随分と長い月日が経った


 季節は移り変わり、
 景色も趣を変えている

 ここでの生活もようやく肌に馴染んできた
 最近では海へ釣竿を担いで行ったりもする



「…ほぅ…大物じゃな
 磯釣りが趣味というだけあるのぅ」

 大振りの魚を釣り上げた火波にシェルが歓声を上げる
 火波が買ってやった図鑑を片手に、少年は早速種類の確認を始める


 こうやってみるとシェルもごく普通の少年に見えるから不思議だ




「ええと…これがカレイ…いや、ヒラメじゃろうか?
 こっちはマスの一種じゃよな…ええと…アメマス…かのぅ?」

「お前も釣ってみないか?」

「むぅ…拙者は遠慮しておく
 じっとしているのは性に合わぬのじゃ」

「確かに…お前は潮干狩りの方が得意みたいだな」



 渋い性格に反して、貝殻拾いが趣味というシェル


 綺麗な貝殻を見つけ出すのが得意な彼だが、
 生きた貝を探すのも得意だと知ったのはつい先日の事だ

 新たな特技を知った彼は、
 潮干狩りグッズを片手に今日も浜辺を闊歩してきた所だった



「これがアサリで、これが白貝という種類らしいのじゃ
 砂出しが済んだらメルキゼデクに料理して貰おうと思ってのぅ」

「アサリは様々な料理に使えるから楽しみだな
 わしらが魚や貝なんかを持ってくるせいで、
 メルキゼデクも一段と料理の腕を上げきた―――…っと、っと…」

「なんじゃ、もう喰らい付いたのか
 今日は大量じゃな…今度の魚は何かのぅ?」


 海辺でのコミュニケーションが最近の日課となっている
 二人の趣味を同時に満たせるので毎日のように海に来てしまうのだ

 ちなみにメルキゼは滅多に海に近付こうとしない
 カナヅチな上に、あまり良い思い出がないそうだ


 ちなみにリャンティーアは――…




「…彼女は上手く行ってるのか?」

「今の所は順調みたいじゃのぅ
 この間は船に乗せて貰ったそうじゃし」


 リャンティーアには恋人が出来た…らしい

 魔女っ娘の恋のお相手は漁師見習いの若者との事らしいが、
 彼女の性格を考えると、いつ破局を迎えるかと気が気じゃない

 …が、火波たちの心配をよそに着実に愛情を育んでいるようだ



「お前も恋人の一人くらい作ったらどうだ?」

「うむ…じゃが、なかなかイイ男がいなくてのぅ…
 とりあえず条件を火波以上メルキゼデク未満で探しておるのじゃが」


「…わし、最低レベルなのか…」

「うむ、ギリギリまでラインを下げたつもりじゃ
 これなら恋人も見つけやすいと思ったのじゃが…
 そう上手くは行かぬものじゃなぁ…なかなか見つからぬ」

「………。」


 もう突っ込む気さえ起きない

 黙々と釣り餌を交換する火波
 今度はサシからイソメに変えてみる




「釣りばかりで飽きぬか?」

「まぁ、これが趣味だからな
 飽きは来ないが…お前はもう飽きたか?」


「いや…拙者は海が好きじゃから飽きはせぬが…
 じゃが火波よ、お主のその姿勢は腰に来るのではないかと…」

「ああ…釣り糸を垂れている間は何ともないんだがな
 これが翌日になると突然腰が悲鳴を上げ始めるんだ」


「歳じゃのぅ…」

「まだ三十そこそこで死んだから良い方だ
 これが四十代近くなると筋肉痛が三日後に来る」


「あははははは…」

 微妙に引き攣った顔で空笑いをするシェル
 一瞬、ゴールドの顔が思い浮かんでしまった事は伏せておく

 どうもシェルの中でオジサン=ゴールドという構図が出来上がっているらしい




「もう少し暖かくなったら泳げそうだな」

「ほぅ…
 お主、泳げるのか?」

 随分と意外そうな顔をされる
 どうやらあまり運動神経が良いとは思われていないらしい

 まあ、火波の青白い肌から健康的なイメージはあまり湧かないだろうが…


「…多少はな」

「やはり犬かきか?」

「言うと思った…」


 未だに火波は犬扱いだ
 第一印象のせいなのだろうが…いい加減、払拭したい

 …恐らく、一生無理だろうが―――…




「そういえば手紙…返事が来てのぅ」

「何と言っていた?
 許可は貰えたのか?」

「うむ」


 シェルがセーロスとユリィに手紙を出した事は知っていた
 期限付きで旅に出たシェルだったが、その期限が迫ってきていたのだ

 だが今の状況が状況だ
 出来れば最後まで付き合いたい

 理由を説明して期限を延ばしてもらうように頼んでいたらしい


「…カーマインが命の恩人だと説明して、
 今度は拙者の方から恩返しがしたいと書いたのじゃ」

「そういう書き方をすれば駄目だとは言い難いだろうな…」

「うむ、最低でも月に一度手紙を出すという条件で丸く収まった
 火波にもくれぐれもよろしくと書いてあったのじゃが―――…」

 最後の歯切れが悪い
 何かあったのだろうか



「…どうした?」

 シェルは懐から髪の束を取り出す
 どうやらその手紙を持参していたらしい

「…ここの部分」

「ん…?」


 指で示された所に目を通す

 ユリィの文字なのだろう
 きちんと整った細い文字が並んでいる





 追伸

 可愛いシェル、彼とは上手くやっていけている?
 火波さんは少しセーロスと近い性格の持ち主だと思うの

 あの手の人種の扱いはそれなりに慣れてるつもり
 彼との進展が上手く行かないときは遠慮なく聞いてネ

 恋の悩み相談もユリィ兄ちゃんは得意なのよ☆






「―――…またか…」


 渋い表情を浮かべる火波
 そこには何処か諦めの色も混ざり始めている

「どうも拙者たちは誤解されやすいようじゃのぅ
 メルキゼデクもリャンも未だにお主が拙者に恋慕中だと思い込んでおるし」

「勘弁してくれ…」

 手紙をシェルに返す火波の額には微かな青筋が立っている
 やっぱり不快だったらしい



「火波は再婚とか考えておらぬのか?」

「考えたこともない」

 シェルの言葉を一蹴する
 馬鹿馬鹿しいとでも言うように


「…もう、そんな人としての感情は捨てたんだ
 わしは誰も愛さないし、愛されたいとも思わない
 心も身体も何もかも――…もう、以前のようには戻れないしな」

「相変わらず寂しい事を言う男じゃのぅ
 いくら魔物になったとは言え、普通に生活出来ておるではないか
 恋人の一人や二人作ったほうがお主の性格も多少明るくなりそうな気がするがのぅ…」


 殺戮衝動はモンスターに向ければ人の為にもなる
 血は獣やモンスターから得れば良いだけの話だ

 それに彼を本気で愛する相手なら、自ら血を分け与えようとするだろう




「お前、わしが不老不死だという事を忘れてないか?
 いくら普通に生活しているように見えても…わしの容姿は永久に変わらない
 わしの視点から見れば他の命など瞬く間に尽きてしまう儚いものだ
 愛する存在を何度も看取れるような強い心を、わしは持ち合わせていない」

「ならば吸血鬼の恋人を作ればどうじゃ?
 同属ならずっと一緒にいる事も出来るし…最良のパートナーではないか」

「…簡単に言うな
 吸血鬼なんてその辺にごろごろいるものではない
 それに外見からわかるものでもないし…難しいんだぞ」


 一目見て火波を吸血鬼だと見抜く者はいないだろう
 戦士であるセーロスも、魔女であるリャンティーアもわからなかった

 メルキゼデクのように勘の鋭いものはアンデットだと見抜く場合もあるが、
 だからといって吸血鬼という種類まで判別する事は至難の業だ


 それに大抵吸血鬼は自分の狩場――…縄張りを持っている
 他の吸血鬼を疎ましく思う事はあっても、招き入れる事はまずないだろう

 誰だって自分のテリトリーを侵されるのは嫌なものだ




「…じゃあ、自分で吸血鬼仲間を作ったらどうじゃ?
 吸血鬼に襲われたものが吸血鬼として復活するのじゃよな?」

「まぁ、大筋で合ってはいるが…
 色々と条件や手数が掛かって面倒なんだぞ
 それに…仮にわしが吸血鬼として甦らせたとしても――…」


「何か問題が?」

「いや、普通に考えてだな…
 自分を襲って殺した相手に惚れる事はないだろう
 それこそ恨み辛みの地獄絵図が繰り広げられる事になりそうな予感が…」



「…同意を得れば良いではないか
 手順としてはとりあえず恋人を作って、
 プロポーズ代わりに『吸血鬼になって欲しい』とか言えば――…」

「絶対逃げられると思う…」

「だ、駄目か…」


 プロポーズどころか、完全なホラーになってしまう
 かと言って予め吸血鬼だとわかった上で彼と付き合うような女性はいないだろう




「…それに、惚れた相手を手にかけるというのも辛いものだぞ」

「一度、殺さなければならぬのじゃよな
 他にも色々とあるそうじゃが――…」

「ああ…全身の血を吸い尽くして殺すんだ
 だが誰でも吸血鬼になるというわけではない
 ある程度の魔力を持った存在でなければ駄目なんだ」


「そうじゃったな…
 他にも条件はあるのか?」

「ああ…現世に強い未練を抱いている事と…
 それと、最期に見る存在がその吸血鬼でなければならない
 あとは――…まぁ、他にも少しあるがお前に話しても仕方が無いだろう」

「まぁ、それもそうじゃな」


 そこで会話は途切れた

 火波はこの件について乗り気ではないようだし、
 シェルにとっても所詮は他人事である

 これ以上この話題を続けても意味が無い
 どちらかともなく別の話題を探し始める





「…お前は…記憶喪失中なんだよな」

「うむ…」

「何か、思い出したか?」


 無言で首を横に振るシェル
 そう簡単には行かないものらしい

 まだまだ時間は掛かりそうだ


「拙者の記憶に僅かに残るのは…
 全てを飲み込む炎のイメージだけじゃ
 何もかもが焼き尽くされて、意識が途切れて…
 気が付いたらカーマインたちに助けられておったのじゃ
 恐らく炎から逃れるために船に乗って――…じゃが、その船が嵐か何かに遭って…」

「そうか…早く記憶が戻るといいな」

「うむ…じゃが、故郷はもう残っておらぬかも知れぬな
 拙者の記憶じゃと何もかもが燃えてしまっておったから…」



「だが、僅かでも生き残りのものがいれば再建されている可能性もある」

「全滅してなければいいのじゃが」

「…そう…だな…」


 そこで再び会話が途切れる

 どうも話題が暗い方向に行きがちだ
 これでは会話が弾むはずもない





「えっと…
 どんな話題を選ぼうかのぅ」

「………お前は…将来をどう考えている?」

「将来?」

「ああ、お前くらいの年頃ならそろそろ…
 将来の夢とかを具体的に考え始める頃かと思ってな
 わしも16くらいの時から専門的に勉強を始めたからな…」

「将来の夢か…考えたこともなかったのぅ」



 将来志そうとする道は少なからず、
 昔からの経験や出来事が切っ掛けになっている事が多い

 偉大な作家の作品に心打たれた事から芸術家を目指す者もいるだろうし、
 身内が病に犯された経験から医者を目指す者もいるだろう

 しかしシェルはそれらの一切が失われていた
 将来希望する職業など聞かれても、イメージが思い浮かばない



「…今は自分の記憶を追いかける事で精一杯じゃからのぅ…
 じゃが、いつ元に戻るかもわからぬし…
 何か手に職をつけておくべきじゃろうか?
 拙者には家業を継ぐような家族もおらぬし―――…」

「まあ、そんなに急ぐことはないだろうが
 だが少しだけ念頭に入れておくといいだろう」

「そうじゃな…
 ゴールドも薬師じゃったし、リャンティーアも発明家を目指しておるし、
 メルキゼデクもその気になれば格闘家や料理人になれる腕もあるし、
 火波も吸血鬼という職業に就いておるし、拙者も何か考えねば――…」


「…おい、ちょっと待て」

「む?」

「吸血鬼は職業じゃないんだが…」

「…あ…」


 そう言えばそうだ
 火波が吸血鬼になったのは死後の事

 それ以前は普通に―――…


 ……普通に―――…何をやっていたのだろう……





「…お主、何をしておったのじゃ?」

「うん…?」

「一応は妻を養っておったのじゃろう?
 口ぶりからしても何か仕事をしていたようじゃったが…」

「それは勿論、仕事はしていたぞ
 16の時に専門的に学んだ甲斐があって希望通りの職に就けた」


「…それで?
 何の仕事をしておったのじゃ?」

「……ヒミツだ」

「のぅ…火波よ、
 ここまで言っておいてそれは反則じゃろう」


 食い下がるシェル

 が、意外とこの男
 気弱に見せかけて強引なところがあったらしい



「お前に言えば馬鹿にされるのが目に見えている
 かけられる侮辱の言葉さえ想像出来そうだ
 …とにかく、お前には絶対に教えん」

「昔話なのじゃから教えてくれてもいいのに
 …ケチな男じゃのぅ…」

「ふっ…ケチで結構」

「む〜…」


 無理に聞き出すことは不可能だと踏んだシェルは頬を膨らませる
 それでもいつか必ず聞きだしてやろうと闘志を燃やしている事は明らかだろうが…



「そう拗ねるな
 ほら、そろそろ戻るぞ」

「え…もう?」

「日が暮れるとまだ寒いからな
 それに…少し雲が出てきた」


 晴れていた空は黒い雲がポツポツと浮かび始めている
 近い内に降り出す事は案に想像できた

 やれやれ、とシェルも腰を上げる



「火波、一足先に帰っておくれ
 拙者は魚と貝をメルキゼデクに届けてから行く」

「今日は大量だったから重いぞ
 わしが行くから、お前が先に戻ってろ」

「少しだけメルキゼデクに話があってのぅ…
 遅くなるやも知れぬから、夕食用に何か買っておいておくれ」


 最近では帰りに食材を買って帰る事も少なくない

 メルキゼデクは食事を作ってくれると申し出てくれたが、
 三食全て彼の世話になるのも気が引ける

 とは言え一日一食は彼の手料理をご馳走になっている
 シェルと火波は食費も兼ねて釣りや潮干狩りをしていると言っても過言ではない



「仕方が無いな…わかった
 だが暗くなる前に戻って来い
 今夜は雨も降りそうだからな」

「うむ…心得た
 風呂を沸かして待ってておくれ」


 軽い掛け声と共に荷物を背負うと、
 シェルは山林へと続く道を歩き始めた

 メルキゼが住んでいる所は山の中なので少し遠い
 しかしまだ陽もあるし、仮に夜になったとしてもメルキゼがシェルを送って来るだろう


 火波は心配する気持ちを捨て、足を市場に向けた








 流れ落ちる滴をタオルで拭うとベッドに腰掛け、冷えたアルコールで喉を潤す
 火照った身体の上にシャツを一枚羽織ると読みかけの本に手を伸ばした

 窓の外は既に闇が広がっている
 灯台の明かりのみが光を湛えていた


「…遅い…な…」


 シェルはまだ帰ってこない
 あと数時間で日付が変わる

 火波は時計と窓の外を交互に見ながら唇を噛んだ


 あまりに遅すぎる
 探しに行くべきだろうか

 しかし、行き違いになっても困る

 それにシェル自身も歳のわりにしっかりしている
 下手に心配したところで取り越し苦労に終わる可能性もあるだろう

 遅くなったからメルキゼの所に泊まる事にしたのかも知れないし…



「…大丈夫…だとは思うが…」

 万が一という事もある
 夜は特にモンスターの行動も活発になる

 いくらシェルに剣の腕があるとは言え実戦経験は未だ少ない


「シェル――…」

 元々楽天的な思考はしていない

 一度悪い方に考えてしまえば、
 思考は坂道を転がるようにマイナス方向へ向かって行く

 微かに響く雨音が火波を焦らせた



「杞憂だと思うが…念のためだ」

 メルキゼを訪ねてみよう
 そう決めると火波は脱いだ服に手を伸ばした

 髪も体も完全に乾いていないが、どうせ外は雨だ
 帰ってからまた風呂に入り直せば良いだけの事だ

 行き違いになったとしても非はシェルの方にある、自分が責められる事はない


 火波はマントを頭からかぶると雨の中へ駆け出した






 小屋にはまだ明かりが灯っていた
 その戸を叩くと、寝間着姿のメルキゼが出迎えてくれる

 もう寝る所だったのだろう


「…火波、どうしたの?
 何か忘れ物でも――…」

「いや…その、シェルが来ていないか?」

「…シェル?
 確かに来てたけれど…
 でも、暗くなる前に帰ったよ」


 日没前というと、かなり前ということになる
 それでもまだ帰ってきていないということは――…

 火波の額を雨粒ではない滴が流れ落ちる



「もしかして…
 シェル、まだ帰ってきていないの?」

「あ、ああ…
 こっちに来ているとばかり思っていてな
 まだ戻っていないとなると、何処へ行ったのか…」

「あの子は一人で夜遊びするような子じゃないよ
 何かの事件に巻き込まれたとか、モンスターに襲われたのかも…」


 その可能性が高い

 シェルは旅に出るときも許可を取ってから行くような子だ
 期限が過ぎそうになった時も律儀に手紙を出していた

 そんな彼が黙って深夜まで出歩いているとは考えにくい



「一時を急ぐかも知れん
 悪いがこれで失礼する
 シェルを捜しに行かないと――…」

「わ、私も手伝うよ
 森の中を歩き回るのは慣れているから…」

「すまない…世話をかける
 じゃあメルキゼデクは森の中を頼む
 わしは海岸の方を当たってみようと思う」


 事件が起きたりモンスターが出るのは、大抵人目につかないような場所だ
 街中よりも森や海辺を探した方が彼を探し出せる確率は高いだろう

 火波とメルキゼは二手に分かれると、それぞれ雨の中を駆けて行った


TOP