「―――…シェル、起きてるっ!?」


 夜明けと共にドアが激しくノックされる

 火波がシェルを起こすよりも早い
 モーニングコールを頼んだ覚えはないが――…



「…な、何じゃぁ…?」

 目を擦りながら起き上がるシェル
 二度寝しようが眠いものは眠いらしい


「ん…この声は…」

 ドアに向かう火波
 その表情には不安と緊張が浮かんでいる

 火波が緊張する相手と言えば――…




「お、おはよう、メルキゼデク」

「ああ…おはよう
 …じゃなくって!!
 シェルは大丈夫なの!?」


 ドアが開くと同時に部屋に飛び込んできたのは、
 歩く天然トラブル男こと、メルキゼデクだった

 引っ込み思案な彼にしては珍しく行動的だ
 メルキゼは駆け足でシェルに駆け寄った

 …ドアの前に立つ火波を吹っ飛ばして



「…あぁ…!!
 シェル、身体は大丈夫!?
 痛い所があったら遠慮なく言って!!」

「も、もう大丈夫じゃが…」

「本当に!?
 私、シェルが心配で心配で…
 自分を抑えきれずに、ここまでお見舞いに来てしまったよ」

「そ、それは…どうも…」


 イノシシの如く山道を駆け下りるメルキゼの姿を想像して、
 思わず苦笑いを浮かべるシェル

 ここに辿り着くまでに、
 一体何人が彼に弾き飛ばされたのだろう…





「シェルが無事で安心したよ
 でも…襲った犯人は許せない!!
 引き千切って、すり潰して、消し炭にしてやりたいよ」

 何気に凄い事を言っている
 隠された本性なのかも知れない…

 しかも、本気でやりそうだし
 シェルは思わず顔を引き攣らせる


「見つけ出して復讐してやる!!
 シェル、相手は一体どんな奴?」

 本気でやる気だ
 殺る気満々の目だ

 ぐっと握り締めた拳は殺傷能力抜群である


「…まぁ、その点に関してはわしも異論はないが…」

 お前もかい

 二人の意見が珍しく一致した
 サバイバルな環境を生き抜いてきた二人の男は少々過激だった



「…じ、じゃが…拙者も一応、相手にダメージは与えたから…」

「そんなんじゃ足りないよ!!
 だってまだ生きてるって事でしょう!?」

「シェル、敵に情けをかけるな
 恩は倍返し、仇は百倍返しだ」

 せめて十倍返しにしておけ
 そう突っ込む間もなく、二人は更にヒートアップして行く


「わしの爪で末端からミンチにしてやろう」

「首と心臓は最後だ
 簡単に殺しては駄目だ」

「最後は二人がかりで火炙りにしてやろうか」

「…それ、いいね…」


 だっ…誰!?
 この人は一体、誰!?

 メルキゼっぽいけど発言がメルキゼじゃないっ!!
 こんな怖いことを言うのがメルキゼである筈が…っ…!!





「め、め、メルキゼデク…」

「―――…あっ…忘れてた
 朝ご飯用にお弁当作ってきたんだった
 はい、これ…せっかくだから食べながら話そう」

「…………。」

 このタイミングで普段の彼に戻られても困る
 逆に怖いものを感じるのは何故だろう…


「ほら、見て
 おにぎりと卵焼きと――…」

「いつもすまんな
 今、茶を淹れて来る」

「デザートに蒸しプリンを作ってきたんだ」



「お…お主ら…」

 何事もなかったかのように朝食モードに入る二人
 先程の殺伐さはシェルが見た幻だったのだろうか――…


「…で、シェル
 相手の人相を教えて?」

 ―――…現実だった

 にっこりと笑顔なのに、
 なんだか妙な迫力があって怖い



「そ、そう言われても…
 何て説明したら良いものか…」

「ええと、じゃあ特長とか
 何かに似ているとか…ない?」


「そ、そうじゃなあ…
 強いて言うなら、巨大なコンブのような――…」

「…コンブ…?」

 メルキゼと火波が顔を見合わせる
 眉を顰めながら表情には大量の疑問符を浮かべていた

 イメージが湧かないらしい





「全体的に緑色っぽくて、ヌルヌルしてて…
 目玉がひとつ、口がふたつある化け物じゃった
 海辺にあのようなモンスターが生息してるとは思わんかったのぅ」

「そんな不気味なモンスターに…!!
 あぁ、何て可哀想なシェル…怖かっただろうに…」

 ウルウルと瞳を潤ませるメルキゼ
 よしよし、と妙に優しい手付きで頭を撫ぜてくる火波


「まぁ…確かに何度かもうダメだと思った
 コンブのようなものを両手にグルグル巻き付けられてのぅ
 腕の自由は利かぬし、海中に引きずり込まれそうになるし…
 奴の牙が襲い掛かってきて着物もズタズタになってしまったのじゃ」

「何て卑怯な…!!
 同じ男として許せない!!」

「い、いや、男かどうかはわからぬのじゃが…」

 コンブだし
 そもそも性別があるかどうかすら謎だ



「男に決まってるじゃないか!!
 だって実際、シェルは襲われたんだよ!?
 あぁ…君の初めての相手は火波だと思っていたのに…
 それがよりによってモンスターに奪われてしまうなんて――…」

「…………は…?」


 何か今、聞き流してはいけないような事を聞いた気がする

 自分が―――…何だって…?
 シェルは自分の顔がピクピクと引き攣って行くのを感じた



「ごっ…ごめんねシェル
 古傷をえぐる様な事を言ってしまって…」

「め、メルキゼデク…
 お主の性格はわかっておるつもりじゃったが…
 よりによって何という勘違いを―――…」


 メルキゼがとてつもない誤解をしている事を知った
 侮辱、屈辱――‐…そんな言葉が頭の中を飛び通う

 握り締めたコブシがわなわなと震えた


「えっ…?
 な、な、何か違った…?
 だってシェル、モンスターに襲われたんでしょう…?」

「犯されたとは言っておらぬわ――――…っ!!!」


 朝っぱらから凄い内容の絶叫が港町に響き渡った






「だ、だ、だって…!!
 どう見たってあれは暴漢に遭った後って感じだったから…」

「そんな目に遭ってたまるか!!
 まったく、相変わらず早とちりじゃな…のぅ、火波よ」

「………コホン…」


 話を振られた火波は軽く咳払いをすると、
 遠い目で窓の外を眺めつつ呟いた

「……すまん……」

「お前もかぁ―――――…っ!!!!」


 普段は達観している少年も、
 時と場合によってはキレる事もある

 怒りも露な少年を前に、
 二人の大人は深々と頭を下げた



「…まったく…何をエロい事を考えておる…」

「だから悪かったと言ってるだろう
 だが、本当にあれは勘違いしてもおかしくない姿だったんだ」


 弁解する火波にジト目を送る少年

 何も二人して誤解する事もないだろうに
 本来なら火波は暴走するメルキゼを止める役割の筈だ

 シェルは大袈裟に溜息を吐く



「やれやれ…邪な大人たちじゃのぅ
 拙者はまだ身も心も汚れを知らぬというのに…」

「身体はともかく、心は充分―――…」

「何か言ったか?
 エロ犬畜生めが」

「いや、何も…」

 何も言い返せない
 当分の間、この話題をネタに苛められそうな火波だった







「と、とにかく大変だったな…」

「うむ…頭を食い千切られそうになってのぅ
 咄嗟に避けたが、髪の毛をガブリとやられてしまったのじゃよ」

「そんな攻防戦があったのか…」

 シェルは二人の誤解を解くためにも、
 その時あった事を細かく説明し始めた

 火波はともかくメルキゼは今後、何をどう勘違いするかわかったものではない


「うむ…まぁ、やられっぱなしも癪じゃからな
 隙を突いて奴の目玉を踏み潰してやったわ
 奴は悲鳴を上げながら逃げて行きおったが――…
 その際に投げ飛ばされてのぅ…岩に頭を打ち付けて気絶してしまったらしい」

「成程…それで岩場で気を失っていたのか…」


 納得したという面持ちの火波
 とりあえず誤解は解けた

 一応メルキゼも状況は理解はしたらしい



「うむ、つまりはそういう事じゃ
 間違っても犯されたショックで意識を手放したわけではないぞ」

「…わかったって…」

 チクチク

 トゲのある言葉と鋭い視線が突き刺さる
 後でご機嫌取りをする必要がありそうだ


「でも、今回はただのモンスターだったけれど…
 本当に暴漢に襲われる可能性だってあるから
 ただでさえ春は変質者が多いし…気をつけるんだよ」

「う、うむ…心得た
 まぁ拙者も懲りたからのぅ
 一人歩きは慎むと火波にも話したのじゃ」

「そうだね、それが良いと思う
 シェルは可愛い顔をしているし…不安だから」


 心配性な男は過保護だった
 シェルを気遣うメルキゼデクはやっぱり優しい

 …キレると黒い人格が出ることもあるが―――…




「まぁ、大半は性格を知った時点で逃げ出すと思うがな」

「でも中には顔さえ良ければ中身はどうでもいいっていう男もいるよ
 性格はともかくシェルは顔は良いのだから…やっぱり注意した方がいい」

「そうだな…言葉の通じない種族の暴漢もいるかも知れないしな」

「……お主ら……」


 心配してくれているのか、
 それとも遠回しに貶しているのか

 メルキゼの方は悪意はないのだろうが、
 火波の方は明らかなものを感じる


 日頃の恨みを返しているのだろうか…

 火波には強く言い返せても、
 メルキゼが相手だとシェルも何も言えないらしい



「…ふん…どうせ拙者は悪い子じゃよ…」

「ま、多少生意気で減らず口を叩くだけだ
 それさえなければ、それほど悪い子でもない」

 拗ねるシェルに微妙な慰めの言葉を掛ける火波
 更にぶすっと膨れる少年に、メルキゼデクがフォローの言葉をかける


「でもシェル、髪形変えたら男の子っぽくなったね」

「短くなったからのぅ
 これは拙者も気に入っておるのじゃよ
 頭も軽いし、シャンプーする時も楽そうじゃし」


 寝起きそのままの姿のシェル

 バンダナを巻いていない頭を何度も鏡で眺めながら、
 実に満足そうな笑みを浮かべている



「でも耳、隠すの大変じゃない?」

「コツを覚えたから大丈夫じゃよ
 それに火波もその辺は気遣ってくれたようじゃし…のぅ?」

「えっ…あ、ああ…」


 耳周辺の髪はあまり切らないでおいた
 その事を言っているのだろうが――…

 こんなに早く話題に出るとは…心臓に悪い



「と、まぁ…見ての通り拙者はエルフなわけじゃ
 エルフは魔女に魔法実験の材料にされると聞いてのぅ…
 じゃからエルフだと感付かれぬように耳を隠しておるのじゃよ」

「そ、そうだったのか…
 そういえばお前、バンダナの事を『耳隠し』とか呼んでたな…」

「うむ、これで全ての謎が解けたじゃろ」

「…別に…謎と言うほど気にはしていなかったが…」


 それでも知らないよりは知っている方がいい
 ささやかながらも一応、収穫は得た


 今後、役に立つかどうかは別として―――…









「さて…これからどうしようかのぅ…?」


 食事も終わり、身嗜みも整えたシェルは窓から外を見下ろす

 港町の朝は早い
 通りには人の姿も現れ始めていた


「とりあえず、街に出てみようか?」

「そうじゃのぅ…」


 とは言え動作は鈍い

 のんびりと釣りをしたりしながら過ごす彼らには、
 朝が来たからと言って特に急ぐ理由はなかった


 まったりとした時間が流れる
 誤解も解けた今、殺伐とした雰囲気とは無縁な空間になっていた

 少なくともシェルと火波はそう感じていた




「―――…誰か、近付いてくる…」

「えっ…!?」


 メルキゼの言葉に火波とシェルは耳を澄ませる

 立ち上がるなりドアの前に立つメルキゼ
 平穏だった室内に緊張が走る


「…シェル、何か聞こえるか?」

 シェルは首を左右に振った
 メルキゼの聴覚にはエルフのシェルも敵わない


「一体、誰が――――…」


 程無くして誰かが駆けてくる足音が響き始める
 その足音はドアの前で止まると、激しいノックの音へと変わった






「――…メル、いるっ!?」


 ヒステリックな少女の声
 既に聞き慣れた声だった


「…リャンティーア…?」

 メルキゼデクがドアを開くと、
 少女が中へと飛び込んでくる

 その姿にその場にいた三人が驚きの声を上げた


「どっ、どうしたのじゃ!?
 そのような姿で――…」


 年頃の少女らしくお洒落には敏感なリャンティーア
 しかし今の彼女は丁寧に巻かれた髪も伸び切り、顔には化粧っ気ひとつない

 何より驚かされたのが彼女の服装

 一応上からマントを羽織ってはいるが、
 その下はどう見てもネグリジェだった

 この格好でここまで走ってきたのだろうか



「ずっ、随分と大胆な姿で来たのぅ
 拙者たちは一応、全員男だと言うのに…」

「着替える余裕なんて無かったのよ!!
 …って、こんな悠長に話してる暇は無いわっ!!」


 見るからに焦っているリャンティーア
 小屋に強盗でも入ったのだろうか


「メル、早く小屋に戻るわよっ!!」

「えっ…ど、どうしたの…!?」


 メルキゼの腕を掴むと、
 ぐいぐいと外に向かって引っ張る少女

 尋常ではない様子にシェルと火波も立ち上がる



「結界が、かなり薄くなってるの!!
 もうすぐカーマインが目覚めるっていう合図だわ!!
 メル、アンタがいなきゃ話にならないのよ――…早く戻るわよ!!」

「ええっ…!?
 か、カーマインが…!?」

 メルキゼの顔色が変わる
 喜びよりも緊張の色の方が濃い


「縁起でもないけど…最悪の事態も想定しなきゃ
 戦闘になるかも知れないから、アンタたちも一緒に来て頂戴」

「言われなくても行くつもりだ」

 シェルは無言で刀を手にする
 万が一の場合はカーマインに刃を向けることになる

 その恐怖に少年の手は震えていた



「…シェル、無理だけはするな」

「わ…わかっておる…」

「お前の手は汚させない
 いざという時は…わしを盾にして逃げろ」

「えっ―――…」


 ほんの一瞬だけ
 火波の手がシェルの手を握った

 シェルが握り返す間もなくそれは離れて行く



「ほ、火波…」

「―――…行くぞ」


 そうだ
 急がなければ

 躊躇している暇は無い

 シェルは静かに頷く
 手の震えは止まっていた


 カーマインが待っている

 大丈夫だ
 きっと、大丈夫――…


 シェルは刀を握り直すと、仲間たちに続いて走り出した


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