「―――…波、火波!!」


 繰り返し名を呼ばれて我に返る

 意識が遠い所へ行っていた
 慌てて声がした方へと振り返る


「…えっ…ど、どうした?」

「それはこっちのセリフだ
 さっきから上の空で…どうしたの」


 心配しているというよりは呆れた表情のメルキゼ

 買い揃えた荷物を肩に担ぎながら、
 訝しげに火波の顔を覗き込んでくる



「……物思いに耽っていただけだ」

「ふぅん…そう?
 物思いもいいけれど、荷物は落とさないでくれ」


 特に関心は無いのか、
 それだけ言い終えるとスタスタと歩いて行ってしまう

 その背を眺めながら安堵の息を吐く火波
 物思いの内容について追求されなくて助かった





「……ふぅ……」


 メルキゼから見ても今の自分はおかしいのだろう

 自覚は十二分にある
 何せ頭の中が混乱していてまともな思考を保てないのだ


 シェルの前では何とか平静を装えたが、
 彼から少し離れた途端にこの有様だ


 混乱した頭の中で考えるのは、
 当然ながら昨夜の出来事だ

 …一体、あの子供は何を言い出すのか




「人の気も知らないで…あのガキ」


 無邪気さと子供特有の残酷さで、
 火波の身も心も引っ掻き回して追い詰めて行く

 少年の好奇心と悪戯心
 恐らくシェルにとっては軽い気持ちでの行為


 頭ではそう割り切って考えようとしている
 しかし、気持ちの方はそう簡単に整理がつかない



 …忘れられないのだ

 シェルの震える唇の感触が
 あの微かな温もりが


 ………それに

 火波の眉間に皺が寄る
 少年に対する恨みが沸々と湧き上がる




「…あいつは…自分が何を言ったのか理解してるのか…?」


 していない
 絶対していない

 深く考えず、その場の勢いで出た一言
 だからこそ余計に腹立たしい


 シェルの宣戦布告

 子供扱いに対する不満が積もり積もって出たものだろうが…
 これでもし、本当に火波が『少年が好きになった』といった場合、どうなるのか



 下手をすれば自分が火波の恋愛対象となるということを理解しているのか

 大体、言葉を深読みすれば、
 あれは火波に対して『惚れさせる』と宣言したようなものだ

 誘い文句の一つとして受け取られても仕方が無い




 とりあえず、シェルがどこまで事の重大さを認識しているのか

 それを確かめると共に、
 自分はどこまでなら許されるのか

 そのボーダーラインを見極めるために
 自分のベッドに上がるよう誘ってみたのだが――…


「……微妙…だったんだよな…」


 流石にそこまでは許せないと
 明らかな拒絶と嫌悪を示すと踏んでいた

 もしくは、そんなつもりではなかったと
 必至に言い訳をしたり、最悪の場合泣き出すかとも思っていた



 しかし、シェルの反応はそんな火波の予想を遥かに超えていた

 流石に驚いていたし、戸惑ってもいた
 …が、その表情に嫌悪感は無かった

 なによりハッキリと拒絶はされなかったということに火波は驚いていた


 昨夜、あの瞬間

 窮地に立たされたのは、
 シェルではなく火波の方だった




 もし、あの場で本当にシェルがベッドに入ってきていたら
 その時は火波の方から断るつもりだった

 …考え直せ、と

 一時の感情に流されるなと
 せめてもう少し考えてからにしろと


 しかし―――…

 心の準備をさせて欲しい、と言われてしまったら
 もう火波には何も言えなくなってしまう


 火波にとっては、あくまでもシェルの心意を探るため
 彼と接する際のボーダーラインを見極めるための言葉だった

 戯れに揶揄ったり話に乗ってみせたのも、
 全てはシェルの反応を見るためで




 …本当に抱くつもりは無かった


 相手は子供だ
 しかも自分の年齢の半分ほどしかない

 彼の面倒を見ていたユリィやセーロス

 そしてメルキゼやカーマインも、
 火波を信用した上でシェルを預けている



 例え、合意の上だったとしても

 自ら保護者を名乗っている自分が、
 この少年に手を出して、本当に許されるのか


 良心が痛む
 罪悪感が湧き出る

 そして何より、責任が重く圧し掛かる


 …逃げたい
 所詮、自分は臆病で小さな男だ

 シェルに負け犬と罵られようとも、
 逃げられるものなら逃げ出したかった







「……はぁ……」


 頭が痛くなってきた

 考え無しだったのはシェルではなく、
 自分の方だったのかも知れない



 今夜

 もし、本当にシェルが自分の寝台に上がってきたら
 一体自分はどう彼に接すれば良いのだろう


 適当な事をいって、はぐらかす事は出来る
 彼の誘いを断る口実など自分の立場からして見れば数多くある

 それを並べ立てればシェルも引き下がるだろう


 例え逆上されても、
 力で簡単に押さえ込む事が出来る

 口では勝てないが、力の勝負なら圧倒的に火波が有利だ




 しかし――…


 もし、シェルが本気だったら
 決死の覚悟を決めて自分を受け入れようとしていたなら

 その少年を前に、逃げてばかりもいられないだろう


 シェルの言葉通り、
 自分は彼を子供扱いし過ぎているのかも知れない

 そろそろ一人の男として真正面から向かい合う時期なのだろうか



 しかし、万が一の事があったら
 少年の心に自分の存在が深い傷となって残ってしまったら

 その可能性を思えば、あと一歩が踏み出せない


 …傷付けたくない
 シェルには傷一つ付けたくない

 だから、どの選択肢が最適なのか、
 どうすれば彼を傷付けずに済むのか――…


 悩む

 頭の中は、その事で一杯だ
 他の事など全く手につかない





「…あぁ……」


 元々自分は優柔不断だ
 気も弱いし、大して行動的でもない

 この100年間、面倒事は極力避けてきた

 そのツケが今になって一気に押し寄せてきたとも思える
 窮地に火波は悩み戸惑い、頭を抱えるしかなかった



「……火波、いい加減にしてくれ
 考え事をするなとは言わない、けれど足だけは動かしてくれ」

「…え――…あ、すまない…」


 いつの間にか足が止まっていたらしい
 少し前を歩いていた筈のメルキゼと、随分距離が開いてしまった

 慌てて彼に駆け寄る火波にメルキゼが眉を寄せる



「……もしかして、体調が悪いの?」

「いや、そういうわけではない」


「考え事って悩み事?
 私で良ければ話くらいなら聞くけれど」

「………遠慮しておく」


 話せる筈が無い
 もし正直に『シェルと今夜、肉体関係を持つかも知れない』なんて言ってみろ

 目の前の男は確実に卒倒する
 気が動転して店の数件は破壊するかも知れない

 最悪の場合、再び殺意を抱かれる可能性もある




「もしかして、シェルのこと?」

「……ほっといてくれ」


 野生の勘だろうか

 こういう時だけ鋭い
 厄介な事この上ない


「シェルと喧嘩でもした?
 昨日の朝の事でまだ引き摺ってるとか…」

「………まぁ…そんなところだ」


 正直に言うわけにも行かない
 妥当な所で話を合わせておく



「ちゃんとシェルとコミュニケーションとらないとダメだよ
 しっかり向き合って、目を見て話し合わないと」

「…ああ」


「シェルが火波を信頼している事はわかってる
 でも、その事に甘えてばかりいてはダメなんだ」

「んー…」


 適当に相槌を打つ

 そんな火波の態度を知ってか知らずか、
 メルキゼが声に力を入れて熱弁をふるい始める





「カーマインだって私に『俺のこと好き?』って聞いてくるんだ
 それこそ三日に一度くらいのペースで何度も何度も」

「……聞くまでも無いと思うがな」


「うん、私もそう思っていたのだけれど…
 頭ではわかっていても、言葉で確認したいらしいんだ
 改めて言って貰う事で精神的に安心するって…そう言うんだ」

「……ふぅん……」


「だから、火波もシェルに言ってあげて欲しい
 シェルの事が大切で、可愛いと思っているって
 あの子の事だから憎まれ口が返ってくると思うけれど…
 でも、心の中では安心すると思うんだ…だから、頼むよ」

「…………。」




 そういえば

 火波はまだシェルに想いを伝えていない
 そもそも伝える気などなかったが――…


 もし、今夜
 彼が自分のベッドに上がってきたら

 ……気持ちを伝えてみようか



 どうせなら、宣戦布告をした相手としてではなく、
 彼を愛する一人の男として接したい

 宣戦布告などするまでもなく
 ずっと前からシェルに惹かれていたのだと


 彼を抱くだけの勇気があるのなら、
 告白する事くらい容易い気がする


 それにシェルの立場に立って考えてみても

 成り行きで一緒になった男と関係を持つよりは、
 自分に特別な感情をもつ男を相手にした方が精神面でも良い気がする




「…火波?
 ちゃんと聞いてる?」

「ああ、聞いている」


 次の目的が出来て少し気が楽になった気がする

 どちらにしろ今夜を待たなければ
 そして、シェルの反応を見なければどうとも言えない


 シェルに想いを伝えるという選択肢が出来た事で、
 少しだけ救われた気がした

 勿論、好きという言葉が免罪符になるとは思えないが――…



「…とにかく、早く戻ろう
 シェルがついているとは言え、まだカーマインが心配なんだ」

「あ、ああ…そうだな」


 火波の悩み事よりも恋人が最優先
 カーマインを中心に回るメルキゼの世界

 凄くわかり易い男だ

 しかし、このくらいストレートな方が安心出来るのかも知れない
 少なくとも本心をひた隠し、虚勢を張って接する男よりは





「…メルキゼデク、一つ聞きたい」

「ん…なに?」


「ああ、その――…
 お前はカーマインの性別をどう思う?」

「どうって…
 健康的な成人男性だよ
 それが一体どうしたんだ?」


「…男同士という事に抵抗は感じなかったか?
 その…女だったら良かったと思ったりはしないか?」

「カーマインはカーマインじゃないか
 種族も性別も関係ないよ
 彼が私を愛してくれているという事実が一番重要なんだ」



 真っ直ぐだ
 どこまでも真っ直ぐな視線が突き刺さる

 ここまで純粋で素直になれたら
 自分はもっと楽に生きられただろうか


「…羨ましいな」

「え?
 …な、何が?」

「何でもない」





 メルキゼが羨ましい
 しかし、どんなに羨もうと自分は彼にはなれない


 それでも

 挑戦してみようか
 今夜一度限りだけでも



 彼のような純粋で柔軟な思考と心で
 全ての壁を取り払って、素の自分で向き合ってみようか

 種族も性別も――…勿論、年齢も気にせずに
 素直な感情と想いを包み隠さずに彼に告げよう


 それが一番シェルを傷つけず、
 そして自分自身も後悔しないで済む選択のように感じた

 下手に口実を並べて逃げるより、ずっといい


 全てを曝け出した等身大の自分で向かい合う事こそが、
 シェルに対する一番の礼儀であり誠意である気がしてきた

 例えどのような結末が訪れようと、
 真剣に向き合った末での結果なら受け入れることが出来るだろう


 今夜の自分が取るべき立ち振る舞いは決まった
 後は夜が訪れるのを待つだけだ

 今はこれ以上考える事はない
 そう思うと少しだけ肩の荷が軽くなった気がする



「…よし、行くぞ」

「えっ…あ、うん」


 急に元気になる火波に少し気圧されるメルキゼ

 先程までの覇気の無い状況から一変
 足取りも軽やかにサクサク進んで行く


「……まぁ…良いのだけれど…」

 首を傾げながらも、
 とりあえず火波の調子が戻ったのだからよしとする

 思考を火波の事からカーマインの事に切り替えると、
 メルキゼは早足で火波の後を追うことにした







「カーマイン!!」


 恋人の姿を見つけるなり、
 メルキゼは彼の元へ小走りで駆け寄る

 両手にかなりの大荷物を抱えているというのに元気な事この上ない


「大丈夫だった?
 モンスターハンターや戦士に声かけられたりしなかった?」

「大丈夫だって…
 それに子供じゃないんだから、
 いざという時の対処は出来るさ」



「子供じゃないから心配してるんだ!!
 子供なら見逃して貰えるかも知れないけれど、
 大人の場合モンスターだと知られた途端に退治される可能性があるから…」

「…ったく、お前は…
 相変わらずの心配性だな」


 心配したんだ、と瞳を潤ませてカーマインに擦り寄るメルキゼ
 口では困った風を装いながらも、まんざらでもなさそうな表情のカーマイン

 もしここが室内で二人きりだったら、
 熱い抱擁と口付けくらい交わしそうな勢いだ


 呆れながらも、少し羨ましい
 複雑な想いを抱えながら二人の姿を見つめるシェルと火波だった





「…で、これからどうしようか?」

「荷物を家に運ばないと…
 でも、少し休憩してからでも良いんじゃないか?」


「そうじゃな…火波も疲れたじゃろう?
 こっちに来て一休みせぬか?」

「えっ…あ、ああ」


 手招きをするシェル
 ここで断ったら心証が悪くなる

 火波は出来るだけ平静を装いながらシェルの隣に腰掛けた


 ぐにっ



「……………。」


 柔らかい感触
 …凄く嫌な予感

 再び立ち上がって、今腰掛けたベンチを確認する



「………うわ」


 そこにはガムが張り付いていた
 ベタベタと粘っぱっている

 これは確実に付着しただろう





「…ったく…すぐそばにゴミ箱があるというのに…」


 ぶつぶつと文句が口をつく

 確認しないで座った自分も不注意だが、
 そもそも、決められた場所に捨てない奴が一番悪い


「災難じゃのぅ…
 本当に、どこで何をしても運の悪い…」

「ほっといてくれ
 …ガム、目立つか?」


「うむ…少し…
 向こうの公衆トイレで洗ってきてはどうじゃ?」

「そう…だな…
 気休め程度にはなるか…」



 暗雲を背負いながら歩き始める火波を、カーマインが呼び止める


「あ、ちょっと待って下さい
 俺もトイレ行きたくて…ご一緒して良いですか?」

「え…あ、ああ」


「じゃあ拙者とメルキゼはここで荷物番をしておるから」

「うん、じゃあ行って来るよ」



 火波と連れ立って歩くカーマイン
 その心情は――…罪悪感で一杯だった


 …ごめんなさい
 火波さん、本当にごめんなさい――…っ!!

 心の中で隣の男に向かって何度も頭を下げる



 ガムを置いたのは自分だ
 それもわざわざ、ベンチの色と近いものをゴミ箱から探して持ってきた

 当然ながらシェルも共犯だ

 カーマインと火波を二人っきりにする為に、
 シェルと仕組んだものだった


 ちなみにこの案を思いついたのはシェル

 『火波は普段からガムや犬の糞を良く踏む、
  だから自分たちの仕業だとはまず気付かれない』


 そう笑顔で言い放った少年は、
 悪戯好きの少年というよりは策士の表情をしていた



「…火波さんも大変だな…」


 火波の苦労を偲ばずにはいられない

 このシェルの保護者というのは相当大変に違いない
 散々振り回され策に陥る火波の姿を想像し、目頭が熱くなるカーマインだった


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