「…どうしてくれるんだ
 お前のせいで目が冴えたぞ」


 トイレから戻るなり、
 火波は不機嫌そうにベッドに腰掛ける

 すっかり眠気が吹き飛んでしまったらしい
 退屈そうに、カーテンの合間から外の景色に視線を向けている



「元々吸血鬼は夜行性じゃろう
 無理して夜に寝なくとも良いではないか」

「少しでもお前たちの生活リズムに合わせようとしているんだ
 ある程度の規則性を持って生活しないと、
 すぐに夜型体質に逆戻りしそうになって大変なんだ」


 何とか寝付けないものかとベッドに横になってみるも、
 完全に目の冴えた状態では目を閉じる行為自体が退屈なものに感じる

 照明の落とされた薄暗い部屋の中、
 時間を持て余した火波は恨めしげに少年を見上げた



「…ふむ…じゃあ、拙者が子守唄でも歌ってやろうか?」

「絶対に要らん
 子供に子供扱いされるのは屈辱だ」



「むっ…じゃあ、お休みの口付けでもしてやろうか?」

「あんな青臭くて下手なキスで眠れるか
 せめて窒息しないようになってから言え」


 冗談めかせて言ったものだったのに、
 火波からの返答は淡々としたものだった

 少し傷つくとともに、
 一言だけでも言い返したくなるシェル





「言っておくが、息を止めたのも目を開けていたのも意図的じゃぞ!?
 あの時は状況からそうせざるを得なかっただけで…
 もしあれが普通の状況だったなら、もっと上手く出来ていた筈じゃ!!」

「無理だな」


 きっぱり
 即答で切り捨てられた

 流石のシェルも傷つく



「し、失礼ではないか!!
 確かに経験が浅いのは否めぬが…
 これから経験を積めばそれなりになる筈じゃぞ」

「お前の不器用さでは無理だ
 言っておくが、わしはキスにはうるさいぞ?
 このわしが満足するレベルに達するまで、あと数十年は掛かるな」


「数十年…って、
 下手をすれば拙者、お主の年齢越しておるぞ…」

「わしはある程度時間が経って、成熟した方が良い
 キスの技術も身体の発育も青臭いのは好きじゃない」



 要は『お前では役不足だ』と言われている状況に、
 シェルは不機嫌さも露に火波を睨みつける

 火波の言いたい事もわかる

 しかし、このままではプライドが許さない
 確かに自分は『青臭い子供』だが、子供なりにプライドは持っているのだ


 それに事ある毎に『子供、子供』と一蹴される
 そんな火波の態度も正直言って不満だ

 自分は火波が思っているほど子供ではない
 そのことを思い知らせてやりたいという気持ちが爆発する


 …このままでは引き下がれない





「前言撤回させてやる!!」

「……うん?」

「火波よ、お主の目からウロコを落としてやる!!」


 途端に火波が怪訝そうに眉を寄せる

 その表情が『子供がいきなり何を言い出すんだ』と語っていて、
 シェルの怒りの炎に油を注いだ



「目からウロコで前言撤回?
 お前、一体何をするつもりだ?」

「なにをって…決まっておろう!!
 それは勿論―――…えーっと…」


 ……そこまで考えてなかった

 火波の発言にムッとして、
 勢いに任せてつい、言い放ってしまったが…

 具体的に何をどうするか、全く考えていなかった



「…えーと…」

「…ふん、まぁ良い
 子供はもう寝ろ、話の続きは明日だ」


「ま、ま、待て!!
 拙者は本気じゃぞ、覚悟致せ!!」

「………それで?
 本気のお前が一体わしに何をすると?」


 妙に呆れた視線を向けられる

 ちょっと待ってて
 これから考えます、とは流石に言えない空気だった

 何でも良いから言わないと状況的にマズい



「え、ええと…も、もうお主に、
 子供だからといって馬鹿にはさせぬぞ!!」

「……ふぅん…それで?」


 それで…えーっと…
 えーっと…ええと…っ…!!

 どうしよう、どうしよう、どうしよう…っ!!
 何か…何か言わないと――――…っ!!



「ほ、火波…お主を、
 少年の魅力に目覚めさせてやるっ!!



 …………………。

 ………………………。

 ……………………………。



 し―――ん…



 静かだ
 完全なる静寂が訪れていた


 やがて気を取り直したのか、
 思いっきり顔を引き攣らせた火波が恐る恐る口を開く


「…お、お前…
 一体何を言っている?


 ごもっとも

 というより、
 自分言ってて意味がわからない


 ただ言えることは、勢いに任せて自分が、
 取り返しの付かない爆弾発言を口にしてしまったということだった

 そして、もう引くに引けない状況だということも薄々理解してきた



「…あ、いや…何というか…」

「シェル…お前、気は確かか?」


 ちょっと自信ありません


「せ、拙者は…ただ…
 子供だからと一蹴されるのが腹立たしくて…」

「それで…わしをショタ趣味に目覚めさせようと?」

「はは…ははは…はは…は…」


 もう笑って誤魔化すしかない


 火波よ、頼む

 大人の理解力と冷静さで、
 この空気も綺麗に流して記憶から消しておくれ…

 そう心の中で念じるシェル


 ――――…が





「…良いだろう…やってみろ!!

はぅあっ!?


「お前の挑戦、受けて立ってやる」

「えっ…いや、ちょっと…火波?」


 待て
 頼むから待て

 この展開は一体、何!?



「お手並み拝見と行こうか」

 にやり、と笑う火波
 単に話を合わせているだけのようには見えない



 とんでもない事になった





「お前がわしを美少年崇拝の道へと
 誘う事が出来るかどうか…試させてもらおう」


 どんな道だ


「お前がそこまで言い切るんだ…
 わしも受けてたってやらなければ男じゃないな」

「あ、いや、別に…」

「男と男の真剣勝負だ
 わしも手加減はしない…」



 男と男の真剣勝負
 響きだけは格好良い

 しかし勝負の果てに辿り付くのはショタ街道


 火波よ…
 それでいいのか?


 というか、それ以前に
 どんな勝負になるのか見当も付かない


 そして一体自分は、
 何をどうすればよいのか





「…あぁ…何でこんな事に…」


 これからの事を考えると、
 ズキズキと頭が痛くなってくる

 あんな意味のわからないことを口走ってしまった自分が悪い
 しかし、そんな挑戦を真に受ける火波も火波だ


 …一体あの男は何を考えているのか
 普段の彼なら鼻で笑って受け流しそうなものなのに

 いよいよ火波がわからなくなってくる
 そして、わからないと言えば今後の自分の立ち振る舞いだ



「…はぁ…」

「どうした?」

「…………何でもない」


 そうだ
 明日、カーマインに相談してみよう

 彼ならショタの魅力について良いアドバイスをしてくれそうだ

 そうと決まったら早く寝よう
 そして、朝早くカーマインの元へ――…!!



「じ、じゃあ拙者はもう寝るから!!」

 そそくさとベッドに横になる

 布団をかぶろうとしたそのとき、
 隣りで寝転がる大男が重々しく口を開いた


「シェル」

「な…なんじゃ?」

「隣り、来ないか?」


 は?

 恐る恐る隣りに視線を送ると、
 そこには自分に向かって手招きをしている男の姿



「…少年の魅力、教えてくれるのだろう?
 口で説明されるより、肌で感じた方が理解出来る」

「えっ…?」

「初めてだろう?
 心配するな、優しくしてやる」


 待て
 展開が早過ぎる




「むっ…無理!!
 無理じゃああああっ!!」


 そっち方面には全く考えてなかった

 当然ながら心の準備が全く出来ていない
 ついでに言えば、身体の準備も出来ていない


「あぁぁ待って、待っておくれぇ!!
 確かに互いに風呂は済ませたが…
 まだ何の心構えも…と、とにかく今はまだ無理じゃっ!!」

 わたわたと両手を振り回しながら、
 真っ赤に顔を染めた少年が叫ぶ



「ま…まずは、
 手を握るところから始めよう!!


 ―――…って、何を言ってるんじゃ拙者はっ!!

 咄嗟に口をついて出た言葉の、あんまりな内容に
 思わず両手で頭を抱え込むシェル




「…シェル…寝込みを襲って、
 唇を奪う奴の言葉とは思えんぞ」


 返す言葉が無い

 それ以前に、
 初対面で手より先に股間を握った奴の言うセリフではない


「…と、と、とにかく!!
 いきなり今夜と言われても困るのじゃ!!
 こ、こっちにも、い、色々と準備が――あ、あ、明日にせいっ!!」


 ―――…って、
 明日もダメじゃあぁぁ――…っ!!


 勢いで、つい!!
 とてつもねー事を言ってしまったぁ!!

 墓穴ざくざく量産中!!


 穴があったら入りたい心境
 でも、墓穴に入るのだけはご勘弁っ!!





「…ふぅん…明日、か…」

「いやいやいやいや!!
 待て待て待て待てっ!!」

「ああ、明日を楽しみに待っている」


 違う!!

 火波よ…お主は今、
 爽快なまでに勘違いしておるぞ!?



「…ふぅ…話している内に疲れてきたな
 これならそろそろ眠ることも出来そうだ」


 寝るな

 …いや、むしろ寝て貰った方が好都合なのか
 変な気を起こさないで、このまま素直に寝て貰った方が…


 あぁ、でも!!
 とにかく誤解だけは解かなければ!!

 じゃないと、明日――…
 さらば少年の日々的展開が訪れてしまう




「こ、こんな事で大人の階段上りたくない…っ!!」


 決して火波が嫌なわけじゃない
 しかし、どうせなら相思相愛になってからが良い

 火波が自分を愛してくれるようになってから


 そうだ、彼にそう説明しよう
 火波が少年も愛せるようになったら

 その時は自分も彼と寝床を共にしようと

 何だか筋が通っていない気もするが、
 それしか言い訳が思い浮かばないのだから仕方が無い




「…ほ、火波――…!!」

 シェルが横たわる彼に近付く
 そして意を決して声をかけると


「……くか…―――…すぴ…――――…」


 見事な寝息が返って来た

 …寝てる
 完璧に熟睡してる


 幸せそうな寝顔
 穏やかな寝息

 火波はすやすやと夢心地だった



「何でこんな時に限って、
 抜群に寝付きが良いのじゃぁ――…っ!!」


 がっくりと脱力すると、
 そのままベッドに倒れ込むシェル

 もういい
 どうにでもなれ

 ただし陥落だけはするものか


 心の中で、まるで呪いのようにそう呟きながら、
 シェルも布団をかぶると瞳を閉じる

 港町の空は既に日が昇り始めていた


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