「なっ…何じゃ、この熱気は…!!」



 小屋に近付くにつれ気温が上昇して行く
 春とは思えないほどの高温に気が逸る

 そして彼らが小屋に辿り着いた時、その異様な状況に息を呑んだ


 小屋の周囲の植物は完全に熱にやられている
 傍らにある池も明らかに水かさを減らしていた

 まるでサウナのような高温
 周囲の景色が陽炎に揺れる


 小屋の中からは絶えず熱風が漏れていた




「リャンティーア、中の様子は?
 カーマインの状態はどうなの?」

「わからないわ…
 あまりの暑さで倒れそうだったのよ
 カーマインの部屋を覗く余裕なんて無かったわ」


 家の中は外よりも高温のはずだ
 中を調べるにしても長時間はもたない

 少しでも外部の空気を取り入れなければ全員が倒れてしまう



「メルキゼデク、ドアを破るぞ」

「…わかった」


 二人はドア目掛けて助走をつけると、全力でそれに体当たりする
 激しい音を立てて木製のドアはその役目を終える

 途端に吹き出す熱風に思わず足元が怯んだ


「…風の匂いが変わった
 熱風で威嚇しているな…」

「カーマインが威嚇!?
 そんな…私たちに向かって!?」

 信じられない、と呟くメルキゼ
 彼はカーマインの部屋へ向かって走り出した



「待て、メルキゼデク!!」

「来ないでくれ!!
 二人で話がしたい!!」


 火波の制止を振り切ると、
 メルキゼはその中へと飛び込んだ

 途端に襲ってくる酷い熱気

 じりじりと皮膚が焼かれそうになる
 息を吸い込むと肺の奥が微かに痛んだ






「カーマイン!!」


 寝室のドアを開く
 そこは緋色に染まっていた

 まるでストーブの中へ飛び込んだような錯覚に陥る


「…カーマイン…?」

 恐る恐る中へ踏み込む
 そこには変わり果てた青年の姿があった


 長く伸びた髪
 鋭く突き出た角

 背を覆う巨大な翼
 ひと回り以上成長した姿の彼

 メルキゼの知っている恋人の姿ではない



「カーマイン…私だよ、メルキゼデクだ…」

 あまりの暑さに汗すら出てこない

 まだ威嚇されていることを気にしながら、
 メルキゼは彼に近付き手を差し出す


 突然胸が痛み出した


「…え…っ…?」

 じわりと広がる濡れた感触

 炎の色に染まった部屋で、
 自分の胸までもが赤くなっていた

 ぽたり、と赤い滴が床を汚す


「…カーマイン…どうして…?」

 切り裂かれた胸が痛い
 傷の痛みよりも、彼に敵として認識された事が辛い

 二人で築き上げてきたものが崩れていくような衝撃に足元まで覚束無くなる




「カーマイン…私だよ…
 どうして攻撃するの…?」


 信じていた
 奇跡が起こることを信じていた

 彼の微笑が出迎えてくれる事を
 また一緒に旅が出来る事を信じていた


 愛という名の根拠と確信を抱いていた

 二人で抱き合い口付けを交わして
 暖かく優しい時間を共に過ごす


 それが自分たちの未来だと信じていた




「カーマイン、どうして!?
 どうして私がわからない!?」


 叫んでも届かない
 彼の耳に、メルキゼの声は届かない

 声も心も、愛情も
 希望すらも閉ざされた


 赤い飛沫が部屋を濡らして行く

 切り刻まれて行く身体
 心も一緒に千切れて行った

 溢れる涙が頬を濡らす
 そこにあるのは絶望だった


「…駄目だったんだね…
 失敗してしまったんだね…」


 返り血を浴びた恋人の顔
 魔物特有の血の色に染まった瞳が輝いている

 そこに浮かぶのは狂気
 殺戮に酔い痴れる魔物の姿

 幼さを残したカーマインの顔は何処にも無かった



 魔物の手が空を切る


 そこから火花が散り、
 瞬く間に火の手が上がった

 一歩
 また一歩と彼は近付いてくる


 確実に獲物を仕留める為に





  





「…君はカーマインだ
 私が心から愛しているカーマインだ…」

 人の心を失っても
 魔物の姿になっても

 彼を愛するメルキゼの心は変わらない


 たとえそれが自分の命を奪おうとする相手だとしても



 カーマインの手がメルキゼの首に伸びる
 鋭い爪が皮膚に食い込んで赤い筋が幾本も流れた

 強い力
 息が出来ない

 以前の彼からは想像もできない

 このまま窒息するのが先か、
 それとも首の骨が折れる方が先だろうか



 愛するカーマイン
 彼になら殺されたってかまわない

 けれど―――…

 彼の殺戮衝動は止まらない
 獲物を探して息の根を止める

 それが魔物としての性だから


 小屋の外で待つ大切な仲間たち
 カーマインは彼らの命も奪おうとするだろう

 彼らだけではない
 町で暮らす人たちも


 全ての者をその力で息絶えさせようとする筈だ

 それだけは阻止しなければならない
 彼を止める事、それは自分に与えられた使命だ




「…カーマイン…」

 その腕を振り解くと、
 メルキゼは体勢を整える

 振り翳されたカーマインの一撃に身を翻すと、
 一瞬の隙を突いて背後から拳を叩き込む

 メルキゼの攻撃は彼の首に命中した
 声も無く崩れ落ちるカーマイン


 手加減はした


 一時的に気を失っているだけだ
 けれど目覚めれば再び人を襲うだろう

 …止めを刺さなければならない


 シーツに手を伸ばす
 無数に飛び散った血痕は既に乾き始めていた




「…愛しているよ…」


 カーマインを抱き起こすと、
 ベッドに寄り掛かるように座らせる

 その横に寄り添うようにメルキゼデクも座ると、
 二人の身体を包むようにシーツを肩から被った


「カーマイン、君は私の全てだ
 君のいない世界で生きる意味は無い…」


 彼の頬に手をかけると、静かに唇を重ね合わせる

 熱い吐息
 生きている鼓動



 柔らかい唇の感触は変わらない

 仄かな血の味が広がる
 これが最期の口付けの味

 涙の味に似ている
 でも甘くて切ない味だった




「私は寂しがり屋だから…
 だから、一緒に行かせて欲しい
 死後の世界でも迷惑をかけてしまうだろうけど…私は君といたいんだ」


 今度はメルキゼが火を放つ
 自分たちを包むシーツに向かって

 白い布は瞬く間に炎に包まれた


 燃えて行く
 全てが炎に包まれて消えて行く

 そして天へと昇って行くのだろう



「…ねえ、カーマイン…お腹空いた?
 向こうの世界に着いたら…食事の支度するからね…」


 朦朧とする意識


 激しく燃え盛る炎の中で、
 メルキゼは愛しい恋人の身体を強く抱き締めた

 熱さも苦しさも、もう感じない
 痛みを感じる神経も燃えてしまった


 向こうでまた逢うのだから
 だから…別れの言葉は口にしない


「…カーマイン…愛してる…」



 その言葉を最後にメルキゼの意識は炎に包まれ消えて行った―――…


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