「―――…ゼ――…メルキゼデクっ!!」




 遠くで自分を呼ぶ声がする

 微かに感じる身を揺さ振る衝撃
 それでも身体が動かない

 倒れた樹木のように、全身がずっしりと重い――…




「メルキゼデク、しっかりしろ!!」


 頬に走る痛み
 じわりと広がる熱

 遠退く意識が強引に引き戻される



「……う…うぅ……」

「気が付いたな
 大丈夫か、メルキゼデク」


 目を開いて最初に視界に入ってきたのは、
 安堵の息を吐く黒髪の男の姿だった

 続いて見えるもの

 割れた窓ガラス
 原形を保っていないサイドテーブル


 そして、白い煙を上げて燻る炭化した小屋の壁―――…






「何とか消火はしたが…まだ燻ってるから注意しろ
 外で待機していたら突然小屋が燃え出して…流石に驚いた
 まぁ、間に合って良かったが…もう少し落ち着いたら詳しく話を聞かせて貰うぞ」

「…火波……
 そ、その…すまない…」

「謝るな、誰が悪いわけでもない
 その状態からして、カーマインと一戦交えたのだろう?」


 そうだ
 私はカーマインと…

 …そうだ、彼は―――…!?


「かっ…カーマイン!!
 カーマインはどうなったの!?」

「お前が腕に抱いているのがそうではないのか?
 一応は人の形をしているが…やはり姿が変わったな」




「えっ…?
 あ、ああっ…カーマイン…!!」

 自分と一体化していて気付かなかった

 慌てて腕の力を抜く
 黒く焼け焦げたシーツに包まれた青年の姿に目頭が熱くなる

 その髪に触れると、ぽたぽたと水滴が零れ落ちた


「………?」

 何故か洗濯直後のようにぐっしょりと濡れている――…
 カーマインだけじゃない、自分も…いや、部屋全てが濡れている


「えっ…部屋の中で雨でも降った?」

「馬鹿、消火の痕跡だ
 小屋の外に池があっただろう
 三人でそこから水を汲んで撒いたんだ」


「そう…か…迷惑かけたね
 カーマインも…本当に、何て詫びたら良いのか…」


 腕の中の彼は既に力無く身を預けている
 身を通して伝わる温もりは自分自身のものなのか、それとも彼のものなのか

 今の常態では、彼が生きているのかどうかさえもわからない



 …どちらでも大差ない

 彼が生きていたとしても、
 再び目覚めれば魔物として襲い掛かってくる

 そうなれば、今度こそ確実に息の根を止めなければならない


 あんな辛い思いは、もう二度としたくない
 腕の中の青年が既に息絶えている事を望む

 けれども、その一方で彼の死を拒絶する自分がいる

 矛盾する二つの願い
 胸が切り裂かれるような痛みに、思わず彼に縋りつく





「あっ…熱っ…」


 ちりっ、と肩口に痛みが走る
 彼の身を包んでいたシーツにまだ火の気が残っていたらしい

 シーツを剥ぐと、火を消す為にその布を床に叩きつける



「…ああ、まだ燃えていたか
 ―――…シェル、こっちにも水を掛けてくれ!!」

 火波が外に向かって叫ぶ
 間髪置かずに、バケツを抱えた少年が部屋に駆け入ってきた


「うむ、何処じゃ―――…っと、
 メルキゼデク、起きたのか」

「う、うん…
 ごめんね、仕事増やしちゃって…」


 表情を曇らせるメルキゼに、少年は明るく笑いかける
 ここにいる誰もがメルキゼが傷付いている事を知っている

 だからこそ、極めて冷静かつ明るく振舞っているのだろう



「案ずるな、どうせ拙者たちもヒマなのじゃ
 それで何処に水をかければいいのじゃ?」

「シェル、カーマインにかけてくれ
 まだ衣類の一部に火の気が残っているらしい」

「んじゃ、豪快に―――…」




 ざば―――…


 少年は躊躇い無く、
 カーマインの頭からバケツ水を浴びせかけた


「…おいおい、もう少し丁寧に――…」

 流石に火波が嗜める
 しかし火波の注意を遮って、当事者自らが非難の声を上げた




「ぐっ…げほっ、ごふっ…げ……ぐ、ぐる…し…」


「かっ、カーマイン!?」

「ごほっ…げふっ…あ、熱い…さ…さ、寒い…」

「カーマイン熱いの!?
 それとも寒いの!?
 ねえ、どっちかハッキリして!?」




「…かける言葉は本当にそれで良いのか…?」


 そういう場合ではないと知りながらも、
 思わず突っ込みを入れてしまう火波

 その横ではシェルが静かに首を振りながら、


「…メルキゼデクとはそういう男じゃ」

 ぽん、と男の背を叩く
 何時如何なる時でもメルキゼはメルキゼ…という事らしい



「あぁ…熱いのに寒いだなんて…
 もしかして、これは風邪の前兆!?」


 違う


「め、メルキゼデクよ…
 お主もう少し他に言う事があるじゃろう?
 やっとカーマインが意識を取り戻したのじゃぞ?
 彼に対してお主が説明しなければならぬ事があるのではないか?」

 居た堪れなくなって、シェルが口を挟む
 流石に見ていて焦れて来たらしい




「えっ…あ、ああ、そうだった…!!
 あ、あのね、カーマイン…よく聞いて欲しいんだ」

「ん…?」


「えっと…ええと…何て言えば良いか…
 そ、そ、そうだ、何処か痛い所は無い?」

「ん〜…痛い所ぉ…?
 そう言えば首の後ろ辺りが、さっきからズキズキと…
 変だなぁ…どこかで打ったかな?」


 首を傾げるカーマイン
 メルキゼは深々と頭を下げた

 思い当たる節があり過ぎる
 というかその張本人が自分だ


「…………ごめん、それ…私………」

「はぁ…?
 ま、まぁ何でもいいや」


「そ、そう…?
 で…ほ、他に痛い所は…?」

「痛いって言うか…
 どうも身体が痒いんだよなぁ
 俺、最後に風呂入ったのいつだっけ?」


 もう冬が明けてしまったのだから、何ヶ月も前という事になる
 しかし流石にその事実を伝えるのは忍びない


 メルキゼは曖昧な笑みを浮かべてその話題を流した





「ん〜…でも、何か身体が変な感じがする
 現実感が無いっていうか、長い夢を見ている最中っていうか…
 むしろ、さっきまで見ていた夢と今いる状況との境目がついてないっていうのかな…」

「長い間眠っていると、そうなることがあるよね
 少し時間が経てば現実味を帯びてくると思うのだけれど」


「まぁ、そうだよな
 特に気にすることでもないか
 あ〜…それにしても身体が痒いな〜…」

「背中が痒いなら、私が掻いてあげるけれど…」


「背中っていうか、肩の上の方…
 頭と肩の中間の辺りが一番―――…」

 そこまで言って、ふと言葉を途切れさせるカーマイン
 少し考えながら自分で言った言葉を口の中で反復している



「か、カーマイン…どうしたの?」

「別に首が痒いわけじゃないんだ
 もっと横の方で―――…でも、そこって普通は何もない空間だよな?
 肩と頭の間のスペースが痒いってどういうこと?」


 そういうとカーマインは肩の後ろの方へ腕を回す

 恐らく、そこが痒いのだろう
 そして指先に触れる何かを感じて、一瞬だけ彼の動きが止まる

 メルキゼの視点からは翼を指で突いているカーマインの姿が見える
 しかし当のカーマイン自身にはその姿を見ることができない




「…えっ…こ、これ…何だ?
 何も無い筈なのに、何かがある…
 しかも触られた感触があるような――…えっ、もしかして神経通ってる?」

 通ってるも何も、しっかりと生えてしまっている
 目の前に鏡が無いことと、人間として生きてきた年月が判断力を極端に下げていた


 そして、更に―――…


「何か毛がたくさん……痛っ!?
 な、な、何これ…もしかして俺の毛!?
 引っ張ったら頭が痛い…ってことはこれ、俺の髪の毛か!?
 ち、ちょっと待て…何で髪がこんなに一気に伸びてるんだ!?」


 ようやく自分の身体の異変に気がついたカーマイン
 今にも倒れそうなほど、その表情からは血の気が引いて行く

 髪と翼を引っ張りながら震える唇で不安の色に染まった言葉を紡ぐ



「お、お、俺…は…?
 なぁ…俺、どうなったんだ…?」

「落ち着いて、カーマイン
 隣の部屋に鏡があるから、一緒に見に行こう?」

「あ…ああ…」


 メルキゼの腕がカーマインを支える
 カーマインも両手で彼の身体にしっかりとしがみ付いていた

 身体中が震えている
 自分の身体に起きた異変に対する恐怖と混乱

 鏡を見るまでの不安な気持ち
 そして、鏡を見た後に訪れる更なる衝撃


 全てをフォローできる自信は無い
 効果的な慰めの言葉など浮かぶ筈も無い


 取り乱すであろう彼を抱きしめる事しか出来ないけれど――…






「…私がついているから」

「…ん…大丈夫…」


 恐る恐る、鏡を覗き込む

 カーマインは自分の姿に驚き悲鳴をあげた
 しかしメルキゼが予想していたように取り乱すことはしなかった

 ただ、目の前にある現実を受け入れようと無言で鏡の中の自分を見つめている


 いっそ、錯乱でもしてくれた方がまだ声のかけようがある
 涙を流せばそれを拭うし、落ち込むようなら強く抱きしめることが出来る

 けれどこうも無言でいられると、逆にどうしていいのかわからない



「…か、カーマイン…
 その―――…すまない…」

「…俺さ、この姿…どう見ても人間じゃないよな
 翼も角も生えて―――…こんな人間いないもんな…」


 落胆している様子は見られない
 彼の声色は淡々と静かなものだった

 ほっとする一方で妙に落ち着いたカーマインにメルキゼは不安になる


「カーマイン…私の話を聞いて欲しい
 その…君がこのような姿になったのは、私のせいなんだ
 私のせいで君の命が危なくなって―――…一命を取り留める為にはこうするしかなくて…」


 悲しくなってくる

 こんな事を喋って、きっとカーマインに嫌われる
 憎まれても、殺意を抱かれても仕方がない

 彼が望むなら命を差し出そう
 もし彼と共にあることを許されるなら、一生かけて償おう


 自分の罪は永久に消えることはないけれど―――…




「カーマイン、許して欲しいとは言わない
 ただ…償わせて欲しい
 私に出来ることは何でもするから…」

「…そっかぁ…うん、つまりはそういう事なんだな…」


「か、カーマイン?」

「うん…大体の事情はわかった」

「えっ…」


 どうして、これだけの説明で理解できるのだろう

 取り乱したり錯乱してもおかしくない状況だ
 それなのに、こんなに落ち着いて変わり果てた自分の姿を受け入れるなんて――…


 メルキゼの困惑をよそに、カーマインは全て理解したといわんばかりに笑みを浮かべる





「…つまり、どこかでフラグが立っていたって事だろう?」

「は?」

 フラグ…って、何?
 というより、何でそんな理由で理解できるの?


「か、カーマイン…?」

「つまり俺の知らない間にジョブチェンジだか転職だかのフラグが立って…
 きっと俺、夢の中でダーマ神殿に行ったか、
 クリスタルを手に入れたりとかしたんだな」


 ど、どうしよう…

 絶対違うと思う
 思うのだけれど―――…


 どうやって突っ込めばいいのかわからない




「まぁ、よくある事だよな
 流石はファンタジー世界だな
 クラスチェンジネタも外さないか…うん、RPGの王道だな」

「…そ、そう…なの?」


 カーマインが何を言っているのかわからない
 ただ、ひとつだけ言わせて欲しい

 ねぇカーマイン…


 何でそんなに嬉しそうなの?



「うわ――…凄い、凄いよ!!
 ほら、翼がパタパタ動くぞ!?」

「う、うん…まぁ、生えているから…」

「すげ――…!!
 まるで身体の一部みたいだ!!」


 紛れもなく翼は身体の一部です



「今まで使ったことのない筋肉使うから、
 どうも上手く動かせないけど…すぐ慣れるよな
 このくらい大きければ空とかも飛べるかな〜」

「そ、そうだね…
 まぁ…翼で遊ぶのはその辺にしておいて、
 そろそろ本題に戻りたいのだけれど――…」


「あっ…あいたたたたたた…!!」

「ええっ!?
 ど、ど、ど、どうしたのっ!?」



「せ、背中の筋肉がピキッてしたっ!!
 翼の筋が攣ったっ…!!

「………………。」


 お願いだから本題に戻らせて





「はぁ〜…背中が筋肉痛になりそうだ
 …あれっ…よく見たら髪の毛の色、変わってるな
 限りなく黒に近い赤みたいな…まぁ、この色なら特に違和感無いか」

「そ、そう…だね…」


「ん〜…後は―――…あぁっ!!
 よく見たら、俺…目の色も赤くなってないか!?」

「う、うん…変わってしまったんだ…」


「赤い目…目が赤いって事は―――…」



 そう、赤い瞳は魔物の証
 自分のように生まれつき赤い瞳の者もいるけれど…

 それでも、それはごく一部のことだ

 大抵の者は赤い瞳を見ればモンスターを連想する
 人の姿をしていても瞳が赤ければ魔物として扱われることも少なくはない


 この瞳の色は、逃れられない魔物としての枷になるだろう





「カーマイン…
 その、瞳の事なのだけれど…」

「ああ…赤いって事はつまり―――…三倍早い!?


 何が!?



「くっ…今日は燃えることが多い日だな…
 この感動を同人誌にしてコミケで放出したい心境だ」

「…ほ、他に言う事はないの…?」


 あぁ…カーマイン…
 君の背中が果てしなく遠いよ…

 というか、これは燃える出来事なの…?




「この男にしてこの恋人あり…といった感じよのぅ…」

 少し離れた所で事の成り行きを傍観していたシェルが口を開く
 呆れている、というよりは純粋に感心しているようだ


「あっ…そういえば、この人は誰?
 なぁメルキゼ、紹介してくれよ」

「……カーマイン、この子はシェルだよ」

「どうも」

「あ、これはどうも初めまして
 先程は恥ずかしい所を見せてすみませんねぇ」


 カーマイン…
 初めてじゃないよ…

 ほら、シェルも困ってるじゃないか…



「か、カーマインよ…
 拙者のことを覚えてはおらぬか?」

「ん〜…?
 あぁ、もしかして先日知り合った、
 鼻にアーモンド詰めて取れなくなった酒場の踊り子――…」


断じて違う


「えっ…それは失礼
 じゃあ、尻からビールを飲むと評判の――…」

それも人違いじゃ


 カーマイン…
 間違うにも程があるよ…

 というより、そんな人と知り合わないで…!!




「ねぇ、カーマイン…本当に覚えてない?
 シェルの名前は君が名付けたのだけれど…」

「もちろん、覚えてるに決まってるだろ
 嵐で座礁した船に乗ってた子供だよな?」

「…………う、うむ……」


 カーマイン…
 つまり、さっきのはわざとだね?



「いやぁ〜…懐かしい!!
 しばらく見ない間に成長したな〜
 何だか大人っぽくなって、別人みたいだな」

「そ、それはどうも…
 じゃが…今のお主に言われるのも妙な気分じゃな…」


 まったくだ

 両者とも面影は残しているものの、
 どちらかといえばカーマインの様変わりのほうが激しい




「それと、あとは火波が――…
 あれっ…ねぇシェル、火波はどうしたの?」

「小屋の修理をするといって大工の所へ道具を借りに行ったぞ
 もう、かなり前のことじゃが―――…気付いておらんかったのか?」


「うん…どうも存在感のない人だから…
 いたらいたで、あまりにも影が薄過ぎて、
 何とでも同化してしまうんだ」

「まぁ、その点に関しては否定せぬが」



「…か、かなり存在が希薄な人なんだな…」

「うむ…まさに空気のような存在じゃ
 まぁ、帰ってきたら紹介致すよ」

「ああ、宜しく頼むな
 それにしても…あ〜…風呂に入りたいなぁ…」


 それが無理なことはわかってる
 この姿では風呂屋に行くどころではない

 人の形をしているとはいえ、魔族というよりモンスターに近い姿なのだ




「ええと…じゃあ、池の水を沸かしてみようか
 少し時間はかかるかも知れないけれど、水より良いと思う」

「それでは拙者は宿に戻って、風呂道具を持って来ようかのぅ」


 テキパキと行動に移る二人を前に、
 カーマインは意表を付かれるやら恐縮するやら


「い、い、いや、ちょっと待って…
 そこまでして貰うのは何だか悪い気がするんだけど…」

「今更じゃよ
 まぁ、のんびりと待っていておくれ
 こことホテルとの往復にも慣れた事じゃしのぅ」


「シェル、くれぐれも気をつけて行くんだよ
 人通りの多い道を選んで…いや、やっぱり私も一緒に――…」

「いや、外にリャンティーアがおるから
 二人で行くことにするから心配は要らぬよ
 …ついでに火波の服も借りてくるかのぅ
 カーマインの着替えも必要じゃろう?」



 視線がカーマインの着衣に集中する

 焼け焦げたり破れたりした…つまりはボロボロのシャツ
 しかもカーマインが急成長したため、サイズが合っていない

 今まで彼が持っていた服は入らないだろう
 着替えを貸そうにもメルキゼの服では大き過ぎるし、シェルの服は小さ過ぎる

 火波の着替えを借りるのが妥当だろう


「…悪いな、面倒かけて」

「カーマインは拙者の命の恩人じゃし…
 それに、拙者たちはお主の事が好きなのじゃよ
 面倒だとも思っておらぬし…だからそんなに気にしないでおくれ」

「ん…ありがとう」


 パタパタと駆けて行くシェルの背を眺めながら、
 目の奥がじわりと熱くなってゆくカーマインだった





「…俺さ、こんな姿になったのに…
 シェルもお前も、今まで通りに接してくれるんだな」

「そんなの…当たり前の事だよ
 だって、カーマインはカーマインだから
 姿が変わっても君を大切に思う気持ちは変わらない」


 メルキゼなら
 彼ならそう言ってくれる気がしていた

 やっぱり自分は無条件に彼のことを信頼していたのだろう



「…俺さ、お前の恋人でいても良いんだよな?」

「うん…当然
 でも、私のこと…怒ってない?
 カーマインがこんな姿になったのは私が原因なんだよ?」


「でも、そうしないと俺の命が危なかったんだろ?
 これも運命だったんだと受け入れるしかないじゃないか」

「…凄いね、カーマイン
 もう全部受け入れてるんだ…
 私が君の立場だったとき、そんなに落ち着いていられなかった」



「…ん?
 お前、何かあったっけ?」

「私も君と似たような体験をしたことがあった
 ほら、この猫の耳が生えた時の事で――…
 鏡を見た瞬間、錯乱して家を半壊させたよ」


 ああ…

 そういえば、この耳は途中から生えたものだった
 耳が生える以前の彼を知らないから、

 元々こういう生き物だと思っていた




「耳無しメルキゼって、どんな感じなんだろうな…」

「…耳無しって…そんな…
 種無し柿みたいな言い方しなくても」

「あはははは…」

「もぅ…笑わないで
 そんなに気になるなら、いつか私の家に帰ったとき…
 私の幼い頃の写真でも見せるよ」


「…………え゛っ…
 そ、そ、そ…そんなモノがあるのかっ!?」

「一枚だけ、父さんに撮ってもらったものが
 見ても悲しい思い出が蘇るだけだったから、
 父親の記憶と一緒に封印していたのだけれど――…」

「えっ…?
 あ、あ、そう…か…」


 メルキゼの前で家族の話題は厳禁だ
 父親に捨てられた辛い過去の傷はそう簡単には癒えない




「…でも…ね、最近の私は少し変わったよ
 今までの私は辛い記憶を封印して、
 全て忘れてしまっていたけれど――…
 最近は、少しずつ思い出してきたんだ」

「そ、そうなのか…?」


 確か、会ったばかりの頃の彼は、
 自分の父親の名前すら忘れたと言っていた

 きっと、それも意図的に記憶から消したものだったのだろう

 自ら記憶を閉ざしてしまうほど辛い記憶だったのかと思うと、
 カーマインの方まで悲しくなってくる


 けれど、メルキゼの方は逆に嬉しそうな微笑を湛えていた



「父さんの記憶を思い出してきたという事は、
 それだけ私の心も癒えたという事なのだと思う
 辛い過去が、楽しかった頃の記憶として蘇ってきたんだ」

「…そ、そっか…
 まぁ…お前が悲しくないなら良いんだ」


「…悲しくないよ、嬉しいんだ
 父さんに背負われて山道を登ったことも、
 山の中で綺麗な花を摘んで写真を撮って貰ったことも、
 髪の毛を三つ編みにして貰ったことも…本当に色々と思い出した
 中には、どうして今まで忘れていたんだろう…っていう内容のものもあって…」


 自分の過去を、こんなに楽しそうに語るメルキゼは初めてだ

 メルキゼを捨てた父親のことをずっと恨んでいたけれど、
 彼の中で楽しい記憶として蘇ったなら、自分の怒りも少しだけ和らぐ






「母さんの記憶は本当に幼い頃のもので忘れてしまっているけれど…
 でもいつか…機会があれば形見として貰ったブローチも身に付けてみようかと思う」

「あぁ、あの赤い石のついたやつな
 お前最初、あのブローチ売ろうとしただろ」


 母親の形見だというブローチを路銀の足しに売ろうとしたメルキゼを、
 カーマインが血相を変えて止めさせたのだ

 そんな大切なものを手放してまで助けて貰っても嬉しくない


「あの時は俺の方が焦ったよ」

「だって高く売れると思ったから…
 それに当時は家族を連想させるものは辛くて見ていられなかったから」


 それでも今はそのブローチを身に付ける気になるまでに回復した

 あの時、全力で阻止して本当に良かった
 …危うく取り返しのつかない事になる所だった




「じゃあ…さ、お前の服…
 赤いブローチが似合うようなものを探しに行こう?」

「そうだね…君の服も買わなければならないから、ついでに――…」

「でも、その前に風呂に入らなきゃな
 それに翼とか角とか隠す方法も探さなきゃ…」


「翼と角を隠す方法なら教えられると思う
 赤い瞳も―――…普通の街なら特に問題無いと思う
 宗教色が強い地域や武装設備の整った町では危ないかも知れないけれど」

「そっか…じゃあ、そんなに深刻に考えなくても大丈夫だな」

「うん、たぶん…大丈夫
 だからあまり気にしないで、今はゆっくりお風呂に入って?」



「ああ、そうさせて貰うよ
 …そうだ、お前も一緒に入らないか?」

「えええええっ!?
 わ、わ、わ、わ、私は…その、無理だ…!!」


 予想通りの反応が返ってくる
 相変わらず、すぐに真っ赤になる男だ

 うん、見ていて面白い
 だんだんショボンと寝てくる猫耳が堪らない


 …もっと遊んでやりたくなるじゃないか




「さっき、何でもするって言ってたよな?」

「で、で、で、でもっ…あ、あれはっ…!!
 ええと…その…私は…あぁぁ――…
 ご、ごめん、やっぱり恥ずかしい…っ!!」


「…うそつき…」

「はわわわわわ…
 ご、ご、ごめんね、ごめんねカーマイン!!
 でっ…でも、本当に恥ずかしくて、その――…」


 うーん、焦ってる
 泣き出しそうなほど、焦ってる

 あはははは…面白いヤツ
 悪いとは思うけど、やっぱりメルキゼで遊ぶのは楽しくて止められない



「じゃあ、他の事で妥協してやるよ」

「本当!?
 良かった…それで、私は何をすればいい?」


「今夜、一緒に寝るぞ」

「え゛っ…」


「もちろん、全裸で抱き合いながらだぞ
 朝が来るまで開放してやらないからな」

「あ…あう、あう…あうぅ…」


 お前はオットセイか

 口をパクパクさせる姿がなんとも笑える
 でも、いよいよ本気で泣き出しそうだからな

 …遊び足りない気もするけど、そろそろ勘弁してやるか




「仕方がないな…じゃあ、キスして
 今の所はそれで勘弁してやるよ」

「ええええっ…!?」

 …って、何でそこで飛び上がるかな…


「なんだよ、キスならもう何度もしてるだろ
 ほら、早くしないとシェルが戻ってくるぞ」

「…う…うぅ…
 は、恥ずかしいよ…
 カーマイン、目…開けないでね…?」



「はいはい、わかってるから
 ああ、ちゃんと舌使えよ?
 濃厚な大人のキスじゃないと駄目だからな」

「うっ…が、頑張っては…みる…」


 カーマインの意識がある時と無い時とでは大違いだ
 彼に口移しで食事を取らせていたとはとても思えない

 まるで初めての時のように緊張でガチガチになる
 メルキゼは全身を震わせながら、カーマインを抱き寄せて唇を重ねた


 カチン、と歯がぶつかり合う音がする




「…ご、ごめん…痛かった?」

「いや…でも、もっと口開けよな」

「う、うん…」


 再び重なる唇

 今度は硬い歯の代わりに、
 軟らかい舌の感触が出迎えてくれる



「んっ…随分…久しぶりな気がするな…
 なんだか懐かしいよ、お前の味―――…」

「私も…懐かしい気がする…」


「メルキゼ…もっと…」

「…うん…味わって――…」


 そこで会話は途切れた

 後に聞こえるのは荒れた息遣い
 それに混じって漏れる甘い喘ぎ声と湿った音



 そして――――…




「…風呂道具と着替え、持ってきたんじゃがのぅ…」

「ここで乗り込んでいくわけにもいかんだろう
 邪魔するわけにもいかないし――…少し、待つしかないな」


「仕方がないわねぇ…
 火波、アタシとアンタで池の水を温めるわよ」

「やれやれ…そうするしかなさそうだな
 シェル、二人の取り込みが終わったら教えてくれ」


「うむ…拙者も馬には蹴られたくないしのぅ」

「はぁ〜…やれやれだわ
 いつまで吸い付き合ってるつもりかしら」



 家の外では、とっくに戻ってきていた三人が、
 最小限に気配を殺しながら小声で場を持たせていた

 家の中に入りたくても入れない

 コソコソと気を遣いながら、出来るだけ音を立てないように
 なんとなく気持ち的な問題で、小屋からも視線をそらす

 それでもちゃっかりと聞き耳だけは立てている三人だった


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