「……どういうつもりだ」


 静かな問いかけ

 火波は上体を起こしたまま、
 真っ直ぐにシェルへと視線を向けている

 その口調からも表情からも、感情を読み取る事は難しかった


「…ほ、火波…」

「どういうつもりかと聞いている」

「……そ、それは……」



 俯いたまま口篭るシェル
 隠していた悪戯が見つかってしまった子供の心境だ

 しかし、怒られる事よりも嫌われる事の方が怖い


 一刻も早く謝るべきか
 それとも言い訳を並べ立てるべきか

 どちらにしろ、とにかく何かを言わなければならないのに、
 焦りとショックから混乱を起こした頭は完全に機能を停止していた



「…ええと…その…その……何というか…」


 どういうつもりかと聞かれても、答えなんて一つしかない

 好きだから
 火波が好きだから

 だから、つい唇を重ねてしまったのだと
 しかし当然ながら、そんな事が言える筈も無い



「………ええと……」


 何とかその場を凌げそうな言い訳を考えようとするが、
 パニックに陥った頭では言葉が思い浮かばない

 時間が進むにつれて部屋の雰囲気も悪くなって行く


 きっと火波は怒っているだろう
 痺れを切らせて、平手打ちくらいは食らうかも知れない

 どちらにしろ状況は着実に悪い方へと進んでいる



 どうしよう
 このままでは本当に嫌われてしまう

 先程まではあんなに幸せだったのに
 一気に不幸のどん底に突き落とされた


 悪い事をしたからだ
 悪戯心からとは言え、火波の寝込みを襲ったから

 だからバチが当たったのだろうか
 ただ火波の事が好きなだけだったのに


 ……泣きたくなってきた






「―――――……。」


 黙ってシェルの言葉を待っていた火波

 しかし俯いたままの少年が、
 今にも泣き出しそうな表情をしている事に気付く


「し、シェル…!!」


 慌ててベッドから飛び降りると、
 うっすらと涙を浮かべた少年の頬に手を伸ばす

 …が、伸びて来た手に露骨に反応し肩を震わせるシェル
 明らかな恐怖と拒絶を発している少年の態度に火波はショックを受けた


 怯えた少年の眼差し
 伸ばされたその手に震えながら身構えている

 その様子から火波はシェルが誤解している事に気付く



「ち、違う…違うんだ!!
 お前を殴ろうとしたわけではない!!」

「…だって…火波、怒ってる…」


 ようやく返って来たのは蚊の鳴くような声
 震えたその声色に火波は焦りを覚える

 誤解だ
 完璧に誤解されている


「怒ってないっ!!」


 慌てて言い返して気付いた

 こんなに声を荒げていては説得力が無い
 自分の声は、ただでさえ低いのだ

 まずは自分が落ち着きを取り戻さなければ、少年を怯えさせてしまう




「…シェル…悪かった」

 火波はシェルの隣りに腰掛けると、
 宥めるようにその背をさする


「全てわしが悪かったんだ
 だから…許してくれ、お前を泣かせる気は無かったんだ」

「…な、何で怒ってないのじゃ…?
 だって…あんなこと、してしまって…」



「それも、わしのせいだろう?
 薄々気付いてはいたんだ…」

「ええっ!?」


 目を見開いて驚くシェル
 火波は一体、何に気付いていたというのか

 まさか、秘めていた筈のこの想いに――…


「わしが昼間、あんな事を言ってお前を揶揄ったから
 だから試しにキスの一つでもしてみたくなったのだろう?
 お前は執念深い上に好奇心旺盛な子だからな
 流石にわしの唇で試されるとまでは想像していなかったが」

「……………。」



 思っていたよりは近い
 でも確信にはまだまだ遠い

 そんな微妙な答えが返ってくる


 ホッとしたような
 でも少し残念なような…

 そんな複雑な心境を抱えながらも、
 シェルは窮地を脱した安堵感に胸を撫で下ろす




「………60点じゃな
 ったく…驚かせおって…」

「…何だ、まだ他に理由があるのか?」


「えっ…あ、あ、いや、別に…」

「……そうか…残念だな…」


 火波は一瞬だけ寂しそうな笑みを浮かべると、
 その表情を隠すかのように立ち上がり、自分のベッドへと戻ってしまう



「…ほ、火波…?」

「悪いがわしは先に休ませて貰うぞ
 まだ酔いが完全に抜けてないみたいだ」


 言葉の通りベッドに横になると、
 即座に眠る体勢になる火波

 その姿を眺めながらシェルは言いようのない寂しさが込み上げて来るのを感じていた



 彼の機嫌を損ねずに済んだのは奇跡的だが、
 まるで何事も無かったかのように振舞われる事が寂しい

 初めての口付けが『子供の好奇心』という言葉で片付けられてしまった


 火波にとっては単なる子供の悪戯
 今まで交わしてきた口付けの内の一つにすらカウントされない

 それが寂しくて悔しかった




「…火波…」

「何だ?」


「…………別に……」

「そうか」


 あっけなく終了してしまう会話

 もっと話していたい
 でも、眠りを妨げてしまうのも悪い気がする

 躊躇うシェルに今度は火波の方から口を開いた



「…一言だけ言わせて貰うが――…」

「な、何じゃ?」


「キスの時に息は止めるな
 それと、目も閉じた方が良いな」

「………………。」


 ダメ出しを食らってしまった

 起きているとは思わなかったから、
 気を遣ってわざと息を止めていたのに

 ムッとしながらも、こんな事で怒るのも馬鹿らしいと思い適当に流す




「…あー…はいはい…
 どうせ拙者はお子様のキスしか出来ぬよ…」


 …悔しい

 あと10年…いや、せめて5年遅く彼と出会えていたら
 きっとこんな風に子供扱いされる事も無かった筈だ


「…くっ…火波め…
 すぐに成長して目に物を見せてやる――…」


 ……………。


 …ちょっと待て

 目に…見る……って…
 見るって…まさか…!!



「ほ、ほ、火波っ!?
 ま…まさか見ておったのか!?」


 口付けの時、シェルが目を開けていたかどうかなんて
 火波自身がその光景を見なければわかる筈も無い

 彼が起きていたことはわかった
 しかし―――…まさか、目まで開けていた!?


 見られていた!?

 緊張に震える姿も、
 真紅に染まった頬も…全て!?



「何事かと思ってな…薄目を開けて様子を窺ったんだ」

「――――……!!!!!」


「お前が近付いてくる気配は察していたが…
 まさか、あんな展開になるとは予想だにしていなかったな」

「じゃあ何でその時に声をかけてくれなかったのじゃ!!
 寝たふりをし通すなんて、趣味が悪いと思わぬか!?」


 しかも薄目を開けて、
 その光景を眺めているなんて

 そんなの反則だ




「口が塞がっていたんだ、仕方が無いだろう!!
 それに、あのタイミングでリアクションを起こす勇気が出なかったんだ!!」

「威張って言うでないっ!!」


「だって、あの状況でお前と目が合ったら気まずいじゃないか!!」

「他にも方法があるじゃろう!?
 さり気なく右手を上げて合図をするとか!!」


それは歯医者だ!!

 反射的に突っ込みを入れる火波
 最近、突っ込み上手になってきた気がするのは気のせいだろうか



「仕方が無かったんだ
 あの時はわしも硬直していたし…」

「寝たふりを決め込むなら、
 最後まで黙ってそれを貫き通せ!!
 お主が途中で起き上がったせいで、
 拙者がどんな気持ちになったか――…!!」


「ほう…どんな気持ちだ?
 キス泥棒が発覚した犯罪者の心境とやらは?」

「お茶を淹れようとして、ついうっかり、
 湯飲みの中に茶葉を入れてしまった時のような――…」


「そんなお茶の間的な例えを出すなっ!!
 というかリアルに平凡過ぎて緊迫感が全く伝わらんぞ!?」

 むしろやってもうた感がひしひしと伝わってくる



「…わしだって気まずかったんだ
 起き上がるかどうか悩んだんだが――…」

「なぜ、寝たふりを決め込まなかったのじゃ?」


「そ、それは……」

「…うん?」


トイレに行きたくなったんだ


 …………。

 さて、この男をどうしてくれようか


「ただ、あのまま何事も無かったかのように起き上がって、
 当たり前のようにトイレに直行するのも勇気が要ると思ってな
 とりあえず一言お前に声をかけたほうがいいかと――…
 まぁ、何だかんだで行くタイミングを逃してしまったわけだが」


「な…なんて馬鹿馬鹿しい理由で…」

「…あぁ、念の為に言っておくが、
 キスに下半身が反応したわけじゃなくてだな
 純粋な生理現象で…ほら、あれだけビール飲んでたから」

言われなくてもわかっておるわ!!


 流石にそこまで想像力は逞しくない



「じゃあ、さっさと行けば良いじゃろう!!
 悠長に自分のベッドに寝てる場合か!!」

「いや、それが…
 話してるうちに尿意が遠のいてしまってな
 シェル、お前ならこういう時どういう行動をとる?
 とりあえずトイレには行った方が良いのかどうか…」

「…………………。」


 今なら奴をトイレに監禁しても許される気がする





「…ったく…こっちは寿命が縮まる思いだったというのに…
 あんな無表情で『どういうつもりだ』なんて聞いてくるから、
 怒らせたと思って竦み上がってしまったではないか」

「いや…何となく聞いてみたくなってな
 もしかすると、良い答えが返ってくるんじゃないかと期待していたんだ」


「…良い答えって…何じゃ?」

「お前もようやく、このわしのダンディな魅力に気付いたのかと…」

寝言は寝て言え



「大人の魅力を理解出来ないとは、まだ子供だな」

「ヘタレな犬男に大人の魅力を見出せという方が無理があるじゃろう」

「これでも昔はそれなりにモテていたんだ
 438人の女がいれば、その内の17人くらいはわしを選ぶぞ?」


 少なっ!!

 数字のリアルさが物悲しい
 そしてその数値はモテる部類に入るのだろうか




「そ、それにこう見えて意外とこの顔が役立つ事もあるんだ」

「…ほぅ…?
 それは例えばどんな時じゃ?」


「わしの顔は店で買い物をするときに効果を発揮するんだ
 店員に『顔色が悪いからもっと食え』と、
 かなりの確率でオマケして貰えるんだ…どうだ、お得だろう!?」

「………………。」


 しーん…


 誇らしげに胸を張る火波の背後を、
 どこか虚しい風が通り抜ける

 遥か彼方で鳴らされる汽笛が切なさに拍車をかけるアクセントとなった



「…火波よ…それ、
 自分で言ってて悲しくならぬか?

さて、トイレ…

逃げるな


 そそくさとトイレに駆け込む火波の姿を、
 生温い視線で見送りながらシェルは軽く息を吐く



「…火波よ…
 確かに拙者は子供かも知れぬが
 じゃが、これだけは断言できるぞ…?」


 火波にダンディさは皆無だと


 まぁ良い

 イマイチ格好良く決まらない所も、
 どうしても二枚目に昇格出来ない三枚目キャラな所も

 そんな所全てをひっくるめた火波が好きなのだから――…




 ゴンっ

 突然鈍い音が響く


「いたたたたた…っ!!
 べ、便器に足の小指ぶつけた…っ…!!」

「………………。」



 …そう、たぶん…好きな、はず…


 無様にズボンをずり下げたまま、
 片足を抱えてピョンピョン跳ねる男に白っぽい視線を送りながら

 相変わらずな火波の姿に額を押さえるシェルだった 


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