「…く、苦しい…
 胃が…胃が痛む…」



 宿に戻ってから、ずっとこの調子だ

 火波は胃薬を口に流し込む
 正直、今は水すら胃に入れるのが辛い


 あの後、小屋では全員で料理大会が開催されたのだ


 ケーキだけに留まらず、
 各々得意料理の腕を振るった

 ちょっとしたパーティーのような、一見楽しそうな空間
 そう、あくまでも客観的に見る限りでは楽しそうな光景だった



 山のように並んだ料理の皿
 まるで大衆食堂のような光景だった

 ぱっと見ても十食分は軽く超えているだろう、その料理の数々

 大量の料理をたった四人で消費する―――…
 それは食事という名の戦闘だった



 何時間死闘を繰り広げただろう
 ようやく片付いた頃には深夜になっていた

 元々小食の火波にとって、
 あの量はかなりキツいものがあった


 恐らく明日、朝食は要らないだろう





「図体のわりに胃袋の小さな男じゃのぅ…
 そんな小食で、どうやってその筋肉を維持しておるのじゃ?」

「…わ、わしが知るか…
 うぷ…あ、あまり喋らせないでくれ…」


「いい歳をして食い過ぎで寝込むとは…
 あまりにも情けなさ過ぎて笑うことも出来ぬわ」

「の、残しても悪いと…お、思っ…うぷ…
 こ…こらシェル、人の腹で遊ぶな…っ!!」


 パンパンに張った腹部
 叩けばよく詰まった音がする

 食べ頃のスイカのような音だ
 天然の太鼓は良い玩具である

 火波が苦しいとわかっていても、
 ついつい叩いて遊んでしまうシェルだった




「うー…胃が…もたれる…」

「しかし…お主にしては珍しいのぅ
 そこまでして食す事もなかったじゃろうに…」

「だって…仕方が無いだろう…」

「……むぅ…?」



 ついつい食べ過ぎたのには理由がある


 普通の料理なら、許容量を超えた時点で残していた
 しかし――…今日の料理だけは残したくなかった

 今でも目に焼きついている
 慣れない手付きで包丁を握る、少年の姿


 シェルが丹精込めて作った料理
 言わば好きな子の手料理である

 普段口にしているものとはわけが違う

 どんなに量が多かろうと、絶対に残したくない
 たとえ、胃もたれに苦しむ結果になろうとも




「しかし火波もなかなかの料理の腕じゃな
 エビのクリームコロッケ、また作っておくれ」

「ああ…いつでも作ってやる
 シェル、お前の料理もまた作ってくれ」

「…じゃが…拙者が作ったのは、
 野菜と魚のブツ切りをオーブンで焼いただけのものじゃが…」


 果たして、アレを料理と言っても許されるのか


 調味料の分量に自信が無かったから、
 味付けの類は一切、無し

 しかも魚はウロコや内臓を取り除くのを忘れていた
 野菜も、お世辞にも上手に皮が剥けているとは言い難い




「それでも良いんだ」

「…う、うむ…
 お主がそれで良いなら…」


「ああ…頼む…
 ――――…うぷっ…」

「…おい…火波よ…」



 向けられる視線が白い
 この少年から見れば自分はただの『食い意地の張ったおっさん』なのだ

 シェルには火波の微妙な男心なんて知る由も無い
 当然ながら、その裏に隠れる仄かな恋心など想像すらつかないのだろう


 そんな現状に対して、
 安心すると同時に淋しさも込み上げて来る

 暗い感情が湧き出てくるのを感じて、
 火波は気分を変えるためにベッドから起き上がった

 わざとらしく髪なんか掻きあげたりして



「…し、しかし食い過ぎたな
 少し散歩にでも出て――…」

「もう深夜じゃぞ?」

 シェルの言葉に時計を見やる
 その針は既に日付けが変わろうとしていた


「…大人の夜はこれからだ」

「むぅ〜…ズルいぞ
 拙者は留守番ではないか」

 シェルが頬を膨らます



 そうだった

 この時間帯にシェルを連れ出すのは良くない
 それでなくても自分はシェルの保護者という立場にいるのだ


 余程の事が無い限り、深夜の外出は控えさせるべきだろう

 しかしそれではシェルが部屋に留守番として残ることになる
 それは少し…いや、かなり淋しい


 どうせならシェルと――――…




 ………。
 ………………。


 って、自分は一体どこまで淋しがり屋なのか
 …ダメだ、精神的にも弱さに拍車が掛かっている


 こんな『好きな人とは一分一秒だって離れていたくないの』的な発想なんて、
 どう考えたっていい歳をした男の考えじゃない

 自分で自分に鳥肌が立ちそうだ
 最近の自分はどうも恋する乙女モードになりがちな気がする


 このままだと、本当にシェルに依存してしまう
 少し彼から離れて自分自身を見つめ直した方が良いかも知れない

 自分がダメな奴になってしまう前に、
 シェルと距離を置く練習をした方が良い




「…ほ、火波…?
 そんな険しい顔をして…どうしたのじゃ?」

「い、いや、何でもない
 腹ごなしに少し出歩いてくる
 言わなくてもわかるだろうが、留守番を頼むぞ」


「むぅ〜…
 やっぱり拙者は留守番か…」

「あと五年経ったらお前も連れて行ってやるから我慢しろ
 …ああ、留守番中に知らない奴が訪ねてきても、
 わしが戻るまでは絶対に鍵を開けるんじゃないぞ」


「はい、はい
 じゃが拙者はもう寝てるかも知れぬから、
 念のために合鍵を持って出掛けておくれ」

「そう…だな
 わかった、そうする
 …すぐに戻るつもりではいるが…」



 気分転換に外を歩いてくるだけだ

 軽く夜の港を眺めて帰ってこよう
 そう遅い時間にならないうちに

 宿の合鍵をポケットに放り込むと、
 火波はマントを羽織って夜の港町へと足を進ませた










 夜の港という言葉に、漠然と静かな光景を思い浮かべていた


 しかし―――…予想に反して深夜でも港は明るかった
 この時間帯にしか釣れない魚もいるらしい

 夜釣りにと洒落込む釣り愛好家の姿もちらほらと見える
 …こんな事なら、釣竿の一本でも持って来れば良かった


 それにしても…想像以上の賑やかさだ

 漁船には街灯のように明かりがともされ、
 猟師たちの賑やかな掛け声が引っ切り無しに飛び交っている


 …静かに物思いに耽られるような雰囲気ではなかった




「――――…あれ、火波…かい?」


 背後から掛かる自分を呼ぶ声
 この港町で自分の名を知る者は限られている

 まして、こんな深夜に一人で出歩く人物なんて――…



「…遊羅…」

「奇遇だなぁ、こんな所で逢うなんて」


 吸血鬼と忍者

 夜の闇に紛して行動するのが得意なもの同士
 ある意味、自分と彼は似た属性を持っているのかも知れない


「いや〜奇遇だなぁ
 …一人で散歩中かい?」

「ああ…たまには、な」

「そっか、それは好都合だ
 どこかの店にでも行かないかい?」


 そういえば彼には借りがあった

 礼も兼ねて何かを奢るべきだろうか
 火波は頷きかけて―――…しかし、自分が財布を持ってきていないことを思い出す

 ポケットの中には宿の合鍵があるだけだ
 せめて小銭だけでも持って来るべきだった




「…せっかくの誘いだが…
 軽く散歩に出るつもりで出掛けたんだ
 生憎、財布を持ってきていなくて――…」

「別に構わないさ
 誘ったのはこっちからなんだし、奢るよ?」

「そんなわけにいくか!!
 ただでさえ、お前には借りがあるというのに」


 まだ自分はまともに礼すらしていないのだ
 このままでは気がすまない

 何でも良い


 何か、しなくては
 例になりそうな事を―――…

 そんな焦りが表情に出ていたらしい


 遊羅が、微かに笑った

 顔の半分が布に覆われていても、
 視線と微妙な空気の変化で表情がわかる




「律儀な男だなぁ…
 でも、火波のそういうところ嫌いじゃないな」

「……そ、それは…どうも」


 初めて出会った頃の、
 あの出身を疑うような激しい訛りは影を潜めている

 しかし普通に話していても彼の言葉には、
 地方独特のニュアンスが混じっていた


 訛りのある喋り方でも、特に不快には感じない
 逆に、愛嬌があって話し易いくらいだ

 …彼の本職を忘れるには充分なほどに



「……んじゃ、オラの泊まってる部屋に来ないかい?」

「えっ…?」

「こう見えても孤独な一人旅なわけよ
 粗末な宿に帰って、淋しく寝て終わりなわけさ
 誰か話し相手がいてくれればなぁ〜…って思ってたんだ」


 そういえば、彼はいつも一人行動をとっていた

 彼の言うところの『革命』とやらはどうなったのだろう
 …特に関心があるわけでもないし、どうでも良いと言えばどうでも良いのだが


 しかし、彼が感じているであろう孤独には共感できるものがある




「ビールくらいならあるからさ
 ちょっとだけ上がってかないかい?」

「ああ…そうだな
 少しだけ、言葉に甘えさせて貰おうか」


 あまり長居をする気はないが、
 当初の予定より多少遅くなりそうだ

 …合鍵を持って来ていて良かった


 火波は遊羅に促されるまま、
 既に日付けの変わった夜の港町に足を踏み入れた


 潮風は少しずつ冷たさを含み始めていた










「…本気で狭い部屋だけど、
 適当に座って寛いでいいから」


 一人用の宿は、謙遜抜きで粗末な部屋だった

 小さな部屋には窓すらない
 ベッドが大部分のスペースを占領している

 唯一の救いは狭い分、掃除が行き届いていることだろうか



「はい、ビール
 海水に漬けておいたから冷えてる筈だけど」

「ああ、どうも…」

「干し肉でも切るかい?
 それとも火波は魚派かな?」


「いや…夕食を済ませてきたばかりなんだ
 あまり気を遣わなくても良い」

「そっか…じゃ、話でもしようか」




 その言葉が合図だった

 ビールを流し込みながら、
 内容の殆ど無い会話が始まる


 単なる世間話
 根も葉もない噂話も混ざっている

 あまり深い話題は意図的に避けているらしい



「―――…それで、魚屋のじっちゃんが――…」

「ああ、それで看板が…」

「そうそう、そーなんだ!!
 そしたら隣の猫がまた―――…」


 他愛の無い話
 中身の無い内容が繰り返され、時間だけが過ぎて行く

 どれもあまり楽しい話題ではない

 遊羅もそう思っていたのか、
 途中で話を途切れさせると盛大な溜息を吐いた





「…ゴメンな、火波…
 こんな話しても楽しくないな」

「あ、いや、何というか…」


 確かに退屈だ
 それに早く帰りたいという気持ちもある

 しかしそれを口にするのは失礼だ



「本当は話したいことがあったんだ
 でも…どうやって切り出したらいいか迷っててさ」

「………?
 わしに気を遣う必要は無い
 何でも聞いてくれ…お前は恩人なんだ」


 背後からタックルかけてくるようなこの男が、
 自分を相手に一体、何を遠慮するというのか

 今更遠慮も何も無いだろうに



「ん、火波は優しいな
 ありがとう…じゃ、遠慮なく聞くけどさ」

「あ、ああ…」


「あの子って…本当に火波の恋人?
 ほら、オラたちで助けた、あの可愛い子」

「……………。」


 今、最も触れられたくない話題が来た




「…あれは…お前が勝手に勘違いしただけだ
 あの子…シェルは共に旅をする仲間、それだけだ…」

「あ、そうなんだ
 じゃあ火波はあの子の保護者みたいな感じ?」

「まあ…そうだな」


 こっちの方が逆に面倒を見られているような気もしないでもないが
 とりあえず表向きは自分が彼の保護者だ

 …その役目もカーマインやメルキゼデクには到底敵わないが



「そっか…じゃあ、さ…
 火波って恋人とかいるの?」

「…………。」

「…………………。」


 しーん

 暫くの間、重い沈黙が訪れる
 空気が何となく気まずいものになった



「…い、いなさそうだね、その様子じゃ…」

「……………悪かったな」


 こっちだって『いる』と、言えるものなら言ってやりたい

 所詮は苦しい片思い中
 いじけてビールを口に含む火波


「いや、全然悪くないさ!!
 むしろオラにとっては大ラッキー!!」



 そう言うと遊羅は火波の正面に正座する

 妙に嬉しそうだ
 独り身男の仲間が出来て嬉しいのだろうか

 だとしたら…凄く嫌な奴だな――……



「ほ、ほ、火波っ!!」

「…ん〜…?」

「好きですっ!!
 お、オラと付き合って下さいっ!!」


 …………。

 …………………。

 ……………………………。



 ぶはっ


 火波の口から盛大にビールが噴射された




「な、な、何を言ってる!?」


 …酔ったか?

 いや、酔ったんだな!?
 酔っただけだと言ってくれ!!

 酔ったら口説き上戸になるのだと!!


「初めて会ったときから好きだったんだ
 これって俗に言う一目惚れって奴だよな
 んでもって、あっちこっちで会うじゃん?
 あぁ、二人は運命の赤い糸で引き寄せられてるんだな〜って」

「いやいや、そんな糸は存在しないから!!」



「オラは運命を感じてるんだっ!!
 もう火波しか見えない…
 この革命の旅はもしかしたら、
 火波と結ばれるためのものだったのかも知れないっ!!」

「絶対違うっ!!」


 力の限り叫ぶ火波

 一体、何?
 何なのこの展開は!?


 パニックに陥りながらも、
 とりあえず本能的に逃げの態勢になる火波


「わ、わ、わし…
 わし、そろそろ帰るからっ!!」

「逃がすかぁっ!!」

「ひぃええええええええ〜っ!!」


 逃げる火波
 それを追う遊羅

 今宵の晩は特に長い


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