「何処に行っていたんだ!!」



 苦心の末、ようやく元の公園に辿り着いた二人

 そんな彼らを待っていたのは、
 怒りの形相を浮かべ仁王立ちする猫男の怒号だった


「連絡もしないで何時間も…!!
 こっちがどれだけ心配したと思っているんだ!!」

「ご、ごめん…
 ちょっとトラブルに巻き込まれて…」

「トラブル!?
 火波がついてながら、何でそんな―――…」


 メルキゼが火波を睨みつける
 心配していたというよりは憎しみや恨みの感情を感じるような鋭い視線

 …が、その姿を捉えた瞬間、彼は言葉を失った




 そこにはまさに、変わり果てた姿…としか言いようのない火波が立っていた

 彼の漆黒の髪はボサボサに爆発していた
 潮風に吹かれている髪はゴワゴワで人の頭とは到底思えない


 トレードマークの赤いマントはずぶ濡れで、
 所々に擦り傷のある白い肌は無数のゴミがへばり付いている

 もう喋る気力も無いのか火波はぐったりと俯いたままだった



 あまりにも悲惨で惨めなその姿に、
 メルキゼとシェルは思わず数歩後退した

 怒りに燃えていた表情が今度は引き攣り始める




「………な、何が……何があったの?
 高架下のホームレスでさえ、もう少し綺麗な格好をしている気が…」

「だからトラブルに見舞われたんだってば
 もう…大変だったんだ、目が回るかと思った」


 実際に目を回したのが約一名

 火波の名誉を守るためというよりは、
 シェルの心情を気遣って言葉を濁すカーマイン


 流石に愛する男があんな痴態を曝していたと知ったらショックだろう

 しかし当のシェルは涼しい顔で
 相変わらずの達観振りを見せていた



「…なんじゃ…またか
 相変わらず身体を張った不幸体質じゃのぅ」


 シェルの一言に頷きながら、
 しげしげと火波を眺めるメルキゼ

 しかし、ふと我に返るとカーマインの両肩を掴む


「そ、それで…カーマインは!?
 カーマインは怪我とかしてない!?」


「俺は掠り傷一つしてないよ
 …ちょっと足が疲れてるけど」

「そう…それは良かった
 カーマインさえ無事なら、それで良いよ」



 ――…良くないって!!

 思わず心の中でそう反論するシェル
 とにかく火波の格好を何とかしないと

 こんな状態の火波と連れ立って街を歩く勇気は流石に持てない






「…火波よ、一度戻らぬか
 その姿でこれ以上出歩くわけには行かぬじゃろう」

「………すまない……」


 憔悴し切った風貌の火波

 問い質してやりたい事は山のようにあるが、
 兎にも角にも、先ずは風呂に突っ込まなければ

 このままだと職務質問を受けかねない



「じゃあ、私たちも帰るよ
 今日はこれ以上、カーマインを外に出しておきたくない」

 すっかり過保護なメルキゼ

 状況が状況なだけに心配していた事はわかるが、
 まるで生き別れの恋人に再会したかのような勢いでカーマインを抱きしめている


「…悪かったってば
 荷物、持つの手伝うよ
 流石に一人じゃ無理だろ、それ」

「じゃあ、この軽いのを頼むよ」


 流石にボロボロな火波に荷物持ちを手伝えとは言えないメルキゼ
 しぶしぶとカーマインに荷物運びを手伝って貰う




「それじゃあ…俺たちも帰るから」

「う、うむ…すまぬな」

「カーマイン、帰ったら何があったかじっくり聞かせてもらうからね!?」


 火波の悲惨な姿のインパクトに多少勢いを失っているが、
 未だ怒りは消沈していないらしいメルキゼ

 まるで帰りの遅かった子供を叱る母親のようだ



「だから私は嫌だったんだ
 ただでさえカーマインはいつも――…」

 ぶつぶつ
 お小言が止まらない


 彼らの背中が遠くなるまで、延々とメルキゼの小言は聞こえ続けていた

 火波の不幸体質は今更だが、
 今回最も不運だったのは、とばっちりを受けたカーマインなのかも知れない






 互いに無言のまま部屋に戻ったシェルと火波

 シェルは問答無用で火波を風呂に押し込むと、
 ベッドに腰掛けて、ずっしりと重い溜息を吐く


「…はぁ…何だか、一気に疲れたのぅ…」


 今日はまだ殆ど何もしていない
 なのに既に身体は疲労を訴えている

 精神的な悩みを抱えている上に、
 延々と待ちぼうけを食らわされたのだ

 疲労とストレスで、ひっくり返りそうになる



「……あ…しまった……」


 カーマインから話を聞きそびれた
 火波の悲惨な姿のインパクトで、すっかり忘れてしまった

 …まぁ、トラブルに見舞われていたのなら、
 まともに話が出来ていたのか怪しいものだが…


「悩みは解決せず、か…
 やれやれ―――…って、そうじゃ!!」


 悩みといえば

 シェルは慌てて袂に手を突っ込む
 本日新たに生まれたもう一つの悩み所

 カーマインから貰ったコンドーム
 これを隠すという作業がまだ残っていた




「ど、ど、どこに隠せばよいのじゃ…!!」


 やはりベッドマットの下か

 しかし、ここではシーツを取り替える際に、
 うっかりポロリ…という可能性も否めない

 それに、いつもシーツを取り替えてくれるのは火波だ
 彼が必ず手を出すであろう場所に隠すのは自殺行為とも言える



「ここはエロ本隠し場所の定番、
 クローゼットにするべきじゃろうか…」


 しかしこのクローゼットは火波とも共有で使用している
 ここもまた危険度が高い

 うっかり見つかってしまった場合の言い訳にも困る


 『これは防虫剤です』と誤魔化した所で、
 素直に騙されるのはメルキゼくらいのものだろう

 恐らく火波はこんな物、見慣れているに違いない


 お菓子のふりして『ガムです』と言えば、
 『ゴムだろ』というツッコミが間髪置かず入ることは目に見えている

 いや、いっそ膨らませて風船だと言い張れば―――…




 ―――…って、何をバカな事考えてるのじゃ!!


 自分で自分に突っ込み
 こんなアホな事を考えてる余裕は無い


 コンドームを持ったまま、
 隠し場所を求めて部屋中を歩き回るシェル

 いつ火波が入浴を終えてくるかわからない

 その緊張感と焦燥感で、
 頭が上手く働いてくれない



「あぁぁ…ど、どうすれば良いのじゃ…」


 道具袋を覗いてみたり、トイレの裏を覗き込んだり
 色々と見て回ったものの、これぞという隠し場所は見つからない

 こまめに部屋の掃除をする火波の目から、
 完全に逃れられる死角など存在しないのかも知れない



「むぅ〜…」


 あれから更に数十分が経過した
 流石にもうタイムオーバーだろう

 苛立ちながら乱暴に頭をガリガリと掻く
 その瞬間、シェルは大変な事に気付いた


 手に持っていた筈のコンドームが無い



「――――…っ!?」

 部屋中を隠し場所求めて歩き回っている内に、紛失してしまったらしい

 火波の視線から隠すつもりが、
 自分の視線からも隠してしまった


 大ピンチ

 自分より先に、火波が見つけてしまったら
 そんな最悪のケースを想像して、顔面蒼白になる


 慌てて周囲を見渡す
 しかし、目当てのものは見つからない




「こ、こ、こ、近藤さん…っ…!!
 何処へ…何処へ行ってしまったのじゃ…!?」


 シェルが頭を抱えた瞬間、
 背後でカチリとドアが開く

 ズタボロな姿から一変、
 さっぱりと涼しい表情で登場する火波

 ホカホカと湯気の立つ身体は洗濯したての服に包まれている


「……何をしている?」

「あ、べ、別に…!!」


 どうしよう

 このままでは火波の方が先に見つけてしまう可能性がある
 とにかく火波を何とかしなければ探し物も出来ない

 彼を部屋から出すためには―――…





「ほ、火波よ
 お主…買い物に行きたかったのではないか?」

「ああ、そう言えばそうだったな
 今からもう一度出かけても構わないか?」

「うむ、勿論じゃ」


 良かった
 これでゆっくりと探し物が出来る


「そうか…じゃあ、行くぞ」

「えっ…えぇぇっ!?
 い、いや、拙者はここで留守番を――…」


 一体何を言い出すのか
 自分が一緒に行ってしまっては意味が無い




「ほ、火波が一人で行って参れ」

「…………。」


 じー…

 途端に向けられる疑惑の眼差し
 明らか様な疑いの視線


「…お前…普段なら来るなと言っても、
 連れて行けと食い下がるくせに…どういう風の吹き回しだ?」

「…うっ…」



「さてはお前、何か企んでいるな?
 わしがいない間に悪戯を仕込む気だろう」

「い、い、いや、そんな、滅相も無い」

「…どうも態度が怪しいな
 既に何かトラップでも仕掛けたか?」


 そう言うと火波は周囲を見渡し始める


 ―――…まずい!!

 このままでは火波にブツを発見されてしまう
 慌てて火波の動きを止めにかかるシェル



「わ、わかった!!
 一緒に出かけるから!!」

 そう言うが早いか、
 シェルは火波のシャツを掴むと玄関へ引っ張って行く


 とにかく一旦、部屋を出た方が安全だ


「ほれ、早く行くぞ!!」

「こ…こらっ、引っ張るな
 …さっきから何なんだお前は…っ!!」


 眉間に皺を寄せながら、ずるずると引っ張られて行く火波

 シェルの様子が変である事には気付いているが、
 その原因については想像すらつかない火波だった







「…それで、何を買いたかったのじゃ?」

「あぁ…書店を覗きたくてな」

「ふぅん…」


 火波が読む本といえば情勢を取り扱った週刊誌

 もしくは釣りの情報誌
 たまに新聞も買って読んでいる



 どちらにしろシェルには興味の無いものだ

 シェルが好きなのはBL本
 しかも小説かコミックしか読まない


 好むジャンルが全く違うせいか、
 互いに互いの読む本には目もくれない

 シェルも興味が無いという風に、さっさと話題を変える




「…そういえばお主、カーマインと何か話したか?」

「………い、いや、厄介事に巻き込まれていたからな
 延々と走ったり歩きまわされて、そんな余裕は無かった」

「そうか…そうじゃよな…
 ふぅ…お主の難儀な体質には困ったものじゃな…」



 火波が、わけのわからない事件に巻き込まれるのはいつもの事

 どうやら既に体質の一つとして認知されているらしい
 複雑な心境だが特に何も言わずに足を勧める火波


 今回の事に限っては元凶は自分だ
 なのであまり深く追求されると苦しくなる

 シェルがあっさりと納得してくれた事に火波は安堵の息を吐いた




「…書店、ここじゃな
 頼むから釣り新聞を立ち読みなどするでないぞ?」

「ああ…手短に済ますつもりだが…」


 火波は本を買うのに時間が掛かる
 中身を流し読みしたり、記事内容を他の雑誌と見比べながら物色するのだ

 ちなみにシェルの方は立ち読みが好きではない



 読んでいる本の内容のせいでもあるが、
 とにかくシェルは一人、部屋で落ち着いて読みたい性分なのだ

 気に入った内容や絵柄の本があれば、それをさっさと買ってしまう
 だから書店に行けば、いつもシェルが待たされる事になる


 今回も、とりあえず釘は刺した
 本人も手短に済ますとは口にした

 しかし―――…


 慎重と言えば聞こえは良いが、
 結局は優柔不断な火波の買い物である


 その後、やっぱりシェルは待ちぼうけを食らわされる事になるのであった





「…火波よ…
 拙者、先に帰っても良いか?」

「も、もう少し待ってくれ
 あと10分――…いや、5分!!」

「その言葉…もう三度目じゃぞ」


 まるで借金の取立てのような会話が交わされる


「本当にあと少しなんだ
 あ、あと二冊くらい買えば終わる――…」

「帰る」

「わ、わ、待てって」


 焦る火波

 しかしシェルとしては、
 こんな所で時間を無駄にするくらいなら早く帰って探し物をしたい



「わかった、じゃあお遣いを頼まれてくれ
 外の惣菜店で朝食用のおかずを何種類か買っていてくれ」

「……今日の夕食分は?」


「外食をして帰ろう
 お前の好きな店で良い」

「…ふぅん…」



 ふと思い付く

 食事中、事故を装ってスープやソースを火波に浴びせてやれば
 そうすれば火波は帰宅するなり再びシャワー室に向かうだろう

 その間に自分は、ゆっくりと探し物が出来る


 我ながら名案だ
 にんまりと頬を綻ばせるシェル

 その意味を火波は違う意味に捉えたらしい



「…こ、こら、こっちの経済事情も考えろよ?」

「うむうむ、わかっておるから」

「……ほ、本当だろうな…?」


 イラついていた姿から急変
 急に機嫌の良くなったシェルに一抹の不安を感じる火波

 しかし、それでも不機嫌な状態よりは良い


 火波はシェルに銀貨を握らせると、
 『すぐに行く』とだけ言って再び本の物色を始めた





 本屋のすぐ向かいに小さな惣菜店がある


 ここにいれば火波とすれ違う事もないだろう
 人通りもそれなりにあって治安の方面でも安全だ

 既にここの惣菜には何度かお世話になったことがある
 書店に寄った帰りにはこの店で買い物をするのが日課だった


「…あそこの店は、試食が充実しておるのじゃよな」


 朝食が物足りなかったせいで、
 小腹が空いていた事を思い出したシェル

 つまみ食いという新たな目的を抱いて、
 シェルは意気揚々と書店を後にした



 店の戸を開くと、店の主である老夫婦が愛想良く出迎えてくれる

 耳が遠いせいで会話はあまり成り立たないが、
 優しそうな満面の笑みにはいつも癒される


 老婆はゆっくりと立ち上がると、皺の寄った手でシェルの頭を撫ぜる

 話によるとシェルと歳の近い孫がいるらしい
 どうやら彼女はその孫とシェルを重ねて見ているようだ



「おやおや…今日は一人かい?」

「拙者は一足先に来たのじゃ
 ここで待ち合わせをしておるのじゃよ」


「そうかい、そうかい
 若いのに大変だねぇ…たんとお食べ」

「…はは…ははは…」

 案の定、繋がらない会話にシェルは曖昧な笑みを返す



「揚げたてのイカリングだよ、食べて行きなさい」

「う、うむ…」


 試食用にと出されたフライ
 それを一つ摘むと口に放り込む

 気分は買い物というより、田舎の祖母の家に遊びに来た感じだ


「こっちは海老の甘酢漬けだよ
 タコの塩辛も食べてみるかい?」

「今、お茶を淹れるから
 そこに座って待っていなさい」


 おかずを載せた小皿を並べる老婆
 そして、のんびりとお茶を淹れ始める老人

 …向こうも、あまりシェルを客扱いしていない


 むしろ完全に孫扱いだ

 茶まで出されては、
 流石にシェルも顔を引き攣らせる



「いや…そんなに長居はせぬし…
 そんなに毎回気を遣わんでも…」

「いいの、いいの
 前にも言ったけどねぇ…
 あたしらには孫がいてねぇ…」


 いつもの孫話が始まった
 これは毎回のように聞かされている

 大抵の場合は火波が餌食となり、延々と長話を聞かされるのだが、
 今日はシェル一人だけなので容赦なく矛先を向けられる



「可愛い子なのよ
 目が大きくて、色が白くて…」

「そ、そう…」

 煎茶を啜りながら、酢の物と塩辛を口に含む
 いかにも老人のティータイムといったメニューだ

 適当な相槌を打ちながら渋いお茶会を楽しむ




「本当に良い子なのよ
 お嬢ちゃんを見てると思い出すわぁ…」

「げふっ…☆」


 思わず咽るシェル

 『お嬢ちゃん』って…
 ねぇ、お婆ちゃん…

 その勘違いは、ちょっと痛い…っ!!



「拙者…男の子なのじゃが…」

「お嬢ちゃんも可愛いわね
 いい人、見つけなさいよ」

「…………。」


 ダメだ
 話が噛み合わない


 しかし、どうして性別を間違えるのか
 声を聞けばわかりそうなものだが――…

 …あぁ、そうか
 彼らは耳が遠いんだった…

 それに加えてシェルはボディラインが一直線になる着物姿




「…し、仕方が無いか…」


 腑に落ちない
 納得は出来ないが理由は何となくわかる


 相手は年寄りだから、仕方が無い
 悪気は無いのだから目くじらを立てる事でもない

 そう自分に言い聞かせながら煎茶を含む



「いつも一緒に来る人…
 お父さんとも仲良くするのよ」

「ぶはっ!!」


 痛恨の一撃

 口に含んでいた煎茶を、
 シェルは盛大に吹き出した


 お父さん…お父さん…お父さん…
 シェルの頭の中で『父』という文字が飛び交う

 お婆ちゃん…


 その勘違いは破壊力あり過ぎです
 というか貴方の中で父と娘に映ってたんですか

 それはもう、耳だけでなく視力の方も危ういのでは…



 あぁ…ダメだ
 火波と顔を合わせたら思い出してしまう


「ははは…はは…ま、参ったのぅ…」


 引き攣った薄笑いを浮かべつつ、
 シェルは脱力した肢体を煎茶で励ました


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