眠れない


 何度も目を閉じて眠りにつこうとしたが駄目だった
 すっかり目が冴えてしまっている

 夜の方が活動的になる
 これはもう吸血鬼としての性なのだろうか


 今までは何とか昼型の生活リズムで生活してきたが、
 深夜に出歩くことで吸血鬼としての自分に改めて気付かされる

 火波は眠ることを諦めて、物音を立てないように起き上がった




 隣りではシェルが静かな寝息を立てている
 警戒心の欠片も無い、完全に無防備な姿だ

 自分の気も知らないで、いい気なものだ


「…わしが眠れんのはお前のせいでもあるんだぞ…」

 シェルとの会話が耳に残っている
 何度も頭の中で反響して眠りを妨げるのだ


『火波には…もう大切なものはないのか?』


 帰り道に彼から掛けられた質問

 恐らくシェルに他意は無い
 話の流れから出た素朴な疑問だったはずだ

 そんなものに一々、過敏に反応するなんて馬鹿馬鹿しい



 ………うまく平静を装えただろうか


 あの時は何も無い、と応えた

 もしあの場であると応えたなら好奇心旺盛なシェルのことだ
 それが一体何であるか火波から聞き出すまで延々と食い下がったことだろう


 だからそう応えるしかなかった

 現に、今までの自分はそうだった
 大切なものは何も無い…だからこそ気楽だった

 それなのに――――…


 シェルに問われた瞬間、
 真っ先に脳裏に浮かんだのは生意気な少年の姿だった

 そんな自分自身に激しく驚き、戸惑った
 正直、その後シェルが黙っていてくれて助かった

 あのまま会話を続けていたら、必ずボロを出したことだろう




 口達者で可愛らしさの欠片も無い、生意気な子供
 憎まれ口ばかり叩いて、人の揚げ足ばかり取って――…

 何でそんな子供のことを大切に思わなければならないのか


 自分自身の襟首を掴んで問い詰めたくなる
 一体自分は何を考えて、何を思っていたのかと

 …確かに今、自分は彼の保護者という立場に置かされてはいるが…
 あくまでもそれは成り行きや世間体といったものの意味合いが強くて

 シェル自身に対して特別な思いを抱いているわけではない―――…筈だ


 確かに一緒に行動していた期間は長いし、
 こうして寝泊りも共にしているのだから、多少の情は湧くだろうが…

 自分自身がわからない

 どうしてここまで過剰な反応をしてしまうのか
 どうしてこんなに―――…この少年のことが気になるのか




 少年の顔を覗き込んでみる

 相変わらず無防備な寝顔がそこにあった
 寝返り一つ打たず、静かに眠りについている


 …寝顔だけは可愛い―――…それだけは認めよう

 でも、子供が眠る姿は普通に可愛いものだ
 この子が特別に可愛いというわけでもないだろう

 シェルでなくても、知らない子供の寝顔であっても微笑ましく思うはずだ


 自分が特に子供好きだとは思わないが…
 いや、それ以前に自分は人と馴れ合うことが嫌いだったはずだ

 吸血鬼として生まれ変わった瞬間から、全ての生あるものを疎んできたはずだった


 ……やっぱり、何かがおかしい
 いつの間にか自分の中で何かが変わってしまった

 この変化を拒むべきか、それとも受け入れるべきか

 拒めば今まで通り何も代わらないまま過ごすことが出来る
 しかしそれは同時に『大切なもの』も失うことになるのかも知れない



 ―――…どうするべきか


 相談できるような相手は誰もいない
 それに相談する気も湧かなかった

 即座に答えを出すには躊躇いがある
 しかし、あまり長く答えを先伸ばしてしまえば―――…もう戻れなくなる可能性もある

 深く混迷した躊躇いの中、
 火波は夜が明けるまで少年の寝顔を見つめ続けていた







 見知った人影を見つけて手を振る
 相手も気付いたのか、小走りで駆け寄ってきた

 亜麻色の髪が初夏の太陽に反射して鮮やかに弧を描く


「あら、アンタたちも買い物なの?
 ここって港町なだけあって店数が多いのはいいんだけど、
 その分だけ人も多いから目当てのものを探すのが大変だわ〜」

 買い物リストを書いた紙を片手に少女は額の汗を拭う



「拙者たちは何か手土産を買おうと思ってのぅ
 これからメルキゼとカーマインの様子を伺いに参るのじゃよ」

「あぁ、そうなの
 それでカーマインの様子は順調なの?
 本当はアタシも様子を見に行くべきなんだろうけど…」


 彼女――…リャンティーアもかなり忙しい立場に置かれている

 付き合っている恋人の母親が重病に犯されていることを知ったのはつい先日のこと
 カーマインが持ち直したことを知ると、彼女はその足で恋人の家へと向かったのだ

 リャンティーアは看病も兼ねて、その恋人の家に寝泊りすることになったらしい
 昔好きだった男よりも、今付き合っている恋人の母親の方が優先度が高いようだ



「カーマインも今まで通り、相変わらずの性格じゃよ」

「そうなの?
 暴れたり暴走したりしてない?」

「その点に関してはカーマインよりもむしろ、メルキゼのほうが心配じゃな」

「ふふふっ…
 確かにねぇ、言えてるわ」


 忙しいことは確かだろうが、リャンティーアは嬉しそうだった
 カーマインの甦生が上手くいったことにより、彼女自身に大きな自信が生まれたのだ

 自分自身に自信のある女性は輝いて見える
 そして更に恋をしたことによって、リャンティーアは見違えるように綺麗になった



「…そっちは順調なのか?」

「ええ、何とか持ち直してきたわ
 もしかしたらアタシって魔女よりも、こっちのほうが才能あるのかも
 自分の技術で人助けが出来るなんて…昔は想像もしてなかったけど」


「人の命を奪うことは一瞬で成す事が出来るが、
 その逆、人の命を救うことは難しいし時間もかかるのじゃよな」

「そうなのよね…色々と学習させて貰ったわ
 それでね、アタシ…最近になって考え始めたんだけど…」


「…ん…?」

「アタシね、魔女やめようと思うの
 魔法学校にも行けなくなるし国から援助金も貰えなくなるけど、
 魔女を続けていても得られる知識は人殺しの手段ばかりだもの
 それよりもね、アタシはここで薬の知識を生かして人助けがしたいのよ
 幸いにしてこの町では薬の材料も豊富だし、アタシを必要としてくれる人もいるもの」

 彼女の心は既に決まっているらしい
 太陽にも負けない勢いで、人助けという使命感に燃えている


「アタシはね、医女としてこの町で頑張るわ
 魔女をしているときは生きた殺人兵器として恐れられていたけど、
 医女は命を救う存在として扱われる…周囲の視線は正反対のものに変わるのよ
 それってちょっと…ううん、かなり嬉しいことなのよ…『兵器』として生きてきた身にはね」

「リャンは以前から人に役立つアイテムを生み出すことが好きじゃったからのぅ
 恐らく医女は天職になるじゃろうて
 拙者たちも応援しておるから…頑張っておくれ」

「ありがとう…カーマインたちによろしく伝えて頂戴」


 短い会話を交わした後、彼女は再び人ごみの中へと消えていった




「…あの娘、印象が変わったな」

「目指すべき道も決まったし、恋人もできたからのぅ…
 今がまさに意欲に燃え滾っている時期なのじゃろうな」

 とにかく、彼女が元気そうで良かった
 メルキゼたちにもいい土産話が出来た


「…さて、じゃあ行くか
 メルキゼデクたちは何が好きなんだ?」

「メルキゼは果物が好きで、カーマインは肉が好きじゃな
 まぁ肉に関してはメルキゼが森で狩をすればいいわけじゃから
 無難に果物を買っていけば―――…あぁ、このスイカはどうじゃ?」


「判断はお前に任せる
 なら、これを買っていくぞ」

「えっ…あ――…う、うむ…」



 そそくさと行ってしまう火波

 …何か、火波が変だ
 シェルは違和感を感じていた

 とにかく朝から口数が少ない
 しかも視線すら合わせてこようとはしない


「の、のう火波…
 拙者…なにかしたか?」

「別に」

「……そ、そうか…?」

「ああ
 …行くぞ」


 背を向けて、さっさと歩いていってしまう
 慌てて後を追うシェル

 …やっぱり火波の様子がいつもと違う
 不機嫌になるような何かがあったのだろうか


 とにかく話をふって、原因を聞き出す切っ掛けを作ろう
 シェルは手頃な話題を選ぶと火波に話し掛ける




「それにしてもリャンは綺麗になったのぅ
 やっぱり恋をすると人は綺麗になるものなのじゃな
 あー…羨ましい、拙者にも早くそういう相手が現れんかのぅ〜…」

「…………………。」


 ぴた、と火波の足が止まる

 振り返ってシェルに視線を向ける―――…
 が、目を合わせることもなく再び歩き始めてしまった


「なっ…何なのじゃ、一体…」

 普段の彼なら、必ず何か言葉を返しただろうに
 火波が何を考えているかわからない

 …まぁ、人の気分や感情には波がある
 あまり人と話したくない日だってたまにはあるものだ

 少し経てばいつもの火波に戻るだろう
 シェルは自分にそう言い聞かせると、気を取り直して火波の後を追った








「……あれっ……?」


 小屋に着くなりシェルは首を傾げた

 勝って知ったる小屋ドアを開く
 玄関の戸をくぐっても人の姿は見えない

 この時間ならいつも、メルキゼはキッチンに立っている頃なのに


「…まだ寝ているのかのぅ…?」

 キッチンを使った様子は無い
 テーブルにも何も乗っていない

 人が起きてきた様子は無かった



「…昨夜は色々とあっただろうからな
 眠りにつく時刻が遅かったんだろう」

「あぁ、お主がイチャつけと助言したからのぅ
 ならば寝室でまだ寝ていると見てもいいのじゃろうか」

「こ、こらシェル
 寝ている所を起こすな」

「様子確認だけじゃ」


 そういうとシェルは寝室のドアに耳をつける
 完全に盗み聞きスタイルだ

 はしたない…と思いながらも、
 他にすることが無いので火波も一緒になって聞き耳を立てた


 ドアの奥から二人の話し声が聞こえる―――…




「だっ…だめだよ、カーマイン…!!」

「いいから俺にやらせろって
 結構、溜まってるんだろ?
 それとも俺が寝てる間中も、ずっと一人でやってた?」

「そっ…そんな余裕なんか無かった…
 ってカーマイン、そんなこと言わせないでっ!!」


「恥ずかしがるなって
 …じゃあ、やっぱり溜まってるんだな
 俺にやらせろよ、こう見えても結構自信あるんだ」

「だっ…ダメっ!!
 恥ずかしいよ…」


「いいからほら、こっち来いって
 お前だってスッキリしてから一日を始めたいだろ?」

「で、でも―――…あぁっ…だ、ダメ…っ!!」




 …………。

 …………………。


 そっとドアから耳を離す

 何と言うか…聞いてはいけないことを聞いてしまった
 まさか、まだイチャついてるとは思いもしなかった


 …いや、別に恋人同士なのだから構わないのだが
 それに二人の居住地に勝手に入ってきてしまったのは自分たちだ

 今はむしろ二人の仲が戻ったことに対して安心するべきだ

 それは理解している
 理解はしているのだが――…目の当たりにするとキツい


 だんだん顔が引きつってゆく火波
 対照的に頬を緩ませるシェル


 そんな彼らの存在など微塵も気付かず、二人は更に会話を続ける





「こら、閉じるなよ
 ちゃんと開かないと奥まで見えないだろ」

「だ、ダメっ…恥ずかしい…
 そんなところ見ないでぇ…」

「恥ずかしがるなよ
 すぐに気持ちよくしてやるからさ」


「っ…あ…あ、ダメ…
 …そんなところ、汚いよ…」

「お前のなら汚いとか思わないな
 ほら、いいから力抜いてろって
 そんなに緊張するなよ、痛くなんかしないから」

「で、でも―――…
 あぁっ…だ、ダメ、そんな奥まで…!!」


「ふぅん…お前って意外と毛深いのな」

「き、気にしてるんだから、言わないで…!!」


「ははは悪い悪い
 お詫びに、凄く気持ちよくしてやるからさ
 …ほら…ここ、気持ち良いだろ…?」

「んっ…う……気持ちいい…」


「お前って本当に感度良いな
 ここ触られるのも好きなんだろ…?」

「あぁっ…カーマイン、もっと―――…」







「…な、仲違いは解決したようじゃのぅ…」

「そうだな…
 かなり仲良さそうだし―――…ってこら、早く帰るぞ」


「え――…
 せっかく来たのに、もう?」

「明らかに取り込み中だろう
 時間を改めてまた来るぞ」


「もう少し聞いていたいのじゃが…」

「子供が何を言っている!!
 お前にはあと5年早いっ!!」



 渋るシェルの襟首を掴む火波
 力任せに引っ張ったのがいけなかったのだろう

 後ろ向きにバランスを崩したシェルは、
 咄嗟に受身を取ろうとして両手を前に突き出した

 その手がドアに当たった


 この家が業火に包まれたのはまだ記憶に新しい

 ドアも壁も、一部が炭化していた
 つまり―――…とてもデリケートなことになっていたのである



 メキッ………バタン!!

 脆くなっていたドアは衝撃を受けて思いっきり外れた
 というより真っ二つになって倒れ込んだ、と言った方が状況的に合っている

 しかし今はそんなことを気にしている場合じゃない



「…………ええと…その………」


 ベッドの上のメルキゼとカーマイン
 二人とバッチリ目が合ってしまった

 凄く言い訳に困る状況だ
 背筋に冷たいものを感じる火波

 いっそこのドアのように倒れることができたら、どんなに楽か

 そんなことを漠然と考えながら、
 真っ白になった頭でこの状況をどう切り抜けるか考える


 …が、火波よりもシェルのほうが行動が早かった





「おはよう、遊びにきたのじゃが…
 寝てるようじゃし、出直した方が良かったじゃろうか?」

 …あえて二人には触れずに、
 何も聞かなかったことにして話を進めるつもりらしい


「あ、おはようシェル
 別に寝てたわけじゃないから大丈夫
 それよりさ、シェルもこっち来ない?」

「…………な、何で…じゃ?」

 思わず身構える火波とシェル
 今はちょっと、この寝室に足を踏み入れる勇気が出ない

 そんな二人には気づかず終始笑顔のカーマイン



「今さ、メルキゼの耳掃除してたんだけど
 こいつって耳が4つもあるだろ、やり応えがあっていいんだ」

「…………み、耳掃除……?」


「ああ、ほら、見てみろよ
 猫耳を掃除できるなんて滅多に無い機会だろ?
 普通の猫だと途中で逃げられたり引っかかれたりするからさ」

「……………。」


「でも猫耳って凄いよな
 自分の意思で閉じたりできるんだ
 これって、どこの神経や筋肉使って動かしてるんだ?」

「…私に聞かないで
 突然生えてきたものに対して人体的な説明を求められても困るよ」

「あはは…それもそうだよな」


 平和に会話を続ける一組のカップル
 怪しい雰囲気は微塵も無い



「…………。」

 無言で顔を見合わせるシェルと火波
 穴があったら入りたい…とはこういう心境を言うのだろうか

 思いっきり不健全なことを考えていた二人は、
 乾いた笑い声をあげることしか出来なかった







「あっ、スイカ買って来てくれたの?」

 相変わらず甘いものには目が無いらしい
 テーブルの上に置かれた果物を見てメルキゼが目を輝かせる


「あー…夏って感じだよな
 こっちでも夏の果物の定番はスイカなのか?」

「メロンやパイナップルもあるよ
 あとはブドウとかモモとか…」

「ふぅん…俺がいたところと同じだな――…」

「じゃあ、せっかくだし皆で食べようか」



 会話を続けながら何を思ったか、
 メルキゼはスイカをテーブルから椅子の上に移す

 そして、スイカの上にコブシを乗せたかと思うと次の瞬間、


「――――…ハァッ!!」

 ボゴッ

 気合の入った掛け声
 そして鈍く砕ける音

 椅子の上には割れた――…
 というより砕けたと言った表現のほうが正しいスイカたち


「………。」

「……………。」

「……………………。」


 ぽかーん、と口を開けたままその光景を見守る火波とシェル、そしてカーマイン

 長い長い沈黙が小屋の中を包んだ
 スイカの返り血――…もとい、返り果汁を浴びたメルキゼだけが平然としている




「……あれっ?
 みんな、どうしたの?」

「いや、お前こそどうしたよ」


 流石はカーマイン
 一番立ち直りが早い

 …恐らく既に免疫がついているのだろう


「はい、スイカ割れたよ」

 割れた、じゃなくて割ったんだろ
 その突込みを何とか飲み込む場の三人

 不規則な形に割れたスイカを受け取りながら、
 さり気なくメルキゼから距離をとるシェルと火波

 とりあえずここはカーマインに全て任せようという暗黙の了解だ



「…えっと…包丁、あったよな?
 何で包丁使わなかったんだ?」

「スイカだから」

 …スイカに対して何か恨みでもあったのだろうか…


「………えーっと…?
 ちょっとその辺、詳しく頼む」

「えっ…?
 スイカって撲打して割って食べるものじゃないの?
 大勢でスイカを取り囲んで、棒のような物で叩き割っていた姿を見たものだから…」

 間違いなくそれはスイカ割りだ
 恐らく偶然浜辺を歩いたときにでも見た光景なのだろう



「……ま、まぁ…いっか…」

 今回のケースは少し説明が難しい
 これもスイカの醍醐味…と思えばいいだけのことだ


「……うん、別に…いいよ、これで」

 遠く離れた日本にいるお父さん、お母さん

 スイカを手で叩き割るワイルドな彼が俺の恋人です
 彼とだけは絶対に喧嘩しないようにします、そう心に決めました

 …思わず心の中で両親にメッセージを飛ばすカーマインだった






「それにしても…カーマインよ、
 お主にメルキゼの服は大き過ぎるのでは…?」

 昨夜からずっとカーマインはメルキゼの服を着ている
 その姿はまるで大人の服を着た子供

 何て言うか…凄く貧相な姿だった


「うん、それは俺自身もわかってるんだけどさ…
 って言うか俺さ、本当は自分の服買いに行きたいんだよ」

 それが無理なのはわかっている

 はっきりと自覚はしていないが――…
 今の自分は周囲とは違うらしい、というのは理解している



「…見た目以前に、魔力の質がモンスターのものじゃからのぅ…
 敏感な輩にはカーマインがモンスターとバレてしまうのじゃよな
 それと、出来れば赤い目も何とかしたいものなのじゃが――…」

「えっ、魔力って質があるの?」


 元々人間のカーマインには魔力云々の知識はまるでない
 メルキゼデクともあまりそういう話題を話し合ったことは無かった

 火波とシェルはそんなカーマインの意を汲み取り、丁寧に説明を始める



「種族や属性ごとに魔力は質が違う
 はっきりと目で見ることは出来ないが、
 感じ取ることはできるな…例えば、わしとメルキゼデク
 同じ火の属性だが身体に宿る火の質自体がまるで違う」

「メルキゼの火は…いや、火というよりはマグマじゃな
 火山の奥深くを流れる灼熱の激流がメルキゼの力の源なのじゃ
 普段は大人しく人目に触れることは無いが、一度爆発すると大変なことになる」


 まさにメルキゼの性格そのものだ
 魔力というのは、その持ち主の性格をも表すらしい



「火波の火は――…そう、例えるなら鬼火じゃな
 昼間は身を潜めておるが、夜になるとその本領を発揮する
 鬼火とは心の奥底に宿る情熱の感情に魔物の邪悪な力が混ざって出来たものじゃ」

「ちなみにシェルの属性は風だ…たぶん、そよ風だな
 時に激しく、時には優しく、自由気ままに吹き抜ける
 自由奔放でどこにでも吹くんだ、ペースに巻き込まれると翻弄される
 風の属性を持つのは好奇心旺盛で悪戯好きな奴が多いというが、まさにその通りだな」


「ちなみに風と火は相性が両極端なのじゃよ
 相性がいい場合は互いが互いを助け合うのじゃが、
 相性が悪い場合は、周囲を巻き込むほど酷く衝突し合うこともある」



 それはカーマインにも何となく想像できる

 火が燃えるのに必要な酸素を風は運ぶ
 火が大きく燃え盛ると、熱に乗って大気は上昇して更なる風を生む


 これがいい方向に作用すれば問題ないが、
 悪い方向に作用すると風は火を吹き消し、
 また熱を含んだ風はコントロールを失い天候を崩し、そして生態系さえ崩すこともある


 火と風は何かと難しいようだ






「…ええと…まぁ、つまり魔力の質によって、
 その者がどのような性格で、どのような体質なのか見当がつくのじゃよ」

「じゃあわかる人が見れば、俺の魔力の質から魔物だってバレちゃうわけか…」

「うむ、そういうことじゃ
 ちなみに火波も魔力的には魔物なのじゃが――…」


「わしの場合は姿を変えることによって、
 ある程度なら魔力の質も変える事ができるんだ
 オオカ――…いや、犬型の時の魔力は、もっとドロドロとした怨念の篭った魔力になる」

「人型の姿のときは、あまり邪悪な力は感じぬからのぅ
 恐らく火波が元々持っていた魔力の力が濃くなるのじゃろうが…
 まぁ理屈はどうであれ、つまりは人型の時なら火波は街中も歩けるのじゃよ」

「そっか…そうだったんだ…」


 これでようやく納得した
 火波もモンスターの一種であることは知らされていた

 それなのにどうして火波は街中を歩けて、
 自分は外出を止められるのか疑問に思っていた




「…もうひとつ聞きたいんだけどさ、
 俺ってそんなに邪悪な魔力出てるのかな?」

「魔力というのは全身から発されているものだが、
 特に翼やツノなどから集中的に発されているものなんだ
 つまり今のお前はツノや翼に『俺はモンスターです』と書いてあるようなものだ」

 致命的だ
 単にマントや帽子で隠せばいい、という問題ではなさそうだ



「ちなみに普通の魔族とモンスターでは翼の形状も違うのじゃよ
 カーマインも違いを感じたじゃろうが…いかにもモンスターチックな感じがするじゃろう?」

「あぁ…街とか歩いてたらさ、普通にツノとか生えてる種族の人もいるんだけどさ、
 俺のやつは何か今まで見たことある翼と違うな―――…って思ってたんだ
 …でも、どうしよう…もしかして俺って、一生この小屋で過ごさなきゃいけないのかな…」


 だんだん不安になってくる
 自分が思っていた以上に深刻かも知れない

 もっと旅を続けたいのに――…





「カーマイン、心配しないで
 ツノや翼は消すことができるって、前に言ったでしょう?」

「で、でも…確かに感じる魔力は薄くなるかもしれないけど、
 俺の魔力の質事態が変わるわけじゃないし、根本的に解決になってないじゃないか
 俺は火波さんと違ってモンスターと人間の姿を使い分けることも出来ないし…
 モンスターだってバレると町にも入れない、船にも乗れない…そもそも外だって歩けない」


 モンスターは人を襲う化け物だ

 人目に触れれば恐怖心を抱かれるし、
 勇敢な者は殺意を抱いて襲い掛かってくるだろう

 元々は人間だったと説明しても、今のこの姿では誰も信じてくれない


「…どうしよう…」

「……カーマイン、一つ案があるんだが」

 落ち込むカーマインに火波が声をかける
 何か案があるらしい


「最近、魔物避けとして色々なアイテムが出回っているのを知っているか?
 魔物が嫌がる臭いを出す香や、魔物の力を抑える護符などを良く見かける
 それらを組み合わせることによって、お前の力を封じ込めることができるかも知れない」

 魔力そのものを外に出ないように封じてしまおうというのだ
 確かに魔力の質を変える事が出来ないのなら、それしか方法が無い

 眉唾な案だが、今はそれしか手段が思い浮かばなかった



「えっと…でも具体的にどうすれば…?」

「メルキゼデクはカーマインに翼を消す方法を教え込んでくれ
 わしとシェルはこれから封魔のアイテムを集めて、リャンティーアの元へ行く」

「そうか…!!
 リャンティーアに作って貰うのじゃな
 確かにそれは彼女の得意分野じゃし…何とかなりそうな気がするのぅ」


 何とか社会復帰できそうだ
 周囲にようやく希望の光が見え始める

 カーマイン復活で見事な連携プレーを見せたメンバーたちは、
 今回もその力を発揮させることになりそうだ


「じゃあ、そういうことで良いな?」

「頼んだよ二人とも」

「うむ…行くぞ火波!!」


 彼らはとにかく行動が早い
 誰が指揮しているわけでもないのに、テキパキと行動を始める

 もう以前のような一分一秒を争うような状況ではないというのに、
 既に彼らの身には敏速行動が染み付いているらしい

 妙なところで体育会系のノリを発揮する三人だった



「…えっ…?
 え、え、ちょっと…えっ…?」

 一人、状況についていけずに出遅れるカーマイン

 気が付いたときには既に火波とシェルの姿は無く、
 そして傍らには気合たっぷりのメルキゼが使命感に燃えていた


「えっ…も、もう?
 もしかしてこれから?」

「勿論だよ!!
 さあカーマイン、始めるよ
 まずは身体の魔力の流れを操る練習から始めるからね」

「ひょえ〜…」



 不安だ
 物凄く不安だ

 今までメルキゼに勉強を教えたことはあった
 しかしメルキゼから教わった経験は殆ど無い


 ただでさえ勘違いの多い男だ
 一体どのような手段で教え込まれるのか――…

 想像するだけで嫌な予感でいっぱいになる
 しかもフォローに入ってくれそうな火波やシェルはもういない

 自然と悲壮感が漂う



「…カーマインの為にやってることなんだよ」

「うん…わかってるよ
 わかってはいるんだけどさ…」

「大丈夫、私を信じて
 怖いことなんか何も無いから
 優しくするから…怖がらないで」


 そういうセリフは、どちらかといえばベッドの上で言って貰いたい

 でもここで渋っていても何も変わらないのだ
 皆、自分のために奔走してくれているのだし…

 ここで頑張らないと協力してくれた仲間たちにも申し訳ない


「…うん、よろしく頼むよ」

「頑張ろう、カーマイン」


 こうして二人の特訓は始まった









「それで、具体的にはどうしたらいいんだ?」


「ググ〜って来るから、
 そうしたらキュキュってして、
 そのあとにスーってしながらグイグイするんだ」

「………………。」


 いや、そういわれても
 何をどうしていいのかわからない

 あぁ、そうだった
 すっかり忘れていた


 メルキゼデクは意思表示が苦手で、喋るのも下手で――…
 とにかくボキャブラリーが貧困過ぎる男だったのだ

 当然ながら説明をするのも下手なのである



「も、もう少し…こう…
 わかりやすく教えてくれないかな…」

「え、ええと、そ、そうだね…
 ウズバズ――…ってさせるのだけれど…」


「…えーっと…???」

「…ぐ、ぐやうあーん…って感じで…」


「…………………。」

 その個性的過ぎる擬音語は一体何だろう…
 どんどん理解不能なものになっているのは気のせいだろうか



 前途多難…とはまさにこういう状況だろう
 教えて貰う以前に、意思の疎通が出来ていない

 教えたいのに伝え方がわからないメルキゼ
 教わりたいのに、メルキゼが何を言いたいのかわからないカーマイン




「えっと…じ、ジェスチャーで教えてくれたらわかりやすいかも」

「そ、そうだね
 こうなっているのをこうして、それから――…」


 左右に手を振りながら片足を出したり下を向いたり
 はっきり言って、何がしたいのか良くわからない

 …というか、これは本当に説明している姿なのだろうか



「ここがこう来たら、こうして――…どう?」

「……………。」


 どう? と聞かれても困る
 カーマインには悲しいメルキゼの姿しか伝わらない

 ワキの下に手を沿えながらウサギ跳びをする姿から一体何を学べというのだろう

 というより、何?
 何なのこの予想外の痛々しさは?



「…め、メルキゼ…?」

「ケチョッキョ・ヒュー☆
 がっふん、がっふん!!」


 何語!?



 ダメだ…想像以上に痛すぎる
 これをやっているのがまだ三枚目容姿の芸人なら笑い飛ばせる

 でも、謎の奇声を発しながら意味不明なダンスをしているのはメルキゼ本人である


 しかも真剣そのものな顔つきで
 額に汗を浮かべながら



「……視覚的にもキツいな、これ……」


 笑うわけにも行かず、
 かといって目を逸らせることも出来ず、

 ただ痛さに耐え忍ぶカーマイン


 唯一の救いは、ここが人目につかない森の中であることだけだろう





「…メルキゼ、ごめん…
 俺が悪かった、俺が悪かったから…!!」

「ど、どうしたのカーマイン!?
 何で泣いてるのっ!?」


「話し合おう!!
 きっと話せばわかるはずだから…!!」

「か、カーマイン…?」


 ついに耐えられなくなったカーマインはメルキゼを制止に掛かる

 限界を超えた彼の目には光るものがあった
 精神的にもかなり辛い思いをしたらしい



「美形にこんなことさせちゃダメだよな
 お前自身は許してくれたとしても、美青年保護団体は俺を罪人として見るよな
 ごめん、俺も罪悪感は感じてるんだ…まさか、こんなことになるなんて思わなくて――…」

「か、カーマイン…どうしたの?
 一体何にそんなに追い詰められているの…?」


「お前がキャラを崩してまで頑張ってくれているのに、
 それなのに俺は何の知識も得ることが出来ない…
 そんな自分が不甲斐無くて、申し訳なくて――…」

「いや、それは私の説明の仕方が悪いだけだから
 上手に教えられたら良いのだろうけど、
 どう説明すれば伝わるのかがわからなくて…あぁ、どうすれば良いのだろう…」


 頭を抱え込んで、力無く地べたに座り込むメルキゼ
 彼も相当悩んでいたらしい

 …たとえ傍から見てる限りでは楽しそうに踊っているように思えても
 そう、まるで超高速移動をするクラゲのような不規則なリズムでズンドコと…




「――…そ、そうだ!!
 もっと身近なもので例えてみたら理解しやすいんじゃないかな?」

「身近なもの…って…?」


「例えばさ、こう…噴水が噴出すみたいな勢い、とか…
 ロウソクの火がゆらゆら揺れるみたいな感じ、とか…
 そういう風に説明してくれたら俺も想像しやすいと思うんだ

「な、なるほど…!!
 じゃあ、さっきから説明してた魔力の感じ取り方から教えるね」


 …そっか…

 さっきから魔力の感じ取り方を教えてたんだな…
 ごめんメルキゼ、俺にはそれすらわからなかったよ…




「ええと、自分の身体から発されてる魔力をまず感じ取るんだ
 自分の身体の周囲にある空気に違和感を感じるはずなんだ
 この違和感を例えるなら…そうだなぁ―――…
 トイレの後、パンツの存在を忘れて先にストッキングを上げちゃったような…」

「わかり易いようで、でも決して理解してはいけないような例えを出すなよ」


「…えっ…何で?
 何か変なこと言ったかな?」

「俺がストッキング履いたことあると思うか?
 ここで俺が『ああ、あの感じね』とか同意したら怖くないか?」


「………私が悪かったよ、カーマイン……」

 どうやらリアルな想像をしてしまったらしい
 少し青ざめた顔で謝ってくるメルキゼが切なかった



「え、ええと…
 気を取り直して今度は魔力の捕らえ方を説明するね」

「あ、ああ…そうだな」


「自分目掛けて突っ込んでくる恐竜を、
 高速回転のムーンサルトでかわしつつ、
 三角蹴りを叩き込んだ感触って言えばわかりやすいかな?」

 わかるものか


「…俺の身体能力を踏まえた上で説明してくれ…
 っていうか、そういう事ができるのはお前くらいのものだよ」

「ええと…まぁ、つまり眩暈を伴う衝撃だと思って欲しい
 それで次は魔力を捉えたときの例えなのだけれど――…」


「うん…」

馬一頭を丸ごとフランべして、
 肩に担いで振り回して冷却するような感じ」


 その状況がまず有り得ない



「雪のちらつく極寒ジャングルの中、
 大蛇や猛獣の攻撃を避けつつ駆け抜ける爽快感を感じたら完璧だよ」


 気候からして無理です

 仮にそういう状況に遭遇したとしても、
 感じ取れるものは爽快感ではなく危険のみだと思う



「驚いた、の一言では片付けられない体験ばかりしてるんだな…お前って」

「そうだね…深夜、上空から正方形の頭をした小人が丸い船に乗って降りてきて、
 『フムフムクムクムフムフム♪』と放電しながら歌う姿を見てしまったときは驚いたなぁ…」


 宇宙人と接触!?

 まさか仲間だと思われたんじゃないだろうな…
 っていうか、メルキゼって本当に何者なんだろう?



「まぁ、長く生きている分だけ人生経験も豊富ということかな」

「そうだ…そうだった…
 俺とお前では生きてきた環境が違いすぎたんだよな…」


「そうだね…君と私では生まれ育った世界そのものが違うのだし」

「うん…まぁ…な…」


「ガスマスクの集団に取り囲まれ―――…いや、何でもない
 つまり環境なども配慮して説明をしなければならないという事だね」

「…………。」

 なぁ…
 ちょっと待て

 今、何を言いかけた!?



「…メルキゼ…?」

「ああ、気にしないで
 それより続きをしよう」


「………そ、そう…?」

「まずはリラックスするんだ
 深呼吸をして心を落ち着かせて」


「あ、ああ…」

「物陰から痩せ細った手が――…いや、何でもない…さあ集中して」


 集中できるかぁ!!

 めっちゃ気になるっての!!
 っていうか、何かいるの!?

 知らないうちに何かに包囲されてるのか!?



「お前、俺に何か恨みでもあるのか…?」

「いや…ほら、もう夏だし、お盆が近いから
 これは自然現象―――…ううん、気にしなくていいよ、何でもないから」


 霊!?





「それにしても、今日はやけに多いなぁ…
 もしかして…さっきのジェスチャーの一連動作が、
 無意識の内に霊界の扉を開く印を結んでいたのかも知れないね」


 あんた本気で何者ですか


「ふぅ…参った参った
 おちおちとジェスチャーもしてられないよ」

「教鞭とりながら禁断の門を開くな!!
 …っていうか、早く閉めて閉めてっ!!」


「あ…でも、これって使えるかも知れないよ
 霊を感じ取って第六感を鍛えれば魔力を感じるのも敏感になるかも…」

「そのままあちら側の世界に引きずり込まれたらどうするんだよっ!!
 ただでさえ俺って一度、そっちに逝きかけたってのに!!」

「いざとなったら、その時は―――…引っ張る!!
 安心して、腕力も背筋力も自信あるから負けないよ!!」


 その言葉で安心すると思ってるのか




「いいから早く霊を追い払ってくれよ
 俺、そういうの弱いんだから頼むって!!」

「しょうがないなぁ…わかったよ
 まずは結界を張って、ええと――…
 九字を切って星のマークを描くのだったかな」


 微妙に陰陽モード入ってる!?
 っていうか、趣旨が変わってきてないか!?


「般若波羅密多時照見五―――…」

「それは般若心経っ!!
 っていうかそもそも九文字越えてるんですけどっ!!」


「オン…なんたら…バン…かんたら…サラ…え〜と…カン…?」


 うろ覚えにも程があるぞ



「い…いろはにほへと―――…?」

「それ絶対違うから!!」


 既に経ですらない

 というかこの遣り取りを、
 霊は一体どういう心境で見ているのだろか


「おい…メルキゼ…」

「だ、大丈夫だよ!!
 ちゃんと唱えるから!!
 お…オン・マユラ……なんとかかんとか…ソワカ…」


 何処が大丈夫なんだ!?
 半分以上覚えてないし!!

 というかこの知識の出所が凄く気になるんだけど!!



「……き、効いたかな…?」

 これで効いたらすげーよ


「うろ覚えでも効果があったみたい
 霊たちが、ぞろぞろと帰っていくよ」

「えっ…そうなのか?」


「うん、しかも自分たちで扉も閉めてくれたみたい」

「そこまでわかるのか?」

「うん…だって『ギギ〜…パタン、ガチャ☆』って音がしたから」


 カギまで!?



「かなり効力があったみたいだね
 だって霊たち疲れきった表情で溜息吐いてたし」

「………。」


 間違いない
 それはきっと、

 呆れられたんだ



「お前なぁ…あの世の住人にまで迷惑かけるなよ」

「うん…ごめんね
 じゃあ気を取り直して、もう一度最初からやってみようか」


「ああ、頼んだよ」

「今度こそ脱線しないように熱血して頑張るから!!」



 しかしその後も未確認飛行物体の大群が現れたり、
 四方八方から謎のレーザービームが乱射されたりと、
 かなり説明に困る状況に見舞われることになった―――…


 本日の教訓『メルキゼが熱血すると次元を巻き込んだ脱線が起こる』

 まさに前途多難
 今年は熱く長い夏になりそうである―――…


TOP