「シェル、火波さん!!
 おはようございます!!」


 ドタバタと駆け寄ってくる人影がひとつ
 幼さを残した青年の笑顔が視界いっぱいに広がる

 今日のカーマインは、いつもよりテンションが高い
 何か良いことでもあったのだろうか



「ああ、お早う
 機嫌が良さそうだな」

「ええ、やっと特訓の成果が出てきたみたいで
 この調子で行けば、再び社会復帰できる日も夢じゃなさそうです!!」


 言われて初めて、彼の背に生えていた翼が消えていることに気付く
 いかにもモンスターといった形状の邪悪な翼は影も形も無い

 カーマインが駆け寄ってきたのは、背中が軽くなった開放感が影響しているようだ



「あぁ…背中が軽い!!
 これでやっと、仰向けでベッドに寝れる!!」

「良かったのぅ
 努力が報われて拙者も嬉しく思う」


「だんだん元の自分に戻って行くのがわかるんだ
 髪や目の色は変わっちゃったけど…結構マシになっただろ?」

「出会ったばかりの頃を思い出すのぅ
 多少体格は良くなったが、面影はしっかり残っておるし」


 まだカーマインの体を包む禍々しいモンスターの魔力は消えてはいない
 しかし、ツノや翼が消えただけでも随分と印象が違って見える

 魔力の気配に鈍い者が相手なら、充分普通に接することが出来るだろう





「…だが、いきなり成果が現れるものなんだな
 昨日までは全く変化が無かったが…コツでも掴んだのか?」

「いえ…俺にも良くわからないんですけど
 メルキゼが助っ人を呼んでくれたみたいで…」


「……助っ人?
 リャンティーアか?」

「いえ、違います
 俺にはどんな人かわからなくて…
 というか、俺の目には見ることが出来ないみたいで」

「………?」


 一体、どういうことだろう
 見えない相手の協力を得るなんてことが可能なのだろうか

 真っ先に思い浮かぶのが、霊の類だ
 メルキゼには火波と同様に死者の姿を見ることが出来る

 意思の疎通さえ可能ならば協力を仰ぐことも可能だろうが――…




「…メルキゼデクに直接聞いた方が早そうだな」

「はい、俺に聞かれても良くわからなくて…
 というか…話を濁して、ハッキリと教えてくれないんですよ
 あいつなら家の中で朝食の支度をしてますから、どうぞあがって下さい」


 勧められるまま、家の中にあがりこむ
 もう勝手知ったる山小屋だ

 当初は誰も寄り付かないあばら屋だったこの小屋も、
 今ではすっかり生活感が出てきている



「…あ、いらっしゃい
 シェルたちも食べる?」

 ふわりと漂う味噌汁と卵焼きの香り

 炊き立ての白いご飯を前に、
 シェルは朝食を摂ってきたことを後悔した


「拙者はもう済ませてきたからのぅ…
 火波の分だけ用意してくれぬか?」

「……火波の分だけ…?
 一緒に食べなかったの?」



「このバカは二日酔いで食物を受け付けなかったのじゃ
 じゃが、外を歩いて多少は二日酔いも治ってきた頃じゃろう」

「二日酔いにはお味噌汁が効きますよ
 本当は具がシジミだと良かったんですけど…
 今朝はアサリのお味噌汁なんです
 俺が作ったんです、飲んでみて下さい」


 正直言うと、まだ本調子じゃない
 しかし好意を無碍にするのも憚られる

 火波は軽く礼を言うと食卓に着いた







「―――…それで、具体的にはどうしたんだ?」


 早速、疑問をメルキゼにぶつけてみる

 普段から何をしでかすかわからない彼のことだ
 どんな手段をとったのか物凄く気になる


「別に…大した事じゃないよ
 あ、火波は焼き魚何匹食べる?」

「……一匹でも多いくらいだ」


 普通に『目玉焼き何個?』というノリで聞いてくるから困る
 火波にはとてもじゃないが、焼き魚を何匹も消費するなんて不可能だ

 …朝からどんぶり飯を豪快に掻っ込んでいるメルキゼには余裕みたいだが



「納豆は要らない?
 ふりかけもあるのだけれど…」

「いや、これで充分だ
 それで、どうやって―――…」


「漬物でも出そうか
 豆腐もあるけど、どう?」

「…いや、結構」


「ハムやベーコンでも焼こうか?
 あぁ、デザートはどうしようか…」

「………………。」




 一向に話が進まない
 明らかに意図的なものを感じる

 しかし火波に食事を勧めている様子からして、
 悪意の類のようなものは無さそうだ


 どうやらこの件に関して、メルキゼはあまり話したくないらしい

 先ほどカーマインが言った通りだ
 どうも避けている節がある



 何か都合の悪いことでもあるのか
 それとも、決して口外できないような秘密が絡んでいるのか

 …どちらにしろ、彼に話す気が無いのなら仕方が無い


 下手に食い下がって機嫌を損ねても困る
 機会を改めて聞き直した方が懸命だ


 火波は諦めて、別の話題を探すことにした








「シェル、カーマイン
 ちょっと頼んでもいいだろうか?」


 食後、のんびりと雑談をしていると、
 突然メルキゼが二人を呼び寄せた

 何事だろうかと、顔を見合わせるシェルとカーマイン



「この前、グスベリーが実っていたのを見つけたんだ
 そろそろ赤くなっている頃だと思って…良かったら摘んできて欲しい」

「……グス…ベリ…?
 拙者には聞いたことのない実じゃのぅ…」


「カリンズの大きな奴って言えばわかるかな
 懐かしいな…俺の故郷にも田舎の方に行けばあったんだ」

「…カリンズ…も、わからぬ…」


 首をひねるシェル

 貝殻拾いという趣味のせいで、
 海岸ばかりを歩いているせいだろうか

 山の植物に対しては、あまり詳しくない





「こういう知識があると、
 食糧難でも食い逸れなくて頼もしいのぅ…
 火波、お主は何か知っておるか?」

「いや…山の恵みに関しては疎いな…
 あぁ、一つだけ知っていることがある」


「ほぅ…何じゃ?」

「イタドリという植物があってな
 少々酸味があるが、柔らかい茎は食用に出来る」


「ほほぅ…」

「枯れたイタドリの中に住むイモムシがいてな
 その虫が、釣り餌として使うと最高に食いつきが良くて―――…」


「…………。
 結局…辿り着くのはそっちの方向なのじゃな…」

 各々、自分の趣味に関することだけは知識が豊富らしい
 ある意味とても素直でわかりやすい集団だ






「釣り餌も一手間加えるだけで釣果が随分と違うぞ
 今度は手作りルアーにも挑戦してみようと思っているわけだが」

「火波…お主、釣りの話題になると楽しそうじゃのぅ…」


「お前も貝ばかり拾っていないで、
 たまには竿を投げてみてはどうだ?」

「むぅ〜…やらぬと申しておろうに…」


 最近、やたらとシェルに釣りを勧めてくる火波
 どうやらこの男、釣り仲間が欲しいらしい

 孤高の吸血鬼がこれで良いのだろうか…



「……話題が山から海へと移動してしまったのぅ…」

「あはは…まぁ、俺が色々と教えてやるよ
 山ブドウとかコクワなんかも、そろそろ時期だよな
 ――――…えっと、持って行くのはこの袋でいいかな」


 テキパキと準備を始めるカーマイン
 ビニール袋と軍手、長靴…アイテムに隙が無い

 この様子から察するに、山菜採りやキノコ狩りも得意なのだろう

 このメンバーと行動を共にしている限り、
 どんな飢饉が訪れようと飢える心配は無さそうだ








 シェルとカーマインが和気藹々と話をしながら小屋を出て行く

 お喋り担当の二人がいなくなると、
 途端に中は静かな空間になった


 メルキゼと二人きりという状況
 あまり居心地が良いとは言えない

 火波は彼に聞こえないように、こっそりと溜息を吐いた



「…ねぇ…火波」

「ん…な、何だ?」


 突然話しかけられて身構える火波
 しかしメルキゼは彼に構わず言葉を続ける


「さっきの話だけれど…ごめんね
 どうしても、カーマインの前では言い難かったんだ」

「……え…あ、ああ、そうか……」


 どうやら二人を出掛けさせたのは意図的だったらしい





「ねぇ…覚えている?
 カーマインがこの小屋で初めて目覚めた時の事」

「ああ、そう簡単に忘れられる出来ことじゃないからな」


 炎に包まれた小屋

 今にも崩れ落ちそうなその中で、
 寄り添うようにして倒れていた二人を発見したのは火波自身だ


 決して明るい話題ではないし、
 カーマイン自身もその時の記憶は失っていた

 だから、以来あの日の事が話題に上ることは無かった





「…あの時…カーマインは私に攻撃してきたのだけれど…
 当時の私は状況に手一杯で、
 その意味を深く考える余裕が無かったんだ」

「そ…そう、か…」


 彼の話に相槌を打ちながらも、
 火波はいまいち釈然としないでいた

 メルキゼが何を言いたいのか、良くわからない
 彼が攻撃してきたからなんだというのだ

 あの時、カーマインはメルキゼを敵として認識した
 だから攻撃を仕掛けた―――…ただそれだけの事ではないのか



「カーマインは…私に火を放ってきたんだ
 攻撃魔法を使ったんだよ、私に対して…」

「モンスターの中には魔法を扱う者も珍しくは無い
 事実、カーマインには強い魔力を身に宿している
 特に矛盾は無いが…何か問題でもあるのか?」


「今のカーマインを見てもわかるように、
 彼はまだ自分の魔力を扱うことは出来ないんだ
 なのに、どうしてあの時は高度な攻撃魔法を使用できたのか…
 今更だけれど不思議に思って…当時のことを振り返ってみたんだ」

「…それで、心当たりはあったのか?」


 恐らくあったのだろう
 彼の口ぶりがそれを物語っている





「…あの時、カーマインは一人じゃなかった
 彼が魔力を扱うことに力を貸した存在がいたんだ
 カーマインはその存在の手助けによって攻撃魔法を使用した」

「…何を…馬鹿な…」


 第三者の存在―――…眉唾な話だ

 そのような者がいれば、
 当然ながらその時点で全員が気付いている筈だろう



「火波は知っている筈だよ
 目には見えないけれど、
 強い魔力に反応して力を貸してくれる存在を」

「……まさか…火精…か?」

「そうだと思うよ
 カーマインの強い魔力に惹かれて、
 彼に寄って来た火精が居たのだと思う」


 常人の目には決して見えない
 しかし、この世には無数の精霊が存在している

 彼らは強い魔力に反応し、時としてその力を貸す事もある
 事実、高位な悪魔や魔女は精霊の力を扱って魔法を使用するのだ


 モンスターとして覚醒したカーマインの魔力に火精が反応する可能性は否めない






「……確かに、辻褄は合うが……」

「私には確信があるんだ」

「…と、いうと?」


「直接、火精に問い詰めた」

「………………。」


 待て
 色々な意味で、待て



「…お前…見えない相手に、どうやって…」

「私には見えるから」

「………………。」


 眩暈がしてきた

 確かに彼に関しては何でもアリという気はしないでもない
 普通は見えない筈の死者の霊の姿も彼の目は捉えていた

 しかし、『目では決して見えないから魔力で存在を感じ取れ』、
 というのが魔力を持つ者の間では常識である精霊の存在を、
 こうしてハッキリと『見える』と言われてしまった場合…どう反応すれば…






「精霊なんてどこにでもいるから、
 いちいち気にしていなかったのだけれど…
 でも、今になって思い起こしてみると…ね
 確かにカーマインを気にかけている火精がいたんだよ」

「い、いや、待ってくれ
 そういわれても、わしには実感が…
 お前、本当に精霊が見えるのか?」


「うん、証拠っていわれても困るのだけれど…」

「ど、どんな感じなんだ?
 精霊の存在が見えるというのは…」



「外を歩いていて『あ、鳥が飛んでる』って思うような感じかな
 当たり前のように日頃から目にかけている存在だから、
 いちいち意識して見るような事は無くて…でも、そんなものだよ」

「……そ、そうなのか…
 わしが霊を見かけた時のリアクションと近いのかも知れないな」

「そうだね
 そんな感じだよ」


 見えない相手にとっては驚くことなのだが、
 普段から見えている自分にとっては当たり前の光景なのだ





「まぁ、幽霊も精霊も見える人には見えるし、
 見えない人には存在すら全く感じないからね」

「そ、そう…だな」


 そう考えると、少し動揺が収まってきた

 深呼吸を繰り返して心を落ち着かせると、
 気を取り直して話の続きを促す


「…それで、火精と何を話したんだ?」

「カーマインのことに決まってる」

「そ、そうだな…
 愚問だったな」



「その火精は、やっぱりカーマインの魔力に反応して近付いて来たんだ
 そしてカーマインを一目見て気に入ったらしい
 だから、しばらくの間は彼の傍に座っていたらしいのだけれど…」

「…どうしたんだ…?」


「部屋の中に私が入ってきて、
 カーマインがその姿を敵として認識してしまって…」

「あ、ああ…」


「だから、火精は敵を倒そうとしたカーマインに助力したんだ
 カーマインの攻撃意識を炎に変えて、私目掛けて放った
 最初の内は、火精はカーマインの手助けが出来たと喜んだ
 でも、その後の展開を傍観していて…そして、怖くなって逃げ出したんだ」



 確かに、自分が助力してまで攻撃した相手が、
 カーマインの恋人だったと気付いた瞬間、火精は驚いただろう

 良かれと思ってやった事だ、尚更後悔の念も深かったに違いない
 あの時、火精が力を貸さなければメルキゼも怪我をしないで済んだのだ


 しかも危うくカーマインは自らの手で恋人の命を奪うところだった






「その火精はその後、
 遠くの方まで逃げていたらしいのだけれど…
 でも、やっぱり謝ろうと思って戻ってきたらしい
 ただ…戻ってきてはみたものの、カーマインに火精は見えないからね」

「ああ…それで、途方にでも暮れていたのか?」


「というより、ガタガタ震えていたよ
 早く謝罪の念を伝えないと―――…
 っていう思いで頭の中がいっぱいって感じだった
 かなり切羽詰って追い込まれた様子で可哀想だった」


 精霊にも意外と人っぽい所があるらしい
 まさか精霊に感情があるなんて思わなかった




「…でも、なにもそこまで自分を追い込まなくてもなぁ…」

「まぁ、震えていたのは私が怖かったからだと思うけれど…
 やっぱり私が直接、火精に話しかけたのが応えたのだと思う」


 話しかけた…というよりは、凄んだというか、
 脅しつけたと表現した方が近いのかも知れない

 メルキゼの怖さは火波自身、物凄く身に沁みている



「…確かに…怖いだろうな、色々と…
 お前は、ただ立っているだけでも迫力があるし」

「うーん…まぁ、それもあるかも知れないけれど
 でも…それ以前に私って火精たちにとっては―――…」


 …………。
 ………………。

 そこで、不意に言葉が途切れる





「…うん……?」

「……………。」

「……メルキゼデク…?」


「…ご、ご、ごめん、何でもない!!
 と、とにかく――…火精は凄く驚いたって事だよ、それだけ!!」

「そ、そう…か」


 明らかに、それだけでは無さそうだ
 一体メルキゼは最後に何を言おうとしたのだろう

 しかし――…彼の様子から見ても、絶対に口を割りそうに無い






「…つまり、その火精に…
 カーマインの手助けを頼んだという事なんだな?」

「そ、そうなんだ!!
 例えるなら自転車の補助輪みたいな感じかな
 カーマインの体から魔力を引き出して、
 それを使って翼を消して貰っているというわけなんだ」


 それでは、実際に魔力を扱っているのは火精ということらしい

 カーマインが自分自身の意思で魔力を扱えるようになるには、
 まだもう少し時間が掛かりそうだ




「でも、少しずつ自分の力で魔力を扱えるようになる
 火精も全面的に協力してくれているから大丈夫だと思う」

「そう…だな
 精霊のサポートがあれば心強い
 やがては自分の力を自在に扱えるようになるだろう」


「でも…カーマインには火精の姿は見えないから
 だから…今まで通り彼を支えてあげて欲しいんだ」

「ああ、わかっている
 勿論わしらもカーマインに協力し続けるつもりだ」



「…良かった…」


 その一言が聞きたかったらしい
 安心した、という表情で微笑むメルキゼ

 今日一番の笑顔だ







「安心したら意欲が出てきたよ
 今日のオヤツは少し手の込んだケーキでも作ろうかな」

「ああ…いいかも知れんな
 わしも、生クリームを泡立てるくらいなら手伝える」


「せっかくだから、皆で作ろうか
 そろそろカーマインたちも戻ってくる頃だろうし」

「そう…だな」


 メルキゼの表情が柔らかい

 火波に対する態度も柔和してきている
 恐らく、カーマインに対する心配事が拭えたせいだろう




 あまり表情には出さないでいたが、
 メルキゼ自身も相当なストレスを感じていたらしい

 そして―――…そのストレスを火波で発散していたのは間違いないだろう


 これでメルキゼから理不尽な圧力を受けることも減る筈だ
 その事が一番嬉しい火波だった



「…このまま、良い方向へ事態が動き続けてくれれば言うこと無しなんだが…」


 自分にはまだ解決の糸口が見えない悩みがある

 メルキゼの手伝いをしながら、
 火波は片想いの少年の姿を思い浮かべる


 自分の恋路は相変わらず前途多難だった


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