「―――…痛っ!!」


 激しい衝撃
 視界に星が飛ぶ

 目の前の相手は床に尻餅をついた


「ご、ごめんなさい…!!」

 前方も見ずに店に駆け込んだせいで人にぶつかってしまった
 普段なら絶対にしないだろう失態を恥じ入る

「怪我はしませんでしたか?」

 転んだ相手に手を差し出す

 自分と同じくらいの背格好だが、相手は人間だった
 魔族と違い、人間は僅かな傷でも命取りになりかねない
 外見はそう変わらないが中身は物凄くデリケートなのだ


 それに見た所、かなり良い身なりをしている
 恐らく何処かの富豪の愛人かペットなのだろう

 下手に傷を付けて飼い主に訴えられたら大変な事になる


「…いや…大丈夫だ」

 青年は差し出した手を断ると自ら立ち上がる
 本人が大丈夫と言っているのだから怪我などは無いのだろう

 開いたままのドアから風が吹き込んでくる
 秋風に揺られて青年の髪が揺れる

 それが一瞬、金髪に見えてシルバーは息を呑む
 しかし次の瞬間彼が茶髪の持ち主だと気付いて安堵した

 栗色の髪と瞳、程よく焼けた肌
 東洋の出身だろうか、この辺ではあまり見ない人種だ


 視線を感じて彼の方に目を向けると、
 青年は真っ直ぐに自分を見つめていた

 …自分の顔を覚えて、後で飼い主に告げ口でもするつもりだろうか

 シルバーは内心冷や汗を流す
 ここは適当に機嫌取りをした方が後先楽だろう



「良かったら食事でもどうかな?
 君、この辺の出身じゃないよね
 この町の事とか色々教えてあげれるけど…」

 シルバーがそう提案した途端、青年は青ざめた
 首を激しく横に振りながら数歩後ずさる

 …もしかすると、誘拐されると思われたのかも知れない

 確かに顔立ちも悪くないし教養もありそうだ
 これなら他の輩に狙われたり奴隷商人に目を付けられたりもするだろう

 恐らく、何度かそういう目に遭ったに違いない


「大丈夫、私は君をどうにかしようという気は無いよ
 だからそんな目で私を見ないで欲しいな」

「…あ…いや、別にそういうわけじゃ…
 ちょっと連れに顔が似てる気がして…それで…」

 緊張しているのか、元々が口下手な性分なのか…どうも喋り方が覚束無い
 どちらにしろ自分に対して特に恨みを抱いているわけではないらしい

 現金なもので、そう確信した途端に気が良くなってくる


「ふうん…連れが私に似ているの?
 …というと君は旅か何かしている人なのかな?」

「えっ…あ、ああ…まぁ、一応…
 後で落ち合うことになってるけど…」

 青年は店内の時計に一瞬視線を向ける
 そして『まだ少し余裕あるな』と呟いた

 ということは――…


「…今は一緒ではないんだ…酷いね…」

 人間を危険な外へ連れ歩くだなんて
 彼の飼い主は一体どういう神経をしているのだろう
 しかも腹立たしい事に彼は今、一人で行動しているらしい

 非力な人間は自分の身を自分で護る事も叶わない
 これではいつか本当によからぬ輩に連れさらわれてしまう
 周囲は危険だらけだというのに、彼の飼い主は傍で護ってやる事すらしないのか

 …可哀想に、こんな飼い主では毎日怖い思いをしているに違いない


「悪い人に連れて行かれないように、待ち合わせ時間が来るまで私といないかい?」

 彼を見る視線に同情の色が込められる
 改めて青年の顔を見つめた時、シルバーは気付く

 サラサラの髪に肌理の細かい肌
 吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳

 東洋人特有のエキゾチックな魅力
 不覚にも胸が高鳴る



「…参ったな…」

 良く見ると物凄く好みだった
 というより、自分の理想に初めて気が付いた

 己を磨き上げる事にしか興味の無いシルバーは恋愛に関しては疎い
 今まで恋人を作るどころか、初恋すらした事が無かった

 行動に迷ったシルバーは舌打ちする

「…こんな事になるなら恋愛小説の一冊でも読んでおくんだったな…」

 冗談ではなく本当に連れ帰りたい衝動に駆られる
 彼に対する興味が泉のように湧き上がって来た


「…君の事、詳しく教えてくれないかな?」

「えっ…?」

 訊ねてから失礼だったと気付く
 相手について訊ねる前に、まず自分の素性を明かすのが先だ

「失礼…私はこの町で使い魔をしている――…」

「使い魔…!!」

 シルバーの言葉を遮って青年は嬉しそうに声を上げた

 人間も基本的に使い魔同様、飼い主の手伝いをする事が多い
 もしかすると似た境遇から親近感を覚えられたのかも知れない
 どちらにしろ彼の態度が柔和したのがわかってシルバーは胸を撫で下ろした

 これ幸いにとガードが緩くなった隙に便乗する


「立ち話も何だし、お茶でも飲もうよ
 外の花壇にベンチが並んでいるんだ」

 青年の手を取るとシルバーは彼を外に連れ出す
 相手を何処かに誘うなんて初めての経験だ
 平静を装いながらも内心は緊張して足元も覚束無い

 それでも青年が大人しくしてくれている事に勇気付けられる

「外にいた方が向こうも見つけやすいよな…」

「そ、そうだよね
 …飲み物は何を買って来ようか?」

「そうだな…何か暖かいものが良いな
 外も少し肌寒くなってきたし…もうすっかり秋だな」

「うん…そうだね」

 青年をベンチに座らせると、急いで飲み物を買いに行く
 何だか今日は走ってばかりのような気がする

 滑稽さに思わず苦笑を浮かべるシルバーだった




「お待たせ」

「…どうも」

 代金を支払おうとする青年の手を押し止めて、奢りだから、と断る
 尚も食い下がる彼に、ぶつかったお詫びだと告げるとしぶしぶ頷いた

「別に…俺は全然気にしてないのに」

「私は気にしているんだよ
 借りを作ったままにしておくのは好きじゃない」

 …違う、私はこんな事を言いたいんじゃない
 本当は君ともっと一緒にいたいだけで―――…

 でも、そんな事を臆面も無く口に出せるような性格は持ち合わせていなかった

 気の利いたセリフも、彼が喜びそうな話題も思い浮かばない
 毎日勉強して覚えた数式も外国の言葉も、ここでは何の役にも立たない


 今、流行の本は何だろう
 彼くらいの歳の子は何をして遊んでいるのだろう

 駄目だ…勉強と仕事ばかりしていたせいで何もわからない
 デートに誘えるような場所も全く知らない

 そもそもシルバーは娯楽というものは人生の無駄だとして省いてきたのだった

 しかし傍目から見れは自分は『つまらない男』として映るだろう
 自分の為だと思ってきた生活が、まさか仇となるなんて…

 ベンチに深く腰掛けたままシルバーは落胆する
 せめて愛想良くなるよう努めたが、その表情は硬い無表情のままだった
 元々、笑顔を浮かべる事に慣れてなどいないのだ

 頭上に降り注ぐ木漏れ日が妙に寒々しく感じる



  



「…あの、さ…
 俺、もう行くから…」

「えっ…」

 大失敗だ
 場の空気を悪くさせてしまった

 無言で無表情
 こんな相手と一緒にいて楽しい筈も無い

 席を立とうとする青年にかける言葉も見つからない
 けれど、このまま離れたくなかった

 無意識に伸びた手が彼を捉える

「…えっ…?」


 琥珀色の瞳が驚愕に見開かれる
 今日初めて出会った相手に突然抱き締められたのだ――…普通は驚く

 そして驚愕は不快感へと変わるだろう
 そうなる前に、この手を離さなければ

 彼に抵抗される前に、早く
 今なら別れの挨拶だと言えば誤魔化せる

 早くしろ、と頭の中で警告が鳴る
 しかし身体は意に反して更に強く彼を抱き締めた

 両腕に伝わる青年の体温が心地良い
 心の中の硬い塊が溶けて流れ出すような不思議な感覚

 初めて抱く気持ちにシルバーは酔い痴れた


 しかし次の瞬間、後頭部に激痛が走る
 衝撃でシルバーはその場に膝をついた

「――…っ…!!」

 背後から何者かに殴られた
 痛みに眩暈を感じながらもシルバーは背後を振り返る

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、この世で最も嫌いな色だった

 腰まで伸びた長い黄金色の髪が陽光を反射してキラキラと輝いている
 まるで太陽の欠片のような男がそこに立っていた


「人の恋人に手を出すのは止めて頂きましょうか」

「―――…ゴールド…!?」

 その瞬間、青年の表情が瞬く間に輝く
 彼は金髪の男の元へ駆け寄って行った

「思ったより早かったな」

「何を悠長な事を言ってるのですか…!!
 貴方は今、襲われかけていたのですよ!?」


 きっ、と金髪の男がこっちを睨んでくる

 敵意剥き出しの黄金色の瞳
 ゴールドと呼ばれた男

 彼と目が合った瞬間、全身が凍りついた
 冷や汗が背筋を流れ落ちる

 この世で最も嫌悪していた存在
 忘れたくても絶対に忘れられなかった男

 彼を見間違える筈が無い


「…兄さん…?」

 シルバーは痛みも忘れて呆然と呟いていた



「ええっ!?
 に、兄さんって…ゴールド、お前――…」

 青年が自分と兄を交互に見比べる
 しかし兄のゴールドは冷たく言い放った

「相手が弟であろうと許せません…その首、切り落とします」

 ちゃき、と彼の手に剣が握られる
 そしてそれを躊躇い無く振り上げた

「なっ…!?」

 畑仕事帰りのシルバーは武器など持っていない
 これでは応戦どころか抵抗すら不可能

 それに自分は一度兄を裏切った身だ
 彼の方も長年に渡り恨みを募らせているのだろう

 殺される―――…!!

 シルバーは死を覚悟した


「まっ…待て!!
 ゴールド、やりすぎだ
 街中で殺しは犯罪だぞ!!」

 青年が叫ぶ
 ゴールドも一先ず剣を納めた
 青年が助けてくれたらしい

 しかし―――…


「…あのね…街中じゃなくても殺しは犯罪なんだよ…?」

 その辺に突っ込まずにはいられないシルバー
 もしここが人通りの無い場所なら彼は止めなかったのだろうか

 だとすると―――…油断ならない


「でも、そうか…お前の弟だったのか
 初めて見た時に何か似てると思ったんだよな…」

 青年は改めて自分と兄を交互に見比べる
 それにつられてシルバーも自らの身と兄の姿を比較してみた

 あれからもう、10年以上経つ

 華奢だった自分の身体は逞しく成長した
 毎日の労働で筋肉も付いたし背も伸びている

 それでも―――…


「ゴールドの方が背も高いし体格も良いな
 腕の太さからして違うし…お前の方が強そうだ」

 青年が褒めたのは兄の方

 悔しさに硬く歯を食い縛った
 体格だけは昔から唯一敵わなかった

 力は比べた事がないからわからないけれど



「でも、こうやって見比べてると特に顔が似てるわけでもないな」

「そうですね…髪の色も瞳の色も違いますし
 それに弟はどちらかと言えば母親似ですから」

「ああ、弟の方はニヤけたスケベ顔はしてないもんな
 お前をもっと真面目にキリッとさせたらこうなるかも知れないが」

 淡々と酷い
 …否定はしないけれど

「でも銀髪か…お前が老けて白髪になったらこんな感じか?」

 青年よ
 白髪と銀髪を一緒にするな


「うーん…でも、兄弟だからやっぱり何処か似てるのかもな
 顔とかじゃなくて…空気って言うか…はっきりと言えないけど」

「そうなのですか?」

「うーん…でも、空気もそこまで似てないかもな…
 何て言うか弟の方が空気が根暗っぽいんだよな…」

 しみじみと辛口

 青年よ、ひとつ言わせて
 私は決して暗いわけじゃないんだよ

 ただ、兄が底抜けに明るいだけなんだ…!!

 言い訳っぽいから口に出しては言わないけど



「ん―――…あ、そうか!!」

 突然青年が叫ぶ

「ど、どうしたのですか?」

「やっと似た場所がわかった
 お前たち兄弟ってカレーとシチューみたいなものなんだ」

 は!?


「つまり材料も作る過程も似てるけどモノは似て非なるものって事だ
 それに黄色いカレーと白いシチューでお前たちの見た目にも似てるし…」

「そ、それって…」

 やっぱり兄さんがカレーの方なのだろうか…
 何かそういわれると黄金色がカレー色に見えてくるから不思議だ

 しかし―――…

 今まで30年以上生きてきたけれど、
 シチューに似てると言われたのは初めての経験だ

 恐らく今後、二度とないだろう

 兄さんの方も同じような事を思ったらしい
 何とも言えない複雑な表情を浮かべている


「…まぁ…カレーでも何でも結構ですけれどね…」

「…うん…そうなんだけどね…」

 でも何か嫌な感じは否めない
 具体的にどう嫌なのかと聞かれても上手くは言えないのだけれど


「カレー&シチューって、売れない漫才師のコンビ名みたいだな…」

 今度は漫才師扱い

 青年は感慨深げに自分たちを見比べている
 きっぱりと止めろとも言えないし、かと言って肯定するのは悲しい

 こういう場合、何てコメントをすれば言いのだろう…


「兄さん…風が冷たいね…」

「夕日、沈んできましたね…」

 夕暮れを眺めながら、
 秋風の寒さに骨身を震えさせる兄弟だった



 シルバーとゴールドは根本的な所ではやはり似ておるのじゃよ…
 とりあえず、カレーとシチュー程度には(笑)

 同人誌では三人が揃った時点で表ページでは言えないような展開になるのじゃが、
 web版ではコメディらしくとても健全(?)で平和(!?)な展開になりましたな
 ちなみに何処までが同人誌の抜粋で、何処からがオリジナルの書き下ろしか…

 一目瞭然じゃろうからあえて言いませぬが

 そして次から書き下ろし100%になりまする
 何せ原作同様、ジュンはシルバーに対して容赦が無いからのぅ

 まぁ、web版はコメディ重視じゃから殺ったり犯ったりは致しませぬが
 しかし別の意味でシルバーには不幸が訪れそうじゃ…

 あぁ、シルバーの末路や如何に…