「…この辺に火山はあるのじゃろうか…」


 火波が淹れたコーヒーを片手に眠そうに目を擦る
 シェルは欠伸を噛み殺しながら地図に見入っていた

 しかし如何せん屋敷同様古い地図だ
 土地の名称も町の場所も変わってしまっていて参考にはならない

 地名や国境はこの際気にせずに、シェルはとりあえず目立つ山に目星をつける



「高い山だからといって火山とは限らぬしのぅ…
 じゃが…その辺の山を片っ端から当たるのも気が遠くなる話じゃし…」

 本気で気の遠くなる話だ
 先は果てしなく長そうだ

「やはり基本は情報収集じゃな
 まず村へ行って話を聞いて行き先を決めることにして…」


 シェルはなかなか具体的なプランを立て始めた
 このままでは後数時間で旅立ってしまうだろう


 ―――…しかし、このまま行かせてたまるか!!



 このまま無粋に襲うのは自分の吸血鬼としての美学に反する
 獣の姿をしているとはいえ、百年余り生きた誇り高きモンスターだ

 獲物をただ捕らえて貪るだけではつまらない
 手足を拘束し、恐慌状態に陥らせてからじっくりと弄るのが火波のやり方だ

 そう、獲物に対して常に余裕を見せつけて、優位に立たなければならない
 いかなるときも優美に余裕のある立ち振る舞いをするのが美学なのだ


 …シェルに対しては今更というような気がするが…


 とにかく、これ以上がっついている姿を晒すのはもう勘弁だ
 力の差と言うものを教え込み、本来のペースを取り戻さなければ

 本来ならば意識の無いうちに捕らえ、目覚めと共に恐怖の底に陥れてやりたかった
 しかしこの際、手段は選んでいられない


 今、彼を捉えなければ取り逃がしてしまいそうなのだ





「さて…それでは拙者、そろそろ失礼致そうかのぅ…」

「――待て、吸血鬼の屋敷に踏み込んでおきながら、
 まさか無事で帰ることが出来るなどとは思っていないだろうな…?」


 シェルに気付かれないよう、さり気なくマフラーの裾をつかむ

 その姿はまるでリードにつながれた犬状態だ
 下手に暴れれば首が絞まり窒息もしかねない

 これで、そう簡単には逃げられないだろう




「…む…何じゃ?」

「お前はもう、この屋敷から出ることは叶わない
 ここで一生涯、わしの餌として生きるのだ…!!」

 マフラーの裾を強く引くと、シェルの小さな身体はあっけなく床に転がる
 どんなに気丈な性格をしていようと、力の面で子供がモンスターに敵う筈がない


「痛いっ!!
 火波、突然何をする…!!」

「そう暴れるな、命を奪うつもりは無い
 ただ、わしの腹が減った時に少しばかり血を貰えれば良い」

「もう血はくれてやったではないか!!
 それに拙者はお主の餌になる気は無い!!
 拙者はこれから故郷を探す旅に出るのじゃ!!」



 起き上がって逃げ出そうとするシェル
 しかし火波の方が一瞬、行動が早かった

 再び床に引き倒されたシェルは衝撃に低く呻く
 苦痛に歪む表情は火波の好むもののひとつだ

 けれどゴーグルが邪魔で折角の表情が見えない



「…こんなもの、もう必要ないな」


 顔半分を覆うゴーグルを毟り取る

 男の容姿など今まで興味も無かったが、
 自分の餌となるのであれば美人な方が良い


 シェルは掛け値無しの美貌と言うわけではないが確かに整った顔立ちをしている
 強い光を湛えた大きなラピスラズリの瞳が真っ直ぐに火波を射抜いていた

 どちらかと言えばツリ目より垂れ目の方が好みだったが、
 この際不細工でなければどちらでも良い


「わしは手元にお前を置いておきたいだけだ
 こんなに美味な餌にはそうそうお目に掛かれない…
 この屋敷の地下にお前の部屋となる牢獄を用意してやった
 まぁ、大人しくするというのなら、ある程度の自由はくれてやるが――…」

「―――ふざけるでないわっ!!」

 少年の細い腕が弧を描く

 真っ二つに切られたマフラーが床に落ちる
 それと同時に火波の身体に焼け付くような激痛が走った





「――…っ…!!
 相変わらず抜け目無いな…まさか武器を隠し持っていたとは…」

「刀の一本も持たずに夜道を歩くような無謀者ではないわ
 懐に小刀を仕込んでいる事ぐらい、モンスターならば察していると思っておったが」


 床に紅い染みが広がる
 躊躇い無く刺された傷は決して浅くは無い

 素早く体勢を立て直し、刀を構えたシェルを前に火波は不本意ながらも後ずさる
 思いの他、シェルの構えには隙が無い

 利き腕をやられたのは不覚だった
 傷口から失血しているのも分が悪い



「くっ…小童と見て油断したか…」

 しかし、火波の武器は爪だけではない
 獲物の生き血を啜るための牙こそが最大の武器

 火波は地を蹴るとシェルに飛び掛った
 鋭い爪を大きく振り上げ、獲物目掛けて振り下ろす


 響き渡る金属音



 咄嗟にシェルが小刀で爪を受け止める
 火波は勝利を確信した

 爪の攻撃は囮に過ぎない
 これでシェルの武器は封じた

 あとは牙をその白い肌に突き立ててやれば良い



「―――小童、覚悟…!!」

 無防備な首筋を狙って齧り付いた
 血飛沫が宙を舞う



「ぎゃあぁ――――…っ!!」


 悲鳴が空間を劈く
 どろりと流れた血が床に大きな染みをつける

 冷たい床に倒れ込んだのは火波の方だった



「な…何故…」

 牙は完璧に獲物を捕らえた―――…筈だった


 火波の視界に映ったもの

 それは今まで持っていたものとは違う一回り大きい刀
 刀身を鈍く照らす己の血




   



「ふん…武器が一つと思い込むでない
 拙者の二刀流の腕を思い知ったか…犬めが」


 シェルは冷めた瞳で刀についた血を拭う
 そのまま火波には目もくれず、少年は踵を返して部屋を出て行った


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