「――――…。」



 何が起こったのか、わからない

 火波は機能が停止した頭で、
 ぼんやりと窓の向こうの景色に視線を向けていた


 熱い

 冷たい身体に熱が浸透して行く
 自分を抱き締める少年の腕が熱い

 何故、自分は彼に抱き締められているのだろう


 頭の中が真っ白で、
 状況を冷静に判断することもままならない

 ただ少年から与えられる熱に浮かされ、放心し続けていた



 トクン…トクン…

 心音が伝わる
 少年の確かな鼓動

 あぁ…シェルだ
 彼をこんなに近くに感じる日が来るなんて


 失意のどん底に陥っていた状況から、
 突然、愛する人に抱き締められるという状況に早変わり

 まさに地獄から天国


 嬉しい
 嬉しいのだが…現実味が湧かない

 これは自分が勝手に、
 都合のいい夢を見ているのではないか

 そんな考えが脳裏を横切る





 自分はベッドに突っ伏したまま寝てしまったのだ

 これは夢だ
 夢に違いない

 傷ついた心を癒す為に、
 脳が幸せな夢を見せているのだ、と


 目覚めれば、消え入りたくなるような現実が待っている

 ならば、せめて今だけ
 今、この瞬間だけでも、幸福感を味わっていたい――…


 ぎゅっ…

 火波はシェルの身体に手をかけると、
 強い力を込めて少年の身体を抱き締め返した



「――――…ぐぇっ……!!」


 カエルの潰れたような声が返ってくる

 何ともまあ、色気の無い

 せめて夢の中でくらい、
 色香のある展開に浸りたいものだが―――…



「こ、これっ!!
 火波…苦しい…っ!!」

 じたばた
 腕の中でシェルがもがく


「苦しいって…は、離しておくれ!!
 な、何を放心しておるのじゃ、早く…!!」


 抗議を込めて、シェルの手が頬を打つ

 それほど強い衝撃ではなかったが、
 火波の意識を現実に戻すには充分で





「――――…。」

 ぽかん、と口を大きく開けたまま硬直する火波


「……ゆ、夢じゃ…ないのか…?」

「な、何を寝ぼけておるのじゃ…
 目を開けたまま夢を見られるほど器用な男ではないじゃろう
 都合の悪いこと全て夢オチで片付けられるほど世の中甘くないぞ」


 腕の中の少年は、
 夢とは思えないほどリアルな毒舌を吐く

 そして、更に火波を現実に引き戻す一言




「火波が拙者に惚れておる事も、夢ではなく現実じゃな」

「…………っ!!!」


 全身の血流が上昇する
 火波は自分の頬が赤くなって行くのを感じた

 確かに告白をしたつもりだったが…
 しかし、こう改めて言われると気恥ずかしい


「い、いや、あれは…その…」

「誤魔化しても無駄じゃ
 あんなに熱っぽい視線を向けておきながら、
 今更言い訳は通用せぬぞ…腹を括るが良い」


 そう言うとシェルは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる




「じゃがあの告白は伝わりにくいぞ
 点数をつけるなら赤点…むしろマイナスじゃ
 まぁ…口下手なお主にしては、それなりに考えた方じゃが」

「………悪かったな……」


 相変わらずの毒舌
 告白をしてきた男が相手でも容赦ない

 それでも頬が緩むのは、
 想いが伝わっていたという事実が純粋に嬉しいからだ

 完全に諦めていただけに喜びも大きい



「こ、これ、何を笑っておる」

「……ん…気にするな」

「言っておくが、アレは告白とは言えぬ
 愛の告白というより、電波じゃ電波!!
 危ない電波野郎丸出しの奇人変人じゃ!!」


「…そ、そこまで言うか…?」

「言うとも!!
 拙者は満足しておらぬ!!」

「ま、満足…?」


「言ったじゃろう、赤点だと!!
 出来の悪いお主には再試を命ずる!!」

「さ、さ、再試っ!?」




 嫌な予感
 凄く嫌な予感

 そして――…


「意思を的確に伝える言語テストじゃ 
 今度はハッキリと――…言葉にして伝えて貰うぞ」

「えっ…え、え!?」


「何も難しい事ではないじゃろう?
 一言、拙者に『好き』だと申せば良いのじゃから」

「そ、そうは言っても…
 改めて言葉にしなくても、
 もうわしの気持ちは知ってるんじゃ…」


「そいういう問題ではないのじゃ!!
 拙者は告白も満足に出来ぬ男を恋人に持つ気はない!!」

「えっ……こ、恋人!?」



 目を見開く火波
 想いを伝えられればそれで満足だった

 恋人同士という関係を持つなんて、
 そんな大それた事は考えていなかった

 自分とは無縁のものだと思っていた


 しかし―――…

 メルキゼとカーマインのように
 甘い時間を共有出来る関係になれたら

 それはどんなに幸せな事だろう



「し、シェル…」

「…まぁ…拙者もそこまで鬼ではない
 誠心誠意を持ってお主が愛を口にするなら、
 その想いに拙者も応じてやらなくも無い――…という事じゃ」


 そう言うとシェルは火波の頬を両手で包み込む

 俯きがちなその顔を上向かせると、
 深紅の瞳を覗き込みながら、もう一度呟いた


「さあ…申してみよ
 確かな言葉にして」



 きっと、今の自分の顔は真っ赤だ
 心臓が破裂しそうなくらい音を立てている

 火波にだって羞恥心は人並みにあるのだ
 恥ずかしくないと言えば嘘になる


 それでも―――…

 羞恥心を堪えて、火波は声を絞り出す
 口の中がカラカラに乾いて、舌が震えていた




「………き……だ……」

「聞こえぬぞ
 もっと大きな声で」


「…す、す、好き――……」

「ちょっと噛んだぞ
 このくらいスムーズに言えなくてどうするのじゃ」


「………好きだ」

「もう一声」

「………………。」



 これは新手の拷問だろうか

 いつも思うことだが、どうしてこうも、
 自分の置かれる立場は弱いのだろう

 運良くこのままシェルと添い遂げられたとしても、
 一生尻に敷かれる自分の姿が安易に想像出来てしまう


「……………。」

 それでも
 自分は本当にシェルが好きなのだ



「…ほれ、どうしたのじゃ?」

「……はいはい
 言えば良いんだろ、言えば…」

「うむ、潔く頼むぞ」


 完全に楽しんでいるシェル

 そんな彼に恨みの一つでも言ってやりたくなるが、
 全ての感情を愛の言葉に変えて彼にぶつける






「シェル…好きだ、愛している
 この想いを受け止めてくれないか」

どうしようかなー


 ………。

 シェル…お前、もしかして
 その一言が言いたかっただけなのか?



「……おい……」

「あっはっは
 面白い顔じゃのぅ、火波」


 さも楽しげに笑うシェル

 断言しよう
 こいつは鬼だ



「………不貞寝してやる……」

「あははは…待て待て、拗ねるな
 まだ拙者の返答を聞いておらぬじゃろ」


 返答と言われても

 皆まで聞かなくても、
 貶される事は何となくわかる



「全体的に月並みなセリフの上に、まだ照れが見える
 まぁ…お主にしては良くやった方だと、努力だけは認めてやろう
 拙者の情けでギリギリ合格――…60点をくれてやろうではないか」


 点数、低っ!!

 そして…何でわし、
 ここまで言われなきゃならないんだろう…

 まぁ、何となく展開はわかっていたけれど





「…というわけで、火波よ
 恋人の件なのじゃが…」

「あ、ああ…」

「ついでに交際も申し込んでおくれ」


 まだやらせる気か


 こうなったら、とことんやってやる
 シェルが満足するまで、何度でも

 いっそシェルの方が恥ずかしくなるようなセリフをお見舞いしてやる…!!



「……シェル」

 少年の手を両手で包み込むと、
 火波は出来うる限りの優しい眼差しをシェルに向ける


「…シェル、お前に傍にいて欲しい
 誰よりも近い存在として――…わしの傍にいてくれないか」

「…ほ…火波…っ!?」



「お前をもっと近くに感じたい
 この距離を縮められる、
 恋人という名でお前を呼ぶ事を許して欲しい」

「―――――……。」


 うっすらとシェルの頬が桜色に染まる

 彼は恥ずかしそうに俯くと、
 微かな笑みを浮かべながら男の名を口にする


「…火波…」

「…ああ…」




「じゃあ、とりあえずキープってことで」


 待て


 キープなのか?
 わし、キープ扱いなのか?

 そして、それは――…
 リリースの可能性もあるって事か!?



「………シェル……」

「何じゃ、恋人に向けるものにしては、
 随分と湿っぽい眼差しじゃのぅ…?
 あのクサいセリフを吐いた勢いはどうしたのじゃ」


 ニヤリ、と笑うシェル

 明らかに一枚…いや、
 三枚くらいシェルの方が上手だった






「…はぁ……つ、疲れた……」


 再びベッドに転がり突っ伏す火波

 しかしその姿は哀愁は漂っているものの、
 以前のような傷心し切った絶望感は見られない

 それが嬉しくてシェルは、
 火波に気づかれない角度で静かに笑みを浮かべた



 まさか、こんな展開になるとは思ってもみなかった

 火波が自分を好きだったなんて
 もっと早く知っていれば、こんなに悩む事も無かったのに

 今までの男に興味の無さそうだった態度は
 一体、何だったのかと問い詰めてやりたい


 しかし今はそれよりも、
 彼と相思相愛になれた喜びを噛み締めるので精一杯だ

 しかも恋人同士になれるというオマケ付きだ
 シェルは今、幸せの絶頂に立っていた




「ふふっ…」


 幸せの余韻に浸りながら、
 シェルも自らのベッドに横になる

 笑みが止まらない
 今夜は良い夢が見られそうだ


「―――…シェル」


 横から声をかけられる
 見ると、火波がこっちを向いていた

 彼の視線に頬が熱くなるのを感じながら、
 シェルは平静を取り繕って応答する


「ん…どうしたのじゃ?」

「ああ…一つ確認したくてな」

「……確認?」




 首を傾げるシェルに、
 火波は徐に手を差し出す

 彼の手の平に乗っていたもの、
 それは――…例のコンドームだった

 思わず硬直するシェル


「結局、今夜は…するのか?
 それともしないのか?」

「――――…★」



 …忘れてた
 綺麗さっぱりと、忘れていた

 この最大の難関を!!


「え、え、ええと…っ!!」


 相思相愛だとわかった上に晴れて恋人同士となった今、
 彼からの誘いを拒む理由は無くなった

 無くなりはしたのだが―――…



「も、も、もう少しっ…!!
 もう少しだけ時間をおくれ…っ!!」


 まだ最後の一線を越える踏ん切りがつかない

 それに、せっかく恋人同士になれたのだ
 健全なカップルとしての甘酸っぱい付き合いもしてみたい


 もう少しデートを重ねてからでも遅くは無いだろう、と
 そう素直に告げると、火波はあっさり頷いた





「ああ、それで良いと思う
 正直言って安心した…
 わしの方も、まだ色々と都合があるからな」

「……都合?」


「わしは男同士の関係に疎いんだ
 だから今、付け焼刃ながら勉強中だ」

「べ、勉強って…」

「これを参考書にしている」



 火波が指差したもの
 それは火波が少し前まで読み耽っていた本の数々だった

 シェルがその一冊を手に取ってみる

 本のタイトルは、
 俺のアニキ


 表紙では、筋骨隆々のマッチョな男同士が絡み合っている

 これは紛れも無く、
 薔薇の芳香漂うサブちゃんの本だった



「……げ、げ、ゲイ雑誌……っ…!?」


 火波よ…

 買いたい本って、コレだったのか?
 あんなに真面目な涼しい顔して読み耽っていた本がコレだったのか?

 いや、それよりも


 火波…一体、
 どんな顔して買った?

 店員、硬直しなかったか?


 暗い表情の大男がフラフラと入ってきて、
 散々吟味した挙句、買って行くのはゲイ本の数々

 想像を絶するインパクトだ
 これは、さぞかし目立ったに違いない




「は、は、恥ずかしくないのか…?」

「エロ本を買うのに照れるような歳ではないな」


「い、いや、エロ本って…お主…
 これは…普通のエロ本買うより恥ずかしいぞ?」

「お前だって似たような本を買っているだろう」


「BL本をゲイ雑誌と一緒にするでない!!
 漢臭の濃さが段違いじゃっ!!」

「確かに濃い内容が多いな
 この読者の実体験投稿コーナーでは、
 男汁の香りさえ漂ってきそうな濃密さだ」


 男汁言うな

 そして、それを
 涼しい顔で淡々と読むな



「お前も参考までに読んでみるか?
 わりと実践的な内容が多いぞ」

 何を実践させる気だ


「ふんふん…成る程
 この公衆便所に散る漢達の蕾という話は参考になるな」


 んなもん参考にするな

 というか、頼むから
 躊躇いも無くそんな言葉を口にするな





「シェル、わし…頑張って勉強するから
 こっちでは赤点を取らないように努力する」


 ぐっ、と強く握り締めたコブシに熱意が感じられる

 根が真面目な奴は、
 こういう時始末に終えない



 雑誌を真剣な眼差しで没頭し始める火波

 テスト直前の学生の如く、
 所々に色ペンでマークしたりノートにメモを取ったりしている


 メモの内容は確認するのが怖い

 これぞまさに、
 知らぬが仏というやつだろう





「付き合い始めて間もないというのに、
 色気の欠片も感じられぬとは情けないのぅ…」

「………こっち、来るか?
 手ぐらいなら握っていてやるぞ」


 火波が毛布を捲りあげて手招きをする

 行きたいような、行きたくないような…
 躊躇っていると火波が微かな笑みを浮かべる


「大丈夫だ、何もしないから」

 ゲイ雑誌に没頭していた奴に言われても…


 でもこういう嘘はつかない男だ

 何もしないと言うからには、
 本当に何もしてこないのだろう



「…じ、じゃあ…ちょっとだけ……」

 緊張にギクシャクしながらも、
 恐る恐る火波のベッドに身体を潜り込ませる


 火波のベッドの中は―――…物凄く冷たかった

 温もりの欠片も感じられない
 完全に冷え切ったシーツと毛布



「ひ、冷えておるのぅ…」

「体温が無いからな
 この身体では仕方が無いだろう」


「……さ、寒くはないのか…?」

「寒いに決まっているだろう
 いつも全身冷え切って凍えているんだ」


「……厚着すれば良いのに……」

「着込んでも保温出来る熱が無いからな
 本当に気休め程度にしかならないんだ」


 そう言うと火波は寂しげに微笑む



「太陽の光はこの身にとって毒となる
 わしの身体を温めてくれる存在は、
 シャワーから出る湯くらいしかないんだ」

「…いつも風呂に入っていると思ったら…
 そういう理由だったのじゃな…」

「ああ、特に綺麗好きというわけではないんだが
 わしには身体を温める手段がこれしかないんだ」


 火波の冷たい手
 それをぎゅっと握ると、シェルは彼の耳元で囁く



「…………今日からは、拙者がおるぞ」

「…ん?」

「火波を温めるの…拙者にも出来る」


 ぴったりと身体を寄せると、
 シェルは火波の胸に頬を預ける


「ほら、こうしておれば…寒くないじゃろう?」

「……そう…だな……」


 シェルの背に腕を回す
 少年の体温がじんわりと伝わってきた

 ベッドの中も、身体も、
 そして心の中までもが温もりを帯びてくる



「……気持ち良い……」

「ん…良かった…」


「今日は…このまま寝ても良いか?」

「別に今日に限らず、
 好きな時に好きなだけ一緒に寝てやる」

「……ありがとう……」


 静かに目を閉じる火波

 すっと通った鼻筋と、
 思ったより長い睫毛に気付く

 メルキゼのような華やかな美貌は無いが、
 火波の控えめな、それでも確かに端正な顔立ちはシェルを惹き付ける


 火波の吐息がかかる
 改めて至近距離に火波がいる事を感じるシェル

 ドキドキ
 心臓が激しく鼓動を始めた

 身体を密着させている火波には、
 それがしっかりと伝わってしまう



「……シェル…どうした?
 動悸が激しくなったな…心音が伝わってくるぞ」

「だ、だって…火波がこんなに近くに…」


 嬉しい
 けれど恥ずかしい

 そんな感情が身体の中でぐるぐると暴れている

 ドキドキと高鳴る胸は、
 しかし、更に火波との距離を縮めたがっていた



「……ほ、火波……」

「うん…?」


「その…何もしないという約束はしたが…」

「ああ…
 どうした?」

「…く、口付けくらいなら…
 特別に、させてやっても構わぬぞ…?」


 本当は自分がして欲しいだけなのだが
 それを素直に口には出せないシェル

 けれど火波はそんなシェルの性格をしっかり把握しているらしい



「……じゃあ…お言葉に甘えさせて貰おうか」

「う、う、うむ…て、手柔らかに…」


 火波の手が頬にかかる

 ゆっくりと重ねられる唇は、
 以前のものより温かく感じる


 火波の唇に自分の体温が移って行くのを感じながら、
 シェルは満ち足りた思いを噛み締めながら、静かに目を閉じた


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