「…ほう、随分と歴史を感じさせる屋敷じゃのぅ」


 要するに火波の家はボロい

 数百年前に没落し廃墟と化した貴族の屋敷をリフォームしつつ使っているのだ
 基本的に孤独を好む吸血鬼は、大抵の事は自力でやる事が多い

 壁を塗りなおし、雨漏りを塞ぎ、井戸を整備して―――…
 という、大工さながらの仕事も数十年かけて少しずつ地道こなしてきた


 家だって建てちゃうガテン系の吸血鬼

 流れ落ちる汗をぬぐい、トンカチ片手にリフォームに勤しむ姿はとても健康的だ
 ――が、正直あまりお目にかかりたくない光景である


 …一匹狼の性格が幸いし、第三者に見られずに済んだ事がせめてもの救いだろう





「風呂は焚いておいてやるから待っていろ
 食事は――…確か倉庫に食材が入っていた筈だ」

「お主は吸血鬼なのに、食材を倉庫に保管しておくのか?」

「空腹を満たすだけなら普通の食事で構わない
 だが吸血鬼の身体は血液でしか栄養を補充する事が出来ないんだ」

 いくら食事をした所で、栄養にならないのであれば意味が無い
 栄養失調となってしまえば思うように力も出ず戦闘もままならない

 敵に襲われても戦える程の、必要最低限の栄養は摂っておく必要がある


「わしが血を求めるのは、ひと月に数回程度だ
 人間がいくら勝手に増えるとはいえ、乱獲してしまえば滅ぶのはこっちの方だからな」

太るしのぅ


 そんな一言で片付けないで


 節度があるとか、環境を考えてるとか…もっと良い方向のコメントが欲しい
 皮肉屋のシェルには望んでも無理かも知れないが―――…




「拙者の口に合うものはあるじゃろうか…」

「最近の若者の味覚は知らないが…お前は何が好きなんだ?」

ニンニク


 ねぇよ


 わしが吸血鬼だって、理解した上で言ってるんだよな?
 吸血鬼にニンニクがタブーだって事、この子なら絶対知ってるよな…?


 つまり、嫌がらせだな



「…ニンニクは無いから、代わりに鶏肉で妥協してくれ」

「うむ、ならば塩とコショウでさっと焼いて温野菜でも添えておいておくれ
 それから何か飲み物も欲しいのぅ…出来れば水以外のものを所望致す」

 ここはレストランじゃないんだけど…!!
 この傲慢なガキは一体何処でどういう教育を受けて育ってきたのだろう


 ふつふつと新たな怒りが込み上げてくる

 ―――が、ここで下手に怒鳴り散らしてシェルを逃がしてはいけない

 火波は怒りを、まな板の上の食材に向ける事にした
 自然と包丁を握る手にも力がこもる



「…何も、そんなに殺気立ちながら肉を切らんでも…まな板まで切れてしまうぞ?」

「ほっといてくれ…」


「火波――…とりあえず、お茶





   





 このガキは…っ!!



 喰ってやる
 絶対に喰ってやる…っ!!

 永遠に続く恐怖を身に刻んでやろう
 吸血鬼の恐ろしさをその身を持って知るが良い

 火波は声高々に『今に見てろよ』、と指をさして宣言した―――…心の中で





「―――ところで、拙者は何処で寝れば良いのじゃ?」


 食事を終え入浴も済ませたシェルは、今度は屋敷内を散策し始めた
 やっぱりマイペースに壁にかけられた絵画や彫刻を見たり本棚の本を品定めしている

「この絵の男…良い身体をしておるが、ちと歳じゃのぅ…」

「……………。」

 根っからの男好きらしい
 まだ若いのに、なんでまた男に走ったのだろう…


「女に何かコンプレックスでもあるのか…?
 昔付き合っていた彼女に酷いふられ方をして女嫌いになったとか…」

「成長期の一番大切な時期に美形のお兄様方に囲まれていたせいらしい
 その時の経験が成長に影響を及ぼして、こういう趣向の持ち主になったそうじゃ
 どうやら美形のお兄様方に甘えて可愛がられる事が最大の幸福だと思い込むように…のぅ」


 嫌な成長遂げやがって



「…聞かなかったことにして、わしも寝るか…」

「吸血鬼となると、やはり棺桶で寝るのじゃろう?
 探しても見当たらぬが…大切な物はきちんと収納してあるのか?」

「…………き、気にしないでくれ、良い子だから…なっ!?」


 火波はシェルの視線から逃れるようにして、踵を返す
 誰にだって踏み込まれたくないデリケートな部分はあるのだ

「お、お前の寝床は――…後で用意してやるっ
 わしは自分の寝所の支度をしてくるから…大人しく、ここで待っていろっ!!」


 早口でそう言い捨てると、火波は逃げるように隣の部屋へ駆け込んだ
 広い部屋に一人取り残されたシェルは、思いもよらない展開に暫くの間呆然とする

 ―――明らかに、何か隠している…


 そして人とは隠された物を本能的に探したくなる生き物だ




「拙者が良い子≠ナは無い事は、お主が身を持って知っておるじゃろうに…のぅ?」

 にんまりと、実にいい表情でほくそ笑むシェル
 待っていろと言われてじっとしていられるような素直な性格はしていない

 天邪鬼の子供は悪戯好きでもあった


「隣の部屋に、拙者には見られたくない何かがあるのじゃな…?
 ふふん…拙者の限度を知らぬ好奇心に火をつけた火波が悪いのじゃよ」

 シェルは足音を忍ばせながら、火波が消えていったドアに近付く
 そっと耳を押し付けると、中でゴトゴトと派手な音が聞こえてくる

 バンダナで隠れているとはいえ、エルフの敏感な聴力は微かな物音も逃さない


「ふむ…クローゼットを開けておるようじゃな…」

 という事は、単に着替えているだけなのだろうか
 しかし、それにしてはドタバタと騒がしい




「百聞より一見…怨むでないぞ、火波よ」


 シェルは悪魔の微笑みを浮かべながらドアを開け放った
 微かな埃と木の香りが香るその部屋に、火波はいた


 確かにいたのだが――――…




「…な、何をしておるのじゃ…?」

 シェルは我が目を疑った
 一瞬ゴーグルが狂っているのかと思ったが、そういう訳でもないらしい


 火波は言葉通り、寝所の用意をしていた
 しかしそれはシェルが想像していたような棺桶では無かった

 吸血鬼の両手に抱えられていた物――…
 それは、誰がどう見ても



 三つ折りされた布団だった





   




「…な、何故に吸血鬼が布団で寝る…?」

「――――…し、シェル……っ!?」


 何とも気まずい空気が流れる
 見ちゃいけないモノを見てしまった…そんな罪悪感



「え…えーっと…その――…な、何で入ってくるんだっ!!」

「…すまぬ…」

 布団を抱えた前屈みの姿で怒鳴られても全然恐くない
 けれど後ろめたいものがあるシェルは素直に謝った



「入らないでって言ったのに…見られたくなかったのに…」

 うぅ…と、布団ごと膝をついて項垂れる火波
 重力に逆らう事無く垂れた耳と尾が何とも哀愁を誘う

「拙者が悪かったから…いや、それより何故お主は棺桶で寝ないのじゃ?
 吸血鬼は棺桶におさまって眠るモンスターだと認識しておったのじゃが…」


「…笑わない?」

「今の所、驚きの方が大きくて笑う余裕は無いのぅ」

 もう少ししたら大爆笑するかも知れぬが…
 シェルはそう、心の中で付け足す


 火波は瞳に涙を浮かべながら、シェルに向かって自棄になって叫んだ




「わしは…わしは…閉所恐怖症なんだっ!!」



「…は…?」

「子供の頃、トイレに閉じ込められて以来、狭い所入るのが怖くて怖くて…!!」


 知られざるトラウマ発見


 閉所恐怖症の吸血鬼も、トイレに閉じ込められた吸血鬼も、世界初なんじゃないだろうか…
 もしかしたら自分は、世にも珍しい相手と話をしているのかも知れない


「棺桶に入る度に、フタが開かなくなったらどうしよう…と、不安感に駆られるんだ…
 トイレの鍵が壊れて外に出られなくなった時の恐怖感が未だにフラッシュバックして…
 だからここ数十年間はずっと毎日押入れから布団を出し入れするのが日課になっている」


 何も、布団で寝なくても
 しかも押入れのある洋風屋敷って一体…



「…ベッドは使わぬのか…?」

「立体的で棺桶を連想させるからな…
 出来るだけ平べったい煎餅布団のほうが安眠できる」


しみったれてるのぅ…」

「お前に言われなくてもわかってるさ…」


 寂しい空気が部屋に満ちた
 広い部屋にひとつだけぽつんと敷かれた布団一式が寂寥感を醸し出す


「この部屋、いると哀しい気分になってくるのぅ…」

 頭上にきらめくシャンデリアのせいだろうか
 それともアンティーク調のお洒落な家具のせいだろうか

 とにかくこの部屋に敷かれた布団が不憫でならない


 微妙な感情を抱いたまま、二人は部屋を後にした





「…お前の寝室は向こうだ
 案内してやるから黙ってついて来い」

「おさがりの棺桶か?
 それとも拙者のも布団じゃろうか?」

 使い古しの棺桶を出されても困る
 けれどこの洋風屋敷の中で布団を敷いて寝るのも勇気の要る話だ


「黙ってついて来いといっただろ!!」

 火波はガツ、と壁をコブシで叩く
 しかしシェルはそんなもので恐怖心を抱くような繊細な神経はしていない

「子供相手に怒鳴るでない
 何とも大人気無い吸血鬼よのぅ」

 けれど歳の割りに洞察力に優れているシェルは、
 火波の乱雑な言動が照れ隠しからきている事をしっかりと理解していた


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