メルキゼデクは丁度、一息吐いている所だったらしい
 椅子に腰をかけ、ぼんやりと宙を眺めながら時折不覚溜めた息を漏らす

 疲労の滲み出た憂い顔
 長く伸びた髪が白い肌に影を落とす


 状況が状況だ

 一人きりになった事で悪い方向へと思考が傾いてしまったのだろう

 根は真面目そうな男だ
 思い詰めるあまり、自分を責めたりもするだろう

 そう思えば自分がここに残る選択肢は正解だったのかも知れない




「……メルキゼデク、少し良いか?」

「…あ…火波…
 シェルたちと一緒じゃないの?」

 彼は料理に没頭するあまり、
 シェルたちが出かけたのに気付いていなかったらしい


「ああ、子供たちは街に遊びに行った
 たまには大人の監視から逃れさせてやるのも良いと思ってな」

 火波はメルキゼの向かいに座ると、
 装備品の留め金を緩めた

 室内では重い装備など邪魔なだけだ
 それにどうせ、今日は遅くまで出かける事は無い

 リラックスモードに入る火波を見て、メルキゼも微かに頬を綻ばせた




「…それなら…大人同士、話でもしよう
 ジュースを作ったから…少し待っていて欲しい」

 メルキゼは先程まで果物を搾っていたらしい
 そう言われてみれば、彼からは甘酸っぱい香りがしている

 しかし、まさかジュースまで手作りしているとは思わなかった


「これだけの果汁を絞るのは大変じゃないのか?
 果物の量も、かなり使うように思うんだが――…」

「リャンティーアが買ってきてくれたんだ
 傷のある果物を安く譲って貰ったらしくて…
 残りは夕食のデザートで使うから、楽しみにしていて欲しい」

「……本当に、料理上手なんだな」


 火波も一応料理はするが、その腕はお世辞にもいいとは言えない
 レパートリーも少なく、せいぜい煮るか焼くか揚げるか―――…そのくらいだ

 そして仲間のシェルはリンゴの皮すら剥けない

 素直に感心していると、メルキゼは嬉しそうな、けれど少し寂しそうな笑みを浮かべる
 グラスを握る手が少しだけ震えたのがわかった




「……カーマインが、褒めてくれた…から」

「――――…うん?」

「私、何をやっても失敗ばかりで…
 いつもそれで迷惑ばかりかけていた
 でも…カーマインは私の作る料理が好きだって言ってくれたから…」


 自分が唯一、自信を持てるものなのだと
 そう言ってメルキゼは微笑を浮かべた

 料理を褒めて貰ったときの事を思い出しているのだろう


 何だか惚気を聞かされる羽目になってしまった
 それでもメルキゼの憂い顔が晴れて良かったと思うべきなのだろう

 そして、彼を元気付ける為には恋人の話題を選んだ方が効果的だという事もわかった



「メルキゼデク、良かったら…
 その…聞かせてくれないか?
 カーマインとの思い出や馴れ初めなんかを――…」

「えっ…で、でも私は話すのがヘタだし…
 それに男同士の恋話を聞いても面白くないと思うけれど…」

「い、いや、そんな事は無いぞ!?
 わしは純粋な好奇心から―――…」


 正直に言えば聞きたくない

 別にメルキゼとカーマインの関係について嫌悪感を抱くわけではない
 両手を広げて肯定するわけではないが、決して否定をするつもりもない

 ただ、自分自身に被害さえ及ばなければ―――…







「…ああ…そうか
 火波、わかったよ」

「……ん?」


「火波、シェルの事が好きなんだね」



 …………。

 …………………。



「―――――…は…?」


 誰が?

 誰を?

 何だって?




「そんなに絶句しなくていい
 シェルは私の弟のようなものだ
 あの子も幸せになれるのなら、私は君の恋を応援するよ」


 応援されてたまるか

 というか、何で?
 何がどう間違って、こんな事に?


「…ちっ…ち、ち、ちょっと待てっ!!
 メルキゼデク、それは誤解だ…っ!!」

「大丈夫、私は味方だから
 シェルにも黙っておくから安心して」

「いや、だから…」

「火波ったら照れてしまって…初々しいね
 何だか私の方まで恥ずかしくなってきたよ」

「――――……。」




  



 もう、言葉も出ない

 一体何をどう勘違いすればそういう発想になるというのか


 メルキゼに失敗が多いとか、
 勘違いが多いという事は知っている


 …しかし―――…





「…これは…限度があるぞ…」

「心配しなくていい
 シェルの事は私に任せて」


 任せられる筈が無い
 みすみす心配事を増やしてなるものか


「…あ、あのな、メルキゼデク…
 凄い勘違いをしているようだから言っておく
 わしはシェルにそんな気持ちは微塵も――…」

「火波、恥ずかしがらなくていい」


 全くもって恥ずかしがってません

 メルキゼデク
 頼むから気付いてくれ

 このわしの額に浮かぶ青筋を…っ…!!



「まぁ…気持ちは理解できる
 私も恥ずかしがり屋だから…
 でも自分に正直になる事が最初の試練なんだ」

「いや、試練も何も――…」

「これを乗り越えてこそ、真実の愛が手に入るんだよ」


 要らん


「でも、私にとっては意外だった
 確かにシェルは随分と格好良く成長したけれど…
 まだまだ子供だし、恋なんて当分先の事だと思っていた
 それが君のような人から想われていたなんて…私は今、とても不思議な気持ちだ」

 わしは今、
 とても憂鬱な気持ちなんだが…


「…ねえ、火波…ひとつ聞かせて欲しい
 君はシェルの事を幸せにできる自信がある?」

 ある筈が無い
 自分が不幸になれる自信はあるが







 不意にメルキゼは火波の手を握り締めると、
 その手と瞳に強い力を込めて、口を開いた

「…シェルは孤独なんだ
 記憶喪失中で自分が誰かもわかっていない
 表情には出さないけれど、不安で寂しい筈だ
 だから…彼には支えてくれる相手が必要だと思う」

「…はあ…」


「シェルは存在のわからない自分を信じる事が出来ない
 それは、とても哀しくて、寂しくて、辛い事だと思う…
 彼はその苦しみを癒してくれる相手を探しているんだ
 シェルだけを見つめて、シェルだけを愛してくれる、そんな存在を」

「…えーっと…」


「ねえ、火波
 君は―――…そういう存在になれる?」


 無理です




「…それに、わし…シェルに好かれてるとも思えないし…」

「―――…どうして?
 私の目からは仲良さそうに見えるけれど」

「いや、だって……けなされてるし
 いつもコケにされたり憎まれ口叩かれたりしてるし…な」


 あの減らず口だけは何とかして貰いたい
 毎日のように浴びせられる憎まれ口はストレスとなっている

 そして、そのストレスは
 確実に火波の胃腸を弱らせていた



「…生意気で、可愛げの無いガキだ
 いつかあの小童のせいで胃に穴が開く気がする」

「…そうか…火波は、シェルに気に入られてるんだね」


 お前、わしの話を聞いてたか!?



「…だーかーら―――…!!
 わしは、あの子から嫌われて――…」

「それは違うよ
 火波は既に、候補に挙がってるんだ
 人生を共にする為のパートナー候補にね」


 すみません
 こっちから辞退していいですか




「というわけで、嫌われている訳ではないと思う」

「…そう言える根拠が知りたいものだが…」

「火波はシェルに試されているんだよ
 何処まで許してくれるか、何処まで信じてくれるか
 わざと憎まれ口を叩いて…それでも傍にいてくれるかどうかを」


 それが事実だとしたら、
 何処までヒネくれたガキなんだ



「…つくづく可愛くないガキだな…」

「そんな事言って…
 でも、それでもシェルの事が好きなんだよね」

「いや…だからそれは誤解で――…」


 一体、何をどう説明すれば良いのか
 勘違いが多いだけでなく、どうやら思い込みまで激しいらしい

 これでは、彼の恋人であるカーマインはさぞ苦労したことだろう



「…シェルは火波の事を信じたいと思ってる
 あの子は確信が欲しいんだ…君を信じて良いという確信をね
 君たちの関係に口を挟む権利は私にはないけれど―――…」

「いや、だからそんな大した関係じゃ…」

「今はまだそうかも知れないけれど、先の事なんかわからないだろう
 私とカーマインだって出会った頃は、まさかこんな関係になるなんて思っていなかった
 全く想像もつかないような事が突然起こるものなんだよ、人生というものは」

 よく聞くフレーズだけど、
 メルキゼが言うと妙な説得力があるのは何故だろう



 彼は何度か頷きながら、
 何かを悟ったかのように、しんみりと呟いた


「生きるって言う事は、ハプニングの連続なのかも知れない…」

「……そ、そう…だな……」

 火波には言えなかった
 脳裏には浮かんだが言葉にすることが出来なかった


 そのハプニングは
 お前自身が引き起こしてるんじゃないか?

 ――…という一言が
 言ったら取り返しのつかない事態になるような気がして





「まあ、わしのハプニングは人為的なものが多いんだがな…」

「火波がシェルと深い仲になるような人災が起こると良いね」


 どんな人災だ


「でも、シェルは本当に良い子だ
 それに君の事を頼っているのも事実だと思う
 ねえ火波…だから――――…」

「…うん…?」

「だから、君たちの関係がどのような方向に行こうとも…
 あの子を泣かせるような事だけは、決してしないで欲しい」


 わしはいつも泣かされてますが
 その点に関してはスルーですか、そうですか…



「…まあ…いいが…」

「……とにかくね、火波
 私は君たちの事を応援しているから
 ―――…大丈夫、この事は誰にも言わない
 私はこう見えても口が堅いから…安心して欲しい」

「………………。」


 結局、この勘違いを修正させるのは困難なようだ
 少なくとも自分の技術では不可能だということは理解出来た

 …まあ、誰にも言わないと本人も言っている事だし…
 ヘタに説明するよりも、このまま誤解させておいた方が楽だろう

 というより、そっとしておこう

 これ以上変な方向に行かせない為にも




「そうか…でも、シェルも成長したという事なのだよな…
 いつかあの子も私たちと同じようにデートをしたりするのだろう…」

 そいういうと、メルキゼは寂しそうな笑みを浮かべた

「…でもあの子なら心配は要らないな
 シェルならきっと――――…勝てる!!


 何に!?



 デートから何を連想した!?
 今度は一体何をどう勘違いした!?


 ―――――……。

 ……いや、止めておこう
 深く聞き出さない方が身の為だ

 どうせ自分には理解出来ないだろうし



 この状況は、君子危うきに近寄らず
 ――――…と、いうよりも、

 臭いものにはフタと言った方が正しいかも知れない




「……もう、どうにでもなれ……」

 でも、願わくばこれ以上暴走しない事を願う
 降り注ぐ陽光の如く蓄積して行く精神的疲労をジュースで癒す昼下がり


「シェル…早く帰ってきてくれ…
 この天然っぷりには…ついて行けん…」

 彼と語り始めて、まだ一時間にも満たない
 晴れ渡った初秋の一日は、時もゆっくりと流れて行くのだった


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