「ご注文はお決まりですか?」


 喫茶店の椅子に腰を掛けて間もなく

 水の入ったグラスを運んできたウェイターが、
 オーダーを取りにやって来る


「…ええと…じゃあ、拙者は抹茶味の葛湯」

「わしはホットミルクティー
 それとビスケットを一皿」

「かしこまりました
 少々お待ち下さい」


 ウェイターの背を見送りながら、
 シェルがのんびりと水を口に含む




「火波って紅茶派?」

「そうだな…紅茶とコーヒーを選べと言われたら、
 紅茶を選ぶ事の方が多い気がするな」


「それってやっぱり…胃腸が弱いから?
 普段から唐辛子などの刺激物も避けておるようじゃし…」

「…それもあるが、わしの場合は――…」



「む?」

「コーヒーは口からではなく、
 尻から注入するものだという認識があってな」


 ぶほっ

 運悪く近くの席に座っていた、
 紳士風の客が盛大に口からコーヒーを吹き出した

 少し離れた所でウエイターがトレイをひっくり返す
 所々でパリンと食器の割れる音が響いた



「…ほ…火波よ…」

「うん?」


「お主…気は確かか?

「……は?」


 涼しい顔で聞き返されても困る
 というかこの男は一体、何を言い出すのか

 とりあえず声を大にして言いたい
 その認識は間違っている



「人肌に暖めたコーヒーを、
 尻から注入するんだ…お前だって知ってるだろう?」

知るものか

コーヒーは尻から飲むものだろう?」


 断じて違う



 というか頼む

 近くの席でコーヒーを飲んでる人がいるんだから、
 こういう場で、その話題は勘弁して欲しい



「…火波よ…一体、
 何を目的としてそんな事を…」

健康法だ


 どんな健康法だ

 というか尻にコーヒーを使う意味がわからない
 むしろ今すぐコーヒー農家に謝れ



「よく言うだろう…身体の内側から綺麗になれ、と」

「やっている事はこの上なく汚い気がするのじゃが」

「良い香りだぞ?」

そういう問題じゃないわ!!


 あぁ…

 恋人の事を知れば知るほど、
 どんどんマニアックな趣向が明らかになってくる

 これ以上彼を知るのが怖い


 しかし当の火波は聞いてもいないのに、
 こういう時に限って喋る喋る

 喋るというより、語り始める





「コーヒーを尻に注ぐ行為の事を、
 俗にコーヒーエネマというんだ
 別名、コーヒー浣腸とも呼ぶ」


 喫茶店で口にするような言葉ではない

 というよりその単語は、
 喫茶店にとって致命的な禁句だろう

 営業妨害として摘み出されるのは時間の問題か



「ゴロゴロと鳴り響く音を聞きながら、
 歯を食いしばって流れる汗もそのままに、
 下っ腹に走る鈍い痛みに耐えるのがまた悦びなんだ」


 そんな事で悦ぶな

 それは既に健康法ではなく、
 マニアックなプレイの一種なのでは…

 というかその行為に悦びを感じる時点で、
 人として何か大切なものを失っている気がする



「最初の内は辛く感じるが、
 何度も繰り返す内に快感になってくるぞ
 新たな境地が切り開かれた瞬間だな」


 つまり目覚めた瞬間という事か

 サボテンといい、コーヒーといい、
 何故この男はこうも趣向性の高い刺激を欲するのだろう




「…そういえば、ここの所…随分とご無沙汰だったな…」


 永遠にご無沙汰で構いません
 むしろこのまま封印してくれる事を願いたい

 そして

 頼むから自分の前では絶対にやるな



「…シェル、もし良かったらお前も一緒に――…」

絶対に嫌じゃ


 というか肉体関係さえまだ無い恋人に、
 いきなり浣腸を勧めるのはどうなのか


 というかクサいセリフの次は、
 クサい話題ってか!?

 この流れが意図的だとしたら、
 一回くらい殴り倒したい





「…お前にもコーヒーエネマの魅力が少しは伝わっただろうか」

「火波が浣腸マニアのM男だというのは伝わったぞ」

「人聞きの悪い…
 わしが住んでいた村では大流行だったんだぞ、滅びたが」


 何故流行る、そんなものが

 というかその村が滅んだ本当の理由って、
 コーヒー農家の祟りだったんじゃ…



「―――…というわけで、わしは紅茶派だ」


 綺麗に話を締め括るな

 何事も無かったかのように涼しい表情で、
 運ばれて来たティーカップを手に取る火波


 焼きたてのビスケットとミルクティーで、
 優雅なティータイムを決め込むその姿は意外と絵になる

 ―――…が

 この場に居合わせた全員が、
 彼を尻からコーヒーを飲む男と認識しているだろう


 シェルは暖かい葛湯を啜りながら、しみじみと思った
 もうこの店に来る事は出来ないと―――…


 この日、明太子の他にコーヒーに対してもトラウマが出来てしまったシェルだった







「…さて、これからどうする?」


 あれからそそくさと喫茶店を出たシェルと火波
 既にシェルはかなりのストレスと疲労が溜まっていたが――…

 せっかくの初デートだ
 せめて一度くらいは、それらしい雰囲気に浸りたい

 その一心で、半ば意地でデートを続行させるシェル



「今日はお主に全て任せる…」

「そうか、そうだったな
 海岸を散歩して喫茶店で一息入れて――…となると、
 次は軽く散歩がてらに市場でも歩くか」

「…う、うむ…」


 海岸を散歩して喫茶店で一息…
 言葉にすると、凄く格好良いデートに聞こえる

 まぁ、実際はクサさのオンパレードだったわけだが


「…き、気を取り直して…」

 三度目の正直

 そう意気込んで、
 シェルは市場へと続く道を進み始めた





 もうすっかり通い慣れた市場
 顔を覚えられた店員から軽く挨拶をされる


「兄さん、おはよう!!
 今日は朝から散歩かい?」


 威勢の良い声が響く
 振り返ると八百屋のオヤジが大根を振っていた

 いつもオマケをしてくれるので、
 この店は頻繁に利用している


 ちなみにオマケをしてくれる際の言葉は、
 いつも決まって『兄さん顔色悪いから大量に食っとけ!!』だ

 いくら栄養を摂っても火波の顔色は変わらないのだと言う事に、
 オヤジが気付く日は来るのだろうか



「ようボウズ、相変わらず細いなぁ!!
 好き嫌いしてたら駄目だぞ?」

「むぅ…ほっといておくれ…」


 コンプレックスを刺激されたのか、
 頬を膨らませてそっぽを向くシェル

 慌てて火波が話題を変える




「主人、今日はこの辺りを散策中なんだが…
 何か面白い事は無いだろうか?」

「面白い事…かぁ…
 そういや近所で占い師が出店をやってたな
 俺は占いなんざ信じないが、暇なら兄さんたち行ってみないか?」


「占いか…
 …シェル、どうする?」

「んー…そうじゃなぁ…
 まぁ、行くだけ行っても良いかのぅ
 占って貰うかどうかは別として…」

「そうだな」


 八百屋のオヤジに詳しい場所を聞くと、
 シェルと火波は軽く礼を言って、教えて貰った場所へと向かった




「…火波は占いを信じる方か?」

「いや…あまり
 せいぜい縁起物として、おみくじを引く程度だな」


「……大凶を引く姿が目に浮かぶのぅ……」

「そうだな、七割方は大凶だな…
 まぁ、それでもまだマシな方だが」

「大凶がまだマシ…って、
 更に酷いのを引いた事があるのか?」



「ああ…白紙の奴をな」

 それは切ない


「まぁ…単なる印刷ミスなんだろうが、
 神から『お前にやるメッセージはねぇ!!』と
 言われている気がして、少し落ち込むな」

「白紙のくじを引くって…ある意味、宝くじ並みの倍率じゃのぅ」



「ちなみにその後、白紙のおみくじに
 自分で末吉と書いてみた」

 また微妙な運勢を…

 そこで大吉と書かないのが、
 いかにも火波らしいと言えば火波らしい


「まぁ、後で見返してみたら、
 誤字で未吉と書いてしまっていたが」

 自分で書いて間違うな
 何から何まで駄目過ぎる





「…火波よ…
 聞いてて切なくなってくるのじゃが…」

「まぁ、気にするな
 それより占いの店に着いたぞ」


 火波が市場の一角を指差す

 そこには明らかに周囲から浮いた、
 小さなテントが張られていた

 不思議な色合いのインクで、
 『ユニコーン占い』と書かれている



「…う、胡散臭い…」

「占いのネーミングなんて、
 どれも似たようなものじゃろう」

「…と、とりあえず覗いてみるか…」


 恐る恐る、テントの中へと足を踏み入れる火波とシェル

 中は窓一つ無い薄暗い空間
 香が焚かれているのか、不思議な香りがする


 そして、そこで二人を待ち構えていたのは、
 純白のだった

 店名に忠実な状況だが、
 これはこれで対処に困る




「……えーっと……」

「ようこそおいでくださいました」

「うをっ!?
 馬が喋ったっ!?」


 目の前の馬は、かなり饒舌に人の言葉を操る
 まぁ…言葉が通じなければ占い家業など出来ないのだろうが…

 それでも驚きを隠せないシェルと火波


「最近の馬は賢いのぅ…」

「私の姿は馬ですが、
 実態は妖魔の一種です
 人の言葉を操り未来を占う能力を得ています」

「そ、そうなのか…
 という事は、本物のユニコーンなのか?」



「はい、その通り…私はユニコーン
 何故かペガサスと混合されがちですが、
 私は紛れもないユニコーンという種族です」

「…………。」


 額に角があるのがユニコーンで、
 背中に翼があるのがペガサスだった…ような気がする

 よく見ると、確かに馬の額には角のようなものがある



「道行く人々に『馬面』と呼ばれようとも、
 私は今日も元気に生きています…」

 まぁ、確かに馬の顔そのものなわけだが
 本物の馬に対してそう呼びかけるのは如何なものか


「…わしは一度で良いから『馬並み』と呼ばれてみたい…」

 火波よ…

 火波の呟きに、
 思わず目頭が熱くなるシェル

 あまりにも痛々しくてツッコミを入れる気にもなれない





「…そ、それで…
 本日は何を占いましょう?」

「ええと…じゃあ、まず…
 このテントはお主が自分で建てたのか?」


 シェルよ…

 それは占いではなく、
 単なる質問だ


「…その質問をされたのは、
 お客様で47人目です…」

 地味に多い

 やっぱり皆、気になるらしい
 この馬がどうやってテントを建てたのかが



「…一応私も妖魔ですので、
 人の姿に変身する事が出来ます
 ですから作業の際は人の姿で行いました」

「成る程のぅ…
 ええと、じゃあ次は――…
 馬刺しは好きか?」


 待て

 だからそれは占いじゃなくて質問…
 いや、それよりも

 馬にそれは禁句だ


「個人的に馬肉は刺身よりも、
 しゃぶしゃぶ派です」


 食うのか…馬肉…
 しかも、しゃぶしゃぶ

 思わずこの馬が鍋を囲む姿を想像してしまう火波





「…それで、占いは…」

「うむ、そうじゃな
 じゃあ本日のおススメを2つ3つ頼むかのぅ」

 寿司屋か


「…………。
 ええと、それでは…はい、かしこまりました…」


 馬、困惑中

 恐らく自分たちは彼にとって、
 かなり厄介な客なんじゃないだろうか

 それでも律儀に占いを始める馬
 なにやらブツブツと呪文を唱え始める



「……ええと…そうですね
 貴方は忘却の相が出ています
 重大な事をダイナミックに忘却しがちですので、
 記憶喪失にはくれぐれもご注意下さい」


 何をどう注意しろと

 しかし微妙に的を得ているのが末恐ろしい
 この馬、なかなか侮れない…



「続いてそこの男性
 貴方の事ですが――…」

「あ、ああ…」

頑張って下さい


 何故そこで励ます!?

 というか、
 既に占いじゃない



「…もう…私にはそれしか言えません…
 とにかく頑張って下さい…負けないで下さい…」

「……………。」


 おい、馬
 お前…何を見た?

 わしのどんな未来が見えた!?



「総合的に見ても貴方の運勢は
 劣悪で底辺を這う状況です
 ある意味、既に人生終わってると言えます」


 そこまで言うか

 お願いだから、
 もう少しソフトな表現をして下さい


「…まぁ、確かに一度人生を終えたが…」

「ええ、何やら不幸な事故に見舞われたようですね
 ですがこれから貴方の身に降りかかる不幸は、
 この程度では済みません


 それは何か?
 死ぬより辛い災いが来るって事か?



「火波よ…呪われておるのぅ」

「……うぅ…どうせ、わしなんか…」


「でもご安心下さい
 恋愛運だけまだ救いがある状況です」

「そ、そう…か…」


 馬の言葉は妙に引っ掛かるが、
 確かに恋愛運は悪くない気がする

 現にシェルという恋人も得られたし―――…



「だたし、貴方の人生はそんなに甘くありません
 それは新たなる災厄の幕開けでもあります」

「…………。」

 シェル…


「ほ、火波よ…
 そんな目で拙者を見るでない…」

「…孤独だろうが、恋人がいようが、
 どちらにしろ…わしは不運続きというわけなんだな…」

「ですが客観的に見る限りでは、
 貴方の不運な生き様はネタとして面白いですよ」


 ネタにするな
 そして、その無駄な励まし方は止めてくれ



「人を笑わせるというのは一種の才能と言えます
 これからも身体を張って不運な人生を歩んで行って下さい」

 そんな才能要らん


「…良かったのぅ…火波」

 よくねぇよ




「ちなみに少年よ
 貴方の人生は笑顔の絶えない楽しいものとなるでしょう」

「ほぅ…それは喜ばしい事じゃな」


「…つまり、シェルの笑顔に満ちた人生の影には、
 わしの身体を張った犠牲があるという事なのか?」

はい

 即答かい





「それでは最後に、
 貴方たちを幸運を導くアドバイスをさせて頂きます」

「…アドバイスに従えば、
 わしの運勢、多少は良くなるのか…」

気休め程度ですが」

 その程度か


「まず少年よ、貴方の場合は――…
 自分の信じる方向へと躊躇わずに足を向けて下さい
 それはやがて、貴方の真の幸福へと結びつく事でしょう」

「ふむふむ…」



「続いて貴方ですが――…」

「あ、ああ…」

「1日に14食ほど毎日欠かさずカレーを食べ続けると、
 5〜8年後にそれとなく良い事があるかも知れません」


 そんなにカレーばかり食えるか

 というか、何なんだ
 このアバウトさ

 そして長丁場な割りにスケールが小さい



「…まさに火波の人生の縮小図じゃのぅ…」

「止めてくれ…
 洒落にならん」


「以上で一通り終了しましたが…
 他にも何か占いましょうか?」

「絶対に要らん」


「それでは御代、
 銀貨二枚になります」

「ん…火波、払っておくれ」


 ここまで散々言われた挙句、
 更に金も払えと?

 占いって、ここまで
 割に合わないものだっただろうか…



「銀貨二枚…はい、確かに
 毎度ありがとうございます
 またのお越しをお待ちしております」

「…………ああ」


 テントを出ると、
 思いの他、時間が経っていたらしい

 太陽は僅かに傾き始めていた
 少し軽くなった懐に初冬の風が冷たかった








「占いも、たまにやると楽しいのぅ」

「…まぁ…お前の場合は、
 良い事を言われたから楽しかったかも知れないが…」

「火波は占いの結果に不満なのか?」


 あの惨憺たる結果に満足するわけない

 はっきり言って、
 知らぬが仏という心境だ


「とりあえず、お主と一緒にいれば
 拙者の人生は安泰なのじゃろうな」

「お前の笑顔の裏には、
 わしの犠牲があることを忘れるな」

「拙者が笑えばお主が泣くという事じゃな」

 嫌な関係だ




「わしは永遠に、
 お前に蔑ろにされ続けるのか…」

「そう悲観に暮れるでない
 いっそ『お前の喜びはわしの喜び』くらい言ったらどうじゃ」


「………。
 お望みなら、わしの愛のポエムを
 耳元で一日中囁いてやっても良いんだぞ」

「それを全て文面に書き起こして、
 後日改めてそれを公衆の面前で
 音読しても良いと言うのなら構わぬが…」


 それはキツい
 耳を塞いで悶絶出来る自信がある



「まぁ、不毛な話はこの辺にしておいて…
 次は何処へ行こうか?」

「そうじゃなぁ…
 そういえば冬に向けて、
 暖かい服が欲しかったのじゃ」


「あぁ…じゃあ、服を見に行くか
 毛糸のセーターや厚手のマントがあれば買おう」

「うむ、そうしておくれ
 マフラーや手袋もあれば良いのぅ」


 二人で衣料品を物色すれば、
 何となく雰囲気の良い恋人同士…という姿に見えなくもない

 ようやくデートらしい雰囲気になってきただろうか――…




「…ペアルックのセーターでも買ってみるか」


 ぐほっ

 火波の一言に、
 思わず咳き込むシェル

 寒い
 それは幾ら何でも寒過ぎる


「ペアルックのセーターを着て、
 手を繋ぎながら木漏れ日の小道を散歩するんだ
 そして森の泉に祈りを捧げて永遠の愛を誓い合おう」

 何なんだ
 その無駄にピュアなシナリオは

 とてもコーヒーを尻から飲む男の発想とは思えない



「ほ…火波よ…お主…」


 この男
 一見、硬派に見えて――…

 実は乙女的趣向の持ち主なんじゃないだろうか…



「まぁ、わしたちにはまだ幾らでも時間がある
 何日にも分けて様々なデートを楽しもうじゃないか」

「…拙者の身が何日まで耐えられるかにも寄るのじゃが…」

「今日は朝からあまり甘くない、
 淡白なデートをしているが…
 そのうちねっとりと甘ったるい奴を教えてやろう」


 胸焼け起こさせる気か

 というよりも、
 この男の甘さの基準が知りたい


「…火波よ…お主、
 意外と計り知れぬ一面を持っておったのじゃな…」


 悲劇の硬派系乙女的M男

 そんな意味のわからない言葉が頭に浮かび、
 軽く眩暈を感じるシェルだった


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