日付の変わった港町

 そこの小さく古びれた宿の一室で、
 世にも珍妙な遣り取りが繰り広げられているとは恐らく誰も思わないだろう

 しかし―――…誰も知らないその場では、
 確かにその事件は起こっていた




「ほっ…火波っ!!
 なんで逃げんだっ!?」

「そりゃ逃げるだろ普通はっ!!」


 逃げる火波
 それを追う遊羅

 走る根暗吸血鬼VS田舎者忍者

 物凄く珍しい組み合わせの二人が、
 物凄く意味の無い追いかけっこを繰り広げている

 しかしなかなか侮れない



 忍者という職業柄、元々足の速い忍者と、
 ヘタレ属性の為か逃げ足だけは妙に速い火波である

 スピードが尋常じゃない
 しかも逃げ方もとんでもない

 地を蹴って飛び掛ってくる遊羅を側転で間一髪かわす火波
 二人は壁を垂直に走り、ベッドを軽く飛び越え、更には天井まで駆け上って行く


 狭い室内全てを無駄なく使った空間を感じる追いかけっこ

 超高速&テクニカル
 無駄にクオリティが高い


 この光景を一言で説明するなら『鬼ごっこLv100』とでも表現するしかない






「ほ、火波っ!!
 頼むから待ってっ!!
 大丈夫だから落ち着いて話し合おう、なっ!?」

「何がどう大丈夫なんだ!?」

「な、何もしないからっ!!
 とにかくオラの話を最後まで聞いてくんねぇかい!?」


 ボロい宿屋である

 このままでは二人の体力が尽きる前に宿の方が倒壊する
 みしみしと音を立て始めた壁に気が付き、火波はようやく足を止めた




「ほ、本当にオラは火波の事が好きなだけで…」

「わしのどこに惚れる要素がある!?
 こんな暗くて地味な…しかもゴツい男のどこにっ!!」

「だってフェロモンが…フェロモンが出てんだもんっ!!」

「誰がんなもの出すかっ!!」


 追いかけっこは収まった
 しかし冷静さを欠いた二人は半ば怒鳴り合うような会話を繰り広げている

 アルコールが入った状態での全力疾走
 どうやらかなり酔いが回ってしまったらしい

 フラつく足取りで赤い顔の二人
 その姿はまさしく酔っ払いの口喧嘩



「なんでそんな、無駄に露出が高いんだ!?
 マントだってヒラヒラしてるしスリット入っちゃってるし!!
 だいたいその可憐なピンクの乳首は何のつもりなんだっ!!」

「いや、何のつもりかって聞かれても…」


「ついでに言わせて貰うけどっ!!
 なんでそんなに尻がでかいんだ!?
 こんないい尻を揺らして歩いてるなんて誘ってるとしか思えねぇべ!?」

「お前は一度、眼科と精神科へ行けっ!!」


 すぱ―――――ん

 床に転がっていたスリッパで遊羅の頭を叩く火波
 乾いた音がやたらと響く

 …まぁ、この程度の衝撃で殺しのプロがダメージを受ける筈もないのだが





「変人とは付き合ってられん
 わしはもう帰らせてもらうからな」

「なっ…ここまで来てサヨナラは無いだろ!?
 火波だってもう子供じゃないんだし、
 こんな深夜に男の部屋に来ることの意味くらい理解してる筈だ!!」


「最初っから下心あったのかお前はっ!!」

「いや、とりあえず今日は告白だけしようと思ってた!!
 でも火波があまりにも色っぽいから、つい歯止めが…!!」

「わしに色香なんてあるかっ!!」


「これでもかってくらいあるよっ!!
 オラは既に火波のフェロモンでクラクラしちゃってるし!!」

「単に酒に酔ってるだけだろ!!」



 低レベルな罵り合いは延々と果てなく続く


 しかし元々酒には滅法弱い火波である

 既に足元はフラフラと覚束なく、
 呂律も上手く回らなくなってきた

 明らかに遊羅より火波の方が酔いが回っている

 そして連日に及ぶ暴飲暴食とストレスは、
 元々弱い火波の胃腸を確実に痛め付けていた




「……うぅ……」

「お、おい火波…大丈夫かい?」


 見るからに具合の悪そうな火波を前に、
 流石にそれ以上軽口を叩く事は出来なくなった

 一変して遊羅は火波の介抱を始める


「と、とりあえず横になって
 シーツは取り替えたばかりで綺麗だからさ」

「い、要らん…
 わしはもう帰らないと…」

「その状態じゃ途中で倒れるって
 一時間だけでもいいから寝てたほうが良いさ」



 こんな状態になる切っ掛けを作った本人に心配されたくない
 …が、それを言い返す余裕が無かった

 眩暈と胃痛に汗が滲む
 今襲われたら確実に陥落する

 もしかすると、これが遊羅の作戦なのかも知れない
 …そう思うと一秒でも早くこの場から立ち去るべきなのだが





「そんなに警戒しなくても大丈夫だから
 流石に具合の悪い相手に手を出す趣味は無いよ」

「し、信用できるか…っ!!」

「まぁ…確かに美味しいといえば美味しい状況だけどさ
 火波をモノにしたい気持ちより、介抱したい気持ちの方が強いから
 ほら、少しで良いから横になってて」



 ぽふ

 粗末なベッドに強引に寝転がされる
 あまり力が強そうには見えないが…恐らく梃の原理だろう

 コロリと転がされたベッドの上で、
 火波は染みだらけの天井を見上げていた

 起き上がろうと思っても身体が言う事を聞かない



「……弱いなぁ……」

「う、うるさい…」

「寝ても良いよ、後で起こしてやるから」

「だ、誰が寝るかっ!!
 みすみす据え膳になる気は無いっ!!」


 言いながらもだんだん遠のく意識

 困った
 本気で泥酔している

 少しでも気を抜けば睡魔に意識を奪われそうになる
 流石にこの状況で眠りに落ちるのは危険過ぎる






「…うぅ……寝たら駄目だ…寝たら……」

「羊が一匹、羊が二匹、羊が――……」


「待てや忍者っ!!
 露骨に嫌がらせするなっ!!」

「いや、オラは純粋に愛する人に穏やかな眠りを…」


「下心のある奴の前で寝られるかっ!!」

「だから何もしないって言ってんのに…
 ちょっと尻を舐めてみようかな、くらいしか――…」

「やめれえええええええええ――――…っ!!!!」


 両手で耳を塞ぎつつ大絶叫
 猫耳男に命を狙われた次は田舎忍者に尻を狙われるという悲劇

 つくづく、どこへ行っても災難な男である




「嫌だ…帰る…
 わしは帰るんだぁぁ…」

「駄々っ子みたいだよ、火波…
 別にいいじゃないか一泊したって
 本気で嫌がるなら何もしないし――…」


「シェル…に…」

「うん…?」

「…シェルに会いたいから帰る…」

「………………。」


 流石に呆れられたか
 遊羅が露骨に溜息を吐く

 このまま幻滅されて、部屋から摘み出してくれたら嬉しいのだが

 火波の期待に反し、何故かその場で何かを考え込む遊羅
 いよいよ脳内年齢を疑われ始めただろうか…



「…あ、遊羅…?」

「……火波って…いや、うん…なんでもない」


 何かを言いかけて止めてしまう
 そんな態度にどうもスッキリしない

 しかし、どうせろくなことじゃないだろうと火波も追求するのを止めた


 互いに口を紡ぐと狭い室内は重い沈黙が流れる
 煮え切らない火波と何か思うところのあるらしい遊羅

 沈黙が重苦しい
 気まずい空気を払拭しようと遊羅が再び口を開く





「……人生ってさ、上手く行かないよね」

「突然何を言い出すんだお前は…」

 突拍子もなく始まった人生語り
 レベルの低い口説き文句を聞かされるよりはずっとマシだが


「何をやっても裏目に出て失敗ばかり
 自分は不幸だって塞ぎこんで自暴自棄になって
 気がつけば自分の周りには誰もいなくて一人ぼっちでさ
 ようやく孤独を埋めて貰いたい相手を見つけても、その人に想いは届かない」

「……遊羅、それは―――…」


 誰のことを言っているのか
 遊羅の事か、それとも火波の事か

 どちらにも当てはまりそうな気がして、それ以上訊ねる事ができない




「火波とは似たもの同士だと思ったんだ
 歩んできた道も環境も違うけど、抱いてきた感情は似てるって」

「……そう…かも知れないな……」


 自分に想いを寄せる遊羅の姿と、
 シェルに想いを寄せる自分の姿が重なった

 好きでもない相手に惚れられても困る
 知らないままでいた方が幸せだった彼の想い


 警戒心が芽生え少なからず関係にも亀裂が入ってしまった現実

 これは、そのまま自分とシェルにも当てはまるのではないか
 シェルだって仲間だと思っていた自分から告白されれば困惑する筈だ



「――――――……」


 身をもって知った現実に愕然と言葉を失う

 それと同時に遊羅の事も無碍には出来なくなる
 完全に遊羅と自分の姿が重なってしまい、他人事に思えなくなってきていた




「…あ、遊羅、その…」

「………火波…単純過ぎるよ…
 一応これって心理作戦だったんだけどさ
 ここまで明らかに覿面だと罪悪感湧いちゃうな」


「…………。」

「そんな顔しないで
 火波が優しい心の持ち主だってわかって嬉しいよ
 でもね、自分を襲おうとした男に同情したらダメさ
 そこにつけ込まれたら即陥落じゃないか、なんだか心配になってきた」

 自分を襲おうとした相手に心配されたくない
 複雑な心境を抱えたまま、それでもとりあえず反論はしておく



「…一応、自分はしっかり持っているつもりだ
 情に流されて陥落するほど弱くはない」

 ―――…説得力は無い
 現にかなり流されているのは火波自身もわかっている


 そしてそれは遊羅も充分理解しているだろうが、
 あえてそこを突いて来ない

 どうやら火波より遊羅の方が大人らしい




「……うん、そうだね
 火波が尻軽だとは思ってないよ」

「…どうだか…」

「お尻大きいからね
 これは相当重い――…」


「真面目に話しているときに、
 下ネタで流れを壊すなっ!!」

「あははははは…
 まぁ、空気は軽くなって良かったっしょ?」



 ひょうひょうとしている遊羅を前に毒気を抜かれる

 駄目だ
 遊羅の方が一枚上手だ

 元々口は達者ではない

 年端の行かない少年のシェルにさえやり込められていると言うのに、
 人生経験が更に長い遊羅に敵うはずが無い


 諦め半分、不貞腐れ半分で毛布をかぶる火波

 少しでも早く体調を治して、
 シェルの待つ宿に帰りたい





「お、寝るのかい?」

「横になるだけだっ!!
 酔いが醒めるまでの間だからな!!」

「はいはい、じゃあそれまで話し相手にでもなろうか
 色々とストレス溜まってるだろうしね、これでも聞き上手なんだ」


「……その前に、水」

「はいはい、わかりました
 汲んでくるからちょっと待っててな」


 完全に拗ねた火波
 その世話を焼きながらも嬉しそうな遊羅

 互いに実らない苦しい想いを抱きつつも、
 それなりに時間は過ぎて行く

 街の明かりは既に宵闇の一部に溶け込んでいた


TOP