「…うーん…どうしようかな…」


 久々の入浴を済ませて、スッキリしたカーマイン

 彼の興味は翼から長く伸びた髪に移ったらしい
 巻いたりねじったり結い上げたりと、色々な髪型を試している


「俺さ、髪の毛伸ばすの初めてなんだよ
 もし長髪だったら、あんな髪型やこんな髪型がしてみたい…って願望はあったんだけど、
 実際にイメージした感じにしてみても、あんまり似合わないんだよな〜…」

「…ねぇカーマイン、髪は切らないの?」


「初めてのロングだからな
 せっかくだから色々と楽しませて貰うさ
 …飽きたりウザくなったら切ると思うけどさ」

 今度は三つ編みにしてみる
 これも一度はやってみたかった髪型だ


 しかしクセ毛のせいか、メルキゼのように綺麗にまとまらない




「んー…イマイチだな
 メルキゼ、お前なら俺にどんな髪型にさせたい?」

「えっ…そ、そう…だな…
 カーマインの髪髪は曲線が綺麗だから、
 それを損なわないようなシンプルな髪型が良いかも知れない…」


 シンプル…というと、単純にポニーテールとかだろうか
 普通過ぎて、ちょっとつまらないような気がしないでもない…

 でも、何もしない状態でもボリューム感のある派手な髪型だ


 レンのようなクルクルしたクセ毛というよりは、
 カーマインの髪はどちらかといえばレグルスの髪質に近い

 …彼の髪よりは柔らかい髪質ではあるが




「そうだなぁ…お前みたいにリボンでもつけてみようか?」

「今のカーマインなら、青よりも赤いリボンの方が似合いそうだね」


 …冗談で言ったのに真面目に返答が来た
 しかも自分の髪を解いて、そのリボンを手渡してくる

 何だか後ろに引けない状況だ…
 でも、まぁ…蝶々結びにさえしなければ、わりといけるかも知れない


 普通に輪ゴムで髪を縛るのも芸がないし――…



「…じゃあメルキゼ、ちょっと頼む
 とりあえずそのリボンでポニーテールにしてみてくれ」

「えっ…わ、私がやるの!?
 でも、私は人の髪を結ったことは無いのだけれど…」


「自分の髪すら結んだことの無い俺よりは上手いだろ」

「そ、それは…そうかも知れないけれど――…
 その…慣れない内は下手かも知れないけれど、許して欲しい」


「下手でもいいよ、俺はお前にして欲しい
 お前に結って貰うっていう行為が嬉しいんだ」

「……な、何だか照れる…
 でも…そう思ってくれるなら私も嬉しい」


 ただ髪をリボンで結い上げるだけの行為
 それだけのことなのに、その場の空気は妙に色付き始める

 空気よりもメルキゼの頬の方が遥かに赤く染まってはいるのだが






「カーマイン、君は本当に可愛くて…いい子だね」

「…それはどうも
 でもさ、俺ってまだ子供扱いなわけ?」


「…うん…?」

「いや、だってさ…気になるだろ
 俺って背も伸びたし体格も多少は良くなっただろ?
 顔立ちだって以前よりは少し大人びた気がするし――…
 それでも、やっぱりお前の中では俺はまだ子供なのか?」


 新たな命を得て生まれ変わった自分
 少し見ただけで成長したことがわかる

 小柄で童顔だった以前と比べると、ずっと大人の男らしくなった
 ようやく歳相応の外見になったと言える


 そろそろ大人の男として見て欲しい



「…なあ、俺は――…お前の目にどう映ってるんだ?」

「ど、どう…って…?」

「確かにお前と比べるとまだ華奢だし非力だよ
 でも、お前が思っているよりも俺の身体は頑丈だぞ」


 メルキゼは優しい
 壊れ物を扱うように、大切にしてくれる

 でも、それだけでは嫌だ
 不満――…という程のものではない

 ただ…物足りないのだ


「俺さ…もう、子供扱いは嫌だ
 一人の男として、お前の恋人として扱って欲しいんだ」

「カーマイン…そう言われても困るよ
 私はどうすれば良い?
 君をどう扱っていいのか…わからないんだ」


 …だろうなぁ…

 というか自分が言っていることの意味を理解しているかどうかも危うい
 たぶん、この言動も特に意識してのことじゃないだろうし…


 どうやって言ってやればいいのか、こっちも悩む





「…お前さ、俺に対して遠慮とかしてるだろ?
 変に躊躇ったりとかしてさ…そういうの、もう要らないから
 お前がやりたいことを、やりたいようにやれば良いんだよ」

「…で、でも…変なことをして、カーマインに嫌われたくないし…」


 変なこと…って、今更だと思う
 というか変じゃない行為をすることの方が逆に珍しいような…

 でも、それをハッキリいったら…たぶん、泣くだろうな


「別にそんな事くらいで嫌ったりしないから
 お前が俺に向かって手を伸ばしかけて…でも途中で止めたりとか
 そういうこと、結構やってるの…俺、ちゃんと知ってるんだからな」

「だって…あまりベタベタ触るのも失礼かと思って…
 それに君から…その、えっちな男だと思われたくもないし…」


「いや、お前のことをそう思うやつはいないと思うぞ…?
 というかむしろ、人並み以下なんだからもう少し積極的になれよ」

 彼は淡白過ぎる

 元々恥ずかしがり屋な上に気が弱く優柔不断
 しかも、変な所で潔癖症なのもいけないのだろうが…


 それらの一つ一つがカーマインにとっては、もどかしくて焦れったい




「…今までは何だかんだ言って最後までは行かなかったけど、
 今度こそ問答無用で襲うからな、覚悟しておけよ?」

「ま、ま、ま、待って、お願い
 確かに君がもう少し成長してから――…
 という話はしていたけれど、私の方も心の準備期間が欲しい」


 その準備期間に、一体何年掛かるのか――…
 正直言って、もうあまり待ちたくない


「…よし、決めた
 今日からノルマ制にするぞ」

「え…な、な、何の…?」



「朝、昼、晩の3回+αで――…
 最低でも1日に5回以上、お前の方からキスしてこい」

「ええええええええええっ!?」

 驚愕の悲鳴
 彼の巨体が数センチ飛び上がる


 その手から真紅のリボンが滑り落ちた




「俺の方からするのはカウントしないからな
 あくまでもお前が自主的にしてこいよ」

「そっ…そんなの、無理っ!!
 私には恥ずかしくて出来ないよ…」


「ちなみにノルマ達成できなかったら、
 その場でお前を押し倒すからな、そのつもりでいてくれよ」

「…う…うあ、あ…あうぅ…」


 青くなったり赤くなったり、実に面白い顔だ
 たぶん俺が言ったこと全部、本気にしてるんだろな――…

 当然ながら、半分は冗談だ

 キスなんて強制してするものじゃないし
 あまりにも焦れったいから、少しだけ意地悪を言ってみたかっただけだ


 でも――…この顔は確実に真に受けている

 うーん…面白いヤツだ
 見てて楽しいから、このままにしておこう






「…じゃ、そゆことで――…」

「えっ…はわわわわ…っ!!
 ま、まっ…待って、あの…そうだ、髪の毛!!
 髪にリボンつけるの、続きやってしまおう? ね!?」


 わたわたと焦りながらもリボンを拾い上げるメルキゼ

 忍者のような身のこなしで背後にまわると、
 わざとらしく手櫛で髪を梳き始める


「…上手く逃げたな…」

「は…は、ははは…はは…」


 苦しい空笑い
 そしてグルグルと巻きつけられるリボン

 焦ってる
 かなり焦ってる


 その証拠に、結んだリボンが凄いことになっている




「…おーい…随分と斬新な近代アートだな――…」

 焦りと無理矢理感が物凄く出てる
 あえて題名をつけるなら…『パイナップル』だろうか


「だ、だ、だってぇ…
 縛っても縛っても纏まらないよ
 何で髪の毛の長さがバラバラなの…?」

「元々の髪型がザンバラだったからな〜…
 ほら、俺って引き篭もってたから髪なんか切ってなかったし
 まぁ…お前の長年の経験で頑張ってこのメデューサを手懐けてくれ」


「め、メデューサ…って…そ、そこまで言う…?」

「わはは…でも、そんな感じだろ
 俺の場合は更にツノまで生えてるからタチ悪いな」



「うわーん…何でこんなに生えてるの〜
 ツノなんて左右に一本ずつで充分なのに…
 あぁぁ…髪の毛が絡みつくぅ〜…」

「我ながらブラッシングしても意味の無い髪だな――…」

「うっ…うわ、わ、わ…
 ブラシが絡まったっ…!!」


 ごめん、メルキゼ…
 俺、本気で前世メデューサだったかも

 というか、鏡の中の俺がどんどん毛玉化して行ってるのは何故だろう…





「…おーい…メルちゃん〜?
 何か俺、リボン巻きつけたウニみたいになってないか〜…?」

「うぇーん…どうしよう…
 イトミミズの固まりみたいになってきたぁ…」


「こ、こら!!
 人の髪を気持ち悪いものにたとえるな!!
 ―――…って、おいおい待て、そのハサミをどうするつもりだ!?」

「す、少しだけだから…!!
 じ、自分に正直に大胆に遠慮無く頑張ってみるよ!!」


「嫌だあああああああ!!!
 この状況でハサミが出たら、オチは坊主かヒヨコじゃないかぁ!!」

「だ、だってその頭は変だよ!?
 私が言うのもアレだけれど…見ていて恥ずかしいよ!!」



 言われるまでもない

 こんな大失敗したアフロのような髪型では恥ずかし過ぎる
 なにより真っ赤なリボンの存在が可愛くて――…逆に痛々しい

 でも、このリボンがまた絡まって取れないんだ…!!


「とっ…床屋行く!!
 プロに髪切って貰うっ!!」

「その頭で外に出ないでぇ!!」


 ドアの部に手をかけようとするカーマイン
 それを背後からタックルかけて阻止するメルキゼデク

 逃げる毛玉
 追いかける猫


 そして―――…



「…な、何をしておるのじゃ…?」

 タイミングよく帰ってきたシェルは、
 その異様な光景に思わず刀に手をかけたのだった







「ほぅ…確かにこれは…
 恥ずかしい事になっておるのぅ…」


 何とかならないかと泣き付くカーマイン

 しかし一目見るなり、シェルは匙を投げた
 これはもう素人の手におえる物ではない



「あぁ…しばし待っておれ
 今、火波を探してくるから…
 火波は一応、美容師としての経験があるからのぅ」

「えっと…火波…さんって、誰だったっけ?
 名前聞いた気がするけど…俺、会ったことあった?」


「ううん、まだ会ってないよ
 というか部屋の中にいたけれど、カーマインは気付いてなかった」

「存在感の無いヤツじゃからのぅ…
 火波は拙者の旅の仲間じゃ
 まぁ…後で改めて紹介致そう」


 結構散々なことを言われている
 でも…カーマインが火波に気付かなかったのもまた事実だ


 まぁ、あの時は状況が状況だったから仕方が無い




「ああ、頼むよ
 えっと…それで、火波さんは何処に?」

「小屋の修理として使う木材を調達しに、
 森の中へ木を切りに行っているのじゃよ
 じゃから、この辺の何処かにいる筈じゃ」


「あー…じゃあ、俺も一緒に行くわ
 シェル一人で森を歩かせるのも気が引けるし
 それにシェルの仲間なら少しでも早く挨拶したいからさ」

「うむ、では参ろうか」


 ただでさえ存在感の薄い相手を、
 この広く薄暗い森の中から探すのは凄く困難な気がする


 でも―――…シェルがいるなら大丈夫だろう

 メルキゼのベールを借りるとそれを頭からかぶって、
 カーマインとシェルはその小屋を後にした







「…火波さんって、どんな人?」


 シェルが世話になってる人だ
 失礼の無いように、多少なりとも情報は知っておいた方がいい

 この短時間の間で出来るだけ火波についての知識を得ようとするカーマイン


「色白で黒髪で――…年齢は32歳じゃ
 家庭を持っていたが不幸な事故により死に別れておるのぅ」

「ひ、人妻…薄幸の未亡人…歳も絶妙…!!
 火波さんって設定的にも美味しい女性だな」



 元々、年上好きのカーマイン
 熟女モノの同人誌を手がけていた過去もある

 もしメルキゼと出会っていなかったら、
 確実に惹かれているであろう単語が満載だ


 勿論、今のカーマインはメルキゼ一筋
 浮気する気など微塵もわかない


 というより最近では女性を恋愛対象として見れなくなってきた…




「……か、カーマインよ…
 確かに『ホナミ』という響きは女性的じゃが…
 夢を壊して悪いが、これから会う火波は男じゃよ」

「えっ、そうなの?
 ずっと女の人だと思ってたなー…」


 ほっとしたような、ちょっと残念なような
 複雑な心境を抱きながらも話は続く


「存在感が無い上に、暗い男でのぅ…
 それと気の弱さとヘタレっぷりはメルキゼといい勝負じゃ」

「そういう言い方すると、火波さんがダメな人に聞こえるな…」


「…実際にダメなヤツなのじゃよ…」

「……………。」




 シェル…
 そんな、遠い目をしてしんみり言わなくても…


「例えるならば…そう、メルキゼが黙っていても空気が色付いて目立つタイプなら、
 火波は何かのリアクションをしていても空気と一体化して存在そのものに気付かれないタイプじゃ」

「…じ、地味な人…なんだな…」


「彼のトレードマークは真紅のマントじゃ」

「それ、凄く目立つ気がするんだけど…」


「でも…何故か目立たぬのじゃよ…
 これで迷彩柄の服でも着せてみよ
 ジャングルのカメレオンより発見不可能じゃぞ」

「…俺、本当にこの森の中で彼と会えるのか心配になってきた…」


「ん、大丈夫じゃ
 拙者は付き合いも長いから勘で何とかなる
 そろそろこの辺に―――…ほれ、そこに赤い人影が見えるじゃろ」



 シェルが指し示す
 遠目ながらも、そこには確かに人影が見えた

 たぶん…かなり長身だ

 すらりと長く伸びた手足
 そして風に揺れる長いマント


 そして―――…




「……なぁ、気のせいかな…
 俺、なんだかあの人に獣耳が生えてるように見えるんだけど…」

「えっ…?
 あ―――…あちゃー…」


 シェルは頭を抱える

 タイミングが悪い
 というより自分の判断ミスだ


 火波が力仕事をしているのはわかっていた筈だ
 だから彼がオオカミの姿を模している事も予測はついただろうに…

 森の中で巨大な狼男に遭遇したら普通は恐怖と身の危険を感じる
 しかもカーマインにはまだ、火波の正体を話してはいない


 当然、カーマインの目には味方としては映らないだろう




 こっちの気配に気付いたのか、火波が振り返る

 カーマインと火波、
 二人の視線がばっちりと合った

 青年の顔色が変わる


「う…うわあああああああ――――…っ!!!」



 カーマインの悲鳴が響き渡った

 状況を把握したらしい火波は、
 躊躇いがちにシェルのほうへと視線を向けた

 しかし、シェルのほうも迷っていた


 このままフォローするべきか、
 それとも一度、火波を遠ざけるべきか

 火波のほうも近付けばいいのか逃げればいいのか判断に迷っている



「え、ええと…その、カーマイン…
 ちと…落ち着いて欲しいのじゃが――…」

「おっ…お、お、落ち着いてられるかっ!!
 こっ、こ、こ、こんな…こんな――――…」


 カーマインは震える指先で火波を指す

 息が上がっている
 かなり興奮していた

 そして―――…



「か…可愛い――…っ!!!
 こ、こんな大きな犬、初めて見たっ…!!」

 感極まった黄色い悲鳴が上がる
 その瞳は星のようにキラキラと輝いていた


「い、犬っ…!!
 久しぶりの犬だっ!!
 あぁ…可愛いなぁ…」

「か、カーマイン…?」

「俺さ、動物大好きなんだ
 特に犬とか猫とかはもう…あぁ、堪らない…っ!!」


 予想外の反応

 何て声をかければいいのかわからないシェル
 そして『可愛い』と連呼されて、戸惑う火波

 二人は口をポカーンと開いたまま声もなく、
 カーマインの成り行きを見つめるしかなかった




 …が、カーマインは次第に欲望を露にし始める

「か、可愛いなぁ…
 この犬…触っても大丈夫かな…はぁはぁ…」


 じりっ…
 じりじりじり…

 少しずつ間合いを詰め始めるカーマイン
 その両手はわきゃわきゃと不規則に蠢いている


「はぁはぁ…だ、大丈夫でちゅよ〜?
 こ、こ、こ、怖くないでちゅからね〜?」

「ひっ…」


 怖い

 布で顔半分を覆った男が、
 赤ちゃん言葉でジリジリと迫ってくる

 これは…物凄く怖い




「…か、カーマインよ…
 火波が怯えておるぞ…」

「お、怯えなくても大丈夫でちゅよ〜?
 火波たん、いい子でちゅから怖がらないでね〜?」


 いや、その喋り方が既に怖い
 っていうか火波たん…って、何?


「…いるんじゃよな〜…
 動物を前にすると、急に赤ちゃん言葉になる輩…」


 まさか、カーマインがそうだとは思わなかった

 それにしても随分と珍しい光景だ
 これは楽しむしかないだろう


 平常心を取り戻したシェルは高みの見物モードに入る





「ほ…火波たん…はぁはぁ…」


 じりっ…じりじり…

 カーマインが迫る
 すると火波もじりじりと後ずさる


 うーん…怯えてる
 これは完璧に怯えきっている


 しゅんと寝た耳と、股の間に丸まった尻尾
 その姿はまさに負け犬



「火波たん、可愛いでちゅね〜…はぁはぁ…
 お、お兄さんに…火波たんのプニプニを見せてくれないかな〜?」


 ぶんぶんぶんぶんぶんっ!!
 風を切る音を立てて、激しく首を左右に振る火波

 既に声すら出せない状態らしい



「ふふふ…ふふ…火波たんのプニプニは…何色かなぁ〜…?」


 逃げろ火波
 貞操の危機だ


 しかしカーマインよ…
 その言い方がまた妖しいのぅ…

 普通に『肉球見せて』と言えばいいのに…



「…あっ…火波たん、逃げなくても大丈夫でちゅよ〜?」

 追い詰められた火波は、一瞬の隙を突いて逃げ出す
 そして逃げ場を求めてシェルに縋って来た


「…これ、火波よ
 拙者を巻き込むでない」

 吸血鬼の誇りとか、
 年上の威厳とか――…そういうものが全く感じられない


 さて、この負け犬をどうしてくれようか…




「可愛いなぁ…
 これって、シェルの犬?」

「……まぁ…そんなところじゃな…
 しかしカーマインよ、本当にこれが可愛いか?」


「えっ…普通に可愛いよ?
 ほら、フカフカのモフモフで…
 あぁ…この尻尾がまたイイなぁ…」

「そ、そう…か…?」


 この目つきの悪い犬(火波)のどこが可愛いのかわからない
 もしかすると、カーマインにとって犬は全て可愛い生物なのだろうか





「さっきは怯えさせちゃってゴメンな〜?
 ほぅら、怖くない怖くない…よしよし…」

 ナデナデナデ…
 慣れた手つきで火波の頭がグリグリと撫で付けられる


 フサフサした感触に悦に入った笑みを浮かべるカーマイン
 それとは対照的に複雑そうな表情の火波

 そして―――…笑い転げたい気持ちを必死に押さえ込むシェル



「よしよし、イイ子でちゅね〜」

「……………くぅん……」


 いや、『くぅん』って…おいおい…


 犬だ
 本気で犬だ

 火波が『犬』をやっている
 しかも、どうやら意図的に


 ここまで普通に犬だと思い込まれると、
 今更、人だということをアピールすることが出来ないらしい

 …というか、タイミングを完全に逃してしまった
 この状況で人の言葉を話す度胸は――…火波には無いだろう


 どうやら火波はこの現状を『犬』として切り抜けるつもりらしい




「オシャレさんでちゅね〜
 マントと服まで着ちゃって…
 でも、首輪とリードは無いんでちゅか〜?」

「…さ、流石に紐でつなぐのは…」


 顔を引きつらせるシェル

 何故か脳裏に浮かぶのはオオカミ姿ではなく、
 人の姿でクサリに繋がれた火波の姿


 色々な意味で大問題だ

 しかも微妙に似合いそうなのがまた切ない
 違う意味での犬扱いに突入してしまいそうな雰囲気である


「え――…リードは飼い主としてのマナーだぞ?
 ちゃんと予防接種は受けてるんだろうな?
 あ、あとウンチ袋は毎回持ち歩くんだぞ?」


 絶対嫌だ

 というかそれはマナーというより、
 マニア向けプレイだ



「え、えっと…火波はトイレでしか用を足さぬから…」

「ちゃんとトイレの躾はしてるんだな
 病気の原因になるから、トイレの後はちゃんと拭いてやるんだぞ」

「…………。」


 いや…そう言われても…
 ストレートな意味での尻拭いは遠慮したい

 というか、その前に火波が逃げ出すだろう
 なにより自分自身が真っ先に逃げ出したい




「まぁ、躾は愛だからな
 犬と飼い主が共存していく上でも大切だし
 ちょっとくらい厳しくしても、愛情があれば伝わるものだよ」

「う、うむ…」


 何故か躾という言葉から、
 全裸の火波を鞭で打つ自分の姿が脳裏に浮かぶシェル

 これでは躾というより調教だ
 …色々な意味で汚れているかも知れない

 そして自分自身にS疑惑が湧いた瞬間だった





「おー…よしよし
 大人しくてイイ子だな〜
 シェルの躾がいいのかな…」

「そ、それはどうも…」

「あぁ〜…可愛い、可愛いなぁ〜…」


 カーマインはすっかり火波に夢中だ
 どうやらここに来た当初の目的を完全に忘れているらしい

 まぁ…それはそれで、かえって好都合だ
 とりあえず火波とカーマインを離しておこう


 …火波にもフォローしておかなければいけないし




「ええと…のぅ、カーマイン
 拙者はこれから火波と散歩にでも行こうかと思ってのぅ…
 ちと帰りが遅くなりそうじゃから、その旨をメルキゼに伝えてくれぬか?」

「あ、いいなぁ…散歩…
 今度は俺も一緒に連れて行ってくれよ?」


「う、うむ…」

「じゃあ、メルキゼにお前と火波の帰りが遅くなるって伝えておくよ
 あ…でも日が沈む前に帰ってくるんだぞ?
 メルキゼが夕飯作って待ってるんだからな」

「う、うむ…心得た」


 自分の髪のことなど綺麗さっぱり忘れ去ったカーマインは、
 足取りも軽く黒コゲの小屋へと帰っていった

 そして、その場には少年と負け犬だけが残される



「………とんだ災難じゃったのぅ……」

「怖い…あの男も違う意味で怖い…
 わしにとってあのカップルは脅威の塊りだ…」

 どうやら火波はメルキゼに加えカーマインも苦手人物リストに載せたらしい

 …よほど怖かったと見える
 未だに尻尾は足の間で丸まっていた


「じ、じゃが…良かったではないか
 お主の事を可愛いと言ってくれる者がおって…」

「わしは身の危険を感じたが
 男に抱きつかれても気色悪いだけだ」

「まぁ…確かに迫力はあったがのぅ…」


 恐らくカーマインは、
 自宅で飼っていたという犬もああして可愛がっていたに違いない

 実に激しい愛情表現だ
 メルキゼのことも、あんなノリで可愛がっていたら…どうしよう…


 ちょっと怖いものがある





「で、カーマインは何をしに来たんだ?」

「うむ…髪が絡まったので、
 お主にセットして欲しいとの事だったのじゃ」


「失敗したら腹いせとして、
 またモフモフされそうでプレッシャーだな…」

「……いや、腹いせというか…」


 カーマインは普通にモフモフすると思う
 たぶん、純粋にあれは愛情表現だろう…

 きっと彼本人には火波を怯えさせた自覚は無いに違いない



「と、とにかく変な恨みは買わないように…
 細心の注意でやらなければならないな…」

「犬の床屋さんか…
 うむ、実にメルヘンな響きじゃ」


 イメージとしては森の音楽家

 もしくはフクロウおじさんの昔話広場
 クマおばさんの蜂蜜農場でもイケるかも知れない

 山奥の注文の多い山猫のレストラン――…は、ちょっと趣向が違うか…


「…流石に…この手でハサミは握れんぞ…」

「む…そうなのか?
 その姿でカットしてやれば、
 カーマインのウケもイイと思うのじゃが…」


「肉球が邪魔でハサミが握れん
 そもそもハサミの穴に指が入らん」

 確かにそれは致命的だ
 オオカミ姿と美容師は両立不可能らしい

 …肉球でのマッサージはかなり気持ち良さそうだが



「じゃあ、戻るか
 彼を待たせるのも悪い」

「うむ…そうじゃな
 人の姿に戻るのを忘れるでないぞ
 さもないと、またモフモフされるからのぅ」

「ああ…」



 さっさと人の姿に戻る火波
 かなりトラウマになったようだ

 恐らく、カーマインの前でオオカミ姿になる事は今後、滅多に無いだろう


 火波とシェルが小屋に向かって踵を返した丁度その頃
 一足先に戻っていたカーマインはというと―――…








「ただいま、メルキゼ」

「カーマイン、お帰り
 あれ…シェルは?」


 エプロン姿のメルキゼが出迎える
 どうやらまた料理をしていたらしい、手には包丁を持っている

 子供の心配をする彼は日増しに母親像が板についてきていた



「火波と散歩して帰るってさ」

「ふぅん…
 それで、髪の毛はどうなったの?」


「えっ…あ――…忘れてた…」

「…な、何しに行ったんだか…」


 流石に呆れられる
 まぁ、あの場で髪のカットをすることは無理だったんだし…

 どうせもうすぐ帰ってくる
 そのときに髪をセットして貰えばいい



「火波があまりにも可愛くて、髪の事なんか綺麗に忘れちゃってたよ
 凄く可愛いよな〜…火波とずっと旅してたなんて、シェルが羨ましい」

「……火波が…可愛い?」


「ああ、凄く可愛いよ…もうツボだな
 我慢できなくなって、あの身体に抱きついちゃったよ
 あの大きな身体に頬を埋めてスリスリしたらもう…天国気分」

「だっ…だ、だ、抱き付いたの!?」

「ああ、暖かくて凄く気持ちよかった
 それからピンクのプニプニがまた絶妙な――…」


「カーマインの浮気者っ!!」

「……は…?」


 怒りも露に詰め寄るメルキゼ
 その姿はまさに夫の浮気を知った妻

 手に持った包丁がシャレにならない




「カーマインの恋人は私だ!!
 他の男に抱きついたりしたら駄目!!」

「いや、男って…おい…」


「た、確かに私はまだ君を抱く勇気がないけれど…
 それに火波は経験豊富そうだし…で、でも、だからって!!
 私は君が他の男に走るなんて絶対に許さないよ!!
 カーマインが抱いていいのは私だけなんだから!!」

「おいおい…そんな大袈裟な…」

「大袈裟なんかじゃないっ!!」


 火波が人であることを知らないカーマイン
 そして火波の獣姿を知らないメルキゼ

 同じ人物を思い描きながらも、
 その会話は全く噛み合わない



「だってさ、火波だぞ?
 お前とはそもそも違うんだから…」

「違わないっ!!
 カーマインがしたのは完璧に浮気だよ!!」

「……………はぁ…」


 見事に嫉妬の炎を燃やすメルキゼ
 彼とは対照的にカーマインは、やれやれと溜息を吐く

 犬相手に嫉妬されても困る
 メルキゼが何故こんなに怒るのかわからない

 ただ、漠然と―――…
 同じ獣キャラとして対抗心を抱いているのだろか…などと考えていた


 が、状況はカーマインが思っているより危険なものへと移り変わり始めていたらしい




「…ゆっ…許せない!!
 火波のこと、友達だと思っていたのに…
 よくも…よくも私のカーマインに―――…」

「お、おいおい…?」


「……思い知らせてやる……」


 何か怖いこと言った!!



「め、め、メルキゼ…?」

「…ふ…ふふふ…私を怒らせると怖いんだよ…
 火波が帰ってくるのが…楽しみだよ…くくく……」


 あんた誰ですか

 というか、
 今度は何をやらかす気だ



「というわけで、私は料理に戻るよ
 もうすぐ出来るからね、座って待っててね」

「いや、流れをぶった切って家庭的モードに入るなよ」

「……大丈夫だよ」


 何が!?



「さて、スープを作ろうかな…真っ赤なやつをね…」

「め、メルキゼ…
 今日のお前、ちょっと怖いぞ…?」

「私の燃える嫉妬心に火が点いたんだよ」


 いや、燃える嫉妬心って、お前…
 それって既に火がついてるんじゃ…

 あぁ、でもメルキゼの目が怖くて突っ込みが入れられない


 どうしよう…
 メルキゼから黄色い薔薇の香りがする


 何とか場の空気を和ませられないものか
 このままでまメルキゼが火波に向かって呪いでも掛けそうな気がする

 ん…?
 待てよ?

 呪い…呪いと言えば―――…!!



「な、なぁメルキゼ!!」

「何?」


呪いと祝いって、字が似てるよな!!

「ふぅん…それで?


 それだけです、ごめんなさい


 っていうか――…
 俺、何言ってるんだろうな…

 ごめん…俺、自分で自分が何言ってるかわからなくなってきた…



「…ちょっと思いついちゃっただけなんだ…
 気にしないでくれ…というか記憶から抹消してくれ」

「そう…
 じゃあ、私は料理に戻るから」

「あ、ああ…」


 キッチンへと消えて行くメルキゼ
 それを見送ることしか出来ないカーマイン

 そして―――…


 ただいま、の声と共に開かれる玄関のドア

 すー…っと室内の空気に冷たいものが混じる
 言うまでも無く、キッチンの奥が冷気の発生源だ


 …まだ、ひと騒動ありそうな予感がする―――…


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