「おお、普通のベッドじゃな
 ちと拍子抜けじゃが…これなら安心じゃ」


 暖炉は程好く燃え上がり、温度も快適
 空気も入れかえてあって新鮮だし、毛布も綺麗だ

 これなら良く眠れるだろう

「ふむ、それなら拙者も寝るとするかのぅ」

「頼むから大人しく寝てくれよ…」




「ふぅ…」

 シェルを寝室に押し込んで、やっと火波は一息吐く
 身体が物凄く重い…相当疲れが溜まっている

 ただでさえ神経を使う戦闘を繰り広げた上に、子供の相手までしているのだ
 精神的にも参っているのだろう


「子供と話すなんて…何十年ぶりか…」

 しかも、相手は明らかに普通の子供ではない

 最近の子供は色々と進んでいる――とは聞いてはいたが、シェルの場合は特別な気がする
 吸血鬼として生きてきた長年の経験と勘が、彼を只者ではないと訴え続けていた



「まぁ…この際、シェルが何だって良い
 わしにとって重要なのは、如何にシェルの血を頂くか…だ」

 滅多にありつけない極上の餌
 一晩で食い殺してしまうなんて勿体無い

 生命維持に差し支えない程の血だけを毎回貰おう
 屋敷の牢に閉じ込めてしまえば、非力な子供は立派な養殖餌と化す

 殺さないように気をつけさえすれば、絶品の餌を長期にわたって得ることが出来るのだ



 行動を起こすのは、シェルが完全に眠ったときだ
 彼の寝室に忍び込んで、牢に繋いでしまえばそれで終わり

 その為に、彼の寝室を意図的に牢へ続く階段の隣に用意した
 何も知らない子供は、今頃安心しきってベッドに横たわっていることだろう


「…二時間後に襲撃とするか…
 哀れな小童よ、束の間の安息を味わっておけ」


 吸血鬼は白み始めた空を眺めながら、邪悪なモンスターの笑みを浮かべた







 針のように険しく高い山


 その頂上から赤い河が流れる
 幾筋も幾筋も、龍のようにうねりながら全てを飲み込んで行く

 何もかもが燃えて行く

 宝物の貝殻も、誕生日に貰ったオルゴールも一瞬で燃え尽きた
 大好きだった優しいあの手も、今はもう無い


 全身炎に包まれて絶叫を上げる親友
 焼け落ちる家の中で声も無く絶望していた幼い仲間たちもやがて炎に飲み込まれる

 助けに行こうとした足は炎に遮られて無常にも踏み止まった

 救いを求めて手を伸ばした姿のまま絶命していった大切な人
 愛しい人の名を叫びながら、それでも生き延びる為に炎の中を走り続けた


 逃げても逃げても追って来る赤い河は、大切な思い出ごと―――全てを燃やし尽くした







「―――なっ、なんで起きてるんだお前はっ!?」


 火波は咄嗟に持っていたロープを隠す
 寝ていると思った少年は、予想に反してベッドの上に座っていた


「…火波…か…」

「まだお前は成長期なんだから寝ないと駄目だろう
 一体どうしたんだ、こんな時間まで起きてるなんて――…」

「ちと夢見が悪かっただけじゃ…
 拙者にとっては珍しい事ではない…気にせんでくれ」


 気にするな、と言われても気にする

 何せこっちは餌を捉えるタイミングを逃したのだ
 火波はこっそりと溜息をつきながら、それでもシェルの隣に座った



「怖い夢でも見たか…まだ小童だな
 子供は大人しく親の所に帰った方が良いだろう」

 先程のお返しとばかりに火波はシェルを揶揄する
 ――…が、シェルがゴーグルを微かにずらして頬を拭った瞬間に深い後悔の念に駆られた


「な、泣いてた…のか…!?」

「もう、繰り返し何度も見ている夢だというのに…慣れんでのぅ…
 拙者自身このような縁起の悪い夢を見続けるのには嫌気が差しておるのじゃが…」

 自嘲気味に笑うその表情が寂しい
 頬に張り付いている長い赤毛がまるで血の涙のようだ




「どんな悪夢なんだ?
 いや、辛いなら無理して言わなくてもいいが…」

「…火山が噴火して、住んでいた村が壊滅する夢じゃよ
 それがどの場所に存在する村なのか…今の拙者には知る由も無いがな」

 失われた記憶の中で、唯一残っている惨劇
 この場所に行かなければならない―――呼ばれている…そうシェルは感じていた


「手がかりは噴火した火山と壊滅した村…それだけじゃ
 いつになれば辿り着けるかわからぬが、拙者は己の故郷を今一度見たいのじゃ」

「…他に覚えている事はないのか?
 村の風習や民族衣装の記憶があれば、探す手がかりになるんじゃないか?」


 火波はシェルの着物を指で摘む
 世界を旅する者が集う場所で情報収集をすれば何か分かるかも知れない

「確かに拙者のこの服は記憶を頼りに作ったものじゃ…
 拙者のいた所では皆がこのような服を着て過ごしていたからのぅ」

「何だ、叩けば意外と出てくるじゃないか
 この分なら故郷探しも早く終わるだろうさ」



「励ましてくれるのか…すまぬのぅ
 じゃが、確かにその方面で探せば楽かも知れぬ
 早速情報収集に行くことにするかの…今から街に行けば丁度朝に―――…」

「ち、ちょっと待ったっ!!」


 焦ったのは火波である

 このまま行かせては今までの苦労が水の泡だ
 シェルを捕まえて餌にするという計画が失敗に終わってしまう


「その…もう少し寝た方が良いだろう!?
 起きるとしても朝食もまだだし…顔も洗った方が良いぞ?」

「……そうじゃのぅ…顔を洗わせて貰おうかの
 もう悪夢はこりごりじゃ…当分の間は眠りたくない」

 洗面所に向かうシェルの足取りは何処か覚束無い
 肉体的にも精神的にも疲労困憊しているのだろう




 …今なら捕まえられる


 幸いにも自分に対して背を向けているしロープだって隠し持っている

 しかし―――意思に反して、身体が動かない
 もう少しだけ、シェルとの会話を楽しみたい…心がそう訴えている

 火波自身も孤独だったのだ

 考えてみれば、こんなに長い間人と過ごすのも珍しい
 せめてシェルの朝食が終わるまでは、平和な会話を続けていよう

 火波は新しいタオルを用意すると、シェルの後を追った





 パシャパシャと響く水音


 シェルのゴーグルが無造作に床に置かれていた

 そういえばシェルの素顔ってどんなのだろう…そんな疑問が脳裏に横切る
 性格からして目つきの悪いイメージがあるがあくまでも憶測の域だ


「踏んだら困るぞ」

 ゴーグルを拾い上げると、意外と思い
 金縁のしっかりした作りのゴーグルは表情を隠すだけでなく身を守る防具も兼ねているのだろう

 敵の攻撃から目を守るのには最適かも知れない



「…タオル、持ってきたが…」

「―――ん…すまぬのぅ…」

 手を差し出して、シェルが振り返る
 濡れた顔から雫が落ちて床を濡らした


「――…あ…っ…」

 目が合った

 予想通りの釣り目がちの瞳
 こぼれそうなほど大きな二つの瞳が、不機嫌そうに自分を見つめている




  




「…タオルと、ゴーグル…
 はよ、寄越さぬか」


 急かすように言われて、初めて自分が固まっていた事に気付く
 これ以上表情が不機嫌にならないうちに渡さなければ

「わ、悪い…ほら」

 手渡すと、シェルは無言で顔を拭く
 そしてゴーグルで表情を覆うと何事も無かったかのように自分の前を通り過ぎた


「……確かに…不細工じゃない…な……」

 性格と口が悪くて根性が捻くれている事を差し引いても、それは認めざるを得ない
 今まで手にかけてきた娘たちよりもずっと器量が良い


「…これで女だったら言う事なしだったんだが…勿体無いな」

 世の中上手く行かない…改めてそう思う火波だった


TOP