「……はふぅ……」


 多少の熱が含まれた息が漏れる
 シェルは心ここにあらずといった眼差しで宙を眺めていた

 どうやら未だ興奮が醒めないらしい



「…どうだ、初観劇の感想は?」

「凄かった…」


 演劇を観るのが初めてだというシェルは、
 とにかく場の雰囲気や役者の演技に呑まれっぱなしだった

 壮大な舞台道具に豪華絢爛な衣装
 歌って踊るその様は劇というよりミュージカルに近い


 初めての経験尽くしのシェルは感動の連続で疲れ果てていた




「…あ、あんな大人数が目の前で踊る様など初めて見た…」

「演技力も歌唱力もなかなかのものだった
 それにスケールも大きかったから見応えがあっただろう」

「う、うむ…凄い迫力じゃった…!!」



 劇の内容はありふれたラブストーリー

 しかし実戦さながらの剣技や馬術を盛り込んだアクションや、
 役者総出で奏でるハーモニーは見事としか言いようがない


 特にラストシーンの主人公とヒロインが舞踏会で踊るワルツは、
 本物の王宮で開かれる舞踏会のような凝った演出がされていた


 その技術力の高さには周囲の観客からも感嘆の声が上がっていた





「…綺麗だったのぅ…」

「ああ、全体的にレベルが高かった
 この劇団の作品ならまた見ても良いな」

「うむ!!
 いつかまた観よう!!」


 満面の笑みで頷くシェル
 無邪気なその笑顔に火波の頬も緩む

 こんなに喜ぶシェルは久しぶりだ
 宿に戻ってからもシェルは劇の感想に熱弁をふるい続けていた



「…お前がそんなに観劇好きだとは思わなかったな」

「記憶がない分、あらゆる経験が新鮮に感じてのぅ…
 劇一つにもここまで感動出来るのじゃよ…拙者って、お得じゃろう?」

「…………。」


 シェル本人は茶化して言っているが、
 記憶喪失という決して楽観視出来ない状況であることを改めて感じてしまう


 笑い飛ばす事も出来ず火波は曖昧に流す事しか出来なかった

 暗くなりかけた空気を察したのか、
 シェルは火波のマントを掴むと軽く引っ張る



「…うん…?」

「のど渇いた
 ジュース買って」


 シェルが指し示した方向には公園
 そして公園の中央にはジュースを売る露店があった



「……ああ、少し休むか
 少し風が冷たくなってきたな、寒いようならわしのマントを――…」

「ええと…拙者は桃か梨のジュースをLサイズで
 あとそこのドライフルーツみたいなのも欲しい」

「……人の話を聞け……」


 相変わらず少年にいいように流されながら、
 それでも二人分のジュースとフルーツを購入する火波だった






「……ふぁ〜……」


 ベンチに腰掛けながらジュースをすする少年は、
 本日何度目かの欠伸を噛み殺す

 寝不足のツケが今になって回ってきたらしい


「おい、ここで寝たら確実に風邪を引くぞ
 ジュースよりもコーヒーの方が良かったんじゃないか?」

「市販のコーヒーは甘さが足りなくて嫌なのじゃ…
 ミルクとハチミツをたっぷり入れたやつじゃないと飲めぬ…」


 メルキゼの味付けにすっかり舌が馴染んでしまったらしい
 そう言えばシェルが買ってくる菓子類も甘いものが多くなってきている


 それほど甘いものに喜びを示さない火波は達観してそれを見てきていたのだが――…




「…最近、子供の糖尿が増えてきているらしいからな、気をつけろ」

「どうも話を持っていく方向が年寄りくさいのぅ…」

「長年生きているとな、色々と老け込んでくるんだ」


 そう言いながらトマトジュースをすする火波

 もしかすると渋茶も似合いそうな気がする
 縁側に座らせたらさぞかし様になるだろう



「…火波よ…お主、枯れてきてはおらぬか?」

「失礼な、余裕で現役だ」


「不老不死のわりに、日増しに老け込んできておるように見えるのじゃが…」

「誰のせいだと思ってる…」


 苦笑を浮かべつつシェルに視線を向けると、
 彼の視線は火波とは別の方向に向いていた


 都合の悪い事は無視
 やれやれ…と溜息を吐きつつも、つられてその視線を追う


 シェルの見つめる先には両親と手を繋いで散歩する幼い少年の姿があった

 年の頃は2、3歳だろうか
 無邪気に両親と戯れている


 その光景をシェルはどこか遠い目で見つめていた





「…親子連れか…」

「うん?」


「拙者も幼い頃は、両親に遊んで貰ったのかのぅ…
 手を繋いで公園へ行って、ボールや小鳥を追いかけて…」

「…………。」


「少し…羨ましい…」

「………シェル……」



 幼い少年と自分を重ね合わせて、
 静かに微笑むシェルの横顔が何故か泣いているように見える

 本来支えとなるべき楽しい過去も、
 幸せな記憶も全て失ったのだ

 …やはり、淋しいのだろう



「…シェル、わしには幼い頃のお前と遊んでやる事は出来ない」

「そう…じゃな
 そんなの、当たり前じゃ」

「ああ、誰も幼い頃に戻る事は出来ない
 その点に関して、わしは何もしてやれないが――…」


 火波が一瞬、視線を遠くへ向ける
 つられてその方向へ振り向くシェル

 そこには公園で憩いのひと時を過ごす若者たちの姿があった



 二十代と思われる若い男女
 恐らく恋人同士だろう

 男はバスケットからクッキーを取り出すと彼女の口元にそれを運ぶ
 恥ずかしそうに頬を染めながらも、彼女はそれを口に含み嬉しそうに微笑む


 完全に二人の世界に入っているカップルに、見ているこっちが恥ずかしくなる





「――――…シェル」

「うむ……?」


「はい、あーん」

「……………は?」


 火波の手には黄色い果肉
 先ほど買ったマンゴーのドライフルーツだ

 それをシェルの口元に突き出しながら火波は再び、



「…シェル、あーん」

「………………。」


 待て
 頼むから待て


 ―――…何なんだ、この展開は


 何を考えている、とか、
 気でも触れたのか――…とか


 問い詰めたい事は次から次へと湧き出てくるのだが




「ほらシェル、アーンして」


 にっこり

 見慣れない笑顔を浮かべた男が口にする耳を疑うようなセリフ
 何故か見てはいけないモノを見てしまったような罪悪感を抱くシェル

 悪い夢を見ているのなら一刻も早く醒めて欲しい所だが、恐ろしい事にこれは現実だ



「…………。」


 さて、どうしたものか


 とりあえず自分が何か行動しない限り、
 この男は次の動作に移りそうにない

 謹んで遠慮したいところだが、それはそれで色々と怖い
 一先ず素直にそれを口に含むシェル



 もぐもぐもぐ――…


 乾いた果肉は咀嚼が思うように行かない
 それに、思ったより甘くて喉が渇く

 ジュースを一口含んで口の中の物を飲み込んでから、
 意を決して火波と向かい合う


 とにかく、これだけは言ってやりたい




「…火波よ…そんなドスのきいた声で『あーん』とか言われても…」

「わしの声が低いのは今に始まった事ではないだろう」


「笑顔が逆に迫力あって怖いし…」

「真顔で言われても困るだろう」


「まぁ…それはそうなのじゃが…
 そもそも一体、何を企んでおるのじゃ?
 拙者、お主が気でも狂ったのかと思ったのじゃが」

「ああ…今のは失敗だったな」


 そう言ってバツが悪そうに頭をかく火波
 しかしすぐにシェルに向かい合って口を開く




「つまり、わしが言いたかったのは…だ
 過去に戻ってお前と遊んでやる事は出来ないが、
 今のお前に様々な経験を積ませてやる事なら出来る…と、言いたかったんだ」

「あー…そうだったのか……じゃが、
 だからっていきなり『あーん』はないじゃろう…っ!!」


「メルキゼデクやカーマインがしないような事を…と思って…」

「…だからと言って、目の前のカップルの真似をされても困るのじゃが…
 これでも拙者は思春期のデリケートな年頃なのじゃぞ?
 突然そんな事をされたら…その、恥ずかしいではないか!!」


 驚いていた心が静まってくると、
 今度は恥ずかしさがこみ上げてくる

 じんわりと耳の先が赤くなって行くのがわかった



「ああ、もうしないから許せ
 不快な思いをさせて悪かった」

「…あ…い、いや、不快とか、そいういう気はしておらぬぞ!?
 ただ、その―――…も、もう少し場所を選べと言っておるのじゃ!!」


 驚いたように目を見開く火波を軽く流し、
 そのままの勢いに任せてシェルは尚も言葉を続ける



「拙者は白昼堂々人前でそのような行為は望まぬ
 じゃが…まぁ、戯れ程度なら時と場合によっては彼らのような行為も悪くは―――…」


 そこでシェルの言葉は唐突に途切れた

 原因はシェルが視線を送った例のカップル
 戯れ程度に互いに食事を食べさせ合うくらいなら構わない

 しかし事もあろうか二人の世界に浸っていた彼らは、
 思いっきり肩を寄せ合い――…しっとりと唇を重ねていた



「――――……☆」


 あんぐりと口を開いたまま固まるシェル

 あまりにもタイミングが悪い
 そして色恋沙汰に不慣れな少年には少々刺激が強過ぎた

 完全に言葉を失い口をパクパクさせるシェルの横で、
 火波は少年の背を肘で突きながら意地悪く笑う


「……つまり、人気のない暗い場所でなら戯れに唇を重ねても良いと?」

「―――…っ!!!!」



 一気に体温が上がった少年は全身真っ赤だ

 そんなシェルの隣りで肩を震わせる火波
 日頃受けている仕打ちの反撃とばかりに言葉を続ける


「…そうか…成る程な
 メルキゼデクにもお前の要望を反映しろと言われている
 今のお前の話は真摯に受け止め、今後のコミュニケーションの一環として考えておこう」

「ま…ま、ま、ま、ままま待てっ!!」



 勿論、彼が冗談で言っている事はわかっている
 それは火波の悪戯っぽい口調や表情で百も承知だ

 しかし、だからと言って笑って流すことも出来ない
 そして冗談を返すだけの余裕が今のシェルには無かった


 何せシェルは今朝、改めて火波への想いを認識させられたばかりなのだ

 それからすぐに火波からの恋人発言に驚かされ、
 その後のデート(?)で不意打ちの戯れで心を乱されていた所に止めのこの一撃


 ここまでされて平常心を保ち続けろという方が無理だった





「…子供には刺激が強すぎたか」

「むぅ〜〜〜…っ!!
 も、もう知らぬわっ!!」


 シェルは真っ赤に茹で上がった頬を冷まそうと、
 ジュースを一気に煽りながら立ち上がる

 ドライフルーツを自棄食いしながら当ても無く公園内を歩く


「本気に受け取るな、冗談だ」

「そのくらい、わかっておるわっ!!」


 余裕の表情の火波が憎い
 そして相変わらずの子供扱いが悔しい

 何より一向に鳴り止まない胸の動機が腹立たしい
 こんな冗談でドキドキしている自分が嫌になる






「わしが悪かったから、機嫌直せ
 ほら、向こうでフリーマーケットを開いてるぞ」

「お金」

「…………。」


 抜け目無く手を差し出してくるシェル
 相変わらずの、たかり上手

 子供扱いを不満に感じながらも、
 子供である事を最大の武器として活用している

 その逞しさに火波は心の中で白旗を掲げた



「無駄遣い禁止だからな
 足りない分は自分の小遣いから出せ」

 手の平に硬貨を乗せてやると、
 それをちゃっかり懐にしまう少年

 すかさず火波が窘める


「こら、余った分は返せよ?」

「……けち…」


 不満を口にしながらも『ならば全部使うまで』と、
 早速並んだ品物を物色し始めるシェル




「…古い品ばかりじゃのぅ…」

「まぁ…フリーマーケットだからな
 こうやって要らない物を売ってリサイクルするんだ」


「成る程のぅ…
 …古い…要らない…か」

「こら、何故そこでわしを見る!?」

「気のせいじゃ
 さて…掘り出し物はあるかのぅ…?」



 ふらりと、何気なく覗き込んだスペース
 そこには大量の衣服が積み重ねられていた

 どうやらここでは、古着を専門に売っているらしい
 手持ち無沙汰に、その内の一枚を手にとって見る


 それは鮮やかなデザインのジャケットだった
 上品なレースと紫のコサージュが縫い付けられている

 女物のようだが…随分と大きい
 火波やメルキゼでも充分に着られそうだ

 試しに火波の肩に当ててみる



「…ぴったりじゃな…」

「やめてくれ…」

 顔をしかめる火波
 その横で店員と思われる女性が口を開いた


「きゃあ、お兄さん似合うわぁ〜!!」


「ぬぅっ!?」

「うをっ!?」


 思わず飛び上がる火波とシェル

 女性だと思っていた店員
 しかし、その声は地を這うような重低音


 恐る恐る振り返ると、
 そこにはヒゲの剃り跡も青々しい巨体

 見紛う事なきニューハーフだった





「これねぇ、ウチのお店で使ってた服なのよぉ〜」

「……オカマの店…じゃろうか…?」

「ニューハーフ専門のゲイバーよ
 坊やには少し早いかしら…五年後にいらっしゃい♪」


 そう言うと彼女(?)は火波に視線を向ける

 思わず数歩、後ずさる火波
 うっすらと冷や汗をかいている



「…お兄さん、あなた…いいわぁ…!!
 容姿も体格も申し分なしだし、何よりそのお尻が最高!!
 どうかしら、ちょっとウチのお店で働いてみる気はない?」

「いや、遠慮させてもらう…」

「あら残念…素質ありそうなのに
 じゃあせめて、じっくり見て行ってね」


 じっくり見て行けと言われても、
 並んでいる服は全てニューハーフの勝負服

 どれも着るのに勇気が要るデザインばかりだ




「…メルキゼデクならまだしも…
 わしにドレスを着る趣味は無いぞ」

「あらドレスはご不満?」


「…そもそも、わしに女物の服は似合わんし…」

「あらあら…先入観は良くないわ
 私が似合いそうなのを選んであげるわよ
 もちろんドレス以外で――…コレなんてどうかしらぁ?」



 彼(?)が胸を張って勧めた服、
 それは真紅のミニスカートだった

 火波の顔が思いっ切り引きつる


「お兄さん、背が高いから…
 ミニスカートが似合うと思うのよ
 ほらこのデザイン、足が綺麗に見えるわよ?」

「い、いや、別に足が綺麗に見えても嬉しくないんだが…」




「じゃあこっちは?」


 今度は白くてヒラヒラの布を取り出す

 純白の生地に純白のフリル
 これでもかと言うほどファンシーなエプロンだった


「実はこれ裸エプロン用にデザインされてるのよ
 ほら、お尻の所が大きく出るようになっているの
 お兄さんイイお尻してるから絶対に似合うと思うわ〜」

「…………。」


 額を押さえる火波
 眉間がピクピクと痙攣している

 キレそうになっているのを押さえ込んでいるらしい



「あら、清純系がお好き?
 この貝ビキニはどうかしら…お色気ムンムンよ?」

「……ビキニが貝である必要性がわからん……」


「じゃあスク水は?
 マニアには堪らないわよね」

「誰が着るかっ!!
 というかそんなの着て泳げるかっ!!」



「うーん…ご期待に添えないかしら?
 じゃあ他に似合いそうなのは――…コレはどう?」

「もう何でも良いっ!!
 それを貰うから、もう行かせてくれっ!!」


 ………キレた


 どうやら我慢の限界だったらしい

 財布から硬貨を取り出すと店員に渡し、
 包みの中を確認さえしないままその場を離れる


 隣りで別の買い物をしながら面白半分で
 事の成り行きを見守っていたシェルは慌ててその後を追った




「……短気な男は嫌われるぞ?」

「ほっといてくれ…」


 火波の背に哀愁が漂う
 ぐったりと項垂れるその姿に疲労が滲み出ていた

 そろそろ限界なのだろう―――…色々な意味で



「…何だか、どっと疲れたな…」

「拙者は楽しかったがのぅ
 じゃあ、帰る事に致そうか」

「………ああ……」


 毎度の事ながら、どうして平穏無事に事が進まないのだろう

 そんな疑問を抱きつつ、
 火波は必要以上に重く感じる包みを片手に帰路を辿った


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