「ただいま〜」

「お帰り、シェル―――…っと…あれ…?」


 シェルに続いて入ってきた人影にカーマインは思わず首を傾げた

 そこにいるのは見知らぬ男
 シェルの友達か何かだろうか

 でも…どこかで見た気がするのは何故だろう


「…えーっと…
 シェル、こちらの方は?」

「う、うむ…その、火波…なのじゃが…」


「えっ…」

 ちらり、と男の方に視線を向ける
 物凄く居心地の悪そうな視線とぶつかった




「……どうも」

「あ、え、え〜…?」


 混乱中

 確か先程会った『火波』は犬だった筈
 でも今、目の前にいる『火波』は人の姿

 偶然、同じ名前なのだろうか…
 でもこの赤いマントは間違いなく先ほど見たものと同じだ

 首を傾げ続けるカーマインに、

 シェルがおずおずと説明を始める



「その…火波は普段は人型なのじゃが…
 戦闘時や力仕事をする時は犬に姿を変えるのじゃよ
 ええと…何と言うか、火波は用途によって三種類の姿を使い分ける事が出来て…」

「えっ…じゃあ、この人がさっきの犬なんだ…
 でも姿が三種類って…なんか凄くないか?
 やっぱり定番の犬、サル、キジとかになるのか?」


「種類的にはちょっと惜しいのぅ…
 正解は犬、サル…もとい、人、コウモリじゃよ」

「………厳密に言えば…オオカミなんだが…」


 ちょっと躊躇いがちな火波の一言は、
 二人を前に、見事にスルーされる

 …まぁ、予想の範囲内だが




「うわぁ…知らなかった
 俺、思いっきり犬扱いしてモフモフしちゃったよ
 ええと…その、火波…さん、ゴメンなさい…」

「…かまわん、過ぎた事だ
 人と知った上で犬扱いしてくる小僧より遥かに可愛げがある」


「あ、ちゃんと喋れるんですね
 凄い凄い、火波さんって人の言葉上手ですね」

「……………………。」


 ふっ…と、火波の顔に影が差す
 その瞳の奥には諦めの色が滲んでいた



「…カーマインよ…ナイスなボケじゃ…」

「えっ…俺、何か変なこと言ったか?


「わし…元々のベースは人なんだが…」

「あ、そうなんですか…失礼しました
 てっきり犬が『早く人間になりたい〜』とか言って修行したのかと」


「そんな健気な男ではないよ
 とにかく、これが火波の本来の姿なのじゃよ」

「ふぅん…そっか、覚えたよ
 つまり火波さんに毎日、馬車馬の如く過度な肉体労働を強いれば犬の姿が見られると…」



「…こら、こらこらこら!!
 変な考えを起こすんじゃない」

「だって俺、動物が凄く好きで…
 犬姿の火波さんが可愛くて可愛くて」


「カーマインよ…どうせ愛でるなら、
 こんな目つきの悪い犬畜生を相手にするよりも、
 美人の恋人の耳をモフモフした方がいいような気がするのじゃが」

「火波さんは全身がモフモフだから全身で味わえるだろ
 メルキゼは耳だけだから―――…って、あぁああああっ!!」


 突然叫ぶカーマイン
 不意を突かれて飛び上がるシェルと火波



「どっ…ど、どうしたのじゃ!?」

「そっかぁ…あぁぁ…マズいなぁ…
 何でメルキゼがあんなに嫉妬したのか、やっとわかった
 そうだよなぁ…火波さんだもんなぁ…そりゃあ怒るわなぁ…」


 火波が人だと知った今、メルキゼの嫉妬も理解できる
 恐らく彼の脳内ではこの青年に抱きつく自分の姿が浮かんでいたのだろう

 …知らなかったとはいえ、これはマズい


「…は、話が見えぬのじゃが…」

「う、うん…事情は後で説明するよ
 今はちょっとする事があるからさ」


 メルキゼは基本的にいい奴だ
 全部話せばきっとわかってくれる筈だ

 とにかく一刻も早く誤解を解かなければ、どんどん泥沼化していくだろう

 それに―――…メルキゼのあの怒った様子
 このままじゃ火波に対して何らかの危害を加えそうな気さえする





「さっきから随分と騒がしいけれど…どうしたの?
 スープが出来たから、少し早いけれど夕食にしようか」

「…あっ…め、メルキゼ…っ…!!」


 キッチンの奥から鍋を持って出てきたメルキゼは、
 予想に反して普段通りの表情をしていた

 …でも、それが余計に怖い…
 何て言うか…嵐の前の静けさって感じだ


 とにかくメルキゼを家の外にでも連れ出して
 話の内容が内容なだけに出来れば二人きりで話し合いたい

 一刻も早く誤解を解かないと――…



「む、いい香りじゃのぅ
 これはトマトスープじゃろうか?」

「うん、トマトとバジルのスープだよ
 あとはハンバーグを作ってみたんだ」

「うーん、相変わらず料理上手じゃのぅ…」


 カーマインの心配をよそに、
 メルキゼとシェルは和気藹々と会話を続ける

 そのまま二人で皿に盛り付けを始めて――…
 完璧に誤解を解くタイミングを逃してしまった


 …どうしよう…こうなったら、食事の後片付けの時にでも話すしか…

 その時くらいしか二人きりになれそうな機会はないし、
 夜寝る時に話したのでは遅過ぎる





「はい、カーマイン…
 お肉好きでしょう?
 たくさん作ったから食べて」

「あ、ああ…どうも…」

 顔が引きつる
 見慣れたメルキゼの顔が何故か空恐ろしく感じる

 妻に浮気が見つかった夫は、いつもこんな心境なんだろうか

 自分の右隣の席に座ったメルキゼ
 ほんの気持ち程度だけ、椅子を左にずらして彼と距離を置く


 …が、今日の自分は呪われているらしい
 タイミングの悪いことに、自分の左隣に火波が座ったのだ

 メルキゼと火波に挟まれた
 右にも左にも行くに行けない

 メルキゼから離れようとすれば火波に近付くことになるし
 …今、必要以上火波に近付くのは…やっぱりマズいよな…


 あぁ…何か痛い
 痛みの原因は見なくてもわかる

 メルキゼの鋭い視線が突き刺さってきてるんだ…



「…カーマイン、少し良いか?」

 良くない
 というか、何で話し掛けてくるんだ…っ!!

 火波はメルキゼの様子に気付いていないらしい
 自分のペースで言葉を続ける


「髪をセットして欲しいという事だったな
 具体的に、こうして欲しい…という要望はあるか?」

「あ、あ、いえ…ええと…
 具体的にはまだ考えてなかったんで…
 その、食べ終わるまでに考えをまとめておきます…」

「…そうか、わかった」


 そこで会話は終了した

 あぁ…良かった
 会話が長く続いたらどうしようかと思った

 メルキゼが席を立ったのを確認してから、カーマインは胸を撫で下ろした







「…シェル、わしの気のせいだろうか…
 何だか空気が張り詰めているような気がしないか?」

「む…そうか?
 あぁ、カーマインが緊張しておるせいかも知れぬ」


「…あぁ…そうかも知れないな
 彼にとっては初対面だし…緊張してもおかしくないな」

「髪をカットしている内に打ち解けあえれば良いのぅ」


 犬として扱われたときは本当に驚いた

 しかし、言葉を交わしてみれば普通の青年だ
 それに自分を年上と見るなり口調を敬語に変えて来た

 生意気なシェルやリャンティーアに慣れ切っていた自分にとって、
 そんなカーマインはかなり好印象を抱く存在となっていた


 可愛げのない口達者なガキは苦手だが、
 礼儀正しい青少年はわりと好きなのだ

 それに元々カーマインには興味を抱いていたのだ
 これを気に中を深めることが出来れば幸いだろう




「はい、これは火波の分だよ…」


 メルキゼが皿を運んでくる
 火波は軽く礼を言ってそれを受け取った

 こんがりと焼けたハンバーグ
 軽く焦げ目のついたその上にはケチャップで『怨』の文字


「………………。」


 偶然…だよな?

 たまたま残りの少なかったケチャップを搾り出してかけたから、
 偶然こういう文字っぽくなっただけで――…


「はい、スープも飲んでね」

「あ、ああ…」


 続いて受け取ったスープ皿
 クルトンが綺麗に整列して『呪』の文字を模していた

 よく見てみると、ハンバーグの付け合せ
 ボイルしたアスパラガスの重ね具合が『死』の字に見えなくもない



「め、メルキゼデク……?」

「なぁに?」

「………いや…なんでもない」


 気のせいだ
 自分の考えすぎだ

 偶然、そういう風に見えただけだ
 だってメルキゼに嫌われたり恨みを買うようなことをした覚えはないし…


 うん…そう
 きっとそうだ

 そう…だと思うけど…
 でも、この突き刺さるような鋭い視線は何なのだろう

 まるで殺気まで感じるような視線だ


 食事の味も何もわかったものじゃない
 交わした会話も殆ど頭に残らない

 ただ得体の知れないメルキゼからの恐怖をひたすら耐えるのみ
 とにかく居心地の悪い晩餐の一時を過ごす火波だった






「シェル、カーマイン
 悪いのだけれど…後片付けを頼めるかな?」


 夕食が終わるなり、メルキゼはそう言って席を立つ
 いつもは片付けまでしっかりとやる几帳面な彼にしては珍しい

 しかしメルキゼには毎日のように料理を任せている
 料理の出来ない立場の身としては、むしろ率先して片付けくらいはさせて貰うべきだろう



「うむ、それは願ってもないことじゃ
 たまには拙者にも手伝いをさせて欲しいと思っておったのじゃよ

 メルキゼの手伝いが出来ることが嬉しいらしい
 シェルは嬉々として食器を運び始める


 そうなるとカーマインも手伝わないわけにはいかなくなる
 本当はメルキゼと二人で話がしたかったが――…

 年下のシェルが手伝っているのに、自分だけサボるわけには行かない
 しぶしぶと皿を手に取るカーマイン


 メルキゼと二人で話せるのは一体いつになるのだろう



「…わしも手伝おうか」

「火波は私と一緒に外に来て」

「…えっ…」


 思わず絶句して動きを止める火波とカーマイン
 特にカーマインは気が気じゃない

 重ねた皿を抱えたまま動くに動けず立ち往生
 テキパキと働くシェルに悪いとは思いながらも足がその場から動かない


 何せこれは俗に言う『ちょっとツラ貸せ、表に出ろ』のシチュエーションそのままなのだから




「…な、何か…用か?」

 火波の方も冷や汗をかく
 今日のメルキゼは何かが怖い

 出来れば何か理由をつけて断りたいのだが――…


「森で、小屋の修理用の木材を用意してくれていたでしょう?
 今夜辺り雨が降りそうだから、家の中に運んでおこうと思って
 力仕事なら私と君の二人で取り掛かった方が効率が良いから」

「そう言えば空が曇っていたな…
 木材は一度乾燥させる必要もあるし、
 確かに運び込んでおくべきだな――…」


 残念ながら断る理由がない
 メルキゼの言うことは一理あるのだ

 木材は濡れるとカビてしまうし、
 シェルとカーマインは体格的にも力仕事には向かない


 しぶしぶと火波はメルキゼの後に続いて外に出た







「……この辺でいいかな…」


 しばらく歩いた後、不意にメルキゼが足を止めた

 切り倒した木材を置いているのはまだ先だ
 不審に思った火波は思わず眉を顰める


「…メルキゼデク…一体、何を企ん――――…でふっ」

 言葉が終わるのも待たずに、
 白い何かが顔面目掛けて投げ付けられた

 勿論、投げたのはメルキゼだ



「な、何だ…?」

 突然のことに面食らう
 混乱しながらも投げ付けられたそれを確かめた


 …それは白い手袋だった

 物を投げるのは行儀が悪いとか、
 手袋は元々身に付けているから必要ないとか、
 それ以前に顔面を狙うのはどうかとか――…言いたい事は山積みなのだが

 それよりも得体の知れない恐怖感が勝って手袋を拾う余裕すら出ない




「め、メルキゼデク…?」

「火波、勝負だ―――…私と戦え」


「えっ……えええええっ!?」

「君とは良い友達でいたかった
 でも――…それも終わりの日を迎えた
 今、この瞬間から君と私は敵同士だ!!」


 言い終わるやな否や

 戦闘の構えを取ったメルキゼは、
 火波との間合いを一気に詰める

 一撃必殺の拳が火波目掛けて振り下ろされた


 …泥沼の修羅場劇場、只今より開始


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