「―――…シェル…!!」



 その姿は人目のつかない岩場にあった
 岩には止め処なく激しい波が打ち寄せ、気温は冬のように寒い

 ぐったりと倒れこんだシェル
 意識は既に無く、身体半分が海水に浸かっていた

 完全に冷え切っているその身体は血の流れを感じさせないほどに青白い


「…シェル、おい…しっかりしろ!!」


 身体を揺すっても頬を叩いても反応は返ってこない

 最悪の考えが脳裏を過ぎる
 火波は彼の胸元に耳を押し当てた



 微かな鼓動
 ほっと安堵の息を吐く

 マントを外してシェルに掛けようとする――…が、上手く行かない
 そこで初めて火波は自分の指が震えていることに気が付いた


「…大丈夫だ…生きている、大丈夫だ…」

 自分に言い聞かせる
 シェルの腕を取ると、その手をそっと握り締めた

 服が捲れて白い腕が露になる


「………?」

 微かな違和感

 注意深く見ると、
 白い腕に不釣合いな痣が浮かんでいた



 両腕に浮かんだ青黒い内出血の痕
 何かを強く巻きつけたような形で残っている

 火波はそれが何なのか瞬時に理解した
 そして改めて状況を見直す

 ぼろぼろになったシェルの着物が目に入った


 刃物で切り裂いた類のものではない
 明らかに力任せに引き千切ったと思われる

 そしてシェルの腕の痣
 これは縄のようなもので強く縛られた痕だった

 何者かがシェルを縛って身体の自由を奪い、そして衣服を裂いた――…




「……っ…!!」


 火波もいい歳をした大人だ
 その意味は嫌というほど理解出来る

 頬を濡らす波の飛沫が彼の涙のようにさえ見えた


「…くっ…!!」

 シェルを抱き上げるとその身体を強く抱き締めた

 早く連れて帰ろう
 一刻も早く暖めてやりたい

 ここはあまりにも寒すぎる
 火波はシェルを背負うと踵を返した








「…酷い…誰がこんな事を…!!」


 シェルの姿を前にメルキゼは涙を滲ませる
 怒りよりも深い悲しみが彼を支配していた

「あぁ…こんな子供相手に…可哀想に…
 シェルごめんね、助けてあげられなくて…」


 はらはらと涙を流しながら腕の痣を両手で包み込む
 癒しの力で少しずつその傷跡は薄くなって行った

 けれど、シェルが受けた心の傷は計り知れない
 こればかりはメルキゼの力ではどうしようもなかった


「…保護者面をしていながら、この様だ
 自分が許せない…肝心なときに守ってやれなかった」

 一人にするべきではなかった
 自分が同行していればシェルがこんな目に遭う事もなかっただろう

 しかし、いくら悔やんだ所で時間は戻らない



「火波…自分を責めないで」

「だが、わしが油断していたせいで…!!」

「火波が悪いわけじゃない
 悪いのはシェルを襲った奴だ」


 メルキゼはシェルの痣が消えたことを確認すると、
 その腕を放して火波に向かい合った

「目立った外傷は腕の痣以外には見当たらなかった
 でも他に痛む場所があるようだったら呼んで欲しい
 私はすぐに駆けつけるから…だから今はシェルを連れて帰って」



「…メルキゼデク…?」

「早く身体、綺麗にしてあげて
 服も着替えさせてあげて欲しい
 シェルが目覚めたとき、何事も無かったようにしておいてあげて」

「そうだな…そうさせて貰う
 メルキゼデク、ありがとう」


 身体を洗い清めて
 この服も捨ててしまおう

 全ての痕跡を消して、何も無かった事にする

 悪い夢を見ていたのだと――…
 そう思い込ませた方がシェルの為だ


 火波はシェルを背負うと、メルキゼデクに礼を言いながら小屋を後にした








 風呂を沸かしておいて良かった
 まさかこんな事になるとは思ってもいなかったが

 シェルの服を脱がせると、それを暖炉に放り込む
 忌々しいものはもう二度と見たくない

 火波はそれに火をつけてから少年を抱えて浴室へと向かった



「…綺麗にしてやるからな」


 シェルの身体に湯を掛けながら石鹸に手を伸ばす
 泡と一緒に今日の記憶も洗い流せたらどんなに良い事か

 血の気が引いていた身体も、次第に温まってきたらしい
 白い頬に赤みが戻るのを見て火波は頬を緩めた

 彼が生きているという何よりの証だった


「髪も洗ってやろう」

 シャンプーを髪に塗り込む
 爽やかな花の香りが漂った

 指先を柔らかな髪がすり抜けて行く



「……うん…?
 変わった髪型だが…
 こんなカットをしていたか…?」

 普段はバンダナで良く見えない
 彼の髪が長いという事だけは知っていたが…

 何かが変だ


 波打つ髪は川の流れのように伸びていた
 こんなにガタガタにカットされてはいなかった筈だ

 明らかに、昼間とは髪形が違う




「…何があった…?」

 問いかけても意識を失っている彼から返事は無い
 しかし彼が襲われた事と関係があると思って間違いないだろう

 火波はシャンプーを濯ぐと、シェルの身体を注意深く湯船に沈めた


 彼の耳は長い

 シェル自身は必死に隠していたようだが、
 一緒に行動していると隠し事も難しい

 偶然目撃してしまったのは、つい先日の事
 シェルが入っている事に気付かず浴室のドアを開けてしまったのだ



 普段は長い耳を折り畳むようにして髪の中に隠しているらしいが、
 耳を洗うときだけは流石にそういうわけにも行かない

 慌ててドアを閉め、謝罪の言葉を口にしたが――…
 長い耳は火波の目にしっかりと焼き付いていた


 シェル自身が隠そうとしているものを言及する気は無い

 だから火波は何も見なかったことにした
 普段通りに振舞う火波を見て、シェルも耳には気付かれなかったと思い込んでいるらしい

 相変わらずシェルは滅多にバンダナを外す事はない



「…今は…非常事態だ、許せ」

 バンダナを外すどころか服まで脱がせてしまった
 罪悪感が胸に残る―――…が、このままにしておく事は出来なかったのだ

 シェルには後で謝ればいい
 耳については訊ねられたら答えることにしよう

 火波はシェルを湯船から抱き上げると、
 その身体をタオルで包んで寝室へ運んで行った






「…やっぱり…髪型、変わっているな…」


 寝間着に着替えさせ髪を乾かす
 そして改めてその髪形を確認する

 どう見ても形が変わっていた
 短くなってしまった部分は四方八方に跳ねている

 この髪型ではとてもではないが外を出歩くことなど出来そうに無い



「証拠隠滅したかったんだが…無理そうだな」

 流石にこれはシェルも気付くだろう

 襲われた際に髪も切り取られたのだとしたら、
 鏡を見る度に嫌な過去を思い出させてしまうことになる


 生意気で口達者で気丈な子供
 だからと言って傷付かないというわけではない

 むしろ、この年頃の子供はとても敏感なのだ
 周囲から受ける些細な刺激にさえも深く影響される

 ほんの一瞬の出来事でも将来を大きく変えてしまう事になり兼ねない



「思春期の子供は扱いに困るというが…
 こういう場合は本当にどうしたら良いものだろう…」

 何を言っても傷つけてしまいそうだ
 だからと言って無言で通せば更に悪い結果になるだろう


 何て声をかけてやるべきか悩む

 シェルの身体をベッドに横たえて、
 毛布をかけてやりながら火波は彼にかける言葉を考え続けた






「……ん…むぅ…?」


 もぞもぞと動く気配
 シェルが意識を取り戻した事を理解する

 空はまだ暗かった


「…シェル…」

「んぅ〜…?」


 寝ぼけているらしい

 このまま再び寝てくれれば…と思ったが、
 長時間気を失っていたシェルはすっきりと目覚めてしまう



「…なんじゃ…まだ夜か〜…?」

「あ、ああ…夜明けまでまだある
 もう少し寝ていても構わんが…」

「んー…もう起きる…
 随分と寝ていた気がするが…」


 起き上がろうとするシェルに火波は咄嗟に手を差し出した
 身体の傷は消えていたが、まだどこか痛むかもしれない

 肩を抱きかかえるように上体を起こさせると、
 その膝の上に毛布を掛け直す


「…ま、まだ暗いんだ
 もう少し横になっていた方が…」

「なんじゃ辛気臭い顔をしおって
 目も冴えてきた事じゃし、別に――…」

 そこでシェルは言葉を途切れさせる



「ど、どうした…?」

「…拙者、無事だったのじゃな
 襲われた記憶があるのじゃが…」

 やっぱり忘れてはいなかった
 誤魔化す事など不可能な状況だ

 火波は胸が塞がりそうな錯覚に陥る


「…シェル…」

「火波が助けてくれたのじゃな…
 世話をかけたのぅ…じゃが助かった、ありがとう」

「…ち、違うっ!!」


 首を何度も横に振る

 間に合わなかった
 何も出来なかった

 礼なんか言われたくない



「わしは―――…助けてやれなかった
 本当に助けが必要なときに傍にいてやれなかった…」

 がっくりと頭を垂れる

 シェルに対して申し訳ないという気持ちが溢れる
 今すぐにでも心が押し流されそうだった


「…すまない…
 こんな事になったのは、わしの責任だ…」

「ほ、火波っ!?
 全ては拙者の自業自得じゃ
 お主は何も悪くないではないか!!」


「わしはお前を守る義務があった
 一人で行動させるべきではなかったのに…判断を誤った
 本当ならばわしも同行してお前を守るべきだったんだ…!!」

 許せない

 怒りも悲しみも、全ての感情が火波自身に向けられる
 悔しさに噛み締めた歯がギリギリと音を立てた




「…じゃが、拙者をここまで連れてきてくれたのは火波じゃろう?」

「ああ…お前を見つけたとき、身体の震えが止まらなかった
 冷え切った肌と血の気の失せた顔の色が…怖かったんだ
 妻を失ったときの記憶が甦って…お前の顔色が戻るまで、ずっと不安だった」

「それは…心配かけたのぅ…
 じゃが多少食われただけで命には別状無い、安心致せ」

「今回は運良く助かっただけだ
 命を失ってもおかしくない状況だったんだぞ!!」


 どうして落ち着いていられるのか
 こんな時でも達観した物言いをするシェルが理解できない

 火波一人だけが感情的になって行く
 傷付いているのはシェルの方の筈なのに



「まぁ…流石に両手の自由を奪われたときは焦ったのぅ
 いくら剣の腕を上げた所で、手が使えなければ無意味じゃし
 着物を引き裂かれたときは生きた心地がしなかったし、それに髪も――…」

 シェルは己の髪を指で示す


「…やっぱり、髪型変わっておるかのぅ?
 髪の毛を削ぎ落とされてしまったのじゃ…」

 シェルはまだ鏡を見ていない
 それでも己の髪型が変わってしまったことは予測できているのだろう

 正直に言うべきかどうか迷ったが、隠した所でシェルが恥をかくだけだ


「かなり酷い事になっている
 このまま外を出歩くには勇気が要るぞ」

「えっ―――…そ、そんなに滑稽な事になっておるのか!?」


 飛び起きるなり洗面台へと駆けて行くシェル
 そして彼にしては珍しい悲鳴が響き渡った




「ああぁ―――…
 ま、まるで落ち武者じゃぁ…
 ここまで酷い事になっておるとは…」

「ま、まぁ…そう落ち込むな
 朝一で美容院に駆け込めばいいだろう
 散髪代くらいは出してやるから――…」


「こんな姿を他人に見せることなど出来ぬわっ!!
 床屋に行った途端、笑い者になるじゃろうて…」

 しょんぼりと表情を曇らせる
 シェルにとって襲われたという事実よりも髪形の変形の方がショックらしい



「…せ、せめてもう少し見られるように切ってみるか…
 あぁ…じゃが髪など自分で切ったことないしのぅ…
 最悪の場合、さらに珍妙な事になる恐れも…あぁ…どうしたものか…」

「わしがやろうか?
 形を整える事くらいなら出来るぞ
 これを整えるとなると、かなり短くなるだろうが――…」


「む…むうぅ…
 お主に任せるのもかなり不安じゃが…
 背に腹は変えられぬしのぅ…致し方あるまいて…」

 自分で切るよりまだ希望がある
 そう判断したシェルはハサミを取り出すと火波に手渡した


「ここじゃ狭いからな
 寝室の方に移動するぞ」

「う、うむ…」

 視線が泳いでいる
 明らかに信用されていない


「…リンゴの皮すら剥けないお前よりは手先、器用だと思うぞ…」

 それなのにシェルときたら
 両手を合わせて念仏を唱え始めたりしている

 ちょっと切なくなった火波だった







「た、た、頼むから…
 これ以上悪化させる事だけはしないでおくれ…」

「そんなに心配するな
 形を整えるだけだと言ってるだろ」

「じ、じ、じゃが…
 やっぱり不安―――…あぁああ!!!」


 じゃき、という音と共に髪の一房が切り落とされる
 シェルの身体が石像のように固まった

「ああ…ああぁぁ…」

「何て声を出してる…」


「だって…だってぇ…っ!!」

 涙声が混じっている
 泣くほど信用無いらしい



「大丈夫だから…」

「うぅ…拙者の命の黒髪が…」

「黒くないだろ」


 じょきっ


「あ゛―――――…っ!!」

「いちいち騒ぐなっ!!
 まだ外は暗いんだ、近所迷惑だろう」

 このままでは苦情が来そうだ

 それに埒が明かない
 さっさと切り上げてしまおう


 チョキチョキチョキチョキチョキ…



「ち、ち、ちょっ…早い!!
 もう少し丁寧に切らんかっ!!」

「普通のスピードだ」

「明らかに早過ぎるわっ!!
 もっと躊躇いながら切れ!!
 こんなに早いと失敗するじゃろうが…!!」


 桜色の長い髪の毛が、
 まるで花びらが散るかのようにハラハラと降り注ぐ

 こんもりと蓄積しつつあった


「手際が良いと言ってくれ
 これでも腕には自信があるんだ」

「うぅ…変になったら恨むぞ…」

 それでもここまで切られてしまっては諦めるしかない
 ようやく腹を括ったのか、シェルは黙って切り落とされた髪を見つめ始めた


 途端に静かになった宿の一室
 ハサミの音がリズミカルに響く





 切る部位によって微妙に変わる手付き
 小刻みに指先を使いながらハサミを自在に操っている

 …落ち着いて見てみると、確かに手際が良いかも知れない


 一体、何通りのハサミの使い方を知っているのか
 ただのクラフト用のハサミとは思えない

 しかもこのスピード
 更に異様なほど慣れた手つき

 もしかして、彼は―――…


「…の、のぅ、火波よ…」

「何だ?」

「昼間、職業の話をしたが…
 もしやお主の仕事とは――…」


 そう言えば専門学校に行っていた、というような事も言っていた
 理容専門学校に通っていたと考えれば――…

 シェルは確信を持つ



「それなりに評判は良かったんだぞ
 自営業で大変だったが、充実した毎日だった」

 やっぱり美容師だった
 ここまで見事な腕を披露されては疑う余地はない


「…プロならプロだと言えば良いじゃろうに…
 そうと知っておれば、ここまで怯えなかったぞ」

「何せブランクが長いからな
 …だが手に職をつけておくと便利だぞ
 それを職業にしないとしても、こうやって日常的に使えるからな」


「そうじゃなぁ…
 こうして目の当たりにすると説得力があるのぅ」

「まぁ、考えておけ
 …よし…こんなものだろう」


 火波がハサミを止めたのを確認してから、
 シェルは再び鏡の元へと向かった



「おお…!!
 悪くないではないか
 腐っても鯛、死んでも美容師じゃのぅ」

「もう少しまともな褒め言葉は言えないのか、お前は…」


 とは言え、安心したのは火波の方だ
 何せ髪を切ったのは70年ぶりだったのだ

 昔取った杵柄も案外役立つものだとしみじみと感じる火波だった





「ふむ…たまには襲われてみるのも悪くないかも知れぬのぅ」

「馬鹿なこと言うな
 こんな思いはもう二度と御免だ」


 表情を曇らせる火波とは対照的にシェルの表情は明るい

 帰り際に火波が買っておいた弁当を頬張りながら、
 シェルは上機嫌で言葉を続ける


「心配かけて悪かったと思っておる
 今後は一人歩きを慎むことに致すよ

「当然だ…今度から外出するときは、
 わしかメルキゼデクを連れて行け」

「…メルキゼデクと外出か…
 さぞかし目立つ事じゃろうな、色々な意味で」


「た、確かに…ある意味一人歩きより危険かも知れないが…」

「カーマインが起きたら一緒に遊びに行きたいのぅ…
 凄く楽しい男なのじゃよ、色々な知識を持っていて」

「わしも一度、話してみたいと思っている
 お前の命の恩人で憧れの人物で――…
 その上、あのメルキゼデクの恋人とはさぞかし凄い男なんだろうな」


 見た感じでは平凡そうだったが
 人は外見では判断できないものだ




「カーマインの作る味噌汁は絶品でのぅ
 あの味はメルキゼデクにも出せぬのじゃ
 はぁ…カーマインの味噌汁が毎日飲みたい…」

「人の恋人にプロポーズみたいな事を言うな」

「あはははは…確かにのぅ
 まぁ、拙者にもその内そういう相手が出来る事じゃし…」


「…えっ…?」

 初耳だ
 どこかで好きな相手でも出来たのだろうか

 それとも、まさか―――…


「…まさか、お前を襲った相手の事じゃないだろうな…!?」

「いや、拙者もそこまで物好きではない
 そうではなくてのぅ…気を失った衝撃で記憶の一部が戻ったみたいで」




「ほ、本当か!?
 それで一体、何を――…」

「まぁ…漠然とした事が継ぎ接ぎのようにのぅ
 その中に拙者が以前、理想としていた相手が出てきて…」


 思い出したことは男絡みか
 シェルらしいと言えばシェルらしいが…

 まぁ、他の記憶を引き出すヒントになるかも知れない



「それは前からお前が言っている、
 長身長髪の色男とは違うのか?」

「むー…何とも言えぬ…
 姿は見ておらんのじゃ」

「………?
 それは一体…?」


「どうやら拙者、以前は相当なロマンチストだったようじゃ
 何故か『運命の出会い』というものを信じておったようで…」

「はぁ…?」




「ある日突然、『自分が運命の相手だ』と名乗り上げる男が現れてのぅ…
 その相手は拙者の事は何でも知っていて、一番の理解者になるのじゃ
 どこかの貴族かというようなタキシード姿で…どうやら白馬の王子と混ざっておるようじゃな
 と、まぁ…そんな相手がひょっこりと現れることを心の奥底から信じておったようで――…」

「…物語の読み過ぎか…?」


 実際にそんな相手が現れたら、
 ときめく以前に不信感を抱くだろう

 必要以上に自分の情報を知られていたら、普通はそういう反応をする
 まずはストーカー説を疑う事をお勧めしたい



「知らない相手について行ったら駄目だぞ…」

「んな事わかっておるわ!!
 記憶喪失になる以前の記憶じゃ
 今の拙者に言われても仕方が無いじゃろう」

「…まぁ、確かにそうだが
 だがタキシード好きという所は変わってないんだな
 お前がわしを探していたのも、吸血鬼という言葉からタキシードを連想したから…だったな」

「むぅ…言われてみればそうじゃのぅ…」


 一生の不覚、と呟く少年

 どうやら無意識の選択だったらしい
 珍しく頭を抱えるシェルが妙に可愛い


「まぁ…もしかすると、
 お前の過去を知るタキシード姿の色男が現れるかもな」

「う、胡散臭さ丸出しじゃ…」




「まあ…そう言うな
 他には何か思い出さなかったのか?」

「そうじゃなぁ…
 あとは、拙者が記憶を失った場所じゃな
 やはり火山のある所で…かなり辺境の島じゃ
 拙者たちが最初に目指しておった火山のある町とは別の島じゃな」

「そこまで思い出せたのか」


「うむ…だいたいの方角はわかっておる
 後でもっと大きな地図を買っておくれ
 普通規模の地図では恐らく載っておらぬ」

「ああ、わかった
 何か手掛かりがあると良いな」

「うむ…まぁ、どちらにせよカーマインが目覚めてからじゃ」


 彼の無事を確認しない事には旅立つ事もできない

 乗りかかった船だ
 シェルはもとより火波も最後まで付き合うつもりだった

 少なくとも、カーマインが目覚めるまでは



「…よし、これで目先の目処は立ったのぅ」

「ああ…
 で、これからどうする?
 まだ夜明けまであるが――…」

「寝直すから、朝になったら起こしてくれ
 腹が膨れたら眠くなってきてのぅ…」


 欠伸一つ
 言葉の通り、再びベッドに潜り込むシェル

 流石にこれには火波も呆れる


「…食ってすぐ寝ると牛になるぞ…」

「一戦交えて疲れておるのじゃ
 襲われるのも楽ではないのぅ…
 というわけで、寝かせてもらうぞ」

「……お前なぁ…
 あれだけ寝ておきながら…」


 もう何だって言い訳にしてしまう口達者な少年

 とは言え、襲われたのは事実だ
 火波も何も言えず、寝息を立てるシェルを見守るしかなかった


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