い、いや、ちょっと待て…いきなり押し倒すな」

 ヤバい
 調子に乗り過ぎた

 ……雲行きが怪しい


「やっぱり最初からこの手段を取るべきでした
 ボクも慰められますし、貴方もボクの愛を再認識出来るでしょう?」

「で…でも、言葉も大切だぞ、言葉も…」

「というわけで、いただきます」

「聞け―――ッ!!


 箸でも構えそうな勢いで合掌するゴールド
 渾身の力で叫ぶジュン

 そして、小鳥のさえずりと共に明ける夜――…






「……こ、腰がヤバい……」


 ゴールドで遊んだツケは思った以上に大きかった
 たっぷりと昼までベッドに沈んでいたが、全身が軋んで重い

「お前も加減しろよな…」

「でも、たっぷりと愛は感じられたでしょう?
 貴方のリクエストを取り入れたので満足して頂けましたよね
 途中から貴方の方から熱っぽく、おねだりして来て――…」

「…………。」


 それはゴールドが精神的におかしくて

 行為の間もずっと情緒不安定で…
 それでつい、甘やかしてしまったから――…

 …なんて言っても言い訳にしかならないだろう



「ふふふ…昨夜のジュン、可愛かったです…」

「ああもう…黙れ
 食事に行くんだろ?」

「はいはい
 それでは行きましょうか」


 ゴールドが行きたいというレストラン
 しかし彼の目的が昼食だけではない事はジュンも察しが付いている

 ここのレストランは住宅街のすぐ傍にある
 そしてラナンキュラスの家もそこにあるそうだ

 ……食事の帰りに、彼らの様子を見に行きたいのだろう


「2人は家にいるかな…」

「傭兵と言ってもディサ国には騎士団がいますから
 敵襲の際に応援に行ったり、モンスターが出た際に駆けつける程度です
 普段は家で人形作りに没頭している筈ですよ
 趣味を兼ねた副業として始めた人形屋の方がメインの収入源となっている位ですから」

「へぇ…作った人形、売ってるんだ…
 ローゼルさんは何してるんだろ?」

「彼の趣味はガーデニングです
 基本的に植物と触れ合うのが好きなので…公園や森にいる事が多いです」


 魂を持たぬ人型…人形を生み出すラナンキュラス
 そして生命の象徴ともいえるべき植物を愛でるローゼル

 …こんな日常の風景ですら、彼らの正反対の性格が垣間見える



「基本的に正反対なのですよ、あの2人は…
 人という生き物は自分に無い物を持つ相手に惹かれると言いますが…
 彼らの場合、磁石のS極とN極なのですよ…隣接しているのに、決して触れ合う事が無いのです」

 ……話の矛先が暗くなってきた
 それに気付いたゴールドは、慌てて普段の笑顔を浮かべる

「これから食事という時に暗い話題を持ち出してしまいましたね
 すみません…気を取り直して、食事を楽しみましょう」


 ゴールドはジュンの手を引くと、レストランのドアを勢い良く開ける

 彼が無理に明るく振舞っている事はわかっていたが、
 ジュンも何も言わず彼に付き合うことにした

 丁度、昼時だ
 店の中も大混雑である


「いらっしゃいませー
 ただ今混み合っておりますので、相席でも宜しいでしょうか?」

「ええ、構いませんよ」

「それでは2名様、ご案内しまーす」


 活気付いた店内は陰鬱な気分を払拭するにも丁度良い
 ジュンたちはウェイトレスに案内された席へと足を運ぶ

 そして――――…





「あれっ?
 ゴールド様…良く会いますねぇ…」

「………………。」


 そこに、昨夜知り合ったばかりの顔を見つけ、
 思わず膝を付きそうになるジュンとゴールド


「あ…相席って…貴方達です…か……」

「ええ、俺達です
 昨夜はご馳走様でした〜」

 満面の笑みでVサインのラナンキュラス
 悪酔いしていたくせに、二日酔いにはなっていないらしい



「お疲れ様です
 昨夜は失礼致しました」

 テンションの高いラナンキュラスとは対照的に、
 礼儀正しく静かに会釈をするローゼル

 しかし…膝のウリ坊は飲食店的に許されるのだろうか



「貴方が昼間、出歩いているなんて…珍しいですね」

「そうなんですよ…俺、いつもはヒッキーの人形師なんです
 でも暫くの間、ロゼと一緒に暮らすじゃないですか
 そうなると色々と必要になる物も出て来るもんなんですよねー…」

 …要するに、買い出しのついでにレストランへ寄ったらしい


「私はついでに仕事も探したいのですが」

「俺が店を出した事は知ってるだろ
 その手伝いをしてくれれば助かるんだけど?」

「たまになら構いません
 ですが毎日…しかも一日中人形と顔を合わせているとなれば、私の気分が滅入ります」


 ああ、そう言えば

 ローゼルはラナンキュラスが操る人形に襲われていた過去があった
 彼が作った人形達に囲まれていれば、嫌でもその事を思い出してしまう

 ゴールドから聞いた話を思い出して、思わず顔を伏せるジュン



「毎日ではなく、アルバイト感覚で曜日を決めて店を手伝えば良いじゃないですか
 そうすればラナンキュラスも助かりますし、貴方も仕事が出来るのです」

「ですが、それでは時間が余りますし…」

「その空いた時間で別の仕事をすれば良いでしょう?
 実は良い仕事先があるのです
 貴方に向いていると思うのですが…どうですか?」


 それはジュンにとっても初耳だ

 そんな話、全く知らない
 …というか今までそんな話、全くしていなかった

 ちらり、とゴールドの表情を伺うと彼と視線が合った


「……お前…まさか、如何わしい仕事紹介する気じゃないだろうな?」

「ジュン…どこまでボクは信用無いのですか…」

 湿っぽい視線を向けられる
 浮気疑惑を向けられたショックから未だ、立ち直りきれていないらしい




「知っての通りボクは今、薬師としてお城で働いています
 お城の中庭で薬草を育てているのですが、最近は薬の需要も増えて来まして…
 庭では栽培が追い付かず、郊外に薬草畑を用意して貰ったのですよ
 ですが、お城から遠い上に面積が広くて手入れが行き届かなくて困っていたのです」

「…薬草の栽培…ですか…?」

「水遣りと草むしりが中心ですが、需要がある時に収穫してお城まで届けても欲しいのです
 勿論、畑の仕事は毎日でなくて構いません
 知り合いのエルフの青年にも手伝って貰っていますから、
 本当に貴方の空いている時だけで良いのです、お願い出来ませんか?」


 そう言えば

 最近、レグルスが妙に日焼けしている
 部屋まで薬草を届けに来た事もあったし――…

 間違いない、知り合いのエルフというのはレグルスの事だろう



「畑には空いたスペースもあります
 そこで貴方の好きな植物を育てて下さって構いません
 手伝いのエルフも果樹を植えて楽しんでいますから…
 貴方もガーデニング友達が出来るでしょう?」

「それは…私にとっても願っても無い事ですが」

「それでは後日、書類を持って来るのです
 お城に入る為の手形も発行しますから……
 あ、ボクの紹介なので細部は適当に誤魔化せます、安心して下さい」

「良かったじゃないか、ロゼ
 エルフは植物を育てるエキスパートだ
 お前も色々と勉強が出来るし、趣味と兼用した仕事は楽しいぞ」

「そ、そう…ですね…」


 階段を駆け上がるかの如く、話が決まって行く

 やや勢いに流されている感もあるが、
 それでもローゼルの表情は和らいでいる

 …恐らく、この分なら大丈夫だろう



「レグルスの事も後日、紹介しますね
 それから情報の事も忘れずに――…」

「はい…以前と同様、個別に仕事をしながら、
 耳にした面白い情報をゴールド様へお渡しする…それで宜しいですね?」

「ええ、完璧です
 頼みましたよ、2人とも」


 ………。

 もはや染み付いて抜け切らぬスパイ気質…とでも言うべきなのだろうか
 ティルティロ国スパイは廃業しても、やっぱり基本は変わらないらしい

 こうしてジュンには友達が増え、
 ゴールドの情報網は1つ増える事になり、
 そして、ラナンキュラスとローゼルは新たな生活が始まる事になった



 ―――…後日


「先輩、ゴールド様の毒草とレグルス様の果樹を組み合わせて、
 とても美味しくて危険な毒リンゴの開発に成功しました」

「ああ…それは興味深い題材だ
 白雪姫をモチーフにした人形を作ってみたくなる」

「それから、媚薬を混ぜた水を与え続けた結果、
 妙にセクシャルな形状の薬草が生えました」

「よし、早速ゴールド様に届けて成分を分析だ」


 ローゼルとレグルスが、ちょっとした悪戯心を暴走させた結果、
 薬草畑の一角がカオスな事態になったりしたのだが――…それはまた、別の話である




今回はゴールドのアナザーストーリー的なものにござります

この上司にして、この部下あり
そんな生暖かい上司と部下の遣り取りで和んで(?)頂ければ本望にござります

今回はシリアス目指して頑張りました
ローゼルのせいで所々、コメディっぽくなってはおりまするが…シリアスにござります

そんなわけでゴールドの部下である新キャラ2名
2人の関係はともかく、キャラそのものは笑いを取れるおバカキャラにござります
たまに登場するかも知れませぬが、どうぞ生暖かく見守ってやって下さりませ…